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第五章 魔導帝国ベルゼリア編
第72話 地雷ガールと、執事ボーイ
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川のせせらぎと、鳥のさえずり。
昼下がりの森はどこまでも穏やかで、リュナの足取りもご機嫌だった。鼻歌まじりにぴょこぴょこと石を飛び越え、腰を揺らしながら川辺に出る。
そのときだった。
「……ん?」
視界の端、草むらの中に、不自然に伸びた“なにか”を見つけた。
最初はただの落ちた人形か何かかと思った。が、近づいてみると──それは明らかに少女だった。
年の頃は自分と同じか少し下くらい。
けれど、その姿は──異様だった。
(……何っすか、この子……)
ツヤのある紫髪にほんのりピンクのメッシュのグラデーション、ツインテールの根本には白いふわふわのファーアクセ、口元にはテラテラのグロス。
黒レースのトップスにピンクのミニスカ、網タイツに、脚にはガーター型の──謎のハーネス。
そのいでたちは明らかに“地雷系女子”と呼ばれるものだった。
思わずリュナは数歩引きながら、しゃがみ込む。
「……おーい、大丈夫っすかー?」
肩を軽くぺしぺしと叩くと、少女はゆっくりと目を開けた。
「……そ……そこな娘……妾を……助けよ……」
「…………いや、アンタ誰?」
ジト目で問うリュナ。
だって、怪しすぎるのだ。
地雷感が服から滲み出てる上に、口調だけ“妾”とか言っちゃってるのも異常者ポイントが高い。
「ちょ、まって。めちゃくちゃ怪しーんですけど?」
「ゆ、故あって……妾は今……力が出ぬのじゃ……」
少女は胸元を押さえながら、ゼーゼーと喘ぎ、まるで舞台役者のように芝居がかった口調で続けた。
「人里まで……運んでくれるだけで……構わぬ……何、タダとは言わぬ……相応の礼は……しよう……」
(こりゃ本格的にヤベーヤツだな……)
リュナは一瞬、本当に倒れてる人かもと思った自分を反省しかけたが──すぐにその同情心も引っ込んだ。
「いや……礼とかいーから、アンタが何者か教えてくれないっすかね?」
目を細めて見下ろすと、少女はぷるぷると指を震わせながら──
「……いいから、いいから……近う寄れ……」
弱々しく微笑んだ。
(……あ、やっぱダメだこいつ)
リュナは鼻で笑って、距離を取ったまま立ち上がった。
「……言葉のキャッチボールの出来ないヤツっすね、アンタ……。」
それでも少女は微動だにせず、草むらに倒れたまま、うるうるの瞳を向けて手招きを続けていた。
「……ほんっと、しょうがないっすね……」
ため息を吐きつつも、リュナは草むらに倒れた少女へと慎重に歩を進めた。
無防備なふりして実はワナとか──そんな疑念が脳裏をよぎるほど、この地雷系少女の見た目と態度は信用ならない。
けれど。
見捨てる訳にもいかない。
リュナが膝をつき、あと一歩のところで身をかがめた──その瞬間だった。
「……へ?」
パァン!!!
乾いた音が辺りに響いた。
少女の手に握られていた札束が、リュナの右頬をしっかり、真横に叩きつけたのだ。
その威力はさして強くはなかったが、あまりの唐突さにリュナの思考が停止する。
「……………は?」
目をぱちくりさせる彼女の前で、少女はまるで物を捨てるように札束を地面にポトリと落とし──
「ほれ、拾うがいい」
と、あくまで上から目線で微笑んだ。
「…………」
リュナは無言で数秒、空を見た。
そして目を閉じ、深呼吸。
何かを堪えるように、黒マスクの奥で唇を噛み
──そして、
すっ……と札束を拾い上げた。
その手は微かに震えている。
だが、表情は無だった。
次の瞬間──
スパァン!!!
今度は、少女の頭に向けて、その札束がスナップと共に振り抜かれた。
「グエッ!!」
奇妙な悲鳴を上げ、少女は顔面から草むらに突っ伏す。
ファーアクセがズレ、ピンクの髪に土がついた。
だが少女はすぐにムクリと顔を上げ、スッとした目でリュナを見つめた。
「……貴様、何をする」
「それは、あーしのセリフだし!!」
リュナの怒鳴り声が炸裂した。
頬に残る札の感触をぬぐいながら、彼女はじりじりと迫る。
「……テメェ、何いきなりヒトの顔面ハタいてくれちゃってんすか……!?」
「なにを怒っておる?」
少女は目をぱちぱちさせて、本気で疑問そうに首をかしげた。
「札束で頬を叩かれるのは、全人類の夢じゃろ?」
「知るか!!ヒトによるだろうが!!そんなもんは!!」
リュナのツッコミが炸裂する。
彼女は勢いよく、少女の胸ぐらを掴み――ひょい、と持ち上げた。
細っこい身体は軽く、ひょろりと浮かび上がる。
「……あーしはそんなもんいらねんだよ!」
少女は持ち上げられながらも、じっとリュナの瞳を見つめ──
「ほう……お主の“欲”は、別の所にある、と……。それはそれで、興味深いが……」
と、ぽつりと呟く。
だが次の瞬間、しれっと口角を上げて、
「……おお、そうそう。その調子じゃ。そのまま妾を人里まで運ぶがよい」
と、まさかの女王様ムーブ。
リュナは、ぶら下がる少女の顔を見て──しばし沈黙。
そして、深いため息をついた。
「……この状況で、よくそんなエラそーな態度取れるっすね、アンタ……」
