真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第六章 学園編 ──白銀の婚約者──

第270話 ひとつの決着、新たな混戦

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ビビアーナは、ひやりとした床の感触で意識を取り戻した。

最初に戻ってきたのは、音だった。
嵐の音も雷鳴もない。代わりに、少し気の抜けた会話と、誰かの笑い声。

そして──



「──目が覚めた?ビビアーナさん」



すぐ近くで、柔らかい声がした。
ビビアーナは、ゆっくりとまぶたを開く。
視界に飛び込んできたのは、心配そうに覗き込むブリジットの顔だった。
戦場で見た凛々しい表情とは違う、年相応の、優しい笑顔。



「……ああ……」



喉が少し乾いている。
ビビアーナは一度、瞬きをしてから、視線を横に滑らせた。

少し離れた場所。
そこでは、奇妙な光景が繰り広げられていた。

自分の相棒──フェンリルのカフェラッテが、地面にきちんと座り込み、
その正面にいるのは……小さい。
いや、どう見ても小さすぎる。

ミニチュアダックスフンド姿のフレキ。
その周囲には、胡座をかいた鬼塚、余裕たっぷりに立つジュラ姉、そして少し所在なさげに立つマテオ。

カフェラッテは、巨大な体躯を縮こまらせるようにして、自分より遥かに小さなフレキへ、深々と頭を垂れていた。



『……そうか……貴方様は、マナガルム様の……ご子息でしたか……』



低く、重々しい声。



『なれば……その、強大な力も……納得というものです……』



フレキは、ハッハッハッと口で息をしながら、少し照れたように尻尾を振る。



「いやあ……カフェラッテさんも、昔、父上の部下だったなんて……本当に、凄い偶然ですねっ!」



その様子を見て、鬼塚が胡座をかいたまま、楽しそうに口を挟む。



「そうだよな!狼タイプのフェンリルって、どっかで見たことある気がすんだよなーって思ってたんだけどよ!」



頭を掻きながら、続ける。



「マナガルムのオッサンがいたじゃねぇか!なんであのオッサンだけ、フォルティアのフェンリルの中で一匹だけ、ちゃんとした狼の……あー……なんつーか、他のヤツらと違う感じの姿してんだ?」



