戦死認定された薬師は辺境で幸せを勝ち取る

灰銀猫

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第二部

惜別の夜

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 散々泣いた私を彼は呆れたりせずに受け止めてくれた。この家に着いた頃は陽が赤く染まり長い影を部屋に描いていたけれど、泣き止んだ頃にはすっかり暗くなっていた。さっきとは違う種類の喧騒が流れてくる。

「今日は泊っていけよ」

 今度は目を冷やす役目を得たタオルを渡しながら彼がそう言った。軽く言われた言葉だけど、この先にあるだろう展開を予想して顔に熱が集まるのを感じた。でも、不思議と躊躇はなかった。ここで離れたらもう二度と会えないような気がして離れたくない気持ちが勝ったから。小さく頷くとにっと笑みを浮かべて頭を撫でられた。

「目を冷やしながら待っててくれ。晩飯を頼んでくる」

 そう言うとまた頭を撫でて頭にキスをして部屋を出ていった。唇が触れたところが熱く感じて思わず手で押さえた。恥ずかしくて、物凄く照れくさい……

 一人になって冷静になると今の状況が一気に押し寄せてきて、顔が熱くなるどころか火が出そうだった。冷たいタオルがあっという間に乾いて干からびてしまいそう。両想いだったことが未だに信じられなくて実感が湧かない。好きだと自覚したのだってつい最近なのに……展開が早過ぎて心が付いていかないのに、ゆっくり考える時間もない……

 暫くすると彼が大きな籠を手に戻ってきた。中には水筒とパンにハムやチーズを挟んだものが並んでいた。

「こんなものしかなくて悪ぃ。外に食べに行く時間も惜しくてな」
「いえ、気にしないでください」

 この顔で外に出るのも憚られるからむしろほっとしたわ。ソファに並んで座って二人だけの晩餐を楽しんだ。野営の食事よりもずっとマシだし落ち着いて食べられるだけでも嬉しい。このまま時間が止まればいいのにと願ってしまう。ダーミッシュを目指してた頃が懐かしいわ。あの時も不安はあったけれど、今よりもずっと希望が大きかったから。

 食事を終えてテーブルには水差しとグラス、そしてワインの瓶が残った。ソファに座る彼の足の間に座らされていた。恥ずかしいけれど顔を見られないのは幸いかもしれない。それにこの姿勢はダーミッシュに向かって旅をしていた時のようだわ。仄かな石鹸の香りと彼自身の匂い、背に感じる体温も相まって彼の存在を強く感じてしまう。

「明日の朝一番に出る。今度は馬車だから前ほど辛くはねぇだろう。荷物はどうする? どうしても持って行きたいものがあるなら取りに行くか、誰かに行かせるが」

 その言葉に彼が本気で私の願いを聞き入れようとしてくれるのだと理解した。それは明日からの旅を困難にするものだとわかっているはずのに、それでも私の願いを叶えようとしてくれるのね。その気持ちが嬉しくてまた泣きそうになる。だけど……

「ありがとうございます。ですが、私はここに残ります」
「は? 何言ってんだ? 一緒に連れて行けって言ったじゃねぇか」

 彼が目を見開いて私の肩を掴んで自分の方に向かせた。当然のようにそう言ってくれる彼に嬉しさが心の隅々まで満ちていく。でも、私が行っても役に立つどころか足手まといでしかないわ。それくらいは弁えている。

「私の願いを叶えようとしてくれた、その気持ちだけで十分です。私が行っても邪魔にしかなりません。それで危険が増すなんて耐えられませんから」
「だが……」

 なにかを言い返そうとした彼だけど、その先は続かなかった。彼もそれが最善だとわかっているから。そうした方がお互いに生き延びる確率が上がるから。大きな手を取って両手で包み込んだ。傷だらけのその甲には彼の指輪と同じ模様の刺青が施されている。

 これは戦の多いダーミッシュの騎士の習慣で、万が一の時に身元がわかるようにと胴や四肢などに彫られている。彼の場合は空を飛ぶ燕が描かれていた。春になると戻ってくる燕は戦争に行っても必ず帰って来るようにとの願いが込められているらしい。騎士が好んで彫る柄の一つだと教えてくれたのはいつだったかしら。

「生きて帰ってきてくれるのですよね?」
「当然そのつもりだが、一緒にいたいなら行けばいいだろ」
「でも、それでギルベルト殿や他の方の危険が増すなら行けません」

 私に武芸の才があったら行けたかもしれない。でもその才能は残念ながらなかったわ。馬にすら一人で乗れない私が行っても邪魔になるだけ。

「……すまねぇ」

 力なく呟かれたそれは私の考えを肯定するものだった。でもそれでいい。最善を、生き延びる可能性が少しでも高い方を選ぶのは当然だし、彼を危険な目に遭わせたくないから。

「ふふ、私も忙しいんですよ。今の医院には薬師がいないから無責任に放り出すことも出来ませんから」

 湿っぽくならないよう明るくそう返した。彼に行かないなんて選択肢がないことくらい最初から承知しているわ。だから共に行こうと言ってくれた。それだけで十分。

「待っていますわ、ここで」
「いや、危なくなったら逃げてくれ。どこでもいい。生きていてくれれば必ず見つけ出す」
「じゃ、生き延びることを最優先にします。だから……」
「ああ、俺もだ。約束する」

 赤瞳が真っ直ぐに向けられていた。迷いを感じないから大丈夫よね。生きてさえいれば必ず会えるわ。先のことなんかわからないけれど、今以上に厳しい状況なんてないはずだもの。そのまま柔らかく抱きしめられて胸元に頬を寄せた。

 夜着の隙間からも刺青が見えた。燕の柄は指輪に彫られたそれと同じだから何があっても見つけ出せるわ。

「私も……入れていいですか、同じ燕を」

 顔を上げて彼の目を見てそう願った。私に何があっても彼が見つけられるように。それに今は一つでも多く繋がりがほしいわ。

「いいのか?」
「一つでも多く、同じものがほしいかなぁと」

 お願いをするのって思った以上に照れくさいのね。でも、今婚約や婚姻を望んでも彼は絶対に承知してくれないわ。私を連座させないため。だったらその代わりに何か一つくらい、なくならない消えないお揃いの何かが欲しい。こちらでは夫婦で同じ柄の刺青を入れることもあると聞くわ。

「……わかった。これを彫った奴を紹介する」

 あまり乗り気じゃなさそうだけど、それでも許してくれたわ。嬉しい。



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