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第五章 魔導帝国ベルゼリア編
第135話 三龍仙
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夜風が止まったかのように、空中庭園に静寂が広がっていた。
緋色の宝石像となった一条雷人は、最後まで笑みを浮かべたまま動かない。
その笑みは挑発ではなく、絶望に抗った者の誇りを宿していた。
紅龍は、その像の前に立ち尽くしていた。
手にする"緋蛟剪"からはまだ微かに血のような魔力が滴っていたが、彼の表情は勝者の昂揚からは遠い。
口元に笑みはなく、険しさだけが刻まれている。
「……井の中の蛙、か」
低く呟いた声は、夜気に溶けて消えた。
その言葉は雷人が遺した最後の矢であり、紅龍の胸に深く刺さっていた。
石像となった青年の瞳は、なおも未来を見ているように思えた。
敗北を認めながらも、希望を託し、次代に道を開こうとする眼差し──。
その真っ直ぐさが、紅龍の心に微かな軋みを生んでいた。
(儂が……蛙だと?)
(……閉ざされた井戸の中で、天を見上げるしかない矮小な存在だと……?)
怒りではない。むしろ、違和感に近かった。
勝者としての確信を揺るがすほどに、その言葉は重く残響していた。
紅龍の赤い瞳が、鋭く細められる。
彼の内には常に確信があった──自らこそが“最強”であると。
だが今、雷人の言葉はその確信の下にわずかな亀裂を刻んでいた。
(“彼”……か)
(奴が最後に叫んでいた、“彼に出会えば思い知る”という言葉……)
紅龍は顎に手を当て、深く考え込む。
その姿は戦場の将軍というよりも、謎を解く賢者のようにすら見えた。
夜風が彼の軍服を揺らすたび、冷たい星明かりが赤い双眸を照らした。
紅龍の思考の底に、別の記憶がよぎった。
ほんの少し前、フラムと共に得た情報──。
《逃走したマイネ・アグリッパの協力者の一人に、“色欲の魔王”ヴァレン・グランツが確認された》
その報せが、脳裏で再生される。
「……そうか」
呟きは確信へと変わっていく。
雷人が語った“彼”という存在。
井の中の蛙と言い放ち、自分を嘲笑う要因となった、その“彼”こそ──。
「……ヴァレン・グランツか」
赤い瞳が爛々と光を帯びる。
すべてが一本の線で繋がったかのように、紅龍の胸中に形が生まれていく。
(“色欲”の魔王……この世界に名を轟かせた七魔王の一角。確かに、その力は侮れぬ)
(だが──)
口元が、愉悦に歪む。
雷人の遺言は、紅龍にとって「脅威の存在を示す警告」ではなく、「自らが討ち果たすべき次の標的」へとすり替わっていく。
「良い……良いぞ。一条雷人よ。貴様の言葉、確かに受け取った」
「ヴァレン・グランツ……貴様こそ、儂に挑むに足る相手というわけだな」
夜風に乗って、低い嗤いが広がる。
その嗤いにはもはや迷いはなかった。紅龍の心は再び「最強」の確信へと収束し、雷人の言葉は誤解という形で歪められた。
だが、その"誤解"こそが──後に新たな嵐を呼ぶ種となるのだった。
◇◆◇
緋色の宝石像となった雷人を背に、紅龍は低く呟いた。
「“色欲”の魔王……確かに、奴の力は侮れぬ。だが──」
その双眸に紫電の残滓を映したまま、紅龍は片手を胸の前で翳した。
指先に赤黒い紋様が浮かび上がり、空気がざらつく。
「……"分身"」
次の瞬間、紅龍の影が分かたれた。
赤黒い魔力が渦巻き、形を持ち、肉体となって立ち上がる。
庭園の床に響く靴音は三つ。そこには同じ姿をした紅龍が三人、並び立っていた。
「くっ……くくく……」
三人は同じ声音で笑う。嗤い声が重なり、不気味な和音となって夜風に混じった。
