真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第五章 魔導帝国ベルゼリア編

第194話 リヴィスとマイネ⑤ ── さよなら、そして、またいつか ──

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ベルゼリアの魔導研究塔。その最上階、静まり返った医療室の奥に、一室だけ淡い光が灯っていた。

そこには、機械の規則的な電子音だけが鳴り響く。
ベッドには、白いシーツに包まれた一人の男——リヴィス・ハルトマンが、目を閉じて横たわっている。

その傍ら。
肘を膝に置き、静かに顔を俯かせたマイネ・アグリッパの横顔は、これまでの彼女からは想像もつかぬほどに沈痛で、静かだった。

黒衣の裾を揺らしながら、ベッド脇で静かに作業をしていたのは、白衣姿の若い男——ロラン・クレイドル。
魔導帝国ベルゼリアを支える大天才にして、リヴィスの唯一の直弟子だった。

彼は手元の診断装置を操作し、微かに眉を寄せながら、言葉を選ぶようにして言った。



「……先生は、ずっと無理をされていました。持病、というべきか……我々の知識では到底解明できぬ何かが、身体を蝕んでいる」



その言葉に、マイネの肩がぴくりと揺れる。



「バカな……っ!そんな素振りは……一度たりとも見せなかった!」



叫ぶような声に、ロランは顔を上げ、静かに目を細める。



「……貴女には、そんな弱味は……見せたくなかったのではないですか?」



その言葉に、マイネは一瞬だけ目を見開いた。
そして、悔しげに唇を噛み、目元にじわりと涙が滲んでくる。



「……バカ者が……ッ……! もし……もっと早く……相談してくれれば……二人で、方法を……どうにか……探せたかも知れんのに……!」



言葉の端々が震え、喉の奥が詰まるような声音だった。

ロランはそんな彼女を正面から見つめることなく、ただ静かにモニターを閉じると、ふと小さく頭を下げた。



「……先生が貴女と、何をなさろうとしていたのか——僕には詳しいことはわかりません。けれど……」



ゆっくりと部屋のドアへと向かいながら、振り返りざまに言葉を続ける。



「——先生が倒れたのは、貴女のせいではありません。少なくとも僕には、そうとしか思えません」



部屋の外へと向かうロランに、ピッジョーネが小さく頷き、恭しく一礼して後を追う。
やがて、扉が静かに閉ざされた。

部屋には、再び静寂が戻った。

残されたのは、ベッドに横たわるリヴィスと、沈黙のまま彼の顔を見つめ続けるマイネ、ただ二人だけ。

まるで、最期の時を見送るためだけに用意された、閉じた世界のようだった。

マイネは、微かに膨らむ胸の上下を見つめながら、ふるふると首を振る。



「ベル……どうして……どうして、何も……言わなかったのじゃ……」



その声は、誰にも届かない虚空に、ただ小さく溶けていく。

白く薄明るい天井の灯りが、マイネの瞳に映り、その中に揺れる涙の粒が、頬を伝って落ちていった。



 ◇◆◇



研究塔の一室——静まり返る空間に、わずかな電子音が鳴った。

リヴィスのベッド脇に設置された制御装置が、淡い光を灯し始める。
青白い光のラインが走り、空中に粒子が浮かび上がった。

次の瞬間——
そこに、彼が現れた。

ホログラムの中で、かつてと変わらぬ瞳を湛えたリヴィス・ハルトマンが、ゆっくりと顔を上げた。



「……落ち着け、お嬢様」



その声は、少しだけ砕けた口調。
けれど、確かに、彼だった。

マイネは目を見開き、思わず椅子を軋ませて立ち上がる。



「リヴィス……!? お主……!?」



ホログラムの彼は、まるで時間を超えた幻のように、穏やかに笑った。



「これは……俺の魂の“記憶”を元に生成された立体映像だ。 AIが俺の言葉遣い、思考パターンを再構築して補正している。……要するにだ、これは“俺っぽい何か”が喋ってるだけだと思ってくれ」



