真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第4章 "色欲の魔王"編

第55話 帰る場所の在り処。そして魔王は笑う。

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 ──夜風が、少しだけ涼しくなっていた。

 

 展望塔の広場。高台から街を見下ろせば、ルセリアの街並みが、きらめく宝石のように広がっていた。

 露店の灯りが小さく滲んで、行き交う人々の笑い声が、風に乗ってさざめいている。

 

 アルドとブリジットは、その喧騒を遠くに感じながら、丘の上に並んで立っていた。

 

 空には月が昇り、少し遅れて──

 ドォン、と大きな音が夜空に響く。

 

 続いて、ぱあっと色とりどりの火花が夜を裂き、開いた。

 

 「……すごいね」

 

 ぽつりと漏らしたアルドの声に、隣で浴衣を着たブリジットがこくりと頷いた。

 赤い浴衣に白の帯、金の髪はアップにまとめられ、艶やかに光を受けていた。

 

 「うん……こんなに綺麗な花火、久しぶりかも」

 

 そう言って、ブリジットは顔を上げる。

 花火に照らされたその横顔は、ふだんの彼女より少し大人びて見えた。

 笑顔に見えて、どこか切なげにも見える。

 

 アルドは、その横顔をちらりと見て──そして、思い出した。

 

 (……そうだ)

 

 「ちょっと、待ってて」

 

 そう言って、アルドは懐に手を差し入れた。

 革のポーチの奥にしまっていた、小さな包み。

 細い紐で巻かれた紙袋をそっと取り出して、彼女の前に差し出す。

 

 「……え?」

 

 ブリジットが、きょとんとした顔でアルドを見つめる。

 アルドは、少し照れたように視線を逸らしながら言った。

 

 「えっと、これ……今日、露店で見つけて。ブリジットちゃんに、似合いそうだなって……」

 

 手渡された袋を開くと、中には──

 銀で繊細に細工された髪飾りがあった。主石は深紅のルビーに似た石で、花弁のように周囲に散った銀細工が、それを引き立てている。

 

 「あ……すごい、綺麗……」

 

 思わず、息を飲むような声が出た。

 花火の光が、その赤い石に反射して、小さく煌めく。

 ブリジットは、しばらく見惚れるようにそれを見つめ──そして、微笑んだ。

 

 「……アルドくんが、つけてくれる?」

 

 その一言に、アルドは一瞬フリーズした。

 

 「え、えっ!? お、俺が!?」

 

 「うん」

 

 ブリジットは、にこりと笑った。

 恥ずかしそうに目を伏せながらも、頬をほんのり赤く染めて。

 

 アルドはごくりと唾を飲み込んで──「じゃ、じゃあ、失礼します……」と、慎重に手を伸ばす。

 

 アップにまとめられた金髪に、触れる。

 すべすべとしていて、思ったより柔らかい。

 細かくまとめられた毛束をそっと避け、耳の後ろに髪飾りを差し込んでいく。

 

 ──それだけのことなのに、どうしてこんなに心臓がうるさいのか。

 

 彼女の体温が、指先に伝わる。

 香りが、花火の煙の向こうからふわりと届く。

 

 (……なんだこれ、妙に緊張する……!)

 

 「……うまく、つけられた?」

 

 そう問いかけられて、アルドは手を離し、一歩下がって彼女を見た。

 赤い浴衣と、紅の石が見事に調和していた。

 

 「うん。……すごく、似合ってるよ」

 

 その言葉に、ブリジットは頬を染めながら、ぱあっと笑顔を咲かせた。

 まるで夜空の花火よりも、ずっと眩しくて、優しい光。

 

 「ありがとう! ……すっごく、嬉しい!」

 

 その瞬間──彼女の瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。

 

 「──っ!? ど、どうしたの!? もしかして痛かった……!? 俺、手荒だった!?」

 

 アルドは動揺して慌てふためいた。

 しかし、ブリジットは首を横に振る。

 泣き笑いのまま、彼をまっすぐ見上げていた。

 

 「ち、違うの……痛くなんてない。……ただ、なんか……嬉しくて……」

 

 その目には、懐かしさと安堵と、そして言葉にできない感情が溢れていた。

 

 「……あたしね、ちょっと……王都に来るの、怖かったの」

 

 唐突に、彼女はぽつりと呟いた。

 

 「ここ……昔、家族とよく来てた場所だから。父様や母様、それに、兄様と……みんなで」

 

 遠くを見つめるその横顔が、どこか遠い記憶を辿っているようだった。

 

 「だから……今の自分が、それと比べられちゃう気がして。……“あの頃の私”と、“今の私”を比べたら、きっと……泣きたくなるって思ってたの」

 

