証なるもの

笹目いく子

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 翌朝、ひどい熱にうなされて目を覚ました。

「色々なことが重なりましたし、弱っておいでなんですよ」

 医者を呼んで手当てをしてもらった後、藤五郎が額を曇らせて言った。
 目が回って朝餉どころではなかったが、小さな俵に握った飯と、冷や奴だけどうにか口にして、昏々と眠った。
 悪夢ばかりを延々と見ていた。
 突棒と刀に串刺しにされた父と広衛が足元に転がっている。もう塩漬けにされて干からびかけているというのに、呻き声が聞こえる。助けなくては、血を止めなくては、まだ救えるかもしれない、と泣きながら縋りついて、ぼろきれのように横たわる尾形を抱き起こしていると知る。目を閉じさせてやろうとしても、どういうわけかかっと見開いた両目を閉じられない。憤怒と無念を浮かべ、血走った目が友一郎のそれに変わり、喉笛をむずと掴まれる。その顔が隠密の、死体のように生気のない顔に変わる。鋼のような指が喉に食い込み、窒息しそうな苦しみに身悶えする。無我夢中で短刀を抜くなり、男の腹に深々と突き刺した。返り血を浴びながら必死に身を捩り、目の前に広がる黒い水に飛び込んだ。
 刹那、頭上に大輪の花火が次々咲いた。
 屋根舟に、女がひとり乗っている。ひとりぽっちで、寂しげに花火を見上げている。儚げな横顔を、音のない光が照らしては闇に沈める。そこまで泳ごうと思うのに、手足が動かず沈んでいく。

 行かなくては。早く、行かなくては。本当は違うんだと、言わなくては。本当は。

 息が詰まる。声を嗄らして娘の名を呼びながら、紀堂はどこまでも黒い水に沈んでいった。

「なんだ、ボロボロか。ざまぁみろ」

 無遠慮な声が響き、びくりと体がふるえた。
 身動きした途端胸にある傷がずくずくと痛み、斬りつけられたことを思い出した。重い瞼を細く開くと、庭を向いた障子の明るさに束の間目が眩む。
 真昼時まで眠っていたらしかった。汗で肌に張り付いた浴衣が寝苦しい。体が熱の膜に包まれたように感覚が鈍く、口の中が粘ついてうまく舌が動かなかった。

「水が欲しいか。やらねぇぞ。そらもっと苦しめ」

 ぐったりした体がさらにぐったりとするのを感じた。熱のせいで腫れぼったくなった瞼を押し上げ、目だけ動かす。予想通りの男がこちらを見下ろしていて、笑いたいような悲しいような心地がする。
 水が欲しいが、貰えないだろうなと思った。
 頭の脇に胡坐をかいて座り込み、友一郎は彫りの深い両目に冷やかな光を浮かべて頬杖をついている。

「いい格好だ。こういうのを天罰的中っていうんじゃないか」

 挨拶もなしにずけずけと言う。

「その、無駄にいい顔はつくづく伊達だな。有里は見る目がねぇ」
「……そうだな」

 紀堂はかすれた声で同意した。

「思わせぶりで実がねぇ。見かけ倒しの卑怯者だ」
「──まったくだ」
「舌先三寸の薄情者。女ひとり幸せにできん甲斐性なし。豆腐頭の蒟蒻根性」

 蒟蒻根性は俺の創作だぞ、お前にぴったりだろう、と注釈がつく。

「その通りだ。もっと頼む」
「非人情の腐れ冷血漢。極悪非道の人非人。……なんでお前を喜ばせてるんだ俺は」

 馬鹿らしい、と青年が吐き捨てた。
 しんと静まり返った寝間に、ちりちりと鳴る風鈴の澄んだ音が忍び込んでくる。
 友人が障子の方を向き、乾いた声で言った。

「まぁ、もう情がないんだったら仕方がない。当人にすっぱりそう言ってやれ。それで終いだ。俺とお前の付き合いもやめだ。道ですれ違っても声なんぞかけるなよ。殺したくなるからな」 

 わかった、と言いかけて頬が引きつった。丁度良かった。婚約はなかったことにしてもらおうと思っていたではないか。すまなかったと詫びて、罵るなり殴り倒すなりしてもらえばいい。……それなのに、唇が動かなかった。喉が熱いもので固く詰まった。 
 声が出せず、紀堂はただ嗚咽を飲み込んだ。