説明が終わる頃には、マイネの目から涙が溢れていた。
ポロポロと、頬を濡らしながら、彼女は震える声を上げる。



「すまぬ……すまぬ、ベル……妾のせいで……お前に、こんなことを……!」



ホログラムのリヴィスは、ゆっくりと首を横に振った。



「いいや。お前のせいじゃない。……どちらにしろ、俺の身体は、限界だった」



マイネは息を呑む。
彼は、語り始める。



「俺たち“Bel”の体内には、生まれながらにしてmRNA型のナノマシンが仕込まれている。
それは単なる医療用じゃない。“裏切り”や“脱走”、技術流出を防ぐための制御機構だ」



リヴィスは、まるで“真実”を淡々と読み上げるかのように言葉を続けた。



「一定周期ごとに専用設備でメンテナンスをしなければ、ナノマシンは自壊を始める。
それに巻き込まれる形で、宿主の身体機能も、崩れていく……。
俺の体内のそれは、もう……限界だったんだ」



沈黙。



「“我欲制縄マイン・デマンド”でも、それはどうにもならなかった。お前がどれだけ足掻いても、どうにもできなかったんだ」



その静かな声に、マイネの瞳が震えた。



「そんな……それじゃ……お主は、元の世界に戻らねば……最初から“滅ぶ”運命だった……というのか……?」



絶望が声に滲む。
だが、リヴィスはただ静かにうなずいた。



「そうだ。だから、気に病むな」



その言葉に、マイネの堪えていた感情が、とうとう崩れ落ちた。



「違う……違うのじゃ、ベル……!」



マイネは両手で顔を覆い、必死に声を抑えようとしながら言葉を吐き出す。



「妾は……妾は……ほんの一瞬、ほんの、ほんの一瞬だけ……思ってしまったのじゃ……!」

「『”貪欲昇華グリード・アセンション“が……失敗すれば……』」

「『ベルは、この世界に、妾の傍に残ってくれるのではないか』と……!」



震える声が室内に響いた。



「その……邪な……浅ましい想いが……“欲”を濁らせた……!」

「お主の未来を……命を……妾が……!
妾が奪ってしまったのじゃ……!」



声を詰まらせ、膝を折って泣き崩れるマイネ。



「お主の言う通りじゃった……!
妾は“邪道”で欲を叶えようとした……その結果……大切なものを……!」



嗚咽が言葉を断ち、黒衣の肩が小刻みに震える。

リヴィスのホログラムは、まっすぐ彼女を見つめた。
その目は、誰よりも静かで、誰よりも優しかった。



「……マイネ」



一呼吸置いて、彼はそっと言葉を紡いだ。



「それは……違う」

「“貪欲昇華グリード・アセンション”が失敗したのは──お前のせいじゃない」



マイネははっと顔を上げる。
震える瞳が、ホログラムの彼を見つめたまま揺れた。



「じゃ、じゃが……!あの時、妾は……確かに、確かに邪な気持ちを……!」


「……俺のせいだ」



リヴィスのその言葉は、あまりに静かで、あまりに重かった。



「お前と……目が合ったあの瞬間。
俺は、ほんの刹那……“戻りたくない”と……そう、思ってしまった」



マイネは息を呑む。



「お主は……っ、元の世界に戻らねば……その身が滅びる運命にあるのではなかったのか……!」



叫ぶように問いかけたマイネに、リヴィスのホログラムはほんの少しだけ視線を落とし、淡々と語り始めた。



「──俺の世界、地球は、“終末的災厄”と呼ばれる事象に見舞われていた。
人類の存続そのものが脅かされていた。
“Bel”……俺たちは、その戦いのために作られた兵士だ」



声が、遠い記憶をなぞるように響く。



「地球に戻ったところで、自由など無い。
そこにあるのは、果てなき戦いだけだ。
絶望と死と、絶え間ない献身と……その繰り返しだ」



マイネは何も言えず、ただその言葉を受け止めていた。
その心の中で、いくつもの過去の沈黙の理由が結びついていく。



(ベルが……いくら尋ねても、元の世界のことを語ろうとしなかったのは……)

(……そんな世界に、戻りたいなどと、本心では思っていなかったから……)



