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第五章 魔導帝国ベルゼリア編
第186話 "金葬輪廻"──強欲の理、取引の果てに──
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──魔都スレヴェルドの中心にそびえる、漆黒の螺旋塔。というか、高層ビル。
その名も『アグリッパ・スパイラル』。
最上階の謁見の間は、まるで高級ホテルのロビーみたいだった。
磨き上げられた黒曜石の床に、金の文様が幾何学的に走り、壁際には魔導ランプが柔らかい光を灯している。
中央奥には、強欲の魔王──マイネ・アグリッパの玉座。
その脇に執事ベルザリオンくんの姿。
……そして。
その荘厳な空間に、場違いなくらい響き渡る絶叫が一つ。
「ええええええ!?!?!?
リュナとブリジットさんが……相棒のほっぺにキスしたぁぁぁぁ!?!?!?」
耳がキーンとするほどの声量。
叫んでいるのはもちろん、色欲の魔王ヴァレン・グランツ。
ヴァレンはテーブルを叩いて立ち上がり、まるで世界の終わりを見たみたいな顔をしていた。
「はいっ! そうですよっ!」
横でしっぽをパタパタ振りながら答えたのは、ミニチュアダックスモードのフレキくん。
「とっても情熱的で、ボクもなんだか赤くなっちゃいましたっ!」
とハッハッハッと犬特有の息遣いで笑ってる。
何がそんなに楽しいのよ。
「ちょ、ちょっと! フレキくん!? それ、今ここで言わなくてもいいでしょ!?」
ブリジットちゃんは顔を真っ赤にして慌てて手を振っている。
耳の先まで赤くなってて、正直、鬼かわいい。
でもその隣で、もっと堂々としてるのが──うちの竜姫、リュナちゃん。
「そっすよ? ほっぺにちゅーしたケド、文句ある?」
腕を組んで開き直るように言う。
……ただ、よく見ると頬がほんのり赤い。
多分照れてる。照れてるけど、絶対認めないタイプ。これまた鬼かわいい。
(ふ……二人とも可愛いけど……!
こういう話題は今、しないでほしいんだよなぁ……!!)
俺は内心で頭を抱える。
だって今この場には、召喚高校生二十人がずらりと並んでるんだよ。
場の空気、地獄みたいに重いし。
「か……考え事をしていたとはいえ……この俺が……!」
とヴァレンが両膝をついて天を仰ぐ。
「この俺が……色欲の魔王、ヴァレン・グランツが……そんな一大LOVEイベントを見逃してしまうなんて……!」
「ああ……あんまりだァァーーッ!!」
泣いた。
しかも、滝のような涙。両手を天に伸ばして、全身を震わせている。
(……エシ◯ィシみたいな泣き方してる……)
俺は脳内で冷静にツッコミながら、一歩後ずさった。
「やかましいぞ!!お主ら!!」
玉座の上から、怒号が飛んだ。
金色の瞳がギラリと光り、マイネさんが椅子の肘掛けを叩く。
「少しは静かに出来んのか!? ここは市場の広場ではないわ!!」
その一喝で、ヴァレンはピタリと泣き止んだ。
そして、何故かサササッと俺の背後に隠れる。
ついでにリュナも一緒に背中に回り込む。
「相棒~……強欲の魔王様がお怒りみたいだぜぇ~。どうしよう~?」
ヴァレンがわざと怯えた声を出す。
「ヤダ~。あーし、こわ~い。兄さ~ん、あの地雷女やっつけて~♡」
リュナちゃんは完全にノリノリである。
わざと甘え声を出さないで!背中に体重かけないで!思わず、言う通りにしたくなっちゃう!
「お、お主ら!! それは本当に卑怯じゃぞ!! 禁止カードじゃろ、道三郎は!!」
マイネさんが慌てた様子で指を突きつける。
俺は苦笑しながらブリジットちゃんと顔を見合わせた。
ブリジットちゃんは「あはは……」と引きつった笑いを漏らす。
けど、そのときふと気づく。
ヴァレンとリュナちゃんがわざとふざけているのは──ただの悪ふざけじゃない。
その向こう、マイネさんの玉座の前に立つ召喚高校生たちは、誰も一言も喋らず、顔面蒼白だった。
肩を震わせている子、うつむいて唇を噛んでいる子、中には泣き出しそうな子までいる。
この場の重さを、誰よりも分かっている二人だからこそ、あえて“バカをやって”空気を壊そうとしてるんだ。
(……ありがとね、二人とも。)
俺は心の中でそっとそう呟いた。
◇◆◇
場の喧騒が嘘みたいに、静まり返った。
さっきまでヴァレンとリュナがふざけて笑っていたのに──今は、息をする音すら聞こえない。
アグリッパ・スパイラルの最上階、謁見の間。
そこに立つ二十人の高校生たちは、誰ひとりとして言葉を発せず、重い沈黙の中に飲み込まれていた。
空気が張り詰めていて、足音すら立てたくないほどだった。
彼らの顔には、苦しさと罪悪感が滲んでいた。
命令されていたとはいえ──洗脳されていたとはいえ──
結果的に、自分たちが“攻め滅ぼしてしまった国”の主の前に立っているのだ。
言い訳なんてできるはずがない。
フロアの奥、金の装飾が施された玉座に腰掛ける強欲の魔王、マイネ・アグリッパは、冷ややかな金色の瞳で高校生たちを見下ろしていた。
その背後には、執事服姿のベルザリオンくんが控え、静かに主を見守っている。
マイネさんの視線が、ひとり、またひとりと生徒たちをなぞるたび、その場の空気はますます重くなっていった。
だが、マイネさんは深く息を吸い──そして静かに言葉を紡ぐ。
「……そう身構えるな。楽にせい。」
声は低く、しかしよく響いた。
まるで、冬の風が氷を撫でるような、張り詰めた静けさの中の声だった。
「妾とて、貴様らがベルゼリアの傀儡であった事は、分かっておる。」
その言葉が響いた瞬間、
後列にいた数人の女子生徒が、ポロポロと涙をこぼした。押し殺していた嗚咽が、静寂の中で小さく震える。
