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第六章 学園編 ──白銀の婚約者──
第255話 side.ザキ・チーム③ ──トカゲ擬きと酔っ払い──
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闇が、ざわりと息づいていた。
巨大な樹の内部──幹の奥深くを抉り取ったような空間は、自然物でありながら、どこか人工的な冷たさを帯びている。
年輪の重なりが壁となり、樹液の乾いた匂いが鼻を刺す。
その暗がりの中に、淡い緑光がいくつも浮かび上がっていた。
宙に並ぶそれらは、魔力で編まれた"視界"。
外界と接続された無数の視覚窓だった。
それぞれの画面には、異なる角度から切り取られた戦場の光景が映し出されている。
揺れる密林。軋む根。
そして──二つの姿。
ディオニスと、ギュスターヴ。
二人は並び立ち、後方に控えるザキとロールを庇うように、自然と前へ出ていた。
剣を抜かずとも、構えずとも、そこに立つだけで“盾”となる立ち位置。
無意識の行動であるがゆえに、なおさら彼らの本質を物語っている。
だが。
その光景を、樹の闇の奥から見下ろす者の瞳に、感嘆の色はない。
「……ふん」
木製の玉座に腰掛けた男──ザイード・ジュナザーンは、鼻で笑った。
褐色の肌に浮かぶのは、退屈と侮蔑が入り混じった歪な表情。肘掛けに頬杖をつき、浮遊する視界の一つを指先でなぞる。
(あやつらは……確か、前回編入試験での合格者)
脳裏に浮かぶのは、事前に集めさせた情報の束。
名前。種族。スキル。
そして、数値。
(実技試験のスコアは……あの酔っ払いが一八〇〇、トカゲ擬きが二三〇〇、か)
口角がわずかに下がる。
ため息が、湿った木の内壁に吸い込まれた。
(合格ラインよりは、多少上……だが、それだけだ)
指先が、空を払う。
まるで、不要な塵を振り落とすかのように。
(取るに足らぬ。所詮は凡庸。我が配下に相応しい数値ではないな)
視線が、別の“窓”へと移る。
そこに映っていたのは──ザキ。
剣を携え、しかしまだ抜かぬ男。どこか飄々としながらも、場の中心に立てば空気が変わる存在。数値だけでは測れぬ、異物。
ザイードの目が、わずかに細まる。
(……やはり、欲しいのはあの男ただ一人)
胸の奥で、熱が蠢いた。
(前回実技試験、二四〇〇〇という異常値。
調べても、素性は出てこなんだ……)
不明。無名。
だが、だからこそ価値がある。
(さぞ素晴らしいスキルを持っておるに違いあるまい。余の下に置けば……どれほど美しい駒となるか)
想像に、喉が鳴る。
そして、最後に。
ザイードの視線は、さらに端の“窓”へと滑った。
そこに映るのは、目元を包帯で覆った女──ロール。
後方で静かに立ち、戦場全体を“見ている”存在。
動かず、語らず、しかし確実に索敵を続ける女。
(……あの醜女か)
唇が歪む。
(探知系の術は優秀なようだが、顔に傷ある女など……)
視線を、値踏みするように走らせ。
(余の側に立つ価値はない。……いらぬな)
ニヤリ、と笑みが浮かぶ。
それは快楽でもなく、楽しさでもない。
ただ、切り捨てることに慣れきった者の、冷たい笑みだった。
「……ルセリア中央大学、か」
低く呟いた声が、木の空間に反響する。
「大国エルディナの中枢を担う人物を、幾人も輩出した名門……“知識の坩堝”と聞いていたが……」
ザイードは立ち上がる。
玉座の背後で、木の繊維が軋んだ。
「『学園内における、出自、身分による権力の行使は認めず』……だと?」
苛立ちが、声に滲む。
「何故、高貴なる余が、下民共と机を並べねばならぬのだ。くだらぬ……実に、くだらぬ」
吐き捨てるような言葉。
だが、その直後、ふっと口元が吊り上がる。
「……幸いだったのは」
声が、わずかに弾んだ。
「この学園が、“完全実力主義”を掲げていた事よ」
ザイードの胸に、誇りが満ちる。
「我がスキル――“豊穣神の加護”は、母国に繁栄を、敵国に滅亡を齎して来た最強の力……!」
両腕を広げると、木のうろの内壁に走る魔力の脈動が、はっきりと可視化される。根がうねり、幹が鳴動する。
「“大賢者王子”ラグナ・ゼタ・エルディナスとて……」
「余が本気を出せば、ひれ伏すに違いあるまい……!」
苛立ちと自尊が、同時に噴き出す。
そして──