「召喚者どもの上質な魂を喰らった今──ヴァレン・グランツとて、儂の敵ではないわ」
声は三重に重なり、雷鳴の残響のように響いた。
紅龍(本体)は顎に手を当て、残る二人をじっと観察する。
すると分身の一人が肩をすくめ、もう一人が口角を吊り上げる。
「……どうやら、主人格は貴様にあるようだのう」
「であるなら、我ら分体には識別のための“別の姿”が必要であろう」
その提案に、三人は一瞬沈黙し──そして同時に、ニヤリと笑った。
「……我らは三人。ならば、取るべき姿は決まっておる」
二体の分身は目を閉じ、両の掌を合わせて印を結ぶ。
"変身"──その力が発動し、肉体の輪郭が波打つ。
紅龍の分身のひとりは、やがて金がかった茶髪の大男へと変貌した。
黄色を基調とした戦闘衣は豪奢でありながら武骨さを纏い、鍛え抜かれた体躯は岩壁のように堂々としている。
もう一人は、長い黒みがかった青髪を髪飾りでまとめた美女へと姿を変えた。
蒼を基調としたチャイナドレスは夜気にひらめき、その艶やかな肢体を際立たせる。
三人は顔を見合わせ──そして、くっくっく、と嗤った。
「まさか、“この世界”で我ら三人が顔を合わせることになろうとはな」
紅龍(本体)の言葉に、黄髪の大男が低く応じる。
「ガワだけだ。中身は全員“紅龍”よ」
青髪の美女は、ひらりと手を振って笑った。
「折角だ。仕草や口調も寄せるとしよう。」
そう言って目を閉じ、胸の前で印を結ぶ。
“自己暗示”──記憶や人格を一時的に改ざんする術。
黄髪の大男はゆっくりと目を開け、無表情に紅龍を見据えた。
「……久しいな、紅龍」
その声は淡々としていながら、威厳を帯びていた。
紅龍は目を細め──そして笑った。
「くっ……くくく……まるで本人そのものではないか。
……ああ、数百年ぶりだのう。“黄龍”の兄者」
青髪の美女が、気怠げに肩をすくめる。
「でもぉ~、本当に不思議よねぇ。アタシたち“|三龍仙”が、こんな異世界でぇ……また再会するなんてさぁ~」
紅龍はわずかに顔をしかめ、吐き捨てるように呟いた。
「……これの中身が自分の分身だと思うと、ゾッとせんわ……」
「んん? 何か言ったぁ~? 紅龍ちゃん」
青髪の美女が頬を寄せて囁きかける。
紅龍はわずかに肩を竦め、苦笑しながら答えた。
「何でもないわ。“蒼龍”の姉者よ」
夜空に、三人の笑い声が重なり合った。
その音は懐かしさと不気味さを同時に孕み、星々を嘲笑うかのように響き渡った。
◇◆◇
紅龍は二人の分身体を見やった。
黄龍は腕を組み、石像のように微動だにしない。
瞳は冷たく、余計な言葉を発する気配すらなかった。
対して蒼龍は、腰をくねらせ、長い脚を組み替えながら足先で散った花弁を弄んでいる。
挑発的でありながら、どこか退屈そうな仕草。その眼差しだけは、妖しく紅龍を射抜いていた。
紅龍の口元に、ふっと嗤いが浮かんだ。
「……使ってみて分かったが、どうやら儂の分身体であるお主らには、"他者から奪ったスキル"は一部引き継がれぬらしい」
声は低く静か。だが、その奥には嗜虐にも似た愉悦が潜んでいた。
彼は二人をじっと見据え、口角を吊り上げる。
「なれば──今から兄者、姉者には……儂が蓄えてきたスキルの一部を譲渡してやろう」
黄龍は表情ひとつ動かさず、静かに頷く。沈黙の中にも、確かな承諾の気配が漂った。
蒼龍は、わざとらしく両手で大きな丸を作り、唇に艶やかな笑みを浮かべる。
「おっけぇ~! やっぱり紅龍ちゃんなら、そう来ると思ってたぁ♪」
紅龍の眼光が鋭く光った瞬間、彼の手にあった二刀「緋蛟剪」がギィィと擦れ合い、鋏の形に組み合わされる。
そして、ためらいもなく二人の胸元へと突き立てられた。
