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更なる一歩

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 私はあの後、またナタリーさん達から手や爪などの細部も磨き上げられ、最後に連れて来られた先はいつもの寝室の隣にある、夫婦の寝室でした。入るのは…これが初めてですわね。甘い香りの香が焚かれ、普段は使わない装飾の多い燭台に火が灯っていて、いつもと違う雰囲気に、今になって緊張してきました。そこで最後は初夜用ですと渡された、服とも思えない薄い夜着に着替えさせられました。

「じゃ、エリサ様、私達はこれで」
「え?ラウラ?」
「私も今日はここまでですよ。陛下もすぐ来るでしょうし。あ、今夜のお世話は別の侍女さんがするので、何かあったらベルを鳴らしてくださいね」
「え、ええ…」
「では、頑張ってくださいね」

 そう言ってラウラは侍女さんと一緒に出て行ってしまいました。何を頑張れと言うのでしょうか…その言葉と、見知らぬ部屋に一人残された事で、急に不安が押し寄せてきました。私は落ち着かない気持ちを持て余しながら初めての部屋を見渡すと、ベッドから離れた場所にあったソファに座りました。




「…リサ、エリサ」

 ジーク様が私の部屋を訪れたのは、その日の夜もかなり更けてからでした。私はあれからする事もなく、ぼんやりしている間に眠ってしまっていたようです。きっとマッサージで血行がよくなったせいでしょう。緊張し過ぎてお腹が痛くなりそうだったので、緊張をほぐすためにと軽い果実酒を飲んだのも影響したかもしれません。
 現れたジーク様は、普段のきっちりした執務服ではなく、ガウンだけのラフなお姿でした。こんな姿を見るのは初めてで、今日が初夜なのだと嫌でも感じずにはいられません。寝ていたのもあって、心の準備がリセットされていたのも心臓に悪過ぎです…

「…っご、ごめんなさい、ジーク様…」
「いや、私も遅くなってしまった。すまない」
「何か…あったのですね?」

 そう言えばジーク様は、何だかお疲れのようにも見えます。最近私の前で眉間に皺を寄せるような事はなかったのですが、今はそれも復活しています。ベルタさん達が言うように、初夜のための準備がお忙しかったのでしょうか。だとしたら申し訳ないです。でも、ジーク様が話し始めた内容は、全く想定外のものでした。

「ええっ?!ブロム様が脱獄?」

 ジーク様が遅れた理由は何と、二月余り前の夜会でジーク様に傷を負わせ、反逆罪で牢に繋がれていたブロム様が脱獄したせいでした。
 ブロム様はロヴィーサ様を利用してジーク様の番と偽ろうとしましたが、それが失敗して私が番だと判明すると、今度は私を殺害しようとしたのです。その時、そこに割って入ったジーク様が、私の代わりに刺されてしまったのです。
 あの事件の後、ブロム様もロヴィーサ様も牢に繋がれ、厳重な取り調べを受けていました。隣国にまで話が及んでいたため調査に時間がかかっていましたが、結婚式の直前にようやく終わったところでした。その時は忙しいのもあり、沙汰は式の後にとなっていましたが、ようやく式も終わりこれから…という時タイミングでの脱獄に、王宮内は騒然となったそうです。

「でも…どうやって…」

 ブロム様達が収容されていた牢は王宮の地下にあり、国内で最も厳しく管理されているものです。多くは反逆罪に問われた重罪人を収容するためのもので、真上には騎士団の詰所などもあって脱獄は不可能と言われていました。

「協力者がいたようだ」
「協力者が…」

 ジーク様たちの推測は確かに納得出来るものでした。というよりも、他の可能性が思いつきません。きっと周到に計画した上での事だったのでしょう。結婚式でこちらもブロム様の事まで気にかける余裕がなく、計画も立てやすかったのかもしれません。
 王への殺害未遂でブロム様の処刑は揺るがなかったので、助け出そうとした者がいる可能性は否めません。なんせブロム様は先王の息子で、一時は王候補だった程の人なのです。彼を支持する者もそれなりにいたと聞きます。

「でも、一体誰が…」
「今調べているところだ。可能性のある人物はある程度絞り込めているが、まだ確証には至ってない」
「そうですか…」

 どうやらある程度の目星は付いているようです。だからと言って安心とは言えませんが…

「…貴女も身の回りには十分気を付けて欲しい。私よりも貴女が狙われている可能性の方が高いから」
「私が…」

 確かに武芸に秀でて国内最強の騎士でもあるジーク様よりも、人族で剣など手にした事もない私の方がずっと害しやすいですわね。竜人は番を失えば生きていけないため、ジーク様を直接害するよりも私を狙った方がずっと簡単で、与えるダメージも大きいのでしょう。