ザイードは、再び“視界”へと目を向けた。
ディオニス。ギュスターヴ。
守るように、前に立つ二人。
「……」
一瞬の沈黙の後、ザイードは嗤った。
「──ラグナ・ゼタ・エルディナスの“前菜”として」
声が、密林全体へと滲み出す。
「まずは、そこな無礼者どもを手打ちにしてくれよう」
指先が、ぎゅっと握られる。
「“巨樹人”の苗床にしてくれるわ」
その言葉を合図に。
木のうろの中に、ザイードの魔力が満ちていく。
豊穣の名を冠しながら、そこに宿るのは支配と歪み。
生命を育む力は、今この瞬間──
明確な“殺意”へと姿を変えた。
闇の中で、無数の“眼”が、ゆっくりと瞬いた。
◇◆◇
密林の空気が、重く沈んだ。
ギュスターヴは金棒を肩に担ぎ直し、爬虫類の瞳を細めて周囲を睨め回す。
黒い鱗の隙間を、粘つく魔力が這うような感覚が走っていた。
敵意は、もはや隠されていない。
四方八方から、確実に向けられている。
「……来るナ」
低く呟いた、その直後だった。
オオオオオ──、
まるで森そのものが呻くかのような、不気味な音が響き渡る。
ザキ・チームを取り囲んでいた“巨樹人”たちの身体が、一斉に軋み始めた。幹が捩れ、枝が折れ、葉が剥がれ落ちる。
植物で構成されたはずの巨体が、人の骨格をなぞるように再構築されていく。
木の腕が、肩となり。
節くれた幹が、胴体へと引き延ばされ。
枝の束が、指の形へと裂けていく。
数瞬のうちに、そこに立っていたのは──身長五メートル級の、人型。
冒険者風の装備を模した者。
魔法士のローブを纏った姿。
格闘家のように構えた体躯。
ただ一つ、共通しているのは。
顔の“目”の部分だけが、うろの穴のようにぽっかりと空洞になっていることだった。
ギュスターヴの喉が、わずかに鳴る。
「──なんダ……?
木偶人形達の姿が……!」
その異様な光景に、ザキも眉をひそめる。剣の柄に添えた手に、知らず力が籠もった。
「……それぞれが、別々の姿になっとるな。ひょっとしてやけど、これって……」
言葉を継ぐ前に、静かな声が答えを示した。
「……ええ」
ロールは包帯の上から、そっと目元を押さえる。視線は“見えないはずの何か”を捉え、密林の奥まで貫いていた。
「これは……核となった他の挑戦者達の姿を“巨樹人”が、模している様です」
淡々とした口調。
だが、その声音には、微かな嫌悪が滲んでいる。
「人を使い潰して……コピーして……
……とことん、悪趣味な皇子サマだな、こりゃよ」
ディオニスは肩をすくめ、手にしていた酒瓶を一気に煽る。喉を鳴らして飲み干すと、空になった瓶を無造作に放り捨てた。
その瞬間。
『──そこな酒カスと、トカゲ擬き』
どこからともなく、声が響いた。
密林全体が、共鳴するように震える。
「誰が酒カスだ!!」
即座に怒鳴り返すディオニス。
「いや、それはアンタやろ」
間髪入れず、ザキがツッコミを入れる。
緊張感を断ち切るような軽口だが、その視線は鋭いままだ。
『貴様らは、二人で余を倒すと申しておったな』
声は、嘲るように続く。
『特別に相手をしてやる。やれるものなら、やってみよ』
次の瞬間だった。
地面が──動いた。
ズズズズッ、と不気味な音を立てて、大地の下から無数の植物の根が盛り上がる。
太く、硬く、まるで巨大な蛇の群れのように蠢きながら、ディオニスとギュスターヴの足元を押し上げていく。
「チッ……!」
ギュスターヴが踏ん張る間もなく、二人の立つ地面だけが持ち上がる。
根は絡み合い、瞬く間に円形の高台を形作った。即席の“舞台”──逃げ場のない、決闘の場。
同時に、舞台の外では、別の根が暴れ出す。
「ロールちゃん!」
ザキは反射的にロールの腰に手を回し、小脇に抱え上げる。
盛り上がる根を軽やかに跳び越え、地面を転がるように回避していく。
「わっ……!?」
「大丈夫や。ちょい我慢してな」
ザキは息一つ乱さず、根の動きを読み切っていた。まるで最初から予測していたかのように、無駄のない動きで距離を取る。
やがて、安全圏に辿り着き、ザキはロールをそっと下ろそうとする。
「あ、ありがとうございます……で、でも、もう下ろして下さって結構ですよ……」
包帯の下、ロールの頬がうっすらと赤く染まっている。
「何やの、ロールちゃん。俺に抱き抱えられて、照れてもうた?」
軽い冗談。
だが、その声は柔らかい。
「そ、そんな事はありません!!
私は……“氷の心”を持つ女……!