──ドクン、ドクン。
血は一滴も流れない。
紅蓮に輝く刃を通じ、紅龍の体内に眠る膨大な魔力が、脈動とともに奔流のように流れ込んでいく。
黄龍は無言のまま、両手をゆっくりと開き、握り、また開いた。
指先に走る新たな感覚を確かめるように。
その無機質な表情の奥で、微かな光が芽吹いたのを紅龍は見逃さなかった。
蒼龍は逆に、心地良さそうに小さく口笛を鳴らし、腰を揺らしながら声を上げる。
「へぇ~……これが奪ったスキルねぇ? クセが強いのもあるけど……うん、どれも面白い能力ばっかりじゃなぁい♪」
紅龍は二刀を引き抜いた。
刃にまとわりついた魔力の残滓を払う仕草は、まるで不要な塵を拭い去るかのように冷徹だった。
次の瞬間、彼の声音が高らかに響き渡る。
「──さて。我ら三仙の力をもって、大国ベルゼリアに仇なす“大罪魔王”マイネ・アグリッパ、そしてヴァレン・グランツ……この両名を落とすとしよう」
その言葉は、雷鳴のように堂々と、夜空に轟いた。
まるで天と地に布告するかのごとき力強さ。
紅龍の背に吹き付ける夜風すら、その宣言に畏れを抱いたかのように一瞬止んだ。
三人の影は庭園に伸び、重なり合いながら嗤いの気配を漂わせていく。
◇◆◇
蒼龍が片眉を上げ、気怠げに笑みを浮かべた。
それは遊び半分の調子に見えて、実際は鋭い刃のように紅龍の胸に突き刺さる。
「ん~? ちょっと待ってよ、紅龍ちゃん」
声は甘く、伸びやか。けれどその響きの奥に、確かに潜む違和の色があった。
「アンタって、そんな“御国のため!”みたいなこと言うキャラだったっけぇ~?」
挑発めいた言葉に、黄龍の瞳がわずかに細められる。
いつも無機質に沈黙を保つその表情に、かすかな揺らぎが走ったのを紅龍は感じた。
紅龍は歩みを止める。
足音が途絶えた空中庭園には、風と葉擦れの音だけが残る。
短い沈黙ののち、低く、かすれる声が吐き出された。
「……ベルゼリアには、“拾ってもらった恩”がある」
その一言に、空気が変わった。
黄龍の眉がピクリと動く。
蒼龍は笑みを引き、声を低めて囁いた。
「……“拾ってもらった恩”?」
「そんなもの、アナタが感じるワケないじゃない」
彼女の声音は甘美でありながら、はっきりと拒絶の棘を孕んでいた。
紅龍の胸中にざわめきが走る。
彼自身も言い放ったその言葉に、説明のつかぬ違和感があった。
何かが、奥底から囁いている──「その感情は、お前自身のものではない」と。
紅龍はハッとしたように目を見開き、黄龍へ視線を向ける。
「……兄者。先程渡したスキル、"天啓眼"で……儂を診てくれぬか」
黄龍は無言のまま頷き、指先に淡い光を宿す。
その目は水晶のように澄み、真実を映し出す。
紅龍の魔力の流れを、そして魂の奥深くに絡みついた影を見通す。
やがて、低い声が放たれた。
「……間違いない」
黄龍の声は淡々としている。だが、その響きには確信の重さが宿っていた。
「魂に……何かが植え付けられている」
紅龍の唇がゆがむ。
笑みとも怒りともつかぬ感情が入り混じり、声が低く漏れた。
「くっ……くくく……己を俯瞰で見る、というのは……かくも大事であったか……」
次の瞬間、彼は一切の迷いを断ち切った。
緋蛟剪を鋏の形に組み替え、その切っ先を己の胸へ突き刺す。
──ズブリッ。
刃が肉体を通過した瞬間、血ではなく黒い靄が吹き出した。
ブチブチと音を立て、まるで根を引き裂くように引きずり出される。
やがて姿を現したのは、脈動し続ける黒い種子のような塊。
「ぬゥゥゥ……ッ!」
紅龍は歯を食いしばり、力を込めてそれを胸から引き抜いた。
握った種子は禍々しい熱を帯び、まるで生き物のように脈打っていた。
彼はそれを地面へ叩きつける。
──ドンッ!
