【完結】入れ替われと言ったのはあなたです!

灰銀猫

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アンジェリカとして

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 一晩だけソフィとして泣き明かした。弱くて惨めで悲しい「ソフィ」を涙と一緒に流して消してしまえ。そんな儀式のような一夜を明かして迎えた朝は、目に痛いくらいに眩しい朝日が出迎えてくれた。
 泣き過ぎて頭が痛いし目も腫れている。それでも心は軽く、どこか誇らしげですらあった。

「あの……殿下……」

 おずおずと声をかけて来たティアは、あの報告を聞いてからアンジェリカ様とは呼ばなかった。もしかしたら彼女は何かを感じ取ったのかもしれない。その態度はソフィを認めてくれたようで嬉しかったけれど……

「なぁに、ティア? 殿下だなんて堅苦しいわ。いつも通りアンジェリカでいいわよ」
「そ、そうでございますか……」

 にっこり笑顔を浮かべてそう答えると、彼女は一瞬眉をしかめて泣きそうな表情になった。ああ、彼女はわかってくれたのかもしれない。
 でも彼女は帝国人だ。主たる帝国が決めたことに逆らえない。私のために心を砕いてくれる彼女が咎められるようなことがあってはいけないのだ。それに……ソフィはもういない。

 今日から新たな戦いが始まる。まずはしっかりと朝食を摂って、今後のことを考えた。今は異母姉にやられっぱなしだけど、このまま甘んじる気はない。

 アンジェリカとしての私は、足りないところが多すぎる。美貌もさることながら、中身もだ。母が亡くなった後は学ぶこともなくなったし、それまで受けていた授業の内容だって異母姉には及ばない。マナーもダンスも話術も勝ち目はない。いまのところは。
 もし勝てるというのなら、それはイレギュラーな面だろうか。庶民の実態は知らないけれど、掃除洗濯や料理、裁縫は出来るし、あかぎれになる辛さも知っている。理不尽に虐げられる立場の者の気持ちもだ。
 アンジェリカとして得られるメリットはその評判だろう。優しく聡明な王女という評価はこれからは私のものだ。異母姉ほどの美しさはないけれど外見など化粧一つでいくらでも変えられる。帝国に行けばマナーも常識も変わるから、多少粗相をしても目立たないだろう。

 一方の異母姉は美しく優秀だけど、ソフィの評判は我儘で勉強嫌い、癇癪持ちの手の付けられない問題児だった。これは先の報告書に書かれていたもので、知らない間に私にはそんな評判が付けられていた。使用人仲間の態度が冷たかったのはそのせいもあったのだろう。知った時には怒りに報告書を引き裂いてやりたかったけれど、今はそれでよかったと思っている。噂の元は王妃たちで、皮肉なことに異母姉はこれからそう見られているのだ。小さな粗相を突くだけでその噂の信ぴょう性を高められるだろう。
 それに、民に寄り添っている風を装っているが、その本心は真逆だ。市井に慰問に行く度に文句を言うのは毎度のこと。プライドが高く、自分を持ち上げる侍女以外には当たりがきつかったのも有名だ。そんなことは厳重に隠されていたけれど。きっとこれからボロが出るだろう。侍女をしていたと言いながら、お茶一つ入れたこともないのだ。

 決して優位ではないけれど、圧倒的に不利だとも感じなかった。あの演技力だって、最初から予想していれば何とかなりそうだ。前回も前々回も全く想定していなかったけれど、今にして思えばわかりやすい。
 それに、これからは知り合いもいない帝国に向かうのだ。今まで異母姉を守ってきた王妃も、支え粗を隠していた侍女たちもいない。たった一人でどこまでソフィを演じきれるのか。逆境への耐性が高いのは私だと思えば希望が見えた。

「ねぇ、ティア。お願いがあるの」
「なんでございましょう、ア、アンジェリカ様」
「ありがとう。あのね、私達、これから帝国に向かうのでしょう?」
「は、はい」
「でも私、不勉強で帝国のことは何も知らないのよ。だから帝国のことならなんでも教えてほしいの。マナーだって微妙に違うでしょうし」

 そう、我が国は帝国とははっきり敵対していなかったけれど、蛮族の成り上がり国家として軽視して、帝国に関する情報はあまり入ってこなかった。マナーだって常識だって違うだろう。帝国語も難なく話せてはいるけれど、皇族として及第点とは言えないかもしれない。今は時間を持て余していて私もやる気になっている。今のうちに少しでも異母姉との差を縮めたかった。

「ま、まぁ、それは勿論ですわ。教師はおりませんが、多少のことは私でもお教え出来るかと思います」
「そう。それは心強いわ。忙しいところ申し訳ないのだけどお願いね」

 そう言って労わる様に笑みを向けると、ティアは早速上の人に相談して参りますねと言って出て行った。昨日からずっとふさぎ込み、一晩泣き明かした私が前向きになって安心したのだろう。それに、学ぶ姿勢はどこででも歓迎されるはずだ。

 その日の午後から、帝国についての授業が始まった。まずは基本的なマナーのおさらいからだ。国が変われば礼の仕方一つも変わって来るとは聞いていたけれど、確かにその通りだった。幸いにも下地は出来ていたようで、こちらは難なく進みそうに思えた。
 その後は空いた時間に読むよう本が用意されて、私は寝る間も惜しんで読書に没頭した。何かしていないと心が黒く染まりそうな気がしたし、学んでいる間は嫌なことを忘れられたからだ。

 後は……帝国が望む皇妃のあるべき姿が知りたかった。王妃やアンジェリカがその手本だとは思えない。でも、帝国の方針は我が国とは随分違っている様に見える。いくら頑張っても手本が間違っていては意味がない……

「ねぇ、ティア。帝国の皇后様はどのようなお方なの?」
「皇后さま、ですか?」
「ええ、最初の謁見で、私か妹をこの国の王妃にすると言われたわ。でも、どんな王妃を目指せばいいのかわからなくて……帝国の望む姿はお母様とは違うのでしょう?」

 そう尋ねれば、ティアは気まずそうに肯定した。私が王妃の実子という建前に遠慮したのだろう。

「そうですわね……」

 ティアが皇后や皇妃について話してくれた。彼女たちの実態は想定外だったけれど、一方で帝国らしくそうだろうなと思えるものだった。

(でも、簡単ではないわね……)

 知識も教養も何もかもが足りていない私には、果てしなく遠く思えた。一年の間にそこに辿り着けるだろうか。せっかくソフィを脱ぎ捨てて凪いでいた心に、新しい逆風が吹き始めた。




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