戦死認定された薬師は辺境で幸せを勝ち取る

灰銀猫

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第二部

本心

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 彼をじっと見つめると相変わらず苦しそうな表情だったけれど目が合った。ようやく合った視線に心臓が勝手に跳ねる。その表情の理由はどんな感情から? 何を考えているの? 手を伸ばせば届きそうなのに、立ち上がって三歩も進めば触れられるのに身体が動かない。拒否された記憶が強く焼き付いて以前のように動けなかった。

「お前さんは、どうしたい?」

 ベッドに腰かけて肘をテーブルに付き、組んだ手に顎を乗せた彼にそう問われた。どうしたいかなんて、そんなの決まっている。そのためにここまで来たのだから。


 だけどそれを口にする勇気が出てこなかった。迷惑そうな表情が返ってきたら? あんなに悪態を付いたのよ、縋るようなことを言ったら未練がましいと呆れられそう。会ったらこれまでの鬱憤をぶつけてやると意気込んでいたのに、今は僅かでも彼に嫌われるのを恐れている。そんな時分の弱さが情けないわ……どうしてこんなに弱くなってしまったのかしら……

「ああ、俺が先に話すべきだよな。悪かった」

 私が何も言えずにいたら眉を下げて謝られてしまった。緩んだ表情に心のこわばりが僅かに溶けるのを感じていると、彼は立ち上がって私のすぐ側にやってきて膝をついた。驚く私の手をぎゅっと握られた。かさついているけれど温かくて大きな手。ずっと焦がれた温もりの一片にゆっくりと体温が戻ってくるような気がした。

「俺は今でもお前さんに惚れてる」

 真剣な表情でそう告げられた。真っ直ぐな視線には嘘は感じられず、顔に熱が集まる。

「出来ることなら死ぬまで共にいたい。俺の嫁はお前さんだけだ」
「……私、だけ?」
「ああ。証拠と言っちゃなんだが……」

 そう言って彼がシャツの釦を外した。左胸の心臓の上くらいにあったのは彼の印の飛ぶ燕と……ばらの花だった。その下には小さく飾り文字で「ベル」と刻まれていた。

「私……の、名……」
「そうだ。ザウアーにいた時、反国王派の中に彫り師がいて。それで頼んだんだ。未練がましいかもしれねぇけど、俺の気持ちを形にしておきたかった」

 じわじわと手から彼の体温が伝わってくるように、心には彼の言葉がゆっくりと満ちていくのを感じた。

「そんなの、反則です……」

 こんなことされたら疑うなんて出来ないじゃない。しかも私の名まで彫られたら……

「本当にすまなかった。謝って済むことじゃねぇが、お前さんが許してくれるなら一生をかけて償う」
「一生って……」
「お前さんが許してくれるならもう放す気はねぇ。今回みてぇなことは二度とごめんだ。一生側にいたい」

 それは私の思いと重なるものだったけれど、そんなことが叶うの? 

「でも、エーデル王に課せられた役目は……」
「王都での仕事はほぼ終えたし、これからはザウアーで動くことになる。俺はリムスではお尋ね者だから王都じゃ思うように動けねぇ。最初からここでの準備が終わったらザウアーに向かう予定だったんだ。それはエーデルの爺も了承している」

 爺って……王のことかしら? いえ、今はそんなことはどうでもいいのだけど……でも、それなら共にザウアーに向かってもいいの? いえ、その前にダーミッシュに戻らなきゃ行けない。メーネルのことはまだ解決していないのだから。だけど、それを終えたらザウアーに行ってもいいの? 許されるなら……行きたい……

「ローズ、返事がほしい。お前さんの本心を聞きたい」

 乞うように見上げられた。その目には以前見た熱があって、離れていた時間が嘘のように感じられた。あの頃と心は変わっていないと思っていいの?

「……私も、一緒にいたい、です……」

 もう滑らかに声を出すなんて無理だった。視界が歪んで頬にひんやりした感触が走るのを感じたと思った瞬間、息が詰まりそうなほどに抱きしめられた。頬に温かく滑らかなモノが触れて彼の匂いに包まれる。

「すまなかった」

 繰り返される謝罪の言葉に凍てついた心がゆっくりと解けていく。もう謝らなくてもいいと言いたいけれど涙が止まらなくて嗚咽しか出てこなかった。それでも誰かに聞かれたくなくて必死に声を抑えた。そうしている間も彼は私を抱きしめて優しく背を撫でてくれた。その手つきが以前のそれと変わらなくて余計に涙が止まらなくなる……

 どれくらいそうしていたかしら。泣き止んだ頃には既に外は薄暗くなっていた。ねぐらに帰る鳥たちの声が響く。

「大丈夫か?」

 気遣わし気に顔を覗き込まれたけれど、泣いたばかりの顔を見られるのは恥ずかしいわ。目も腫れてきっと酷い顔をしているだろうから……

「すみません……」
「謝るべきは俺の方だ。お前さんを泣かせるほど傷つけたのは俺なんだから」
「でも、私だって……信じられなかったから……」

 彼を信じていたら何か理由があるのではないかと思ったはず。それもしないで一方的に捨てられたと憤ったのは私の方だわ。

「あの状況で信じるなんて無理だろ。俺がもっとうまく立ち回ればよかったんだ。本当にすまなかった」

 そう言うと一生深く抱きしめられた。彼の心臓の音が聞こえる。頬に彼の体温が直に伝わって来て今更ながらにドキドキしてきた。

「愛しているんだ。俺の命をかけて守るから、一緒に居てくれ」
「命なんかかけないでください。そんなことしたら、絶対に許しませんから」
「え? あ、いや……」

 思わず言い返してしまったわ。だけど私のために危険を冒してほしくない。それでなくても危険なことばかりしているのだから。

「愛していると言うなら死なないでください。私のために犠牲になんかなったら私も直ぐに後を追って、あの世でずっと文句を言い続けます」
「……肝に銘じる」

 これくらい言ってもいいわよね。そうでなければこの人は絶対に無茶をするわ。そんなこと絶対に許せない。せっかく取り戻したこの温もり、もう手放したくないのよ。



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