「……何だ。泣きたいのはこっちの方だぜ。お前は昔からよくわからん奴だった。まぁ、別にそれだってよかったんだ。お前が健気な奴で、性根がまっすぐなのはわかってたしよ。……お武家から養子に来て苦労だったろうに、四代目や藤五郎たちの期待によく応えているもんだと思ってさ」

 遠い声でぼそりと付け加える。

「有里は……幸せになれるだろうと思ったしな」

 何も言えなかった。途端、荒っぽく胸ぐらを掴まれた。

「おい、その澄ました顔をどうにかしやぁがれ。言いたいことがあるんだったら言わねぇか。何なんだよお前は」

 紀堂の頭をぐらぐらと揺さぶりながら、ちくしょう、と罵る声が悲しげだった。

「結局俺らは町人だからか、ええ? お武家の考えていることなんざ、教えることはねぇって了見か。なんでぇこのくそったれ」
「友一郎」
「何だよ」

 紀堂は唇をふるわせ、うわ言のように呟いた。

「俺は有里さんに惚れてるし、お前と友でいるのも、やめない。道で出会ったら、声をかける。無視を決め込んでも追いかけるぞ。殴られても、やめん。足蹴にされても、やめん。金輪際やめん……」

 頭が茹だったように熱を帯び、何を言っているのかわからなくなってくる。どこもかしこも痛くてならない。
 きりきりと歯を噛み締め、目尻を伝うものでこめかみを濡らしながら、凝然と友人を見上げた。

「有里さんしか、いない。心変わりなぞしていない。だが、どうすればいいのかわからん」

 友一郎がしばし絶句し、

「……何だそりゃあ」

 ぶっきらぼうに言ってぽんと手を放した。紀堂はどさりと布団に頭を落とし、肩で息をした。友一郎はその姿を無言で見下ろしていたが、やがて鬢を掻いて嘆息したようだった。

「お前はわかりにくいんだよ。だから有里が不安になるんだ」

 そう言う声から、怒気が失せていた。

「すまない……」
「急にしおらしくなるんじゃねぇ。俺の怒りはどこへぶつけりゃいいんだ。もうちょっと詰らせろ」

 あーあ、と放り出すように天井を仰ぐ。そして、枕元に置かれていた盆へ手を伸ばし、ほらよ、と湯冷ましの湯飲みを差し出してきた。
 紀堂は目を瞬かせると、傷の痛みに小さく呻きながら身を起こした。

「世話の焼ける奴め」と友一郎はふらつく紀堂の背中を支えた。
「大丈夫かよ。お前なぁ、拐われて斬られたなんて間抜けな話、朝っぱらから聞かされる身になってみろってんだ。仕事なんざ手につきやしねぇ。鬱憤を晴らそうにも怪我人じゃ相手にならねぇしよ。頭に血が上がりすぎて俺が卒中を起こしたら、お前のせいだからな。どうしてくれるんだまったく」

 などとぽんぽん言うので、湯冷ましを飲んでいた紀堂は危うく吹き出しかけた。いてて、と顔をしかめながら、目が熱くなるのを堪えていた。常ならば、若旦那として忙しく店で働いているはずの時間だ。無造作に手ぬぐいで顔を拭う友一郎の首筋を、たらたら汗が伝っている。話を耳にして、つい今しがた飛んできたのに違いなかった。

「お前、妙なことに巻き込まれているんじゃなかろうな。拐かしってのは本当か?」

 顔を上げた紀堂は、友人の真剣な表情を見て押し黙った。

「……まただんまりか。お前のいう大事とやらは、こういう切った張ったなのか。どうなんだ?」

 耳の奥で嵐が唸っている。傷が抉られるように痛む。紀堂は幾度か大きく喘いだ末、両目を瞠ったまま頷いた。

「──すまん」

 友一郎は身じろぎもしなかった。

「お前が武家の出だからか。そういうしがらみか」

 紀堂は再び、ゆっくりと頷いた。友一郎は無言のまま、紀堂の双眸に目を据えていた。
 澄んだ風鈴の音色が、縁側からかすかに聞こえてくる。 
 どれほどの間そうしていたのかわからなくなった頃、友一郎がゆっくりと瞬きをした。

「有里は苦労する」

 独り言のように言う。

「……有里には本当のことを言え。あいつに、選ばせろ」

 蝉の声が、遠く響いていた。静かに腰を上げた友一郎は、「大事にしな」と言い置くと、言葉を探す紀堂を振り返りもせず、部屋を出て行った。
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