一条くん、佐川くん、鬼塚くん、天野さん。
四人が前へ進み出て、膝をついた。
一条くんが代表して、震える声で頭を下げる。
「この度は……誠に、申し訳ありませんでした……!」
額が床に触れるほど深く頭を垂れた。
他の生徒たちも次々と膝をつき、頭を下げる。
沈痛な面持ち。誰も、顔を上げられない。
……洗脳が解けた今となっては、
自分たちがやってしまったことの重さに、押し潰されそうになっているんだろう。
この国の人たちは、ゴブリンも、コボルトも、オークも──
みんな“生きていた”。
家族がいて、日々の暮らしがあって、夢があった。
それを奪ったのは、彼ら自身の手。
俺の“再顕現”でも、
もう肉体が残っていない者たちは、蘇らせることはできない。
マイネさんは長い沈黙の後、ふぅっと息を吐いた。
その表情は冷たくも、どこか哀しみを含んでいた。
「……貴様らの現状は、ある程度理解しておるつもりじゃ。」
彼女はゆっくりと玉座の肘掛けから手を離す。
「気にするな──とは言わん。
いずれ、対価は頂くつもりじゃ。
だが、気には病まんでいい。」
その声音は、厳しくも優しかった。
“罪を否定するのではなく、抱いたまま進め”と語るような響き。
「そ……そんな……!」
涙声が上がる。天野さんだ。
彼女は唇を震わせながら、両手を胸の前で握りしめた。
「だ、だって……私達、ここの住人の方々を……大勢……! ……気に病まないなんて……無理です……っ!」
その場に崩れ落ち、嗚咽を漏らす天野さんの身体を、佐川くんが支える。
彼は苦しそうに眉を寄せながら、ヴァレンの方にちらりと視線を送った。
ヴァレンは──ふざけることなく、真剣な眼差しで佐川くんを見返す。
何も言わず、ただ一度、力強く頷いた。
“大丈夫だ”と、目で伝えるように。
その小さな仕草に、佐川くんの肩が少しだけ震えた。押し殺した涙が、また一筋流れる。
他の高校生たちも、泣き出す者、拳を握り締める者、唇を噛む者。
誰もが、“異世界とはいえ命を奪ってしまった”という現実に打ちのめされていた。
俺は、その光景を見ながら胸の奥が締め付けられるような思いがした。
(──若者が間違えちゃうのは、若い頃はよくあることだ。それを正してあげるのも、大人の役目。)
でも──今回は違う。
この子たちは、自分の意思じゃなく、
こっちの世界の大人たちに利用されたんだ。
(……だったらせめて、教えてやらなきゃな。)
(この世界にも、“助けてくれる大人”がいるってことを。)
俺は拳をゆっくりと握りしめ、
彼らを包み込むように視線を向けた。
◇◆◇
重い沈黙の中、俺はそっと手を上げた。
「──あのー、マイネさん?」
その一言で、謁見の間の空気がわずかに揺らぐ。
マイネさんが紫の瞳をゆっくりとこちらに向けた。
玉座の背後に控えるベルザリオンくんも、わずかに眉を上げる。
高校生たちの方からも、ざわり、と気配が動いた。
二十人の視線が、いっせいに俺に注がれる。
一条くんと鬼塚くん──二人は特に真剣な眼差しで、まるで縋るように俺を見ていた。
……そりゃそうだよね。
この場で口を開けるのなんて、俺ぐらいしかいない。
「確かに、この子達のやったことは、取り返しがつかないことなのかもしれない。でも、それは……彼らが洗脳されてたからであってさ。」
言葉を選びながら、俺は少し頭を掻いた。
どう言えば伝わるんだろう。上手く言葉が見つからない。
それでも、言わなきゃいけないと思った。
「……なんて言うのかな。説明が難しいんだけど……」
少し息を吸い込んで、正面のマイネを見据える。
「──許してあげることって、できないかな?」
その言葉が、静まり返った謁見の間に響いた。
マイネさんはしばし沈黙したまま、じっと俺を見つめていた。
背後のベルザリオンくんが、静かに片手を胸に当てて頭を垂れる。
その仕草には、主への進言を控える忠臣の気配と、
どこか懇願するような想いが滲んでいた。
やがて、マイネさんは深くため息をついた。
その声には、呆れと、どこか優しい響きがあった。
「……はぁー……あのな、道三郎。」
「は、はい?」
「お主はもう少し、自分の“影響力”というものを理解した方がよいぞ。」
「えっ?」
間の抜けた声が自分の口から漏れる。
マイネはジト目でこちらを見据え、肘掛けに頬杖をつく。
「お主に“お願い”されて、おいそれと断れる者など、この世にそうおらんじゃろ。自覚しておるのか?」
「……あっ。」
言われて、ようやく気づく。
あ、そうか。
あれだけの力を見せつけてしまった“真祖竜”の俺が、“お願い”なんて言葉を軽々しく使うと、本気で命令だと思われるのかもしれない。
「い、いや! 別に、断られたからって暴れたりしないからね!? ただ、本当にお願いしたかっただけっていうか……!」
慌てて両手を振って言い訳する。
マイネはため息をつきつつも、少しだけ口元を和らげた。
「お主がその様な事をする者でないことは、とうに承知しておるわ。」
その声は、先ほどよりも穏やかだった。
彼女は背筋を正し、玉座の上からゆっくりと俺を見下ろす。
「じゃが──力ある者は、時に他者から勝手な“像”を押し付けられる。それを忘れるな。」
その言葉には、魔王としての実感がこもっていた。
“力を持つということは、善意でさえ重く響く”──
彼女の目がそう語っていた。
「は、はい……。肝に銘じます。」
俺は背筋を伸ばして返事をする。
その瞬間。
リュナちゃんがすかさずニヤリと口を挟んだ。
「えっらそーに。兄さん、コイツ生意気だから、暴れてこのビル壊しちゃったらどーっすか?」
わざとらしく俺の肩に手を置き、上目遣いで挑発する。
マイネが椅子から飛び上がった。
「おい、やめろ!! シャレになっとらんぞ!!」
「なーんだ、ビビってんのかよー。」