種子が鈍い音を立てて転がる。
紅龍は二刀を分離し、目を爛々と燃やすと、一気に斬り刻んだ。
──ザシュッ! ザシュシュシュシュッ!!
黒い塊は無残に切り裂かれ、細かい欠片となって夜風に散った。
残滓は悲鳴のように一瞬だけ震え、やがて跡形もなく掻き消える。
紅龍は荒い息を吐き、背を反らせると、空中庭園の床をドンッッ!!と踏み鳴らした。
「許さん……許さんぞ、クレイドル一族……!! いや──ベルゼリア!!」
声は憤怒に震え、地の底から湧き上がる怨嗟のようだった。
「この儂にまで、首輪を着けておったとは……!!」
黄龍は黙したまま腕を組み、動かない。
その眼差しには冷たい光が宿っていた。
蒼龍は口元に指を当て、妖艶に微笑む。
その声は柔らかくも底知れぬものを含んでいた。
「じゃあ……これから、どうするのぉ? 紅龍ちゃん」
紅龍は振り返り、猛獣のような笑みを浮かべる。
怒りと狂気、そして確固たる決意を滲ませて。
「決まっておる」
緋色の瞳が爛々と輝き、空気そのものが震える。
「──喰らいつくしてやろう」
その声は咆哮となり、夜空を震わせた。
「召喚者の童どもも……咆哮竜も……大罪魔王も……そして、ベルゼリアも……!!」
三人の影が庭園に伸びる。
それぞれが異なる姿を持ちながら、中身は同じ紅龍。
嗤い声が重なり合い、冷たい夜を満たしていった。
緋色の宝石像となった一条雷人は、最後まで笑みを浮かべたまま動かない。
その笑みは挑発ではなく、絶望に抗った者の誇りを宿していた。
紅龍は、その像の前に立ち尽くしていた。
手にする"緋蛟剪"からはまだ微かに血のような魔力が滴っていたが、彼の表情は勝者の昂揚からは遠い。
口元に笑みはなく、険しさだけが刻まれている。
「……井の中の蛙、か」
低く呟いた声は、夜気に溶けて消えた。
その言葉は雷人が遺した最後の矢であり、紅龍の胸に深く刺さっていた。
石像となった青年の瞳は、なおも未来を見ているように思えた。
敗北を認めながらも、希望を託し、次代に道を開こうとする眼差し──。
その真っ直ぐさが、紅龍の心に微かな軋みを生んでいた。
(儂が……蛙だと?)
(……閉ざされた井戸の中で、天を見上げるしかない矮小な存在だと……?)