と、殿方に優しく抱き抱えられたくらいで、決して心揺らいだりは……!」
言葉とは裏腹に、視線は泳ぎ、耳まで赤い。
ザキは小さく微笑み、何も言わずに視線を前へ戻した。
根で出来た高台の上。
ディオニスとギュスターヴが、背中合わせに立っている。
(……とは言え)
ザキの胸中に、冷静な思考が浮かぶ。
(俺も、あの二人の力は報告書で聞いただけや。
実際に、こうして目にするのは初めてやな)
視線が、舞台を取り囲む人型の“巨樹人”へと移る。
(──考え様によっちゃ、あの二人の実力を見る、ええ機会かも知れんな……これは)
ザキの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
舞台の上では、戦いの気配が、確実に膨れ上がっていた。
◇◆◇
植物の根が絡み合って作られた高台の舞台は、まるで密林そのものが闘技場へと姿を変えたかのようだった。
足元では太い根が脈打ち、生き物の心臓のように微かに震えている。四方は人型の“巨樹人”に囲まれ、逃げ道はない。
ディオニスは肩を鳴らし、隣に立つギュスターヴを横目で見た。口角を吊り上げ、やけに楽しそうに笑う。
「……やっと二人きりになれたね!」
場違いなほど明るい声。
ギュスターヴは視線を前に据えたまま、低く言い放つ。
「黙レ。酔っ払いガ」
次の瞬間だった。
オオオオッ、と地鳴りのような唸り声と共に、周囲の“巨樹人”が一斉に動く。
冒険者風の姿をした五メートル級の個体が、木で形作られた剣と斧を振りかぶり、ギュスターヴへ殺到した。重量と数に物を言わせた、押し潰すような一斉攻撃。
ギュスターヴは一歩も引かない。
太い尾で地面を強く叩いた瞬間、巨体が宙へと跳ね上がる。重力を置き去りにしたかのような跳躍。その空中で、金棒を大きく振りかぶった。
「──”鰐導落”」
短く、だが王の命令のような一言。
次の刹那、金棒が落ちた。
凄まじい速度で振り下ろされた一撃は、空気そのものを殴りつけ、衝撃波となって炸裂する。
ドォォォオオオオオンッ!!
轟音と共に、数体の“巨樹人”が一瞬で砕け散った。木片は塵となり、緑の破片が霧のように舞い散る。
『おお……』
密林のどこからともなく、ザイードの声が響いた。
『余の“巨樹人”が、人を核に成された物と知りながら、容赦無く屠るか』
『所詮、畜生の混じった亜人には、“慈悲”という概念は理解し難い様であるな』
嘲笑を含んだ声音。
ギュスターヴは着地と同時に、声のする方角へ鋭い視線を向けた。爬虫類の瞳が、冷たく光る。
「──経緯がどうであろうガ、我に牙を剥くなら敵に違いは無イ」
「それニ……この“ダンジョン・サバイバル”内で死亡した者ハ、蘇生され外に出されるだけダ」
淡々と、事実を述べるように。
「何を遠慮する事があろうカ」
一拍、言葉を切り。
「──だガ、一つ確信を得タ」
ギュスターヴの声音が、僅かに低くなる。
「ザイード・ジュナザーン……貴様は、王の器では無イ」
『……何だと?』
苛立ちを隠そうともしない声が返る。
ギュスターヴは金棒を肩に担ぎ、胸を張った。その姿は、舞台の中央に立つ“王”そのものだった。
「“王”とハ……先陣に立チ、民の指針となる者」
「身を隠シ、他者の犠牲の元に戦う貴様ヲ……誰が王と認めようカ……!」
断罪の言葉。
それに応えるように、密林全体が震えた。
『──言ってくれるな』
ザイードの声が、怒気を帯びて歪む。
『トカゲ擬き如きが……ッ!!』
次の瞬間、魔力が爆発する。
『”蔦縛鋼束”!』
地面から、空から、四方八方から。無数の蔦が一斉にギュスターヴへと襲いかかる。
太く、硬く、鋼鉄のワイヤーを編み上げたかのような強度。両腕、両脚、胴、そして顔面までもが瞬時に絡め取られ、締め上げられる。
ギュスターヴの巨体が、強制的に動きを止められた。
『その蔦の強度は、鋼鉄製のワイヤーを編み上げた綱以上』