フレキは首を傾げ、少し考えるようにしてから、ぱっと顔を上げる。



「確かに……父上は、他の皆とは少しだけ違う姿をしてますよねっ!」



そして、悪気ゼロの笑顔で言った。



婿養子むこようしだから、でしょうか?」


「そんな理由かよッ!?」



鬼塚が思わず、といった様子でツッコむ。
ジュラ姉が、思わず口元に手を当てる。



「アラッ!マナガルムさん……フォルティア荒野に、婿入りした……他所のフェンリルだったのねッ!」



驚きつつも、どこか楽しそうだ。
その横で、マテオが苦笑しながら呟く。



「フェンリルにも……婿養子むこようしとか、あるんだな……」



──何だ、それ。
ビビアーナは、思わず小さく息を吐いた。
戦っていた時には想像もつかなかった、あまりにも平和で、穏やかな空気。

三人と二匹が、敵も味方もなく、
ただ雑談をしているその姿を見ているうちに、
胸の奥に、じんわりとしたものが広がっていく。

ビビアーナは、静かに上半身を起こした。
身体はまだ少し重いが、痛みはない。
その気配に気づいて、ブリジットがすぐに振り向く。



「もう、起きて大丈夫?無理してない?」


「……大丈夫なのねぇ」



ビビアーナは、ハァ……と一つ溜息をついた。
そして、ふと目を細めて、ブリジットをじっと見る。



「……ねぇ。どうして、アタシが寝てる間に……プレートを、壊してしまわなかったのかねぇ?」



声は低く、探るように。



「アタシが、またアンタに襲いかかるって……考えなかったのかねぇ……?」



ギロリ、と鋭い視線を向ける。
だが、ブリジットは、少しも怯まなかった。
むしろ、にこっと笑って、あっけらかんと言う。



「──その時は、何度でも、相手になるよっ!」



迷いのない声。
ビビアーナは、一瞬、言葉を失った。
数秒の沈黙。
やがて、フッと肩の力が抜ける。



「……冗談なのよ」



小さく笑って、視線を逸らす。



「アンタと、やり合うのは……もう、コリゴリなのねぇ」



次の瞬間。



「ハーーー!!負けたーー!」



そう叫んで、ビビアーナはゴロン、と後ろに転がった。大の字になって、天井を仰ぐ。
その様子に、ブリジットは思わず吹き出す。



「ふふっ!今回は、あたしの勝ちだねっ!ビビアーナさん!」



そう言って、ピース。
ビビアーナも、目を閉じたまま、ニコッと笑う。



「──うん。完敗だねぇ」



その声には、悔しさよりも、
どこか晴れやかな響きがあった。

戦いは終わった。
そして、確かに──何かが、始まろうとしていた。



 ◇◆◇



瓦礫の散らばるダンジョンの一角で、六人と二匹は自然と輪になるように腰を下ろしていた。

激しい戦闘の余韻が、まだ空気の奥に残っている。
だが、張り詰めていた緊張はすでにほどけ、今は奇妙な静けさが場を包んでいた。

ビビアーナは膝を抱えるように座り込み、しばらく黙ったまま床を見つめていたが──
やがて、ゆっくりと顔を上げた。

その表情は、先ほどまでの激情を思わせないほど、神妙だった。



「……勝ったのは、アンタ達だねぇ」



静かな声だった。



「アタシとマテオのネームプレート……壊すといいねぇ」



その言葉に、隣に座るマテオが小さく息を吸い、そして、こくりと頷いた。



「……はい。ビビアーナ様がそう仰るなら」



輪の向かい側で、ブリジットは一瞬、言葉を失った。
視線を落とし、指先をもじもじと絡めながら、ためらうように口を開く。



「……いいの? ビビアーナさんにも……叶えたい願いが、あったんじゃないの……?」



その問いかけは、慎重で、優しかった。
ビビアーナは、少しだけ目を細める。
そして、フッと小さく笑った。



「もともとねぇ……ラグナ王子の役に立ちたくて、参加しただけの“統覇戦ドミナンス・カップ”なのねぇ」



視線は、遠くを見ている。



「それで……アタシは、全力でぶつかって、アンタに、負けた」



言葉を一つ一つ噛みしめるように、続ける。



「……もう、満足なのねぇ」



輪の中が、しんと静まった。
フレキは尻尾を揺らすのを止め、
鬼塚は腕を組んだまま、何も言わずに聞いている。
ジュラ姉も、珍しく茶化すことなく、穏やかな目でビビアーナを見つめていた。

マテオが、少し照れたように、けれど吹っ切れた笑顔を浮かべる。



「ビビアーナ様がそう決めたなら……俺は、異存は無いですよ」



その声音には、長年仕えてきた者の、静かな信頼が滲んでいた。
ブリジットは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、ビビアーナを見る。