怒りではない。むしろ、違和感に近かった。
勝者としての確信を揺るがすほどに、その言葉は重く残響していた。
紅龍の赤い瞳が、鋭く細められる。
彼の内には常に確信があった──自らこそが“最強”であると。
だが今、雷人の言葉はその確信の下にわずかな亀裂を刻んでいた。
(“彼”……か)
(奴が最後に叫んでいた、“彼に出会えば思い知る”という言葉……)
紅龍は顎に手を当て、深く考え込む。
その姿は戦場の将軍というよりも、謎を解く賢者のようにすら見えた。
夜風が彼の軍服を揺らすたび、冷たい星明かりが赤い双眸を照らした。
紅龍の思考の底に、別の記憶がよぎった。
ほんの少し前、フラムと共に得た情報──。
《逃走したマイネ・アグリッパの協力者の一人に、“色欲の魔王”ヴァレン・グランツが確認された》
その報せが、脳裏で再生される。
「……そうか」
呟きは確信へと変わっていく。
雷人が語った“彼”という存在。
井の中の蛙と言い放ち、自分を嘲笑う要因となった、その“彼”こそ──。
「……ヴァレン・グランツか」
赤い瞳が爛々と光を帯びる。
すべてが一本の線で繋がったかのように、紅龍の胸中に形が生まれていく。
(“色欲”の魔王……この世界に名を轟かせた七魔王の一角。確かに、その力は侮れぬ)
(だが──)
口元が、愉悦に歪む。
雷人の遺言は、紅龍にとって「脅威の存在を示す警告」ではなく、「自らが討ち果たすべき次の標的」へとすり替わっていく。
「良い……良いぞ。一条雷人よ。貴様の言葉、確かに受け取った」
「ヴァレン・グランツ……貴様こそ、儂に挑むに足る相手というわけだな」
夜風に乗って、低い嗤いが広がる。
その嗤いにはもはや迷いはなかった。紅龍の心は再び「最強」の確信へと収束し、雷人の言葉は誤解という形で歪められた。
だが、その"誤解"こそが──後に新たな嵐を呼ぶ種となるのだった。
◇◆◇
緋色の宝石像となった雷人を背に、紅龍は低く呟いた。
「“色欲”の魔王……確かに、奴の力は侮れぬ。だが──」
その双眸に紫電の残滓を映したまま、紅龍は片手を胸の前で翳した。
指先に赤黒い紋様が浮かび上がり、空気がざらつく。
「……"分身"」
次の瞬間、紅龍の影が分かたれた。
赤黒い魔力が渦巻き、形を持ち、肉体となって立ち上がる。
庭園の床に響く靴音は三つ。そこには同じ姿をした紅龍が三人、並び立っていた。
「くっ……くくく……」
三人は同じ声音で笑う。嗤い声が重なり、不気味な和音となって夜風に混じった。
「召喚者どもの上質な魂を喰らった今──ヴァレン・グランツとて、儂の敵ではないわ」
声は三重に重なり、雷鳴の残響のように響いた。
紅龍(本体)は顎に手を当て、残る二人をじっと観察する。
すると分身の一人が肩をすくめ、もう一人が口角を吊り上げる。
「……どうやら、主人格は貴様にあるようだのう」
「であるなら、我ら分体には識別のための“別の姿”が必要であろう」
その提案に、三人は一瞬沈黙し──そして同時に、ニヤリと笑った。
「……我らは三人。ならば、取るべき姿は決まっておる」
二体の分身は目を閉じ、両の掌を合わせて印を結ぶ。
"変身"──その力が発動し、肉体の輪郭が波打つ。
紅龍の分身のひとりは、やがて金がかった茶髪の大男へと変貌した。
黄色を基調とした戦闘衣は豪奢でありながら武骨さを纏い、鍛え抜かれた体躯は岩壁のように堂々としている。
もう一人は、長い黒みがかった青髪を髪飾りでまとめた美女へと姿を変えた。
蒼を基調としたチャイナドレスは夜気にひらめき、その艶やかな肢体を際立たせる。
三人は顔を見合わせ──そして、くっくっく、と嗤った。
「まさか、“この世界”で我ら三人が顔を合わせることになろうとはな」
紅龍(本体)の言葉に、黄髪の大男が低く応じる。
「ガワだけだ。中身は全員“紅龍”よ」
青髪の美女は、ひらりと手を振って笑った。
「折角だ。仕草や口調も寄せるとしよう。」
そう言って目を閉じ、胸の前で印を結ぶ。
“自己暗示”──記憶や人格を一時的に改ざんする術。
