【完結】戦死認定された薬師は辺境で幸せを勝ち取る

灰銀猫

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第二部

現れた人物

 声のした方に視線を向けると、扉に寄りかかって腕を組んで立っている見知った顔があった。いつもと変わらない笑みを浮かべているけれど目が笑っていない。それだけなのにあの男とは違う意味で肌が粟立った。さっきまで大声でいきり立っていた男たちですら声を出せずに口元を戦慄かせている。

「よぉ、フリートヘルム、元気そうだな」

 まるで親しい相手に投げかけるような挨拶なのに、向けられた男は灰色の目を大きく見開いて音にならない呻き声を上げていた。

「おい」
「ひゃい?」

 どうやらこの男は彼が怖いらしい。さっきまでの威勢の良さはどこへやら、声が引き攣っていた。そこまで怯える必要はないと思うのだけど。

「いつまで掴んでんだよ」
「……へ?」

 言われた意味が解らなかったのか男が間の抜けた声を上げると、彼は一層笑みを深めてこちらに向かってきた。男が後退ったせいでこっちまで引き摺られて腕が痛い。直ぐ側まで来たと思った瞬間、微かな風と鈍い音がして腕の痛みが消えた。呻き声がする方に視線を向けるとあの男が薬草を仕舞う棚の前で倒れ込んでいるけど……

 何が起きたの? ギルベルト殿が? 子どもならまだしも、それなりに背もある若い男が一瞬で吹っ飛ぶなんてことあるの? あっという間のことで何が起きたのかわからなかった。周りの人たちも同じなのか室内は息をするのも憚られるほどの沈黙に包まれていた。外の喧騒がやけに大きく感じる……

「大丈夫か?」
「……え?」

 こんな状況の中でもいつもの調子で声を駆けてきたのはギルベルト殿だった。何が起きたのか呑み込めずに呆然と見上げていたら腕を取られた。

「痛っ!」
「あ? 悪ぃ!」

 さっきあの男が掴んでいたところを掴まれて痛みを感じた。咄嗟に出てしまった悲鳴にギルベルト殿が慌てて手を離した後、袖を捲って腕を露わにしていく。そこには手の痕らしき赤い輪が出来ていた。痛かったはずだわ、こんなに跡が残るほど強く掴まれていたんだから。

「あんの野郎……」

 低く唸るような声に反して優しい手つきで袖を戻されると、今度は手首をやんわりと掴まれた。

「悪ぃ。後で手当てしてやるから」
「い、いえ、お構いなく」

 この程度なら二、三日もすれば消えてしまうわ。それよりも人の目があるから手を放してほしいのだけど……

「ギルベルト様!」
「ああ、イゾルデか」

 声を上げたのは以外にもイゾルテさんだった。真っ直ぐこちらに向かってくる表情には私に向ける険しさがすっかり消えているように見えた。気安く名を呼び合う仲だったなんて知らなかったわ。

「どうしてこちらに?」
「ああ、こいつに用があってな」

 そう言ってギルベルト殿が私に視線を向け、それを目にしたイゾルデさんの目が大きく開かれた。目に険しさが増したような気がする。そういえば彼女、振られたけれど諦めきれず想い続けている相手がいるって噂があったけど……まさか……

 彼女の視線に耐え切れず逸らしたら院長先生の姿が視界に入った。駆けつけた医師の手を借りて立ち上がろうとしているところだけど腰は大丈夫かしら? 駆け寄ろうとしたけれどギルベルト殿の手がそれを拒んだ。

「あ、あの……」

 放してほしくて視線を向けたけれど、にやっと笑って流された。一体何なのよ……

「院長先生……」
「ああ、ローズ、大丈夫じゃから」
「だそうだ」

 手を放してほしいのに、彼の方はその気がないらしい。そうしている間に院長先生が医師の手を離れて一人で立ちあがっていた。だったら大丈夫かしら? 

「ギルベルト様、申し訳ございません。このような騒ぎに巻き込んでしまい……」

 院長先生が少し曲がった腰を更に曲げて頭を下げた。

「ああ、気にすんな。院長のせいじゃねぇだろ。悪いのはこいつらた。まぁ、こいつにも一因があったけどな」

 そう言いながら向けた視線の最後は私だったけれど、私が一因? どういうこと?

「どうして私が……」
「お前なぁ、指輪渡してあっただろうが。あれはこういう時のためだってぇのに、何で使わねぇんだよ」

 ええっ? そうな……のよね。渡された時にこれで私の後見が彼だとわかるからって言われたけれど、それってこういう時の為でもあった、のよね。

「……完全に、失念していました」
「おいおい、しっかりしてくれよなぁ」

 呆れられたけれど、院長先生が心配でそんなこと頭に浮かびもしなかったんだから仕方ないじゃない。第一、こういうのって他人の威光を利用するようで好きじゃないもの。

「おい、誰か自警団を呼んでくれ」
「は、はいっ!」

 若い医師見習いが慌てて駆けて行った。そういえば失念していたけれどまだいたわね、フリートヘルムとその仲間が。フリートヘルムはまだ気を失ったままだし、その取り巻きの男たちはギルベルト殿の姿にすっかり圧されてその場に立ち尽くしている。主が目を覚まさないから逃げるに逃げられないのでしょうね。見捨てて自分たちだけ逃げたら二度と取り巻きに戻れず甘い汁を吸えなくなるどころかどんな報復があるかわからないから。

「すまねぇな、院長。こいつらは二度と悪さが出来ねぇようにするから」
「とんでもございません。それよりも彼女を託されたにも関わらず危険に晒してしまい申し訳ございませんでした」

 院長先生が再び深々と頭を下げたけれど、それをイゾルテさんや他の職員が訝し気に見ていた。居たたまれないわ、やっとみんなと打ち解けてきたと感じていたのに。これで本当の身分や彼とのことが知られたらまた距離を置かれるかもしれない。って、時すでに遅し、かしら。

「ははっ、悪いのはそこでくたばってるガキ共で院長のせいじゃねぇよ。これからもよろしく頼む」
「もちろんにございます」
「ああ、急で悪ぃがついでにこいつ借りてってもいいか?」

 そう言って握られた手を上げられた。ええっ? 今から?

「あの、まだ仕事が残っていて……」
「もちろんにございます」
「院長先生?」

 待って、常備薬の補充がまだ手付かずなのよ。あれがないと明日の診察に影響が出るかもしれないのに。

「そろそろ閉院の時間でございますれば。ここのことはお気になさらず」
「助かる」
「ああ、彼女の荷物はこちらです」
「気が利くな。悪ぃな、また埋め合わせはするから。じゃ、行くぞ」

 ああ、今日中に終わらせたかったのに……そんな私の懸念などお構いなく、ギルベルト殿は私の鞄を肩に掛けると返事も待たずに歩きだしてしまった。



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