『最早、貴様の命は我が掌の内よ』
楽しげな声。
『ダンジョンの中で命拾いしたな』
『失格になるが良い。トカゲ擬き!』
だが──。
ザンッ。
ザンッ。
不自然な音が、連続して響いた。
『──何ッ!?』
驚愕の声が上がる。
ギュスターヴの顔と腕を縛っていた蔦が、力任せに引き千切られていた。
次の瞬間、ギュスターヴはペッ!と、口から何かを吐き出す。
地面に転がったのは、噛み砕かれた蔦の残骸だった。
ギュスターヴは低く唸り、金棒で足に絡みつく蔦を引きちぎる。拘束は、もはや意味を成していない。
ゆっくりと金棒を肩に担ぎ直し、堂々と宣言する。
「俺は……“トカゲ”では無イ」
その声は、重く、揺るぎない。
「俺は……”爬虫族“の王」
「”牙顎王“ギュスターヴ、ダ」
密林が、静まり返る。
その名が持つ“格”を、世界そのものが理解したかのように。
◇◆◇
ギュスターヴの宣言が密林に余韻を残す中、そのすぐ隣では、まるで別の温度の戦いが続いていた。
「おー、やるじゃねぇか、ギュスちゃんよ」
覚束ない足取りで後退しながら、ディオニスは楽しそうに笑った。
肩は揺れ、視線はどこか焦点が合っていない。だが、その身体は紙一重で“巨樹人”の攻撃をかわし続けている。
次の瞬間、格闘師の姿を模した五メートル級の“巨樹人”が、拳を大きく振りかぶった。木で形作られた拳が、風を切ってディオニスへと落ちてくる。
「っと」
軽い声と共に、ディオニスは跳んだ。
拳の直撃をかわし、そのまま落下する拳の甲の上に──スタッ、と、まるで足場であるかのように着地する。
木の拳が軋み、衝撃が伝わるが、ディオニスは気にも留めない。
「なんだぁ?」
酒焼けした声で、にやりと笑う。
「この木偶人形ども……核になった人間の戦闘スタイルを、そっくりそのままコピーしてやがんのかぁ?」
密林の奥から、ザイードの声が重なる。
『よく気付いたな、酒カスよ』
『“巨樹人”は、核となった人間のスキルや魔法を自在に扱える』
『さらに、人間の時とは比べものにならん膂力も得ているのだ』
誇示するような口調。
『クズスキルしか持たぬ者も、余の駒として使い潰せる』
『素晴らしい能力だとは思わぬか?』
ディオニスは、拳の上に立ったまま顔をしかめた。
「かー……」
深く息を吐く。
「聞くに耐えねぇな」
木の拳からひらりと飛び降りながら、ぼそりと呟く。
「ま、ダンジョン内じゃ死んでも蘇生されるって話だしよ」
「さっさと消して失格にしてやるのが……優しさってヤツかぁ?」
『出来るか、それが!?』
ザイードの怒声が響いた。
『貴様如きに!!』
合図でもあったかのように、周囲の“巨樹人”が一斉に動く。
剣、斧、槍、拳。木で模造されたあらゆる武器が、同時にディオニスへと振り下ろされた。
だが──。
ディオニスは、ひらりと宙に舞った。
酒に酔って紅潮した顔のまま、空中で身体を反転させ、右手を前に突き出す。
「──”焔酒”」
「”朝朗明”……!」
低く、だが確かな詠唱。
次の瞬間、ディオニスの右手から、陽光そのもののような熱線が迸った。白く、眩く、朝焼けの色を帯びた光。
直撃を受けた“巨樹人”は、悲鳴を上げる暇すらなく、瞬時に焼き尽くされる。木は炭化し、炭は砕け、塵となって霧散した。
『──何だと!?』
ザイードの声が、明確な動揺を帯びる。
だが、間髪入れず、別の“巨樹人”たちが動いた。腕が変形し、蔦が伸び、硬質な槍の形へと変わる。無数の蔦槍が、全方向からディオニスを貫こうと迫る。
完全なる包囲。
逃げ場なし。
だが、ディオニスは焦らない。
空中で両手を胸の前に引き寄せ、印を結ぶ。
「──”雪酒”」
「”華雪洞”……!」
刹那、ディオニスの周囲に巨大な雪の結晶が咲いた。
一つではない。幾重にも、花が開くように連なり、結界となる。触れた蔦は、次々と白く染まり、凍りつき、内部から軋む音を立て──
パキィン!!