 彼女の手が、小さく震えていた。

 けれど──

 

 「でもね……アルドくんがいてくれて、フレキくんがいてくれて……」

 「楽しくて、賑やかで、忙しくて……全然、悲しんでる暇なんてなかった!」

 

 そう言って笑う彼女は──やっぱり、泣いていた。

 

 「ありがとう……ほんとに、ありがとう」

 

 アルドは、胸の奥がいっぱいになって、言葉が出せなかった。

 ただ、黙って彼女の声を、表情を、全部受け止めていた。

 

 ──そうして、彼女はひと呼吸おいて、口を開いた。

 

 「……あたし、アルドくんが“すごい人”だってこと……わかってるよ」

 

 「きっと、本当なら……もっと立派な仕事を任されて、もっと大きな舞台で、たくさんの人に頼られてるような人なんだって、思ってる」

 

 「なのに、こんなあたしの、わがままな開拓地に付き合わせちゃってる」

 

 「報酬も、設備も、十分じゃないのに……」

 

 彼女は、自嘲するように笑いかける。

 

 「……でも、わがまま言ってもいいかな?」

 

 アルドは、真っ直ぐ彼女の目を見る。

 

 「──これからも、一緒にいてくれる?」

 

 ──その問いは、まっすぐで、切実だった。

 今にも折れてしまいそうな細い声だったけど、芯は確かにそこにあった。

 

 アルドは、ゆっくりと頷いた。

 

 「もちろん。……だって、ブリジットちゃんが」

 
 「──俺の“帰る場所”を作ってくれるんでしょ?」

 

 その一言に──

 ブリジットは、目を丸くして、そして、

 泣き笑いのまま──でも、今夜一番の笑顔で、頷いた。

 

 「──うん!」

 

 ドン、と大きな音が夜空を揺らす。

 色とりどりの花火が、ふたりの背中を照らすように咲き乱れた。

 

 丘の上。

 銀と紅のふたりが並ぶ姿は──まるで物語の一頁のように、夜の中に浮かんでいた。

 

 ──その少し後方。二人の姿を見つめる、もう一組の人影がいた。



 ◇◆◇



 ──ぱあん、と。

 

 夜空に、金の菊花がひとつ、咲いた。

 続いて、赤と白の尾を引く花火が尾を引きながら炸裂し、まるで夜空に浮かぶ大輪の花々が、ゆっくりと開いていくようだった。

 

 展望塔広場の一角。

 石畳の上に腰を下ろして、リュナは黙ってその光景を見ていた。

 その視線の先──丘の縁では、アルドとブリジットが並んで花火を見上げている。

 言葉は聞こえない。

 でも、雰囲気だけでわかる。あの二人が並んでいることが、自然で、ぴったりで、あたたかくて。

 

 「……お似合いだーね、あの二人」

 

 ぽつりと漏らしたその声には、棘もない。嘘もない。

 ただ、少しだけ、笑っていた。

 ──ほんの少し、寂しげに。

 

 「おぉ、わかる。うん、あれはもう、王道も王道。ベタだけど最高」

 

 隣で寝転がっていたヴァレンが、ニッと笑って、手のひらで夜空を指差す。

 片膝を立てて、ロングコートの裾をひらひらさせながら、彼は月を仰いでいた。

 

 「でもよ」

 

 彼は、ちらとリュナの横顔を見た。

 リュナは、ほんの一瞬だけ、その視線を避けるように目を細め──また花火に視線を戻した。

 

 「……あの二人が一緒にいるのが、一番似合ってんだよ。」

 

 ヴァレンはふむ、と鼻を鳴らし、懐からグリモワルを取り出した。

 黒革装丁の古びた魔導書。その表紙には、奇妙なハートの紋様と、十数個のしおりが挟まっていた。

 

 「まあな。確かに、あれは理想のツートップだ」

 「──だがなリュナ」

 

 彼は不意に真面目な声になって、半身を起こす。

 リュナの方へと身を乗り出し、少しだけ目線を下げて、優しく、けれどはっきりと告げた。

 

 「ブリジットさん一人に、全部背負わせんのは──それはそれで、酷ってもんだぜ?」

 

 リュナの肩が、わずかに揺れた。

 

 「アルドくんってのはよ、器でかすぎんのよ。マジで」

 

 ヴァレンは口角を上げた。

 指をパチンと鳴らす。

 

 「だったら、俺は賛成だね。“両方”を、ちゃんと抱きしめてくれるなら──ハーレムエンドも、上等だ」

 

 リュナが、はっとヴァレンを見た。

 

 「な──なに言ってんだよ!? あーしは、別に……そんなんじゃ……!!」

 

