戦死認定された薬師は辺境で幸せを勝ち取る

灰銀猫

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第三部

解毒

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 メゼレジュはエーデルとの戦争で多くのリムス人を死に追いやった厄介な毒。遅効性なのもその一因で、戦場では怪我をするのは日常茶飯事で小さい傷なんか気にも留めない。かすり傷だから大丈夫だと思っている間に全身に毒が回り、死に至る。最初の頃はそれを知らなかったせいで多くの騎士たちがこの世を去る羽目になった。

 この毒の存在を知ってからは多くの薬師が必死に解毒剤を探したわ。捕虜にしたエーデル人から毒について聞き出し、ブラッツ様たちも使える伝手をすべて使って情報を集め、解毒剤が出来たのは終戦間際だった。それでも完全に毒の影響を払拭することは出来ず、多くの騎士に後遺症が残った。

 解毒剤用の薬草はあるけれど……今から調合して間に合うかしら? いえ、間に合わせるしかないわ。必死に手を動かして薬草を順番に混ぜ合わせる。これを疎かにすると効果が落ちてしまうから、焦る心との闘いだわ。悪寒がしてきた。私にも毒が回り始めたみたいね。幸いなのは自分で舐めたから量が僅かで済んだこと。それにギルよりも後だからまだ時間はあるわ。

(出来た……)

 最後の薬草を加えて混ぜて皿に上げる。そこから匙一杯分をコップに入れてぬるま湯を注いで混ぜ合わせた。急く気持ちを抑えるために一呼吸置いた。

「出来ました」

 私の声に固唾を飲んで見守ってくれていた陛下たちがぱっと顔を上げた。解毒剤の入ったコップを手にギルの元に戻った。さっきよりも顔色が悪いわ。息も荒いし。それでもまだ意識はあって私を見上げてきた。目も血走っているわね。相当苦しいはず……

「ギル、飲めそう?」

 膝を折って彼の顔に近づくと、ジークハルト殿が彼を起こして背を支えてくれた。ギルの口元にコップを当てて飲ませると、ゆっくりとだけど何とかコップから飲んでくれた。飲み終えた後、口直しの水を飲む姿を見てようやく息が出来た気がした。

「夫人も飲んでくれ」

 そう言って解毒剤が残ったコップをジークハルト殿が差し出した。そういえば私もだったと思い出してそれを口にした。強い苦みとえぐみに顔をしかめたくなる。

「夫人、ギルベルト殿は……」
「まだ、何とも言えません。解毒剤は飲ませましたが、毒がどれくらい周っているかによります。本人の耐性や体調によっても変わりますし」
「そう、か……」
「これから時間を置いて何度か飲ませる必要があります」

 何度飲ませればいいかしら? 飲ませすぎるのもよくないのよね。効果が強すぎて副作用が出てしまうから。そういうところもこの毒は厄介なのよ。

「今夜は寝ずの番をします。陛下や皆さまはどうか会場にお戻りください」
「しかし……」
「何かあったらすぐに知らせを出します」

 今はまだ舞踏会の真っただ中。国の威信を下げないためにも舞踏会は何もなかったように進める必要があることくらい、私にだってわかるわ。こうして中座している間にもよからぬ噂が広がっているかもしれない。もちろん今も会場ではレンガー公爵やロンバッハ伯爵が目を光らせているでしょうけど。

「すなない」
「陛下のせいではありませんわ。すべてはあのご令嬢の責任です」
「そうだな」

 そう、ジュスティーナ嬢が弁えていたら、現実を直視して諦めていれば起きなかったことだわ。

「おい、マリウス……」
「ギル?」
「ギルベルト殿?」
「利用、しろよ。あの女の狙い、は……新王の暗殺、だ……」

 それって……彼女をエーデルの間者に仕立て上げると? いえ、でもそう言われても仕方ないことを彼女はやったわ。総督の娘が新王の側近、それも建国の立役者を害したのだから。あの場にはレーデンスやメルテンスの大使もいたわ。彼らは反エーデルだから彼らを味方にすれば我が国に優位に事を進められるかもしれない。

「わかった。この件を無駄にはしないよ」
「ああ。あんな、クソ女に、情け、は無用だ……」

 弱々しい声だけど強い怒りが感じられた。ギルがそう願うなら陛下はそのように動かれるでしょうね。いえ、もしかしたらこんな機会を待っていたのかもしれない。これからジュスティーナ嬢の私怨を国の陰謀に変えて政治的な交渉の材料にしようというのね。ギルは私との婚姻を邪魔したエーデル王を目の敵にしているから、きっと容赦しないでしょうね。

 心配そうに、後ろ髪を引かれるようにしながらも陛下は会場へと戻って行かれた。ここに残ったのはギルと私、医師とその見習い、そしてジル殿と彼の部下の騎士たち。ジークハルト殿も会場に戻って行かれたわ。彼も立役者の一人として、また私同様死亡認定を受けた一人として、大きな役割があるから。

「ギル、気分はどう?」

 ベッドに身を横たえるギルはまだ苦しそうに荒い息をしていた。解毒剤を飲んだからと言って不安が消えるわけじゃない。解毒剤は万能じゃないし、本当の勝負はこれからだから。

「はは……前より、楽だ」
「無理しないで。正しい判断が出来なくなるわ」
「本当、だっ、て……」

 解毒剤を飲んだという気分の問題もあるのかもしれない。まだ効き目が出るには早いもの。だけど……悪化はしていないように見える。だったら大丈夫、かしら?

「少し眠って。側にいるから」
「お前さ、ん、も……」
「私は大丈夫よ。解毒剤も飲んだし、ギルより量は少ないし飲むまでの時間も短かったから」

 安心させるように手を握り、少し笑みを添えて優しく語りかけた。薬が効き始めると熱が出るわね。その用意もしなきゃ。ジル殿に頼んで熱が出た時の準備をお願いした。医師たちは隣の部屋で控えていると言うので好きにしてもらったわ。初対面の方だから私も気が休まらないし。

「夫人も少し休まれては?」

 ジル殿がそう言ってくれたけれど、これからギルの様子を見ていなければいけないからと断った。峠を超えるまでは休むわけにはいかないわ。容体が急変したら直ぐに対応しなきゃいけないもの。



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