砕け散った。
残る“巨樹人”たちが、怒涛の勢いで突進してくる。数で押し潰すつもりだ。
ディオニスは着地すると、身体の前で両手をゆっくりと回す。酒場で杯を回すかのような、どこか軽い動作。
「──”雷酒”」
「”電鬼菩薩”……!!」
叫びと同時に、両手から凄まじい稲妻が噴き上がった。
青白い雷光が奔流となり、“巨樹人”たちを次々と呑み込む。木の身体は一瞬で焼け焦げ、黒煙を上げて崩れ落ち、やがて消滅していった。
静寂。
ディオニスは両手をぶらぶらと揺らしながら、地面に立つ。先ほどまでの赤ら顔は消え、目の焦点ははっきりしている。
「──チッ」
小さく舌打ち。
「すっかり酔いが覚めちまったじゃねぇか」
その声は、珍しく低く、静かだった。
『馬鹿な……ッ!?』
ザイードの声が、もはや隠しきれない驚愕を帯びる。
『何なのだ、貴様のその力は……ッ!?』
ディオニスは答えず、マジックバッグをゴソゴソと漁る。取り出した新しい酒瓶を、親指でボンッとへし折る。
ゴッ、ゴッ、と喉を鳴らし、一気に飲み干す。
深く息を吐き、酒臭い息と共に言った。
「──俺か?」
口角を少しだけ上げる。
「俺は……俺のスキルは……”酒精勇者”」
一拍置いて。
「──この世で一番しょうもねぇ、“勇者”の力だよ」
密林が、再びざわめいた。
巨大な樹の内部──幹の奥深くを抉り取ったような空間は、自然物でありながら、どこか人工的な冷たさを帯びている。
年輪の重なりが壁となり、樹液の乾いた匂いが鼻を刺す。
その暗がりの中に、淡い緑光がいくつも浮かび上がっていた。
宙に並ぶそれらは、魔力で編まれた"視界"。
外界と接続された無数の視覚窓だった。
それぞれの画面には、異なる角度から切り取られた戦場の光景が映し出されている。
揺れる密林。軋む根。
そして──二つの姿。
ディオニスと、ギュスターヴ。
二人は並び立ち、後方に控えるザキとロールを庇うように、自然と前へ出ていた。
剣を抜かずとも、構えずとも、そこに立つだけで“盾”となる立ち位置。
無意識の行動であるがゆえに、なおさら彼らの本質を物語っている。
だが。
その光景を、樹の闇の奥から見下ろす者の瞳に、感嘆の色はない。
「……ふん」
木製の玉座に腰掛けた男──ザイード・ジュナザーンは、鼻で笑った。
褐色の肌に浮かぶのは、退屈と侮蔑が入り混じった歪な表情。肘掛けに頬杖をつき、浮遊する視界の一つを指先でなぞる。
(あやつらは……確か、前回編入試験での合格者)
脳裏に浮かぶのは、事前に集めさせた情報の束。
名前。種族。スキル。
そして、数値。
(実技試験のスコアは……あの酔っ払いが一八〇〇、トカゲ擬きが二三〇〇、か)
口角がわずかに下がる。
ため息が、湿った木の内壁に吸い込まれた。
(合格ラインよりは、多少上……だが、それだけだ)
指先が、空を払う。
まるで、不要な塵を振り落とすかのように。
(取るに足らぬ。所詮は凡庸。我が配下に相応しい数値ではないな)
視線が、別の“窓”へと移る。
そこに映っていたのは──ザキ。
剣を携え、しかしまだ抜かぬ男。どこか飄々としながらも、場の中心に立てば空気が変わる存在。数値だけでは測れぬ、異物。
ザイードの目が、わずかに細まる。
(……やはり、欲しいのはあの男ただ一人)
胸の奥で、熱が蠢いた。
(前回実技試験、二四〇〇〇という異常値。
調べても、素性は出てこなんだ……)
不明。無名。
だが、だからこそ価値がある。
(さぞ素晴らしいスキルを持っておるに違いあるまい。余の下に置けば……どれほど美しい駒となるか)
想像に、喉が鳴る。
そして、最後に。
ザイードの視線は、さらに端の“窓”へと滑った。
そこに映るのは、目元を包帯で覆った女──ロール。
後方で静かに立ち、戦場全体を“見ている”存在。
動かず、語らず、しかし確実に索敵を続ける女。
(……あの醜女か)
唇が歪む。
(探知系の術は優秀なようだが、顔に傷ある女など……)
視線を、値踏みするように走らせ。
(余の側に立つ価値はない。……いらぬな)
ニヤリ、と笑みが浮かぶ。
それは快楽でもなく、楽しさでもない。
ただ、切り捨てることに慣れきった者の、冷たい笑みだった。
「……ルセリア中央大学、か」
低く呟いた声が、木の空間に反響する。
「大国エルディナの中枢を担う人物を、幾人も輩出した名門……“知識の坩堝”と聞いていたが……」
ザイードは立ち上がる。
玉座の背後で、木の繊維が軋んだ。
「『学園内における、出自、身分による権力の行使は認めず』……だと?」
苛立ちが、声に滲む。
「何故、高貴なる余が、下民共と机を並べねばならぬのだ。くだらぬ……実に、くだらぬ」
吐き捨てるような言葉。
だが、その直後、ふっと口元が吊り上がる。
「……幸いだったのは」
声が、わずかに弾んだ。
「この学園が、“完全実力主義”を掲げていた事よ」
