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皇子の出立
二日後、予定通り皇子が騎士を率いて王宮を発った。問題の町は馬で三日の場所にあり、処刑された王党派の侯爵の孫が首謀者らしい。娘の嫁ぎ先が中立派だったのもあり見逃されていたけれど、秘かに王党派の生き残りと結託して領邸を拠点にしているという。
軍服姿の皇子は凛々しかった。悔しいけれど見惚れるほどに似合っている。見送りに出ている女性たちも頬を染めてため息をついていた。
「アルヴィド様、ご武運を。どうか無事にお戻りくださいませ」
「ああ、大人しく待っていろよ」
それってどういう意味だとちょっとムッとした。それでは普段から私が大人しくないみたいじゃないか。大人しくも何も、忙しくて何かをする暇もないのは皇子だって知っているだろうに。
「じゃ、行ってくる」
そういうと皇子が距離を縮めてきて、影がさしたと思ったら頬に手が触れ、額に何かが降れる感触があった。周りから黄色い悲鳴が上がった。
「な!」
「じゃぁな」
そう言うと身を翻してさっさと行ってしまったけれど、私は何があったのか理解出来ずに呆然としていた。
(も、もしかして……キス、された?)
一瞬のことで夢だったのかと思えるけど、冷たい空気に晒された額と頬が熱く感じた。そんな私に振り返ることなく、皇子は騎士らを率いて行ってしまった。
一方で皇子が出立した後も会議だ何だと今までの生活とは変わりなかった。ただ皇子がいないだけで。それだけなのに何とも言えない心細さを感じた。会議に出ても一緒に考えてくれる皇子がいないせいだろうか。いつも私の考えを補足してくれていたのは皇子だった。一人になれば自分の至らなさがいつも以上にはっきりして、皇弟殿下や大臣たちの厳しい突っ込みに一人で応戦出来る筈もなく、いつも以上の失態を晒していた。
「もう無理……」
その日三度目の会議の後、私室に戻ってテーブルに突っ伏した。こうも皇子に助けられていたのかと呆然としてしまう。
「お元気をお出しください。さ、こちらをどうぞ」
「うん、ありがとう、ティア」
出てきたのはクリームが添えられたプリンだった。ささくれた神経にありがたい。
「美味しい……」
甘さが口の中に広がって、それだけで幸せだ。皇子は暫く甘い物どころかまともな食事も食べられないのだ。それを思えば会議で泣き言を言っている場合じゃない。皇子に助けられていた今までが問題なのだから。
そうは言っても付け焼刃の知識しかないので皇弟殿下や大臣たちが満足できる案など出せる筈もない。胃が痛んだけれど精一杯やるしかなかった。
皇子が出立してから三日が経った。そろそろ目的地に着いただろうか。その頃には私の胃痛はすっかり定着してしまった。胃が痛い。食欲はあるのに食べるのが痛い。困った……
「あ~もう! 王妃なんてやりたがる人の気が知れないわ……」
ティアの出してくれたパン粥を食べながらため息をついた。たくさんの民の命がかかっていると思うといくら悩み考えても足りない。でも時間も物も人も有限だからその中で一番いいと思える方法を考えなければいけない。そのプレッシャーは相当なものだった。こんな重圧が待っているのに王妃になりたいなんて……そんな人は実は被虐趣味があるのだと思う。
「ティア~私が死んだら死因は過労死だったって墓標に書いて……」
「何を仰っていますの。ソフィ様ならまだまだ大丈夫ですわ」
笑顔でお替りのパン粥を出してくれたティアだけど、まだ頑張らなきゃいけないのかと気が遠くなりそうだった。