黄髪の大男はゆっくりと目を開け、無表情に紅龍を見据えた。
「……久しいな、紅龍」
その声は淡々としていながら、威厳を帯びていた。
紅龍は目を細め──そして笑った。
「くっ……くくく……まるで本人そのものではないか。
……ああ、数百年ぶりだのう。“黄龍”の兄者」
青髪の美女が、気怠げに肩をすくめる。
「でもぉ~、本当に不思議よねぇ。アタシたち“|三龍仙”が、こんな異世界でぇ……また再会するなんてさぁ~」
紅龍はわずかに顔をしかめ、吐き捨てるように呟いた。
「……これの中身が自分の分身だと思うと、ゾッとせんわ……」
「んん? 何か言ったぁ~? 紅龍ちゃん」
青髪の美女が頬を寄せて囁きかける。
紅龍はわずかに肩を竦め、苦笑しながら答えた。
「何でもないわ。“蒼龍”の姉者よ」
夜空に、三人の笑い声が重なり合った。
その音は懐かしさと不気味さを同時に孕み、星々を嘲笑うかのように響き渡った。
◇◆◇
紅龍は二人の分身体を見やった。
黄龍は腕を組み、石像のように微動だにしない。
瞳は冷たく、余計な言葉を発する気配すらなかった。
対して蒼龍は、腰をくねらせ、長い脚を組み替えながら足先で散った花弁を弄んでいる。
挑発的でありながら、どこか退屈そうな仕草。その眼差しだけは、妖しく紅龍を射抜いていた。
紅龍の口元に、ふっと嗤いが浮かんだ。
「……使ってみて分かったが、どうやら儂の分身体であるお主らには、"他者から奪ったスキル"は一部引き継がれぬらしい」
声は低く静か。だが、その奥には嗜虐にも似た愉悦が潜んでいた。
彼は二人をじっと見据え、口角を吊り上げる。
「なれば──今から兄者、姉者には……儂が蓄えてきたスキルの一部を譲渡してやろう」
黄龍は表情ひとつ動かさず、静かに頷く。沈黙の中にも、確かな承諾の気配が漂った。
蒼龍は、わざとらしく両手で大きな丸を作り、唇に艶やかな笑みを浮かべる。
「おっけぇ~! やっぱり紅龍ちゃんなら、そう来ると思ってたぁ♪」
紅龍の眼光が鋭く光った瞬間、彼の手にあった二刀「緋蛟剪」がギィィと擦れ合い、鋏の形に組み合わされる。
そして、ためらいもなく二人の胸元へと突き立てられた。
──ドクン、ドクン。
血は一滴も流れない。
紅蓮に輝く刃を通じ、紅龍の体内に眠る膨大な魔力が、脈動とともに奔流のように流れ込んでいく。
黄龍は無言のまま、両手をゆっくりと開き、握り、また開いた。
指先に走る新たな感覚を確かめるように。
その無機質な表情の奥で、微かな光が芽吹いたのを紅龍は見逃さなかった。
蒼龍は逆に、心地良さそうに小さく口笛を鳴らし、腰を揺らしながら声を上げる。
「へぇ~……これが奪ったスキルねぇ? クセが強いのもあるけど……うん、どれも面白い能力ばっかりじゃなぁい♪」
紅龍は二刀を引き抜いた。
刃にまとわりついた魔力の残滓を払う仕草は、まるで不要な塵を拭い去るかのように冷徹だった。
次の瞬間、彼の声音が高らかに響き渡る。
「──さて。我ら三仙の力をもって、大国ベルゼリアに仇なす“大罪魔王”マイネ・アグリッパ、そしてヴァレン・グランツ……この両名を落とすとしよう」
その言葉は、雷鳴のように堂々と、夜空に轟いた。
まるで天と地に布告するかのごとき力強さ。
紅龍の背に吹き付ける夜風すら、その宣言に畏れを抱いたかのように一瞬止んだ。
三人の影は庭園に伸び、重なり合いながら嗤いの気配を漂わせていく。
◇◆◇
蒼龍が片眉を上げ、気怠げに笑みを浮かべた。
それは遊び半分の調子に見えて、実際は鋭い刃のように紅龍の胸に突き刺さる。
「ん~? ちょっと待ってよ、紅龍ちゃん」
声は甘く、伸びやか。けれどその響きの奥に、確かに潜む違和の色があった。
「アンタって、そんな“御国のため!”みたいなこと言うキャラだったっけぇ~?」
挑発めいた言葉に、黄龍の瞳がわずかに細められる。
いつも無機質に沈黙を保つその表情に、かすかな揺らぎが走ったのを紅龍は感じた。
紅龍は歩みを止める。
足音が途絶えた空中庭園には、風と葉擦れの音だけが残る。
短い沈黙ののち、低く、かすれる声が吐き出された。