ザイードの胸に、誇りが満ちる。
「我がスキル――“豊穣神の加護”は、母国に繁栄を、敵国に滅亡を齎して来た最強の力……!」
両腕を広げると、木のうろの内壁に走る魔力の脈動が、はっきりと可視化される。根がうねり、幹が鳴動する。
「“大賢者王子”ラグナ・ゼタ・エルディナスとて……」
「余が本気を出せば、ひれ伏すに違いあるまい……!」
苛立ちと自尊が、同時に噴き出す。
そして──
ザイードは、再び“視界”へと目を向けた。
ディオニス。ギュスターヴ。
守るように、前に立つ二人。
「……」
一瞬の沈黙の後、ザイードは嗤った。
「──ラグナ・ゼタ・エルディナスの“前菜”として」
声が、密林全体へと滲み出す。
「まずは、そこな無礼者どもを手打ちにしてくれよう」
指先が、ぎゅっと握られる。
「“巨樹人”の苗床にしてくれるわ」
その言葉を合図に。
木のうろの中に、ザイードの魔力が満ちていく。
豊穣の名を冠しながら、そこに宿るのは支配と歪み。
生命を育む力は、今この瞬間──
明確な“殺意”へと姿を変えた。
闇の中で、無数の“眼”が、ゆっくりと瞬いた。
◇◆◇
密林の空気が、重く沈んだ。
ギュスターヴは金棒を肩に担ぎ直し、爬虫類の瞳を細めて周囲を睨め回す。
黒い鱗の隙間を、粘つく魔力が這うような感覚が走っていた。
敵意は、もはや隠されていない。
四方八方から、確実に向けられている。
「……来るナ」
低く呟いた、その直後だった。
オオオオオ──、
まるで森そのものが呻くかのような、不気味な音が響き渡る。
ザキ・チームを取り囲んでいた“巨樹人”たちの身体が、一斉に軋み始めた。幹が捩れ、枝が折れ、葉が剥がれ落ちる。
植物で構成されたはずの巨体が、人の骨格をなぞるように再構築されていく。
木の腕が、肩となり。
節くれた幹が、胴体へと引き延ばされ。
枝の束が、指の形へと裂けていく。
数瞬のうちに、そこに立っていたのは──身長五メートル級の、人型。
冒険者風の装備を模した者。
魔法士のローブを纏った姿。
格闘家のように構えた体躯。
ただ一つ、共通しているのは。
顔の“目”の部分だけが、うろの穴のようにぽっかりと空洞になっていることだった。
ギュスターヴの喉が、わずかに鳴る。
「──なんダ……?
木偶人形達の姿が……!」
その異様な光景に、ザキも眉をひそめる。剣の柄に添えた手に、知らず力が籠もった。
「……それぞれが、別々の姿になっとるな。ひょっとしてやけど、これって……」
言葉を継ぐ前に、静かな声が答えを示した。
「……ええ」
ロールは包帯の上から、そっと目元を押さえる。視線は“見えないはずの何か”を捉え、密林の奥まで貫いていた。
「これは……核となった他の挑戦者達の姿を“巨樹人”が、模している様です」
淡々とした口調。
だが、その声音には、微かな嫌悪が滲んでいる。
「人を使い潰して……コピーして……
……とことん、悪趣味な皇子サマだな、こりゃよ」
ディオニスは肩をすくめ、手にしていた酒瓶を一気に煽る。喉を鳴らして飲み干すと、空になった瓶を無造作に放り捨てた。
その瞬間。
『──そこな酒カスと、トカゲ擬き』
どこからともなく、声が響いた。
密林全体が、共鳴するように震える。
「誰が酒カスだ!!」
即座に怒鳴り返すディオニス。
「いや、それはアンタやろ」
間髪入れず、ザキがツッコミを入れる。
緊張感を断ち切るような軽口だが、その視線は鋭いままだ。
『貴様らは、二人で余を倒すと申しておったな』
声は、嘲るように続く。
『特別に相手をしてやる。やれるものなら、やってみよ』
次の瞬間だった。
地面が──動いた。
ズズズズッ、と不気味な音を立てて、大地の下から無数の植物の根が盛り上がる。
太く、硬く、まるで巨大な蛇の群れのように蠢きながら、ディオニスとギュスターヴの足元を押し上げていく。
「チッ……!」
ギュスターヴが踏ん張る間もなく、二人の立つ地面だけが持ち上がる。
根は絡み合い、瞬く間に円形の高台を形作った。即席の“舞台”──逃げ場のない、決闘の場。
同時に、舞台の外では、別の根が暴れ出す。
「ロールちゃん!」
ザキは反射的にロールの腰に手を回し、小脇に抱え上げる。
盛り上がる根を軽やかに跳び越え、地面を転がるように回避していく。
「わっ……!?」
「大丈夫や。ちょい我慢してな」
ザキは息一つ乱さず、根の動きを読み切っていた。まるで最初から予測していたかのように、無駄のない動きで距離を取る。
やがて、安全圏に辿り着き、ザキはロールをそっと下ろそうとする。
「あ、ありがとうございます……で、でも、もう下ろして下さって結構ですよ……」
包帯の下、ロールの頬がうっすらと赤く染まっている。
「何やの、ロールちゃん。俺に抱き抱えられて、照れてもうた?」
軽い冗談。
だが、その声は柔らかい。
「そ、そんな事はありません!!
私は……“氷の心”を持つ女……!