「ビビるに決まっとるじゃろ、そんなもん!! そもそも、そんなおかしな事は言っておらんじゃろ!!妾!!」
やや顔を赤くして叫ぶマイネを見て、
ブリジットが慌てて間に入る。
「そ、そうだよ! リュナちゃん! ダメダメ! マイネさん困らせちゃ!」
リュナは舌をペロッと出して、「へいへーい」とふざけてみせる。
そのやり取りに、緊張で固まっていた高校生たちの顔が、
少しだけ緩んだ。
マイネさんもそれに気づいたのか、ふっと目を閉じて笑う。
「まったく……妾の城は、静寂という言葉を知らぬな。」
彼女の声は、先ほどまでの威圧感とは違って、どこか柔らかかった。
その空気に包まれるように、謁見の間の重苦しさが少しずつ溶けていく。
──きっと、これでいい。
誰もが息をつける、ほんの一瞬の和み。
それだけで、救われるものもある。
◇◆◇
マイネさんが、静かに立ち上がった。
その瞬間、謁見の間の空気が、ピリッと張り詰める。
背筋を伸ばし、玉座の前に立つ彼女の動作は、優雅で、そして何より“揺るぎなかった”。
あの細い腕に宿るのは、魔王の威圧。
それだけで場の空気が一変する。
「それに……」
紫水晶の瞳が、うつむく高校生たちを射抜いた。
「こやつらがしでかした事……誰が“取り返しがつかない”と言った?」
「──えっ?」
思わず間抜けな声が漏れた。俺だ。
鬼塚くんが顔を上げ、拳を震わせながら叫ぶ。
「だ……だけどよ!! 俺達は……アンタらの国の者を……傷つけ、命を奪いもしちまった……!」
その声には、後悔と恐怖と、わずかな希望が混ざっていた。
マイネさんは一歩、ゆっくりと前へ出る。
高いヒールの音が、広い床にカツンと響いた。
「そうじゃな。貴様らの行いで、妾の大切な民の命が大勢失われた。」
その言葉に、高校生たちは一斉に俯いた。
沈痛な面持ち。泣き出しそうな顔。
誰もが、自分の手を見つめていた。
だが、マイネさんはほんの一瞬だけ沈黙した後、
口元に小さな笑みを浮かべた。
「じゃが……失われたのであれば、“買い戻せ”ばよいのじゃ。」
その声音は軽く、けれど背筋が凍るほどの自信に満ちていた。
「ど、どういう事だ!?」
鬼塚くんが顔を上げ、食い気味に問う。
マイネは手を軽く叩いた。
パン、パン、と響く音が妙に心地よく響く。
「ベル、例の物を。」
「はっ。」
ベルザリオンくんが一礼し、音もなく奥の扉へと消える。
その背筋には無駄な動き一つなく、完璧な礼法の化身みたいだった。
……数十秒後。
「失礼いたします。」
ベルザリオンくんが現れた時、彼の後ろには──
山のように積まれた金銀財宝と、魔法アイテムの山を乗せたリアカーがあった。
金貨がざらざらと音を立て、宝石が光を反射して天井に虹を散らす。
魔導書、杖、指輪、壺、鎧──どれもが高級品。
その煌めきだけで、空間の温度が上がった気がした。
(すっご……。マイネさん、マジでお金持ちなんだな。同じ魔王でも、ヴァレンとは懐事情のレベルが違う……)
思わずそんなことを考えてしまう俺の横で、ヴァレンが口角を上げてニヤリと笑った。
──たぶん、俺と同じことを思っている。
マイネは玉座の前まで進み出て、
腰のホルダーから、一つの女性物の財布を取り出した。
それは装飾が施された黒革の財布──
しかし、ただの財布ではない。
表面を走る魔法陣のような金線が、まるで脈動しているように光っていた。
「……妾の魔神器、"我欲制縄。」
マイネさんの声が、静かに謁見の間に響いた。
彼女は財布を両手で掲げ、その魔力を注ぎ込む。
空気がビリビリと震える。
金属が唸るような低い音が、床から天井へと駆け上がる。
「この魔神器は──力や存在そのものを、金銭的価値と強制的に等価交換させる力を持つ。」
マイネの周囲に金色の魔法陣が幾重にも展開された。
それは貨幣を模した円環、数字、契約印章のような形。
そのすべてが彼女の周囲を回転している。
「……その力は、“金銭の代わりに相手の力を差し押さえる”のみに非ず──」
マイネの声が低くなり、
その紫の瞳が妖しく輝く。
「“価値あるものを捧げることで、失われた存在すら買い戻す”──それが、強欲の理じゃ。」
その瞬間、魔法陣の中央で、"我欲制縄"が鳴動した。
金色の光が弾け、財宝の山を照らす。
宝石が光を放ち、金貨が宙に舞う。
まるですべての富が、主の命令に歓喜して踊り出すかのようだった。
俺は思わず息を飲んだ。
隣でヴァレンがニッと笑い、サングラスを押し上げる。
「皆、見てろよ……」
その声には、少し誇らしさすら滲んでいた。
「ここからが、アイツの……“強欲の魔王”マイネ・アグリッパの、真骨頂だ……!」
──そう告げた瞬間、
黄金の光が爆ぜた。
視界いっぱいに広がる閃光。
マイネさんの髪が風に揺れ、強欲の女王のシルエットが光に包まれる。
ああ──これが、“買い戻す”ということか。
命でさえ、彼女にとっては取引の一項目に過ぎない。
"強欲"とは、奪うことじゃない。
欲しい物を全て……失われたものですら、自分の手で取り戻す力。
その姿に、誰もが息を呑んでいた。
◇◆◇
マイネさんが掲げた"我欲制縄"の口が、静かに開かれた。
次の瞬間──
リアカーに積まれた金銀財宝や魔道具たちが、ふわりと光を放ち始める。
宝石は宙に浮かび、金貨は細かい光の粒子にほどけていく。
それらすべてが、まるで意思を持つかのように螺旋を描きながら、財布の中へと吸い込まれていった。
空間が唸る。
床がわずかに震え、空気が圧縮される感覚。
マイネさんの周囲に立ち込める魔力は、もはや神域のそれに近かった。
「"金葬輪廻"──ッ!」
マイネさんが叫ぶ。
その声と同時に、"我欲制縄"の口から、金色のレシートが、嵐のように飛び出した。
──シュルルルルルルルルッ!!!