「皇后様や皇子妃様も最初はそうだったと伺っていますわ。でも皆様、二、三年も経てば慣れて立派にお役目をこなされていらっしゃいます。ソフィ様はまだ始まったばかりなのです」
「でも、そんな私の相手をする皇弟殿下や大臣たちに申し訳ないわ……」
「あの方々もソフィ様の事情はお分かりですわ。誰だって最初は上手くいきませんが、それを支えるのが皇弟殿下や大臣の方々ですよ」
ティアはそう言ってくれたけれど、あの会議室の空気を知らないからそんな風に言えるのだと思う。『何言ってるんだ、この小娘』みたいな空気が流れるのだ。とても好意的だとは思えなかった。
(皇子、早く帰ってきて……)
情けないと思うのだけど切実な願いだった。最近は素を隠さなくなって私の扱いがぞんざいで腹が立つことも多いけど、それでもいなくなるともどかしい物足りなさを感じた。
何よりも窓を揺らす風が不安を募らせる。昨日から寒さが一層厳しくなっている。帝国人にはこの寒さは酷だろう。
皇子の帰りを待ち遠しく思っていた三日目、異変は起きた。
「ソフィ様! ソフィ様!」
草木も凍りそうな冷え込みの強い真夜中、ティアの囁くような声で目覚めた。珍しく酷く慌てている。
「どうしたの、ティア?」
「しっ! 声をお上げにならないで」
「う、うん?」
「ソフィ様、賊です! 何者かがこの棟に!」
「何ですって!」
慌てて飛び起きると、いつもは静まり返っているこの宮で怒号や悲鳴が聞こえてきた。
「ティア、動きやすい服を! それから防寒具を出来る限りお願い!」
小声でティアに頼んで、慌てて厚手の動きやすいワンピースに着替えた。寒さ対策で二枚重ねにして、ティアも私の厚いワンピースを被せた。その上にコートを着込んで、ひざ掛けなどをその上にかける。手袋などもかき集めた。後は引出しに入っていた飴などのお菓子も。ティアに私の夜着なども持っていくように伝える。着の身着のまま逃げたと思わせた方がいいように思ったからだ。
「ティア、今ここにいるのは?」
「私と護衛騎士が二人です」
「じゃ、私についてきて!」
「ソフィ様、何を?」
「隠し通路があるのよ。そこに逃げ込むわ」
「隠し……そんなものが……」
「話は後。逃げるのが先よ!」
戸惑うティアと騎士を呼び、寝室の棚にある隠し戸を開けて鍵を開けると隠し扉が現れた。
「ティア、あなた達も早く!」
怒号と靴音が近くに迫っているのが聞こえた。もう猶予はない。騎士の一人が先に入り、その後をティアが続く。騎士の一人は私の後にと思っているのだろうけど、隠し戸を隠さなければいけないから先に行かせた。
(後は、この戸を閉めれば見つからない筈)
隠し戸を元に戻してから扉に飛び込んだ。そのまま中から戸を閉めると、隠し扉が閉まった。耳を澄ませると寝室に誰かが入り込んだ声が聞こえた。どうやら私を探しているらしいけれど、見つからないと騒いでいた。
軍服姿の皇子は凛々しかった。悔しいけれど見惚れるほどに似合っている。見送りに出ている女性たちも頬を染めてため息をついていた。
「アルヴィド様、ご武運を。どうか無事にお戻りくださいませ」
「ああ、大人しく待っていろよ」
それってどういう意味だとちょっとムッとした。それでは普段から私が大人しくないみたいじゃないか。大人しくも何も、忙しくて何かをする暇もないのは皇子だって知っているだろうに。
「じゃ、行ってくる」
そういうと皇子が距離を縮めてきて、影がさしたと思ったら頬に手が触れ、額に何かが降れる感触があった。周りから黄色い悲鳴が上がった。
「な!」
「じゃぁな」
そう言うと身を翻してさっさと行ってしまったけれど、私は何があったのか理解出来ずに呆然としていた。
(も、もしかして……キス、された?)