「最初は──確かに、戻らねばならないと思っていた」



リヴィスは、ゆっくりと顔を上げ、マイネをまっすぐに見つめる。



「だが……この世界に滑り落ち、お前と出会い、少しずつ、多くのものを得ていくうちに……」

「……俺の魂は、この世界を、いつしか“居場所”と感じるようになってしまった」



そして──彼は、あの瞬間のことを口にする。



「目が合った、あの瞬間。
お前の瞳の中に、自分の居場所を見た。
あのとき──」

「……お前の傍に、いたいと、そう……思ってしまったんだ」



沈黙が落ちる。

ホログラム越しに語られた、たった一つの真実。
それは、マイネの胸を、強く締めつけた。

彼女は震える唇で、ようやく声を絞り出した。



「……バカ……」



視線を伏せ、肩を震わせ、唇を噛んで言った。



「この……バカ者が……っ」



小さな声だった。
けれど、その声にこもった想いは、ホログラムに確かに届いていた。

リヴィスは少しだけ目を細め、満足そうに微笑む。



「……ああ。バカだな、俺は。」



その笑みは、まるで告白のように、穏やかだった。



 ◇◆◇



白い部屋の中。
リヴィスのホログラムは、ふと目を細めるようにして、淡い微笑を浮かべた。



「……俺の本体の肉体は、間もなく崩壊を始める」



その一言に、マイネの胸が締めつけられた。
彼女は椅子を蹴るように立ち上がり、息を詰まらせながら叫ぶ。



「そんな……! どうにかならぬのか!?
そ、そうじゃ! “我欲制縄”なら――!」



彼女の視線が、腰に吊るした黒縄の神器へと向かう。
しかし、リヴィスのホログラムは首を振り、少しだけ困ったように笑った。



「やめておけ。
お前が知る“リヴィス・ハルトマン”という男は……
金に変えられる程度の価値しか無い、安い男か?」



それは、かつて彼が研究室で、よく見せた皮肉交じりの笑みだった。
まるで、最後の瞬間まで彼らしい冗談を言うように。

マイネは一瞬、唇を震わせ──
次の瞬間、ぽろりと涙がこぼれた。

そして、泣きながらも、小さく笑った。



「……そうじゃな。
お主ほどの男であれば……釣り合う価値ある物など、用意出来はしまい」



その言葉に、リヴィスは目を細め、穏やかに頷く。



「泣くな、お嬢様。
このアル=セイルは、“底の世界”だ。
この世界で尽きた命の魂は、いずれまた、この地で新たな生を得る。
そういう……少し、不思議な仕組みになっている」