どこまでも続く、果てしない長さのレシート。
それは金色の光を放ちながら、まるで命ある龍のように天へと昇っていく。
壁をすり抜け、天井を突き抜け、外の世界へと解き放たれた。
俺はただ、息を呑んでその光景を見つめていた。
謁見の間の巨大な窓の向こう──
夜の魔都スレヴェルド全体が、金色の光の網で覆われていく。
金のレシートは街路を這い、ビルを包み、崩れた塔を巻き取りながら、
そのひとつひとつを、まるで巻き戻すように修復していった。
瓦礫が集まり、崩れた橋が再びつながる。
粉塵が舞い上がり、それが光となって街の形を描き直す。
「す……すっご……!!」
俺は思わず口に出していた。
(これは……金銭的な価値のあるものを消費して、
“損害そのもの”を無かったことにする力……?)
理解が追いつかない。
けれど、理屈じゃない。
今、確かに“過去が上書きされていく”のを感じる。
──金のレシートは街を直すだけじゃなかった。
あちこちで、光の糸が集まり、人の形を作っていく。
最初は骸骨のように細い線。
そこに肉が戻り、血が通い、
やがて──笑顔を浮かべた魔都の住人(魔族たち)が姿を現した。
オークの親父が、泣きながら息子を抱きしめる。
コボルトの母親が、震える手で子どもの顔を撫でる。
その光景が、街のいたるところで生まれていた。
謁見の間にいた高校生たちが、
一斉に窓際へ駆け寄る。
誰もが言葉を失い、
ただその“奇跡”を見つめていた。
「……う、うそ……っ」
ある女子が、両手で顔を覆って泣き出す。
「生きてる……! みんな、生きてる……!」
その声に、他の生徒たちも次々と涙をこぼした。
震える肩、泣き笑いの表情。
心の奥に沈んでいた“罪”が、少しずつ解けていくようだった。
──だけど。
俺の目には、マイネさんの表情が微妙に歪んで見えた。
額に薄く汗が浮かび、指先が震えている。
(……やっぱり、無理してる……!)
あの膨大な範囲の修復と蘇生を、
すべて“金銭的価値”で換算して支払うなんて、
どれだけの消耗なんだ……!?
俺は慌ててマジックバッグを開け、爪切りを取り出す。
そして、自分の右手の爪をぱちん、ぱちんと切った。
「マイネさん! これ! よかったら、使って!」
俺は駆け寄って、切った爪を手渡す。
マイネは苦しそうに息を整えながらも、口元に笑みを浮かべた。
「……流石は道三郎じゃな。全てを“買い戻す”には、ちと種銭が心許ないと思うとったところじゃ……!」
彼女は爪をそっと掌に載せ、
再び魔神器へと向き直る。
「この借りは……いずれ返すぞ……! 利子をつけて、な!!」
金の瞳が、再び煌めく。
「"金葬輪廻"──ッ!!!」
"我欲制縄"が唸りを上げ、
俺の爪が光の粒子となって吸い込まれた。
──直後。
さっきまでとは比べ物にならない光の奔流が爆ぜた。
──ドンッ!!
黄金のレシートが、嵐のように世界を包み込む。
空を裂き、地を覆い、
スレヴェルド全域を金色の雨で満たしていく。
崩れたビル壁が再建され、
焼け落ちた街並みが瞬く間に甦る。
そして、失われた命たちが──再び息を吹き返した。
あの静寂に沈んでいた都市が、
再び“音”を取り戻す。
笑い声、泣き声、鐘の音、鳥の羽ばたき。
全てが、金色の世界の中で生まれ直していった。
俺はただ、その光景に見入っていた。
隣で一条くんが、呆然と窓の外を見下ろしながら呟く。
「し……信じられない……! これが……異世界の、魔王の力……!」
佐川くんは泣きそうな顔で、
それでも少し笑って言った。
「はは……すげぇな……。まじで……映画みてぇだ……。」
そして──光が収まり始めた。
マイネさんはゆっくりと腕を下ろし、
"我欲制縄"を静かに閉じた。
周囲の空気がふっと軽くなる。
金のレシートはゆっくりと溶け、
まるで夢のように消えていった。
マイネさんは俺たち、そして高校生たちを順に見渡す。その表情には疲労の色が浮かんでいたが、瞳だけは輝いていた。
「言ったじゃろ? 失われたのであれば、“買い戻せ”ばよい、と。」
静かな声だった。
けれど、その一言に、誰もが胸を打たれた。
「この街も、民草も……全てはこのマイネ・アグリッパの大切なコレクション。 何一つ、欠けることは許せぬのじゃ。」
背後のベルザリオンくんが、口元に笑みを浮かべ、満足げに目を閉じた。
高校生の子たちは皆、希望を取り戻したような顔でマイネさんを見ていた。
マイネさんはそんな彼らを見渡し、口角を上げて小さく笑った。
「妾は……“強欲”じゃからのう。」
そう言って、金色の光の中に微笑むマイネさんは、
まさしく“救済する強欲の女王”だった。
その名も『アグリッパ・スパイラル』。
最上階の謁見の間は、まるで高級ホテルのロビーみたいだった。
磨き上げられた黒曜石の床に、金の文様が幾何学的に走り、壁際には魔導ランプが柔らかい光を灯している。
中央奥には、強欲の魔王──マイネ・アグリッパの玉座。
その脇に執事ベルザリオンくんの姿。
……そして。
その荘厳な空間に、場違いなくらい響き渡る絶叫が一つ。
「ええええええ!?!?!?