「……ビビアーナさん。本当に、強かったよ」



はっきりと、真っ直ぐに。



「ビックリするくらい」



一瞬、ビビアーナはきょとんと目を瞬かせた。
それから、ニッと口角を上げる。



「アンタにゃ、全っ然、通じなかったけどねぇ」



あっけらかんとした言い方に、ブリジットは思わず困ったように笑った。



「えへへ……」



その様子を眺めていたビビアーナは、ふと真剣な表情に戻る。



「……ねぇ。一つだけ……」



少し間を置いて、言葉を選ぶように。



「一つだけ、聞いてもいいかねぇ?」



輪の空気が、ぴんと張る。
ブリジットは姿勢を正し、こくん、と小さく頷いた。



「うん」



ビビアーナは、まっすぐにブリジットを見る。



「──どうして……ラグナ王子の求婚を、断ったのかねぇ?」



間髪入れずに続く。



「相手は、一国の第六王子!魔法の大天才!そして、超絶イケメン……顔面大正義……!!」



力説するように両手を広げる。



「断る理由が、理解できないのねぇ……教えてくれないかい?」



その瞬間。



「えっ!?」



ブリジットは、思わず声を上げた。



「そ……それは~……」



視線が泳ぎ、言葉が詰まる。
鬼塚、ジュラ姉、フレキは顔を見合わせ──
そして、なぜか同時に、クスッと笑った。



「……な、なに笑ってるの……」



ブリジットは耳まで赤くなり、しばらく悶々と身をよじらせる。
だが、やがて覚悟を決めたように、すっと背筋を伸ばした。

顔は真っ赤なまま。
それでも、視線を逸らさずに言う。



「ほ……他に……好きな人が……いるから、デス……」



その瞬間。

ガビーン!!

ビビアーナの背後に、効果音が見えた気がした。
目を見開き、完全に固まる。



(──なるほど!!)



脳内で、何かが弾けた。



(そ、そっか……!他に、好きな人が……!!)



ラグナこそが“最高の男性像”だったビビアーナにとって、その発想は、まさに目から鱗だった。



「……あ」



次の瞬間、ビビアーナはバターン、と仰向けに倒れた。
床に寝転がり、天井を見上げながら、乾いた笑いを零す。



「そっか……他に、好きな人が……ハハッ……そりゃ、そういうことも……あるよねぇ……」



胸に手を当て、深く息を吐く。



「そんな……そんな単純な事にも、気付けないなんて……」



口元に、晴れやかな笑みが浮かぶ。



「……アタシ、やっぱり、バカだねぇ……」



その言葉には、もう悔しさも、妬みもなかった。
ただ、何かを理解した者の、少し照れくさくて、どこか清々しい響きだけが残っていた。



 ◇◆◇



ビビアーナとマテオは、それぞれの手の中でネームプレートをぎゅっと握りしめたまま、一歩前に出た。
二人の視線の先には、まっすぐこちらを見つめるブリジットの姿がある。

ブリジットは一瞬、胸の前で手を組み、深く息を吸った。そして、まるで何か大切な儀式に臨むかのような神妙な面持ちで、ゆっくりと手を伸ばす。
その指先がプレートに触れようとした、その瞬間だった。



「……あ、あのねぇ……」



ビビアーナが、急にプレートを引き寄せるでもなく、渡すでもなく、ブリジットの手を──きゅっと、強く握った。
指先がわずかに震えている。
視線は泳ぎ、頬は見る見るうちに赤くなっていく。



「も、もしよかったらなんだけど……その……」



言葉が詰まり、喉の奥で何度も引っかかる。
それでも、逃げるように目を伏せながら、必死に続きを紡いだ。



「この予選会が終わって……ダンジョンから、出たら……あ、アタシと……とっ、友達に……っ」



最後は、ほとんど絞り出すような声だった。
その言葉に、ブリジットは一瞬きょとんと目を瞬かせる。
何を言われたのか、理解するのにほんの一拍、間があった。

そして次の瞬間──



「──うんっ!」



ぱっと、花が咲くような笑顔が弾けた。



「いいよ!あたしもね、ビビアーナさんと……友達になりたいって、思ってたんだ!」



ブリジットは、握られていた手をそのまま包み込むように、両手でぎゅっと握り返した。
迷いも躊躇もない、真っ直ぐな温もり。



「……え?」



ビビアーナの目が、驚いたように大きく見開かれる。



「え、ええっ!?ちょ、ちょっと待つのねぇ!?そんな……そんな簡単に……!」



顔は真っ赤、耳まで染まり、言葉が完全に混乱している。



「そ、そこまで言うなら……しょうがないねぇ~!とっ、トモダチにっ、なってあげようじゃないのさッ!」



ぷいっと顔を背け、腕を組みながら、いかにも照れ隠し全開の言い方だった。
それでも、ブリジットの手を離さない。
その光景に、マテオは小さく肩をすくめ、フレキは尻尾をぶんぶん振り、周囲からは思わず漏れる笑い声が広がっていった。
張り詰めていた空気が、ふっと和らぐ。



