戦死認定された薬師は辺境で幸せを勝ち取る

灰銀猫

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トランの街

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 その日の午後、私たちは無事トランの街に着いた。平地で畑に囲まれ、明るい雰囲気のエルダと違い、四方を山に囲まれたここは堅実で地味な印象が強かった。ここは畜産が盛んで人よりも羊の数の方が多く、乳製品や羊毛の産地なのだとロドリゴさんが教えてくれた。

「お陰様で無事に辿り着けました。何とお礼を言っていいか……」

 別れ際、ロドリゴさんたちには大いに感謝されてしまった。テレルさんたちまでギルベルト殿に頭を下げている。野営地での活躍が大きかったのかもしれない。

「いや、当然のことをしただけだ。それに、こっちも助かったからお互い様だって」

 ギルベルト殿はそう言うけれど、ロドリゴさんはお礼だと言って皮の袋をギルベルト殿に渡した。中を確かめて……びっくりしたわ。金貨が詰まっていたのだから。

「こんなに貰えねぇよ」
「そう仰らずにお納めください。もしギル殿がいらっしゃらなかったら全財産どころか命もなかったのです。それに比べたらささやか過ぎますが、今はこれしか手持ちがなくて」
「だから要らねぇって」

 ギルベルト殿が皮の袋を押し付け返そうとするが、ロドリゴさんは手を後ろに回してそれを拒否した。

「いいえ、私共がこうして商売が出来るのもギル殿のお陰です。受け取れないと仰るのなら、故郷のためにお使いください」
「……あんた……」

 ギルベルト殿が言葉を失っていたけれど、もしかして、正体がばれていた?

「どうかご健在で。短い間でしたがご一緒出来て光栄でした。ご武運をお祈りしております」

 そう言うとロドリゴさんたちは頭を下げて背を向けた。テレルさんたちも軽く会釈をすると彼らと共に去っていった。彼らには自警団であの破落戸たちの後処理が待っているのだろう。たった三日だったし危険もあったけれど、今は無事にこの街に着けたことに安堵した。

「さて、宿を探すか」
「いいのですか?」
「今日くらいいいだろう?」

 街に留まるのは危険だけど、ギルベルト殿がそう言うのなら大丈夫かしら。昨夜はろくに眠れなかったしこれから先も野営が続くだろうから、今日くらいはベッドで眠りたいと思ってしまう。ギルベルト殿だって昨夜から一睡もしていないし、ずっと気を張っているはず。野営になれば彼に負担をかけてしまうのはわかり切っているから、今日くらいはゆっくり休んでほしかった。

 ギルベルト殿が向かった先はロドリゴさんに紹介された宿で、安くも高くもなく質がいいそうで、ロドリゴさんは口が堅くて信用出来ると言っていたとか。兄妹だからベッドが二つある部屋を頼んだ。案内された部屋は三階で、静かで落ち着いた内装だった。一階の酒場の喧騒が届かないのもありがたいわ。

「……余計な気を使わせちまったな」

 ロドリゴさんから受け取った皮袋には金貨が詰まっていた。全部で三十枚はあるかしら。平民の半分ほどは一生見ることがないほど高価で、年収の三年分とも十年分とも言われている。

「もしかして……私のせい、でしょうか?」

 思い返せば、一度だけギルベルト殿の名を口にしてしまったような気がする。怪我人と聞いて咄嗟にその名を呼んでしまったかもしれない……

「どうかな。抜け目のなさそうな男だったし、黒髪赤目なんてこの辺じゃ珍しいからなぁ。ま、口が堅そうだから誰にも言わねぇだろ」

 ベッドに寝そべってそう告げた彼の言葉に気遣いを感じた。どうしていつも責めないのかしら? 彼の足を引っ張っているのは間違いないのに……

「さて、そろそろ飯にするか」
「そうですね」

 悲しいかな、お腹は正直だった。さっきから街のあちこちからいい匂いが立ち上がっているのもある。昨夜は野営だったけれど生の肉はなかったし、偽護衛が入れた薬草の効果を打ち消すために入れた薬草の味もあってあまり美味しくなかったのよね。朝のスープもお腹が空いていたから美味しいと感じたけれど、それでも宿で出してもらう食事には及ばないから。

 一階に下りると食堂には既に多くの客で賑わっていた。多くは男性客で、既に酔っていて大声で騒いでいる人もいるわ。酒場に入ったことは数えるしかないし、エルダの街はここまで騒がしくなかったからちょっと入り辛い。雰囲気に飲まれてしまいそう。ギルベルト殿は慣れているようで、こっちだと言ってどんどん店の奥に入っていく。ズボンを履いているし、女性らしくない服だけど酔った客に絡まれそうだから慌ててその後を追った。

「ここならまだ静かでマシだろう」

 ギルベルト殿が選んだ席は店の奥の方で衝立などがあって周りから見え辛い場所だった。テーブルと椅子が二脚だけで、隣の席と離れているのもありがたいわ。暫くすると店員がやってきた。ギルベルト殿は店員にこの店のお勧めを尋ね、その中から幾つかを頼んだ。暫くしてやってきたのは、串焼きの肉と魚、干し芋、豆と干し肉のスープ、そしてエールと果実水だった。

「人間、しっかり食って寝れば大抵のことは乗り越えられるもんだ」

 そう言って皮肉の感じない笑みを浮かべた。もしかして励ましてくれるのかしら? 昨夜は情けないところを見せてしまったわ。しっかりしないと。彼がコップを傾けたのでそれに倣ってコップを軽く当てて喉に流し込ん……

「……っ! こ、これ、お酒……!?」
「ははっ、果実酒だ。甘いからお前さんでも飲めるだろう?」

 なんてものを飲ませるのよ。私、お酒なんてほとんど飲んだことないのに……!

「お前さん、これから平民として一人で生きていく気なんだろう?」

 急に真面目な顔でそう尋ねられて、文句の行き先を見失ってしまった。彼の言う通りなので頷く。

「だったら酒にも慣れておけ。でないと痛い目に遭うぞ」
「痛い目って……」
「世の中にゃ悪ぃ男が多いんだ。酔わせて襲うような屑もいる。そんな目に遭いたくないだろ?」

 真顔でそう言われてしまった。襲うって、そんなこと……そう思ったけれど、茶化す素振りのない彼に何も言い返せなかった。



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