リュナとブリジットさんが……相棒のほっぺにキスしたぁぁぁぁ!?!?!?」
耳がキーンとするほどの声量。
叫んでいるのはもちろん、色欲の魔王ヴァレン・グランツ。
ヴァレンはテーブルを叩いて立ち上がり、まるで世界の終わりを見たみたいな顔をしていた。
「はいっ! そうですよっ!」
横でしっぽをパタパタ振りながら答えたのは、ミニチュアダックスモードのフレキくん。
「とっても情熱的で、ボクもなんだか赤くなっちゃいましたっ!」
とハッハッハッと犬特有の息遣いで笑ってる。
何がそんなに楽しいのよ。
「ちょ、ちょっと! フレキくん!? それ、今ここで言わなくてもいいでしょ!?」
ブリジットちゃんは顔を真っ赤にして慌てて手を振っている。
耳の先まで赤くなってて、正直、鬼かわいい。
でもその隣で、もっと堂々としてるのが──うちの竜姫、リュナちゃん。
「そっすよ? ほっぺにちゅーしたケド、文句ある?」
腕を組んで開き直るように言う。
……ただ、よく見ると頬がほんのり赤い。
多分照れてる。照れてるけど、絶対認めないタイプ。これまた鬼かわいい。
(ふ……二人とも可愛いけど……!
こういう話題は今、しないでほしいんだよなぁ……!!)
俺は内心で頭を抱える。
だって今この場には、召喚高校生二十人がずらりと並んでるんだよ。
場の空気、地獄みたいに重いし。
「か……考え事をしていたとはいえ……この俺が……!」
とヴァレンが両膝をついて天を仰ぐ。
「この俺が……色欲の魔王、ヴァレン・グランツが……そんな一大LOVEイベントを見逃してしまうなんて……!」
「ああ……あんまりだァァーーッ!!」
泣いた。
しかも、滝のような涙。両手を天に伸ばして、全身を震わせている。
(……エシ◯ィシみたいな泣き方してる……)
俺は脳内で冷静にツッコミながら、一歩後ずさった。
「やかましいぞ!!お主ら!!」
玉座の上から、怒号が飛んだ。
金色の瞳がギラリと光り、マイネさんが椅子の肘掛けを叩く。
「少しは静かに出来んのか!? ここは市場の広場ではないわ!!」
その一喝で、ヴァレンはピタリと泣き止んだ。
そして、何故かサササッと俺の背後に隠れる。
ついでにリュナも一緒に背中に回り込む。
「相棒~……強欲の魔王様がお怒りみたいだぜぇ~。どうしよう~?」
ヴァレンがわざと怯えた声を出す。
「ヤダ~。あーし、こわ~い。兄さ~ん、あの地雷女やっつけて~♡」
リュナちゃんは完全にノリノリである。
わざと甘え声を出さないで!背中に体重かけないで!思わず、言う通りにしたくなっちゃう!
「お、お主ら!! それは本当に卑怯じゃぞ!! 禁止カードじゃろ、道三郎は!!」
マイネさんが慌てた様子で指を突きつける。
俺は苦笑しながらブリジットちゃんと顔を見合わせた。
ブリジットちゃんは「あはは……」と引きつった笑いを漏らす。
けど、そのときふと気づく。
ヴァレンとリュナちゃんがわざとふざけているのは──ただの悪ふざけじゃない。
その向こう、マイネさんの玉座の前に立つ召喚高校生たちは、誰も一言も喋らず、顔面蒼白だった。
肩を震わせている子、うつむいて唇を噛んでいる子、中には泣き出しそうな子までいる。
この場の重さを、誰よりも分かっている二人だからこそ、あえて“バカをやって”空気を壊そうとしてるんだ。
(……ありがとね、二人とも。)
俺は心の中でそっとそう呟いた。
◇◆◇
場の喧騒が嘘みたいに、静まり返った。
さっきまでヴァレンとリュナがふざけて笑っていたのに──今は、息をする音すら聞こえない。
アグリッパ・スパイラルの最上階、謁見の間。
そこに立つ二十人の高校生たちは、誰ひとりとして言葉を発せず、重い沈黙の中に飲み込まれていた。
空気が張り詰めていて、足音すら立てたくないほどだった。
彼らの顔には、苦しさと罪悪感が滲んでいた。
命令されていたとはいえ──洗脳されていたとはいえ──
結果的に、自分たちが“攻め滅ぼしてしまった国”の主の前に立っているのだ。
言い訳なんてできるはずがない。
フロアの奥、金の装飾が施された玉座に腰掛ける強欲の魔王、マイネ・アグリッパは、冷ややかな金色の瞳で高校生たちを見下ろしていた。
その背後には、執事服姿のベルザリオンくんが控え、静かに主を見守っている。
マイネさんの視線が、ひとり、またひとりと生徒たちをなぞるたび、その場の空気はますます重くなっていった。
だが、マイネさんは深く息を吸い──そして静かに言葉を紡ぐ。
「……そう身構えるな。楽にせい。」
声は低く、しかしよく響いた。
まるで、冬の風が氷を撫でるような、張り詰めた静けさの中の声だった。
「妾とて、貴様らがベルゼリアの傀儡であった事は、分かっておる。」
その言葉が響いた瞬間、
後列にいた数人の女子生徒が、ポロポロと涙をこぼした。押し殺していた嗚咽が、静寂の中で小さく震える。
一条くん、佐川くん、鬼塚くん、天野さん。
四人が前へ進み出て、膝をついた。
一条くんが代表して、震える声で頭を下げる。
「この度は……誠に、申し訳ありませんでした……!」
額が床に触れるほど深く頭を垂れた。
他の生徒たちも次々と膝をつき、頭を下げる。
沈痛な面持ち。誰も、顔を上げられない。
……洗脳が解けた今となっては、
自分たちがやってしまったことの重さに、押し潰されそうになっているんだろう。
この国の人たちは、ゴブリンも、コボルトも、オークも──
みんな“生きていた”。
家族がいて、日々の暮らしがあって、夢があった。