──その、次の瞬間だった。



「!? 皆さんっ!!」



鋭い声が、場の空気を切り裂いた。
ミニチュアダックスモードのフレキが、低く身を伏せたまま、真上を睨みつけている。
その瞳は、完全な警戒色だった。



「上ですッ!!」



その叫びに、全員が反射的に顔を上げる。
気づいた時には、もう遅い。

空から、何かが落ちてくる。

その人影。
鱗に覆われた爬虫類系亜人の影が、重力そのものを引き連れるかのように降下してきていた。
両手には、明らかに人の下半身ほどもある金棒。



「”鰐導落クロコ・ドロップ“ッッ!!」



雄叫びと共に、金棒が唸りを上げて振り下ろされる。
狙いは一直線──ジュラ姉だった。
だが、彼女は慌てなかった。



「……あら?」



長い髪を、ふわりと払うようにかき上げる。
その動作はあまりにも優雅で、戦闘中だということを一瞬忘れさせるほどだった。

次の瞬間──

ガシィィッッ!!

乾いた衝撃音が響く。
ジュラ姉の片手が、正面から金棒を掴み取っていた。



「……っ」



一瞬、空気が軋む。



(アラッ……思ったよりも……強力ねッ……!!)



内心でそう呟きながらも、ジュラ姉の口元には余裕の笑みが浮かんでいる。
腕に、ビキビキと筋肉の筋が浮かび上がり、血管が脈打つ。
足元の地面は、耐えきれずにクレーター状に陥没し、放射状にヒビが走った。

それでも、金棒は──止まったままだ。

空中で振り下ろした姿勢のまま、爬虫類系亜人は目を見開き、牙を剥く。



「……見つけたゾ……ッ!!」



低く、粘つくような声。



「ジュラシエル・バーキン……いや!!“凶竜”のジュラシエルッッ!!」



その名を叫ぶ声には、明確な執着と敵意がこもっていた。
ジュラ姉は、金棒を掴む手にさらに力を込めながら、くすりと微笑む。



「アラッ?」



視線だけを相手に向け、余裕たっぷりに首を傾げる。



「狙いは……ギャタシって事かしらッ?」



その瞬間、場の空気は完全に変わった。
和やかだった時間は終わり、凶竜の名を巡る、血の匂いを孕んだ戦いの幕が──静かに、しかし確実に、上がろうとしていた。



 ◇◆◇



「ジュラ姉!?」



ブリジットの叫びが、崩れかけた空間に響き渡った。
反射的に一歩踏み出しかけたその瞬間──



「──おい、てめぇ!?」



鬼塚の鋭い声が飛び、彼の視線が一気にビビアーナへと向く。
疑念と警戒が、剥き出しの刃のように込められていた。



「ち、違う違う!!」



ビビアーナは肩を跳ねさせ、ぶんぶんと首を振る。
両手を前に突き出し、必死に否定の言葉を重ねた。



「あ、アタシが仕組んだ事じゃないのねぇ!!ホントなのよ!?ホントだからねぇ!!」



その声は裏返り、いつもの軽口は影を潜めている。
鬼塚は一瞬だけ歯を食いしばり──次の瞬間、はっきりと叫んだ。



「──ッ!!そうかよッ!疑って悪かった!!」



そう言うが早いか、彼はジュラ姉の方へと駆け出そうとする。

だが。

ゴゴゴゴゴ――ッ!!