と、殿方に優しく抱き抱えられたくらいで、決して心揺らいだりは……!」
言葉とは裏腹に、視線は泳ぎ、耳まで赤い。
ザキは小さく微笑み、何も言わずに視線を前へ戻した。
根で出来た高台の上。
ディオニスとギュスターヴが、背中合わせに立っている。
(……とは言え)
ザキの胸中に、冷静な思考が浮かぶ。
(俺も、あの二人の力は報告書で聞いただけや。
実際に、こうして目にするのは初めてやな)
視線が、舞台を取り囲む人型の“巨樹人”へと移る。
(──考え様によっちゃ、あの二人の実力を見る、ええ機会かも知れんな……これは)
ザキの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
舞台の上では、戦いの気配が、確実に膨れ上がっていた。
◇◆◇
植物の根が絡み合って作られた高台の舞台は、まるで密林そのものが闘技場へと姿を変えたかのようだった。
足元では太い根が脈打ち、生き物の心臓のように微かに震えている。四方は人型の“巨樹人”に囲まれ、逃げ道はない。
ディオニスは肩を鳴らし、隣に立つギュスターヴを横目で見た。口角を吊り上げ、やけに楽しそうに笑う。
「……やっと二人きりになれたね!」
場違いなほど明るい声。
ギュスターヴは視線を前に据えたまま、低く言い放つ。
「黙レ。酔っ払いガ」
次の瞬間だった。
オオオオッ、と地鳴りのような唸り声と共に、周囲の“巨樹人”が一斉に動く。
冒険者風の姿をした五メートル級の個体が、木で形作られた剣と斧を振りかぶり、ギュスターヴへ殺到した。重量と数に物を言わせた、押し潰すような一斉攻撃。
ギュスターヴは一歩も引かない。
太い尾で地面を強く叩いた瞬間、巨体が宙へと跳ね上がる。重力を置き去りにしたかのような跳躍。その空中で、金棒を大きく振りかぶった。
「──”鰐導落”」
短く、だが王の命令のような一言。
次の刹那、金棒が落ちた。
凄まじい速度で振り下ろされた一撃は、空気そのものを殴りつけ、衝撃波となって炸裂する。
ドォォォオオオオオンッ!!
轟音と共に、数体の“巨樹人”が一瞬で砕け散った。木片は塵となり、緑の破片が霧のように舞い散る。
『おお……』
密林のどこからともなく、ザイードの声が響いた。
『余の“巨樹人”が、人を核に成された物と知りながら、容赦無く屠るか』
『所詮、畜生の混じった亜人には、“慈悲”という概念は理解し難い様であるな』
嘲笑を含んだ声音。
ギュスターヴは着地と同時に、声のする方角へ鋭い視線を向けた。爬虫類の瞳が、冷たく光る。
「──経緯がどうであろうガ、我に牙を剥くなら敵に違いは無イ」
「それニ……この“ダンジョン・サバイバル”内で死亡した者ハ、蘇生され外に出されるだけダ」
淡々と、事実を述べるように。
「何を遠慮する事があろうカ」
一拍、言葉を切り。
「──だガ、一つ確信を得タ」
ギュスターヴの声音が、僅かに低くなる。
「ザイード・ジュナザーン……貴様は、王の器では無イ」
『……何だと?』
苛立ちを隠そうともしない声が返る。
ギュスターヴは金棒を肩に担ぎ、胸を張った。その姿は、舞台の中央に立つ“王”そのものだった。
「“王”とハ……先陣に立チ、民の指針となる者」
「身を隠シ、他者の犠牲の元に戦う貴様ヲ……誰が王と認めようカ……!」
断罪の言葉。
それに応えるように、密林全体が震えた。
『──言ってくれるな』
ザイードの声が、怒気を帯びて歪む。
『トカゲ擬き如きが……ッ!!』
次の瞬間、魔力が爆発する。
『”蔦縛鋼束”!』
地面から、空から、四方八方から。無数の蔦が一斉にギュスターヴへと襲いかかる。
太く、硬く、鋼鉄のワイヤーを編み上げたかのような強度。両腕、両脚、胴、そして顔面までもが瞬時に絡め取られ、締め上げられる。
ギュスターヴの巨体が、強制的に動きを止められた。
『その蔦の強度は、鋼鉄製のワイヤーを編み上げた綱以上』
『最早、貴様の命は我が掌の内よ』
楽しげな声。
『ダンジョンの中で命拾いしたな』
『失格になるが良い。トカゲ擬き!』
だが──。
ザンッ。
ザンッ。
不自然な音が、連続して響いた。
『──何ッ!?』
驚愕の声が上がる。
ギュスターヴの顔と腕を縛っていた蔦が、力任せに引き千切られていた。
次の瞬間、ギュスターヴはペッ!と、口から何かを吐き出す。
地面に転がったのは、噛み砕かれた蔦の残骸だった。
ギュスターヴは低く唸り、金棒で足に絡みつく蔦を引きちぎる。拘束は、もはや意味を成していない。
ゆっくりと金棒を肩に担ぎ直し、堂々と宣言する。
「俺は……“トカゲ”では無イ」
その声は、重く、揺るぎない。