 「へいへい。言い訳は聞き飽きた。もういい?」

 

 「ふざけ──っ」

 

 その瞬間、グリモワルがふわりと宙に浮かび、金と銀のページがひとりでにめくれる。

 ヴァレンの指が、そっと魔導書に触れた。

 

 「"心花顕現サモン・フラッター"──」

 

 風が、舞った。

 魔力が、リュナを包む。

 

 「……え?」

 

 リュナは目を見開いた。

 黒のボディスーツが、さらさらと布の質感を変えていく。

 艶やかだった漆黒の繊維が、柔らかな黒紺地に変化し、花模様が浮かび上がる。

 腰には黄色い帯がふんわりと結ばれ、鱗のように散っていたラメが、夜空の星屑のように煌めいた。

 

 「え……な、なにこれ、なんで、浴衣……!?」

 

 さらに──髪が、ふわりと浮かび、勝手にまとめられていく。

 アップスタイルに整えられた金茶の髪は、花火に照らされてきらきらと光を反射した。

 

 「似合ってるぞ、リュナ嬢」

 

 ヴァレンは、満足そうに胸に手を当て一礼して、にやりと笑った。

 そして、唐突に──リュナの背中を、ぽん、と押した。

 

 「──行ってこい」

 

 「ちょっ、ちょ待っ、待てって!!」

 

 ふらついたリュナが、前につんのめる。

 軽く転びかけたその身体を──しっかりと受け止めた腕があった。

 

 「──リュナちゃん!?」

 

 咄嗟にリュナを抱き止めたアルドの顔が、至近距離にあった。

 ぶつかるようにして飛び込んでしまったリュナの顔が、黒マスクの奥でぱあっと赤く染まる。

 

 「す、すんません!急に、背中押されて……っ!」

 

 「いや、大丈夫だよ。無事でよかった」

 

 アルドは、リュナの姿を見て──一瞬、言葉を失った。

 

 「……い、いつの間に浴衣に!?」

 

 「こ、これは、ちがっ、勝手に変えられて……!」

 

 「でも──すごく、似合ってるよ!」

 

 その一言に、リュナの耳まで真っ赤になる。

 どこか嬉しそうに、でも恥ずかしそうに、目を伏せながら口を動かす。

 

 「……ありがとっす」

 

 アルドは、ふと何かを思い出したように指を鳴らすと、再びポーチから小さな包みを取り出した。

 

 「そうだ、リュナちゃんにも……」

 

 中から取り出したのは、黄色い小さな花飾りだった。

 ブリジットへの贈り物と一緒に買っておいたもの。

 

 「──これ、よかったら」

 

 アルドは、そっとリュナの頭に手を伸ばした。

 髪にそっと差し込まれた小さな花飾り。

 月明かりと花火に照らされて、リュナの髪にひときわ可憐な彩りを添えた。

 

 「……!」

 

 リュナは、息を呑んだまま、動けなくなっていた。

 それが、嬉しすぎて、言葉にできなかったから。

 

 「一緒に、花火見よっか」

 

 アルドが微笑む。

 リュナは、一瞬戸惑って──でもすぐに、ぱっと花のような笑顔を浮かべて言った。

 

 「──はいっす!」

 

 その声は、夜空に届くくらいに弾けていた。

 駆け寄ってきたブリジットも、「うんうん、あたしもリュナちゃん一緒がいい!」と笑って頷く。

 

 三人が、並んで空を見上げる。

 その背後で──

 

 ヴァレン・グランツは、腕を組んで満足そうに立っていた。

 

 「……な? 俺が言った通りだったろ。」

 

 夜空には、大輪の花が咲いていた。

 

 「“いつか、お前を優しく抱きしめてくれるヤツが現れる”ってな。」

 

 ヴァレンは、ぽつりとそう呟いて──

 風に揺れる金茶の髪の後ろ姿を、静かに見つめていた。



 ◇◆◇




 ──夜空が、ひらいた。

 

 風もないはずなのに、空が鳴った。

 光と音が、天頂を彩る。

 無数の火花が、夜の帳に咲いては散り、その下には──三人の影があった。

 

 丘の縁、展望塔の高み。

 肩を並べて座るブリジット、アルド、そしてリュナ。

 空を見上げ、同じ方向を向いて、まるで昔から、ずっとそうしてきたかのように。

 

 その光景を、少しだけ離れた木陰から見つめる男がいた。

 黒髪に赤のメッシュ。ツーブロックに整えた頭を夜風に揺らし、サングラスを額に上げたその男は──

 

 “色欲の魔王”ヴァレン・グランツ。

 