嫌な音が、足元から突き上げてきた。

ジュラ姉が立っていた床が、耐えきれないように大きく裂け、崩壊する。
支えを失った床ごと、ジュラ姉とギュスターヴの姿が、一気に下のフロアへと飲み込まれていった。



「ジュラ姉ぇッ!!」



ブリジットの声が空を切る。
それと同時に──
部屋の内部に林立していた四角柱の柱が、まるで生き物のように軋み、傾き、一斉に倒れ始めた。

狙いは、ブリジット、鬼塚、フレキ、ビビアーナ、マテオ。



「散れッ!!」



鬼塚の怒号。
それぞれが本能的に飛び退き、転がり、柱の影をかいくぐる。

だが──



「……っ!!」



マテオの足が、ほんの一瞬、遅れた。
倒れ込んできた柱が、床を砕きながら迫り、彼の胸元をかすめる。
次の瞬間、鈍い音がした。

パキンッ。



「……あ」



柱に挟まれたネームプレートが、無情にも砕け散った。



「ああっ!?す、すみません、ビビアーナ様ぁ!!」



泣きそうな声で、マテオが叫ぶ。
その場に膝をつき、呆然と自分の手を見る。

一瞬の沈黙。

次の瞬間、ビビアーナの表情が、一変した。
キッ、と鋭く目を細め、歯を食いしばる。
さっきまでの慌てふためいた様子は消え、覚悟を決めた戦士の顔だった。



「……マテオ。謝る必要なんて、ないのねぇ」



そう呟くと同時に、彼女は自分の胸元からネームプレートを引き抜いた。



「ブリジット!!」



叫びながら、それを全力で投げつける。
ブリジットは一瞬で、その意図を理解した。
迷いはなかった。



「……ありがとう!」



ハンマーを振り上げ、飛んできたネームプレートを正面から叩き割る。

パキンッ!!

乾いた音と共に、光が弾ける。
ビビアーナは、消えゆく光の中で、ふっと柔らかく微笑んだ。



「負けるんじゃないよッ!!ブリジット!!」



指を一本立て、いたずらっぽく。



「応援してるのねぇ!!」



その姿は、次の瞬間には光の粒となって消えていった。



「……ビビアーナさん……」



ブリジットは、少しだけ唇を噛みしめ、視線を落とす。
直後、無機質なアナウンスが空間に響き渡った。



『ネームプレート破壊、クリア。ザキ・チーム、10×1=10pt獲得』

『ネームプレート破壊、クリア。ブリジット・チーム、10×1=10pt獲得』



その声が消えるのとほぼ同時に、鬼塚が低く唸る。



「……誰の仕業だ、こりゃあッ!?」



怒気を滲ませながら、周囲をぐるりと見渡す。
そして──見つけた。

倒壊しかけた柱の上。
胡座をかき、のんびりと座る大男の姿。

500mlのビール缶の底には穴が開けられ、そこから中身をガブガブと流し込んでいる。
喉を鳴らし、豪快に飲み干す姿は、場違いなほど呑気だった。



「……てめぇか」



鬼塚の声が、低く、重く落ちる。



「これ、やりやがったのはよ……」



圧が、空気を押し潰す。
大男──ディオニスは、プハッと息を吐き、空になった缶をクシャリと握り潰した。
それをぽいっと放り、マジックバッグへと放り込む。



「──いやぁ」



肩をすくめ、ニッと笑う。



「アンタ達にはちょっかいかけるなって、ウチのリーダーには言われてんだけどよ」



視線を、崩れ落ちた下層へと向ける。



「ダチがな。あの姉さんに、ちょいと用事があるってんでさ……少しばかり、手伝ってやろうって事になったのよ」



軽い口調とは裏腹に、目だけが鋭く光る。



「誰なのっ!あなた達っ!」



ブリジットが一歩前に出て、ハンマーを構える。
だが、ディオニスは手をひらひらと振った。



「いやぁ、名乗る程のもんじゃあございやせん」



立ち上がり、背を向ける。



「じゃ、そういうことで。俺はトンズラこかせてもらうぜ」



軽い足取りで走り出そうとした、その瞬間──

カシャン。

鈍い音と共に、ディオニスの足元に紫色の鎖が巻き付いた。



「……?」



ディオニスが足を止める。
背後から、静かな声が響いた。



「逃げられると思ってんのかよ?」



鬼塚だった。
片手を下げたまま、視線だけで相手を射抜く。



「これだけ、めちゃくちゃやってくれておいて……よ?」



ディオニスは一瞬だけ目を細め──



「……おおっと」



小さく呟き、口の端をニヤリと吊り上げた。



「面倒な事になったな……こりゃ」



その笑みは、これから始まる"揉め事"を、心から楽しんでいる者のそれだった。
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