それを奪ったのは、彼ら自身の手。
俺の“再顕現”でも、
もう肉体が残っていない者たちは、蘇らせることはできない。
マイネさんは長い沈黙の後、ふぅっと息を吐いた。
その表情は冷たくも、どこか哀しみを含んでいた。
「……貴様らの現状は、ある程度理解しておるつもりじゃ。」
彼女はゆっくりと玉座の肘掛けから手を離す。
「気にするな──とは言わん。
いずれ、対価は頂くつもりじゃ。
だが、気には病まんでいい。」
その声音は、厳しくも優しかった。
“罪を否定するのではなく、抱いたまま進め”と語るような響き。
「そ……そんな……!」
涙声が上がる。天野さんだ。
彼女は唇を震わせながら、両手を胸の前で握りしめた。
「だ、だって……私達、ここの住人の方々を……大勢……! ……気に病まないなんて……無理です……っ!」
その場に崩れ落ち、嗚咽を漏らす天野さんの身体を、佐川くんが支える。
彼は苦しそうに眉を寄せながら、ヴァレンの方にちらりと視線を送った。
ヴァレンは──ふざけることなく、真剣な眼差しで佐川くんを見返す。
何も言わず、ただ一度、力強く頷いた。
“大丈夫だ”と、目で伝えるように。
その小さな仕草に、佐川くんの肩が少しだけ震えた。押し殺した涙が、また一筋流れる。
他の高校生たちも、泣き出す者、拳を握り締める者、唇を噛む者。
誰もが、“異世界とはいえ命を奪ってしまった”という現実に打ちのめされていた。
俺は、その光景を見ながら胸の奥が締め付けられるような思いがした。
(──若者が間違えちゃうのは、若い頃はよくあることだ。それを正してあげるのも、大人の役目。)
でも──今回は違う。
この子たちは、自分の意思じゃなく、
こっちの世界の大人たちに利用されたんだ。
(……だったらせめて、教えてやらなきゃな。)
(この世界にも、“助けてくれる大人”がいるってことを。)
俺は拳をゆっくりと握りしめ、
彼らを包み込むように視線を向けた。
◇◆◇
重い沈黙の中、俺はそっと手を上げた。
「──あのー、マイネさん?」
その一言で、謁見の間の空気がわずかに揺らぐ。
マイネさんが紫の瞳をゆっくりとこちらに向けた。
玉座の背後に控えるベルザリオンくんも、わずかに眉を上げる。
高校生たちの方からも、ざわり、と気配が動いた。
二十人の視線が、いっせいに俺に注がれる。
一条くんと鬼塚くん──二人は特に真剣な眼差しで、まるで縋るように俺を見ていた。
……そりゃそうだよね。
この場で口を開けるのなんて、俺ぐらいしかいない。
「確かに、この子達のやったことは、取り返しがつかないことなのかもしれない。でも、それは……彼らが洗脳されてたからであってさ。」
言葉を選びながら、俺は少し頭を掻いた。
どう言えば伝わるんだろう。上手く言葉が見つからない。
それでも、言わなきゃいけないと思った。
「……なんて言うのかな。説明が難しいんだけど……」
少し息を吸い込んで、正面のマイネを見据える。
「──許してあげることって、できないかな?」
その言葉が、静まり返った謁見の間に響いた。
マイネさんはしばし沈黙したまま、じっと俺を見つめていた。
背後のベルザリオンくんが、静かに片手を胸に当てて頭を垂れる。
その仕草には、主への進言を控える忠臣の気配と、
どこか懇願するような想いが滲んでいた。
やがて、マイネさんは深くため息をついた。
その声には、呆れと、どこか優しい響きがあった。
「……はぁー……あのな、道三郎。」
「は、はい?」
「お主はもう少し、自分の“影響力”というものを理解した方がよいぞ。」
「えっ?」
間の抜けた声が自分の口から漏れる。
マイネはジト目でこちらを見据え、肘掛けに頬杖をつく。
「お主に“お願い”されて、おいそれと断れる者など、この世にそうおらんじゃろ。自覚しておるのか?」
「……あっ。」
言われて、ようやく気づく。
あ、そうか。
あれだけの力を見せつけてしまった“真祖竜”の俺が、“お願い”なんて言葉を軽々しく使うと、本気で命令だと思われるのかもしれない。
「い、いや! 別に、断られたからって暴れたりしないからね!? ただ、本当にお願いしたかっただけっていうか……!」
慌てて両手を振って言い訳する。
マイネはため息をつきつつも、少しだけ口元を和らげた。
「お主がその様な事をする者でないことは、とうに承知しておるわ。」
その声は、先ほどよりも穏やかだった。
彼女は背筋を正し、玉座の上からゆっくりと俺を見下ろす。
「じゃが──力ある者は、時に他者から勝手な“像”を押し付けられる。それを忘れるな。」
その言葉には、魔王としての実感がこもっていた。
“力を持つということは、善意でさえ重く響く”──
彼女の目がそう語っていた。
「は、はい……。肝に銘じます。」
俺は背筋を伸ばして返事をする。
その瞬間。
リュナちゃんがすかさずニヤリと口を挟んだ。
「えっらそーに。兄さん、コイツ生意気だから、暴れてこのビル壊しちゃったらどーっすか?」
わざとらしく俺の肩に手を置き、上目遣いで挑発する。
マイネが椅子から飛び上がった。
「おい、やめろ!! シャレになっとらんぞ!!」
「なーんだ、ビビってんのかよー。」
「ビビるに決まっとるじゃろ、そんなもん!! そもそも、そんなおかしな事は言っておらんじゃろ!!妾!!」
やや顔を赤くして叫ぶマイネを見て、
ブリジットが慌てて間に入る。
「そ、そうだよ! リュナちゃん! ダメダメ! マイネさん困らせちゃ!」