「……ベルゼリアには、“拾ってもらった恩”がある」
その一言に、空気が変わった。
黄龍の眉がピクリと動く。
蒼龍は笑みを引き、声を低めて囁いた。
「……“拾ってもらった恩”?」
「そんなもの、アナタが感じるワケないじゃない」
彼女の声音は甘美でありながら、はっきりと拒絶の棘を孕んでいた。
紅龍の胸中にざわめきが走る。
彼自身も言い放ったその言葉に、説明のつかぬ違和感があった。
何かが、奥底から囁いている──「その感情は、お前自身のものではない」と。
紅龍はハッとしたように目を見開き、黄龍へ視線を向ける。
「……兄者。先程渡したスキル、"天啓眼"で……儂を診てくれぬか」
黄龍は無言のまま頷き、指先に淡い光を宿す。
その目は水晶のように澄み、真実を映し出す。
紅龍の魔力の流れを、そして魂の奥深くに絡みついた影を見通す。
やがて、低い声が放たれた。
「……間違いない」
黄龍の声は淡々としている。だが、その響きには確信の重さが宿っていた。
「魂に……何かが植え付けられている」
紅龍の唇がゆがむ。
笑みとも怒りともつかぬ感情が入り混じり、声が低く漏れた。
「くっ……くくく……己を俯瞰で見る、というのは……かくも大事であったか……」
次の瞬間、彼は一切の迷いを断ち切った。
緋蛟剪を鋏の形に組み替え、その切っ先を己の胸へ突き刺す。
──ズブリッ。
刃が肉体を通過した瞬間、血ではなく黒い靄が吹き出した。
ブチブチと音を立て、まるで根を引き裂くように引きずり出される。
やがて姿を現したのは、脈動し続ける黒い種子のような塊。
「ぬゥゥゥ……ッ!」
紅龍は歯を食いしばり、力を込めてそれを胸から引き抜いた。
握った種子は禍々しい熱を帯び、まるで生き物のように脈打っていた。
彼はそれを地面へ叩きつける。
──ドンッ!
種子が鈍い音を立てて転がる。
紅龍は二刀を分離し、目を爛々と燃やすと、一気に斬り刻んだ。
──ザシュッ! ザシュシュシュシュッ!!
黒い塊は無残に切り裂かれ、細かい欠片となって夜風に散った。
残滓は悲鳴のように一瞬だけ震え、やがて跡形もなく掻き消える。
紅龍は荒い息を吐き、背を反らせると、空中庭園の床をドンッッ!!と踏み鳴らした。
「許さん……許さんぞ、クレイドル一族……!! いや──ベルゼリア!!」
声は憤怒に震え、地の底から湧き上がる怨嗟のようだった。
「この儂にまで、首輪を着けておったとは……!!」
黄龍は黙したまま腕を組み、動かない。
その眼差しには冷たい光が宿っていた。
蒼龍は口元に指を当て、妖艶に微笑む。
その声は柔らかくも底知れぬものを含んでいた。
「じゃあ……これから、どうするのぉ? 紅龍ちゃん」
紅龍は振り返り、猛獣のような笑みを浮かべる。
怒りと狂気、そして確固たる決意を滲ませて。
「決まっておる」
緋色の瞳が爛々と輝き、空気そのものが震える。
「──喰らいつくしてやろう」
その声は咆哮となり、夜空を震わせた。
「召喚者の童どもも……咆哮竜も……大罪魔王も……そして、ベルゼリアも……!!」
三人の影が庭園に伸びる。
それぞれが異なる姿を持ちながら、中身は同じ紅龍。
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理想と真逆の姿に絶望する陸空。 だが、彼には規格外の魔力と、前世の異常なまでの「もふもふへの執着」が変化した、とある謎のスキルが備わっていた。
これは、最強の神獣になってしまった男が、ただひたすらに「もふもふ」を愛でようとした結果、周囲の人間(とくにエルフ)に崇拝され、勘違いが勘違いを呼んで国を動かしてしまう、予測不能な異世界もふもふライフ!
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どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
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