 ブロム様の脱獄の知らせは、昼過ぎだったそうです。ちょうど私が番だと公表する準備中で、それからはジーク様や側近の皆さんは、ずっと奔走していたのだとか。ジーク様としては幼馴染で親友だったブロム様の現状に心を痛めていたのは間違いないでしょう。もしかすると、このまま他国に逃げて静かに暮らしてくれたら…というのが本音かもしれませんね。

「それと…貴女に謝らなければならない事がある」
「どうかされましたか?」

 何でしょうか?事前に謝らなければいけないと言われるなんて珍しいです。でも、今は非常時のようなものなので、仕方ありません。

「…今夜…貴女を私のものにしたい」
「…え?」

 こんな非常時にどんな事が…と身構えていた私でしたが…その言葉に私は一瞬の間の後、これから起きる事を思い至って今までにない緊張感に包まれました。ジーク様はブロム様の狙いは私の可能性が高い事、人族の身体では万が一の時に耐えられない可能性がある事、私を失えばジーク様も道連れは確定で、そうなれば王の交代が避けられない事、現時点で王の交代は政情的にも非常に望ましくない事などをお話になりました。

「もう少し時間をかけてと思っていたが…すまぬ…私は…貴女を失うなど考える事すらも耐えられないのだ…」
「ジーク様…」
「直ぐに身体が変わるわけではないが…一日でも早く、貴女の身体を変えてしまいたいのだ」

 眉間に深く皺を刻み、苦しげにそう告げる声は、ジーク様にとってこの急性さが不本意であると露にしていました。でも確かに番になって身体が変われば、私も竜人並みの丈夫な体になるそうです。そうなれば人族なら死んでしまうような怪我でも、生き残る確率は高くなるのでしょうね。本当に?と思わなくもありませんが、ジーク様の焦燥し切った表情を見ると、とても断る事など出来そうにありませんでした。

「わかりましたわ」

 私がそう応えると、ジーク様は顔を上げて私と視線を合わせましたが…その苦しそうな表情に、ジーク様の不安は私が思う以上に深いのだと感じました。

「ジーク様、大丈夫ですから。昨夜は周りの皆さんも私も、そのつもりでしたから…だから…」

 顔をしかめて謝罪の言葉を繰り返すジーク様に、私は努めて表情筋に力を込めました。ちゃんと笑顔が出来たでしょうか…思っていた状況とは程遠いですが、私達は気楽な立場ではありません。不本意な展開で不安要素も追加されましたが、気持ちは通じていますし、最初からその予定だったのです。それに…こうなっては逃げ場がないので当たって砕けるだけ、です。

「すまない…」

 再び謝罪を口にしたジーク様の罪悪感を少しでも減らしたくて、私は昨日出来ずにいた事を実践する事にしました。それは昨日ジーク様に抱きしめられた時に、私もその背に手を回すと言うありふれた行為でしたが、昨日は動揺していたのもあって思いつきもしなかったのです。私はそっとジーク様に抱き付いて、その背に手を回しました。
 そんな私の行動にジーク様が動揺したのか、一瞬身体が揺れたように感じました。自分の心臓の鼓動が直に伝わりそうで、益々鼓動が強くなった自分を自覚した次の瞬間、強い力で抱きしめられました。

「…っ!エリサ!」
「…ぁ」

 痛いほどに抱きすくめられた私は、その力強さに骨が軋みそうでした。こんなに荒々しいジーク様は初めてで、今までとの落差に驚かずにはいられませんでした。その腕の強さと覆われる感覚の強さに、私よりも大きくて熱く固さのある身体に、改めてジーク様が自分とは違うのだと突きつけられました。

「ああ、やっと貴女を…」
「…ん、っ」

 顎を取られ、上を向かされると同時に、唇を塞がれました。驚いて反射的に逃げようとするも、その力強い腕の前になす術もありません。遠慮なしに侵入してきた舌が私のそれに絡みついてきましたが…後頭部にしっかり手を添えられてしまっては、ただそれを受け入れるしか出来ませんでした。こうして、私の人生を大きく変える甘やかで長い夜が始まったのです。
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