「俺は……”爬虫族“の王」
「”牙顎王“ギュスターヴ、ダ」
密林が、静まり返る。
その名が持つ“格”を、世界そのものが理解したかのように。
◇◆◇
ギュスターヴの宣言が密林に余韻を残す中、そのすぐ隣では、まるで別の温度の戦いが続いていた。
「おー、やるじゃねぇか、ギュスちゃんよ」
覚束ない足取りで後退しながら、ディオニスは楽しそうに笑った。
肩は揺れ、視線はどこか焦点が合っていない。だが、その身体は紙一重で“巨樹人”の攻撃をかわし続けている。
次の瞬間、格闘師の姿を模した五メートル級の“巨樹人”が、拳を大きく振りかぶった。木で形作られた拳が、風を切ってディオニスへと落ちてくる。
「っと」
軽い声と共に、ディオニスは跳んだ。
拳の直撃をかわし、そのまま落下する拳の甲の上に──スタッ、と、まるで足場であるかのように着地する。
木の拳が軋み、衝撃が伝わるが、ディオニスは気にも留めない。
「なんだぁ?」
酒焼けした声で、にやりと笑う。
「この木偶人形ども……核になった人間の戦闘スタイルを、そっくりそのままコピーしてやがんのかぁ?」
密林の奥から、ザイードの声が重なる。
『よく気付いたな、酒カスよ』
『“巨樹人”は、核となった人間のスキルや魔法を自在に扱える』
『さらに、人間の時とは比べものにならん膂力も得ているのだ』
誇示するような口調。
『クズスキルしか持たぬ者も、余の駒として使い潰せる』
『素晴らしい能力だとは思わぬか?』
ディオニスは、拳の上に立ったまま顔をしかめた。
「かー……」
深く息を吐く。
「聞くに耐えねぇな」
木の拳からひらりと飛び降りながら、ぼそりと呟く。
「ま、ダンジョン内じゃ死んでも蘇生されるって話だしよ」
「さっさと消して失格にしてやるのが……優しさってヤツかぁ?」
『出来るか、それが!?』
ザイードの怒声が響いた。
『貴様如きに!!』
合図でもあったかのように、周囲の“巨樹人”が一斉に動く。
剣、斧、槍、拳。木で模造されたあらゆる武器が、同時にディオニスへと振り下ろされた。
だが──。
ディオニスは、ひらりと宙に舞った。
酒に酔って紅潮した顔のまま、空中で身体を反転させ、右手を前に突き出す。
「──”焔酒”」
「”朝朗明”……!」
低く、だが確かな詠唱。
次の瞬間、ディオニスの右手から、陽光そのもののような熱線が迸った。白く、眩く、朝焼けの色を帯びた光。
直撃を受けた“巨樹人”は、悲鳴を上げる暇すらなく、瞬時に焼き尽くされる。木は炭化し、炭は砕け、塵となって霧散した。
『──何だと!?』
ザイードの声が、明確な動揺を帯びる。
だが、間髪入れず、別の“巨樹人”たちが動いた。腕が変形し、蔦が伸び、硬質な槍の形へと変わる。無数の蔦槍が、全方向からディオニスを貫こうと迫る。
完全なる包囲。
逃げ場なし。
だが、ディオニスは焦らない。
空中で両手を胸の前に引き寄せ、印を結ぶ。
「──”雪酒”」
「”華雪洞”……!」
刹那、ディオニスの周囲に巨大な雪の結晶が咲いた。
一つではない。幾重にも、花が開くように連なり、結界となる。触れた蔦は、次々と白く染まり、凍りつき、内部から軋む音を立て──
パキィン!!
砕け散った。
残る“巨樹人”たちが、怒涛の勢いで突進してくる。数で押し潰すつもりだ。
ディオニスは着地すると、身体の前で両手をゆっくりと回す。酒場で杯を回すかのような、どこか軽い動作。
「──”雷酒”」
「”電鬼菩薩”……!!」
叫びと同時に、両手から凄まじい稲妻が噴き上がった。
青白い雷光が奔流となり、“巨樹人”たちを次々と呑み込む。木の身体は一瞬で焼け焦げ、黒煙を上げて崩れ落ち、やがて消滅していった。
静寂。
ディオニスは両手をぶらぶらと揺らしながら、地面に立つ。先ほどまでの赤ら顔は消え、目の焦点ははっきりしている。
「──チッ」
小さく舌打ち。
「すっかり酔いが覚めちまったじゃねぇか」
その声は、珍しく低く、静かだった。
『馬鹿な……ッ!?』
ザイードの声が、もはや隠しきれない驚愕を帯びる。
『何なのだ、貴様のその力は……ッ!?』
ディオニスは答えず、マジックバッグをゴソゴソと漁る。取り出した新しい酒瓶を、親指でボンッとへし折る。
ゴッ、ゴッ、と喉を鳴らし、一気に飲み干す。
深く息を吐き、酒臭い息と共に言った。
「──俺か?」
口角を少しだけ上げる。
「俺は……俺のスキルは……”酒精勇者”」
一拍置いて。
「──この世で一番しょうもねぇ、“勇者”の力だよ」
密林が、再びざわめいた。
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