マイネは、涙に濡れた頬を上げたまま、困惑した表情を浮かべる。

リヴィスは、そんな彼女に柔らかく微笑みながら言葉を続けた。



「……“器”は用意しておいた。
もし、万が一……俺の魂が宿ることがあれば……」



淡い光が彼の輪郭を包み始める。
その姿は、少しずつ、透き通っていくようだった。



「いや、可能性は限りなく低い。忘れてくれ」



マイネは、涙の中で首を傾げる。
その言葉の意味を測りかねたように。



「……ベル、それは……どういう――」



だが、彼は軽く手を上げ、遮った。



「もしも──俺の魂が、再び生を得ることがあれば……」



一瞬、彼は天井の光を見上げ、まるで遠い未来を想うように微笑んだ。



「その時は……異世界らしく、剣でも振るって生きてみるのもいいかもな」



マイネは一瞬、ぽかんとした表情を浮かべ――
次の瞬間、泣き笑いのように嗤った。



「……お主が“剣士”に? 冗談じゃろう、それは……!」



リヴィスのホログラムも、小さく笑う。
その声には、もうわずかな残響しかなかった。



「ああ。冗談だ。……でも、もしその剣で──」



少し間を置き、彼は優しく言葉を結んだ。



「お前を、守れたなら……もっと、いいな」



その瞬間、光が大きく瞬き――
リヴィスの輪郭が、ゆっくりと透けていった。



「ベル……!? ベルッ!!」



マイネは手を伸ばした。
だが、その指先が掴もうとした光は、指の隙間から零れるように消えていく。



「……そろそろ、お別れだ」



声だけが、まだそこにあった。



「願わくば──次の生でも……お前と……」



最後の一言は、空気に溶けるように、途切れた。

光が消える。
静寂が戻る。

ベッドに横たわっていたリヴィスの身体が、ふっと粒子になって浮かび上がった。
それは風に解ける砂のように、淡い光となって消えていく。

マイネはその跡を見つめ、ゆっくりとベッドの縁に手を伸ばした。

そして──
彼が消えたその場所に、うつ伏せになって泣き崩れる。



「ベル……うう……あああぁぁ……!」



嗚咽がこだまする。
床に落ちる涙が、白い床を静かに濡らしていく。

世界のどこにも、もうリヴィスはいない。
だが──その魂は確かに、この世界に、彼女の心に、残り続けていた。



 ◇◆◇



夜風が吹いていた。

スレヴェルドの中心、高層魔塔 "アグリッパ・スパイラル" の最上層。
光に包まれた都市の喧騒も、この高さでは遠い蜃気楼のようだった。

その屋上に、ひっそりと佇む一つの献花台。
黒曜石を彫り込んだ簡素な台座には、白百合と瑠璃唐草の花束が静かに供えられている。

その前に立つのは、ひとりの女──“強欲”の名を冠する魔王、マイネ・アグリッパ。

漆黒のドレスに身を包んだ彼女は、静かに夜空を見上げた。
星々は凪いだ湖面のように煌めき、どこか彼女を見下ろしているようでもあった。

背後には、忠実な従者たち──ピッジョーネとヴァルフィスが沈黙を守って立っている。

マイネは、ふと呟いた。



「……"貪欲昇華グリード・アセンション"。」



その言葉と共に、彼女の胸元が仄かに光り始める。
心臓の奥深く、秘めていた“願い”が、熱と光を帯びて溢れ出す。

淡い光は螺旋を描きながら、彼女の腰に提げられた魔神器 "我欲制縄マイン・デマンド"へと吸い込まれていった。

ピッジョーネが、そっと声をかける。



「……お嬢様。本当に、よろしかったのですか……?」



マイネは振り返らず、献花台を見たまま、ただ静かに頷いた。



「……ああ。これでいいのじゃ。
妾は“強欲”……だが、誰かを恋しく思う感情は、“色欲”の領域。」

「妾にとっては……"外典アポクリフィス"よ」



その声音は、静謐で、どこか諦めに似た響きを帯びていた。

マイネは一歩前へ出て、漆黒の財布── "我欲制縄マイン・デマンド"を掲げる。
まるで心臓を差し出すかのように、そっと、口を開いた。



「"我欲制縄マイン・デマンド"よ。
妾の“欲望”を喰らい……力と成して、顕現せよ──!」

 

次の瞬間──

 
ゴォォン……ッ!

鈍く重たい音と共に、黒い光が天へと噴き上がる。
その中から、一振りの黒剣が、唸りを上げて飛び出した。

刃は闇を写し込んだように濁り、柄には螺旋状の刻印が刻まれていた。
それはまさしく、呪いのような“美”を湛えていた。

マイネは、静かに剣を受け止める。
刃は彼女の手に吸い寄せられるように納まり、しばし黒い音を立てて脈動していた。



「……“剣”、か」



マイネは、その形を見つめながら、小さく呟いた。
かつて、彼が最後に残した言葉が、脳裏によみがえる。


──「その剣で、お前を守れたなら……もっと、いいな」


マイネの瞳が揺れる。
震える指先で、黒い魔剣の刃をそっと撫でながら、ぽつりと呟く。



「……恋とは、幻想のようでもあり、呪いのようでもある。 妾の欲望から生まれたこの剣……この黒く、呪われた姿こそ……  妾の“想い”そのものだったのじゃろうな」



そして、少し微笑んで続ける。



「……今となっては、その気持ちを思い出すことすら、出来はせぬが」



“想い”はもう、彼女の中にはない。
"我欲制縄マイン・デマンド"が“吸い出した”からだ。

だが、それでもこの剣だけは、その残響を宿している。

マイネは、魔剣・アポクリフィスを両手で掲げた。



「……さ。お行き」

 

そして、そっと解き放つ。


ドン──!!

 
黒い閃光が奔り、魔剣は夜空を裂いて、遥か彼方へと飛び去った。

誰にも届かぬ場所へ。
誰にも見つからぬ場所へ。

マイネは、風に吹かれるように髪を揺らしながら、空を見上げた。



「妾の心にあった“呪い”は、何処か遠くの地で、眠るであろう。」

「……じゃが――もし、またいつか。
あやつの魂が、この地に、舞い戻ることがあれば──」



その時は、きっと。

マイネは、静かに目を閉じ、祈るように呟いた。



「……その時に、また会おう。
その日まで──さよならじゃ。妾の“恋心”よ」



夜空は、彼女の沈黙を包むように、優しく輝いていた。
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