 彼は、何も言わずに、その光景を眺めていた。

 目元は笑っていたけど、その奥の眼差しには、どこか深い哀しみと、誇らしさが滲んでいた。

 

 ──あぁ、いいな。

 

 こんな夜があるなら、まだこの世界も捨てたもんじゃない。

 他人の恋を見届けるだけの生き方に、意味はあったんだ。

 

 「……幸せってのはさ。誰かに”見てもらってる”って感覚に、ちょっと似てるんだよな」

 

 ひとりごとのように、誰にも聞かせるでもなく、呟く。

 「誰かが見てくれてる」「この気持ちは本物だ」って、信じられるだけで、ひとはこんなにも強く、まっすぐになれる。

 恋って、すげえや。

 

 ──まったく。

 この展開は予想してたけど、実際に目にすると破壊力が違う。

 孤独な竜少女と、祝福に見放された貴族令嬢。

 どちらも“本気で”この少年を想ってる。

 なのに、この真祖竜は、どちらの想いにも逃げず、鈍感も装わず、真正面から向き合っている。

 

 (……ったく、なんなんだキミは)

 

 ヴァレンはくつくつと喉を鳴らして笑った。


 「両方なんて……普通なら“どっちつかず”って非難されるもんだけどよ」

 「キミの場合、それがちゃんと“本気”に見えるのが……ズルいぜ」
 

 彼の声に応えるように、ドン、と花火が打ち上がる。

 色とりどりの光が、空と顔を染めていく。

 
 ヴァレンは口元に指を当ててそれを目を伏せ──けれど、ふと空を仰いで、目を細めた。

 

 ──そこで、聞こえた。

 

 「ヴァレンさん!」

 

 ぱたぱたと駆け寄ってくる影がある。

 男女のふたり。どこか見覚えのある顔。

 

 「あれ……お前ら……確か、リオと……マリン?」

 

 そう、かつて彼が旅先でグリュプスから救った、幼馴染の冒険者コンビだった。

 今は手を繋いでいて、笑い合っていて、そして──目元に浮かぶ雰囲気が、まるで違う。

 

 「こんな所で会えるなんて!」

 「俺たち……結婚したんだ。」

 
 ヴァレンの目が見開かれる。

 マリンが嬉しそうにヴァレンに笑顔を向ける。


 「グリュプスの件から三日後にスピード入籍!
あたし、マリン・ゼクシアになりました!」

 

 「そりゃまた爆速だなお前ら!?」

 

 思わずヴァレンがズコッと腰を抜かしかける。

 リオとマリンは少し照れた様子で、互いの顔を見合わせる。

 
 「──あの時、あんた言ったろ?」

 「『今日一緒にいた相手が、明日も隣にいるとは限らない』……ってさ。」


 リオが噛み締める様に言う。


 「──その通りだと思ったんだ。俺たち"冒険者"は明日どうなるとも知れない身の上。後悔はしたくねぇな……って。」

 「で、気付いたら、マリンにプロポーズしてた。いつどうなるかは分からねぇけど、こいつとずっと一緒にいたいって気持ちは誰にも負けないって、気づいちまったからな。」


 マリンの手を握るリオの手に、ギュッと力が入った様だった。

 ヴァレンはその様子を見て、サングラスの奥の目を細める。



 「そっか……良かったな」

 

 笑顔のまま、そう呟く。

 それだけで、マリンは少し泣きそうな顔をして、リオも照れ臭そうに頭を掻いた。

 

 「ありがとう。あんたに会えてよかったよ。」

 「また、いつかどこかで!」

 

 そう言ってふたりが夜の坂を駆け下りていく。

 その背中を、ヴァレンは目を細めて見送った。

 

 「……ん?」

 

 その時、遠くの夜空。花火の奥の空に浮かぶ小さな影があった。


 ──鳥か? いや、違う。


 あの、変異個体の大型グリュプス。

 しかも、番(つがい)で飛んでいる。

 先日、彼が"運命交差デスティニー・コリジョン"で運命をぶつけた雌グリュプスが──

 見事につがいとなり、連れ立って夜空を飛んでいるのだ。

 

 「……ククク……いいね。」

 

 夜空に、二羽のグリュプスの影。

 下では、花火と、三人の青春。

 すべてが、ほんの少しずつ、“幸せ”に向かって動いている。

 

 ヴァレンは、ロングコートの裾をひらりと揺らして──空を見上げた。

 

 「……最高だ」

 

 誰に言うでもなく、ぽつりと呟いて、そのまま、ふらりと草の上に寝転がる。


 夜空を舞う花火の音が、心地よいBGMになって、彼の胸に染みていく。



 "色欲の魔王"ヴァレン・グランツは、

 その夜もまた、“恋”を見守っていた。
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