リュナは舌をペロッと出して、「へいへーい」とふざけてみせる。
そのやり取りに、緊張で固まっていた高校生たちの顔が、
少しだけ緩んだ。
マイネさんもそれに気づいたのか、ふっと目を閉じて笑う。
「まったく……妾の城は、静寂という言葉を知らぬな。」
彼女の声は、先ほどまでの威圧感とは違って、どこか柔らかかった。
その空気に包まれるように、謁見の間の重苦しさが少しずつ溶けていく。
──きっと、これでいい。
誰もが息をつける、ほんの一瞬の和み。
それだけで、救われるものもある。
◇◆◇
マイネさんが、静かに立ち上がった。
その瞬間、謁見の間の空気が、ピリッと張り詰める。
背筋を伸ばし、玉座の前に立つ彼女の動作は、優雅で、そして何より“揺るぎなかった”。
あの細い腕に宿るのは、魔王の威圧。
それだけで場の空気が一変する。
「それに……」
紫水晶の瞳が、うつむく高校生たちを射抜いた。
「こやつらがしでかした事……誰が“取り返しがつかない”と言った?」
「──えっ?」
思わず間抜けな声が漏れた。俺だ。
鬼塚くんが顔を上げ、拳を震わせながら叫ぶ。
「だ……だけどよ!! 俺達は……アンタらの国の者を……傷つけ、命を奪いもしちまった……!」
その声には、後悔と恐怖と、わずかな希望が混ざっていた。
マイネさんは一歩、ゆっくりと前へ出る。
高いヒールの音が、広い床にカツンと響いた。
「そうじゃな。貴様らの行いで、妾の大切な民の命が大勢失われた。」
その言葉に、高校生たちは一斉に俯いた。
沈痛な面持ち。泣き出しそうな顔。
誰もが、自分の手を見つめていた。
だが、マイネさんはほんの一瞬だけ沈黙した後、
口元に小さな笑みを浮かべた。
「じゃが……失われたのであれば、“買い戻せ”ばよいのじゃ。」
その声音は軽く、けれど背筋が凍るほどの自信に満ちていた。
「ど、どういう事だ!?」
鬼塚くんが顔を上げ、食い気味に問う。
マイネは手を軽く叩いた。
パン、パン、と響く音が妙に心地よく響く。
「ベル、例の物を。」
「はっ。」
ベルザリオンくんが一礼し、音もなく奥の扉へと消える。
その背筋には無駄な動き一つなく、完璧な礼法の化身みたいだった。
……数十秒後。
「失礼いたします。」
ベルザリオンくんが現れた時、彼の後ろには──
山のように積まれた金銀財宝と、魔法アイテムの山を乗せたリアカーがあった。
金貨がざらざらと音を立て、宝石が光を反射して天井に虹を散らす。
魔導書、杖、指輪、壺、鎧──どれもが高級品。
その煌めきだけで、空間の温度が上がった気がした。
(すっご……。マイネさん、マジでお金持ちなんだな。同じ魔王でも、ヴァレンとは懐事情のレベルが違う……)
思わずそんなことを考えてしまう俺の横で、ヴァレンが口角を上げてニヤリと笑った。
──たぶん、俺と同じことを思っている。
マイネは玉座の前まで進み出て、
腰のホルダーから、一つの女性物の財布を取り出した。
それは装飾が施された黒革の財布──
しかし、ただの財布ではない。
表面を走る魔法陣のような金線が、まるで脈動しているように光っていた。
「……妾の魔神器、"我欲制縄。」
マイネさんの声が、静かに謁見の間に響いた。
彼女は財布を両手で掲げ、その魔力を注ぎ込む。
空気がビリビリと震える。
金属が唸るような低い音が、床から天井へと駆け上がる。
「この魔神器は──力や存在そのものを、金銭的価値と強制的に等価交換させる力を持つ。」
マイネの周囲に金色の魔法陣が幾重にも展開された。
それは貨幣を模した円環、数字、契約印章のような形。
そのすべてが彼女の周囲を回転している。
「……その力は、“金銭の代わりに相手の力を差し押さえる”のみに非ず──」
マイネの声が低くなり、
その紫の瞳が妖しく輝く。
「“価値あるものを捧げることで、失われた存在すら買い戻す”──それが、強欲の理じゃ。」
その瞬間、魔法陣の中央で、"我欲制縄"が鳴動した。
金色の光が弾け、財宝の山を照らす。
宝石が光を放ち、金貨が宙に舞う。
まるですべての富が、主の命令に歓喜して踊り出すかのようだった。
俺は思わず息を飲んだ。
隣でヴァレンがニッと笑い、サングラスを押し上げる。
「皆、見てろよ……」
その声には、少し誇らしさすら滲んでいた。
「ここからが、アイツの……“強欲の魔王”マイネ・アグリッパの、真骨頂だ……!」
──そう告げた瞬間、
黄金の光が爆ぜた。
視界いっぱいに広がる閃光。
マイネさんの髪が風に揺れ、強欲の女王のシルエットが光に包まれる。
ああ──これが、“買い戻す”ということか。
命でさえ、彼女にとっては取引の一項目に過ぎない。
"強欲"とは、奪うことじゃない。
欲しい物を全て……失われたものですら、自分の手で取り戻す力。
その姿に、誰もが息を呑んでいた。
◇◆◇
マイネさんが掲げた"我欲制縄"の口が、静かに開かれた。
次の瞬間──
リアカーに積まれた金銀財宝や魔道具たちが、ふわりと光を放ち始める。
宝石は宙に浮かび、金貨は細かい光の粒子にほどけていく。
それらすべてが、まるで意思を持つかのように螺旋を描きながら、財布の中へと吸い込まれていった。
空間が唸る。
床がわずかに震え、空気が圧縮される感覚。
マイネさんの周囲に立ち込める魔力は、もはや神域のそれに近かった。
「"金葬輪廻"──ッ!」
マイネさんが叫ぶ。
その声と同時に、"我欲制縄"の口から、金色のレシートが、嵐のように飛び出した。
──シュルルルルルルルルッ!!!