一瞬のことで夢だったのかと思えるけど、冷たい空気に晒された額と頬が熱く感じた。そんな私に振り返ることなく、皇子は騎士らを率いて行ってしまった。
一方で皇子が出立した後も会議だ何だと今までの生活とは変わりなかった。ただ皇子がいないだけで。それだけなのに何とも言えない心細さを感じた。会議に出ても一緒に考えてくれる皇子がいないせいだろうか。いつも私の考えを補足してくれていたのは皇子だった。一人になれば自分の至らなさがいつも以上にはっきりして、皇弟殿下や大臣たちの厳しい突っ込みに一人で応戦出来る筈もなく、いつも以上の失態を晒していた。
「もう無理……」
その日三度目の会議の後、私室に戻ってテーブルに突っ伏した。こうも皇子に助けられていたのかと呆然としてしまう。
「お元気をお出しください。さ、こちらをどうぞ」
「うん、ありがとう、ティア」
出てきたのはクリームが添えられたプリンだった。ささくれた神経にありがたい。
「美味しい……」
甘さが口の中に広がって、それだけで幸せだ。皇子は暫く甘い物どころかまともな食事も食べられないのだ。それを思えば会議で泣き言を言っている場合じゃない。皇子に助けられていた今までが問題なのだから。
そうは言っても付け焼刃の知識しかないので皇弟殿下や大臣たちが満足できる案など出せる筈もない。胃が痛んだけれど精一杯やるしかなかった。
皇子が出立してから三日が経った。そろそろ目的地に着いただろうか。その頃には私の胃痛はすっかり定着してしまった。胃が痛い。食欲はあるのに食べるのが痛い。困った……
「あ~もう! 王妃なんてやりたがる人の気が知れないわ……」
ティアの出してくれたパン粥を食べながらため息をついた。たくさんの民の命がかかっていると思うといくら悩み考えても足りない。でも時間も物も人も有限だからその中で一番いいと思える方法を考えなければいけない。そのプレッシャーは相当なものだった。こんな重圧が待っているのに王妃になりたいなんて……そんな人は実は被虐趣味があるのだと思う。
「ティア~私が死んだら死因は過労死だったって墓標に書いて……」
「何を仰っていますの。ソフィ様ならまだまだ大丈夫ですわ」
笑顔でお替りのパン粥を出してくれたティアだけど、まだ頑張らなきゃいけないのかと気が遠くなりそうだった。
「皇后様や皇子妃様も最初はそうだったと伺っていますわ。でも皆様、二、三年も経てば慣れて立派にお役目をこなされていらっしゃいます。ソフィ様はまだ始まったばかりなのです」
「でも、そんな私の相手をする皇弟殿下や大臣たちに申し訳ないわ……」
「あの方々もソフィ様の事情はお分かりですわ。誰だって最初は上手くいきませんが、それを支えるのが皇弟殿下や大臣の方々ですよ」
ティアはそう言ってくれたけれど、あの会議室の空気を知らないからそんな風に言えるのだと思う。『何言ってるんだ、この小娘』みたいな空気が流れるのだ。とても好意的だとは思えなかった。
(皇子、早く帰ってきて……)
情けないと思うのだけど切実な願いだった。最近は素を隠さなくなって私の扱いがぞんざいで腹が立つことも多いけど、それでもいなくなるともどかしい物足りなさを感じた。
何よりも窓を揺らす風が不安を募らせる。昨日から寒さが一層厳しくなっている。帝国人にはこの寒さは酷だろう。
皇子の帰りを待ち遠しく思っていた三日目、異変は起きた。
「ソフィ様! ソフィ様!」
草木も凍りそうな冷え込みの強い真夜中、ティアの囁くような声で目覚めた。珍しく酷く慌てている。
「どうしたの、ティア?」
「しっ! 声をお上げにならないで」
「う、うん?」
「ソフィ様、賊です! 何者かがこの棟に!」
「何ですって!」
慌てて飛び起きると、いつもは静まり返っているこの宮で怒号や悲鳴が聞こえてきた。
「ティア、動きやすい服を! それから防寒具を出来る限りお願い!」
小声でティアに頼んで、慌てて厚手の動きやすいワンピースに着替えた。寒さ対策で二枚重ねにして、ティアも私の厚いワンピースを被せた。その上にコートを着込んで、ひざ掛けなどをその上にかける。手袋などもかき集めた。後は引出しに入っていた飴などのお菓子も。ティアに私の夜着なども持っていくように伝える。着の身着のまま逃げたと思わせた方がいいように思ったからだ。
「ティア、今ここにいるのは?」
「私と護衛騎士が二人です」
「じゃ、私についてきて!」
「ソフィ様、何を?」
「隠し通路があるのよ。そこに逃げ込むわ」
「隠し……そんなものが……」
「話は後。逃げるのが先よ!」
戸惑うティアと騎士を呼び、寝室の棚にある隠し戸を開けて鍵を開けると隠し扉が現れた。
「ティア、あなた達も早く!」
怒号と靴音が近くに迫っているのが聞こえた。もう猶予はない。騎士の一人が先に入り、その後をティアが続く。騎士の一人は私の後にと思っているのだろうけど、隠し戸を隠さなければいけないから先に行かせた。
(後は、この戸を閉めれば見つからない筈)
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