どこまでも続く、果てしない長さのレシート。
それは金色の光を放ちながら、まるで命ある龍のように天へと昇っていく。
壁をすり抜け、天井を突き抜け、外の世界へと解き放たれた。
俺はただ、息を呑んでその光景を見つめていた。
謁見の間の巨大な窓の向こう──
夜の魔都スレヴェルド全体が、金色の光の網で覆われていく。
金のレシートは街路を這い、ビルを包み、崩れた塔を巻き取りながら、
そのひとつひとつを、まるで巻き戻すように修復していった。
瓦礫が集まり、崩れた橋が再びつながる。
粉塵が舞い上がり、それが光となって街の形を描き直す。
「す……すっご……!!」
俺は思わず口に出していた。
(これは……金銭的な価値のあるものを消費して、
“損害そのもの”を無かったことにする力……?)
理解が追いつかない。
けれど、理屈じゃない。
今、確かに“過去が上書きされていく”のを感じる。
──金のレシートは街を直すだけじゃなかった。
あちこちで、光の糸が集まり、人の形を作っていく。
最初は骸骨のように細い線。
そこに肉が戻り、血が通い、
やがて──笑顔を浮かべた魔都の住人(魔族たち)が姿を現した。
オークの親父が、泣きながら息子を抱きしめる。
コボルトの母親が、震える手で子どもの顔を撫でる。
その光景が、街のいたるところで生まれていた。
謁見の間にいた高校生たちが、
一斉に窓際へ駆け寄る。
誰もが言葉を失い、
ただその“奇跡”を見つめていた。
「……う、うそ……っ」
ある女子が、両手で顔を覆って泣き出す。
「生きてる……! みんな、生きてる……!」
その声に、他の生徒たちも次々と涙をこぼした。
震える肩、泣き笑いの表情。
心の奥に沈んでいた“罪”が、少しずつ解けていくようだった。
──だけど。
俺の目には、マイネさんの表情が微妙に歪んで見えた。
額に薄く汗が浮かび、指先が震えている。
(……やっぱり、無理してる……!)
あの膨大な範囲の修復と蘇生を、
すべて“金銭的価値”で換算して支払うなんて、
どれだけの消耗なんだ……!?
俺は慌ててマジックバッグを開け、爪切りを取り出す。
そして、自分の右手の爪をぱちん、ぱちんと切った。
「マイネさん! これ! よかったら、使って!」
俺は駆け寄って、切った爪を手渡す。
マイネは苦しそうに息を整えながらも、口元に笑みを浮かべた。
「……流石は道三郎じゃな。全てを“買い戻す”には、ちと種銭が心許ないと思うとったところじゃ……!」
彼女は爪をそっと掌に載せ、
再び魔神器へと向き直る。
「この借りは……いずれ返すぞ……! 利子をつけて、な!!」
金の瞳が、再び煌めく。
「"金葬輪廻"──ッ!!!」
"我欲制縄"が唸りを上げ、
俺の爪が光の粒子となって吸い込まれた。
──直後。
さっきまでとは比べ物にならない光の奔流が爆ぜた。
──ドンッ!!
黄金のレシートが、嵐のように世界を包み込む。
空を裂き、地を覆い、
スレヴェルド全域を金色の雨で満たしていく。
崩れたビル壁が再建され、
焼け落ちた街並みが瞬く間に甦る。
そして、失われた命たちが──再び息を吹き返した。
あの静寂に沈んでいた都市が、
再び“音”を取り戻す。
笑い声、泣き声、鐘の音、鳥の羽ばたき。
全てが、金色の世界の中で生まれ直していった。
俺はただ、その光景に見入っていた。
隣で一条くんが、呆然と窓の外を見下ろしながら呟く。
「し……信じられない……! これが……異世界の、魔王の力……!」
佐川くんは泣きそうな顔で、
それでも少し笑って言った。
「はは……すげぇな……。まじで……映画みてぇだ……。」
そして──光が収まり始めた。
マイネさんはゆっくりと腕を下ろし、
"我欲制縄"を静かに閉じた。
周囲の空気がふっと軽くなる。
金のレシートはゆっくりと溶け、
まるで夢のように消えていった。
マイネさんは俺たち、そして高校生たちを順に見渡す。その表情には疲労の色が浮かんでいたが、瞳だけは輝いていた。
「言ったじゃろ? 失われたのであれば、“買い戻せ”ばよい、と。」
静かな声だった。
けれど、その一言に、誰もが胸を打たれた。
「この街も、民草も……全てはこのマイネ・アグリッパの大切なコレクション。 何一つ、欠けることは許せぬのじゃ。」
背後のベルザリオンくんが、口元に笑みを浮かべ、満足げに目を閉じた。
高校生の子たちは皆、希望を取り戻したような顔でマイネさんを見ていた。
マイネさんはそんな彼らを見渡し、口角を上げて小さく笑った。
「妾は……“強欲”じゃからのう。」
そう言って、金色の光の中に微笑むマイネさんは、
まさしく“救済する強欲の女王”だった。
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