呆れたようにそう言いながらも、リュナは掴んだ胸ぐらを放さない。
ぬいぐるみのような軽さの少女を片手で支えたまま、草むらに立たせる。
その時だった。
少女の腰元──ベルトに下がっていた小さなポーチが、カサッと揺れた。
コロン……
「ん?」
地面に転がり落ちたのは、ピンポン玉ほどの銀色の球体。
草の合間にきらりと光るそれを見て、リュナはしゃがみ込む。
「何か落ちたっすよ、これ……」
少女をそっと草むらに座らせると、リュナはその銀色の玉を拾い上げた。
「あっ……! それは……!」
少女の声が、今までとは違う響きを帯びる。慌てたような、不安なような、どこか焦りの混じった声音だった。
「んー……?」
リュナは銀の玉をじっと見つめ、指先で丁寧にくるくるとアルミホイルを剥いていく。
すると、中から出てきたのは――
「……おにぎり、っすか?」
ピンポン玉サイズの、小さな、小さな“おにぎり”。
それは見た目こそ質素だが、表面は白米の美しい輝きが見られ、ほのかにスパイシーな香りが立ちのぼる。
「……あれ? この匂い……」
リュナは無意識に鼻を近づけ、くんくんと匂いをかぐ。
その瞬間、ついさっき感じたばかりの感覚が、鼻腔の奥をくすぐった。
香辛料のバランス、炒め玉ねぎの深み……そして、ほんのりとした酸味。
「…………これ、まさか……」
疑念が確信へ変わる前に、リュナは黒マスクを顎まで下ろし、“ぱくっ”と口に入れていた。
もちもちとした米の中から、柔らかく溶けたルーと、刻まれた肉とじゃがいもがとろけ出す。
「……これ、兄さんのカレーじゃね?」
その味は、まさしく──
アルドが作っていた、あの“特製カレー”の味だった。
「……あ……ああああああーーーーーっ!!?」
突然、少女が悲鳴を上げる。
リュナが振り返ると、彼女は座ったまま、肩を震わせていた。
「そ、それは……少しずつ……ほんの少しずつ……大事に食べていた……カレー……」
震える声。
「……妾の、最後の、ひとくちだったのに……!!」
ぽろ、ぽろ、と。
彼女の目から、涙が零れ落ちた。
リュナは一瞬、時が止まったように凍りつく。
「えっ……ちょ、マジで……? うそ……」
あまりにも素直に泣かれてしまい、普段なら言い返す彼女の声も、完全に裏返った。
「ご、ごめんって! いやホント、勝手に食べたのはあーしが悪かったよ!」
両手をバタバタさせながら、リュナは慌てて少女の前にしゃがみ込む。
「そ、それじゃ……その、これを“お礼”ってことにしよ? あーしが、人里まで連れてってやっからさ! な?」
必死の宥めにも、少女の涙は止まらなかった。
◇◆◇
「……許さぬ」
少女が、ぐらつく膝でよろよろと立ち上がる。
その顔は涙で濡れ、鼻も赤い。けれどその瞳だけは、ギラギラと怒気に燃えていた。
「よくも……よくも妾の、最後の楽しみを……!」
リュナはぽかんと、片眉を上げる。
(また始まったっすか……地雷タイム)
「……このカレーの価値も分からず、勝手に食いおって……!」
少女の怒声が震える。
「──貴様から……対価を"強制徴収"するッ!!」
その瞬間、風が止んだ。
森の空気が、ピンと張り詰める。
「……!」
リュナの眉がぴくりと跳ねる。
(なんだ……!? コイツ……急に空気が変わったっす……!)
さっきまでただのワガママ泣き虫だと思っていた相手が、まるで違う存在のように見えた。
しかし──
「……あっ!」
少女が、突然ぽつりと呟いた。
手は自分の右腿へと滑り、そこに巻かれた黒革のガーターベルトをさわさわとまさぐる。
(し、しまった……!! 今は“魔神器”が無いのじゃった!!)
心の中で、悲鳴を上げる。
あれがなければ“契約”は行使できない。
威圧だけで済ますはずだったのに、つい癖で“徴収”の構えを取ってしまった──!
一方、リュナは。
「……テメー、今、あーしに何しようとした……?」
先ほどまでとは打って変わり、声に冷たさが混じっていた。
その瞳は、まるで猛獣が獲物を測るような色をしている。
「……“森で道に迷った一般人”って訳じゃなさそーっすね」
その言葉と同時に、リュナの背中から──
ぶわ、と音を立てて衣が膨らみ、黒銀の鱗に覆われた竜の“翼”が生える。
肩甲骨のあたりから、さらに“腕”が生える。長く、しなやかで、爪の先には雷光がチリチリと走る。
竜の力。人の形を模した獣の腕と翼が、異形のシルエットを描き出した。
「っ……!?」
少女の目が、恐怖と焦燥に揺れる。
(こ、こやつ……!? ただの人間の小娘では……ない!?)
風が鳴る。
見合う二人の間に、葉が一枚、ふわりと舞い落ちた。
(し、しまった……! 今の状態で攻撃の構えを取ってしまったのは、あまりにも迂闊……!)
この森に漂う魔力の残り香。
この女から感じる“竜の力”の強度。
(ま、まさか……この者、あの“咆哮竜”の……!?)
地雷少女の顔から、サーッと血の気が引いていく。
一方、リュナはその反応を見て、わざと口元をニィと吊り上げた。
「……で? “対価を徴収する”んじゃなかったっすか?」
翼を広げ、竜腕の一つを少女の顎に添える。
まるで、挑発するように。
「──やってみれば?」
ぞわり、と。
少女の背に、嫌な汗が伝う。
◇◆◇
リュナの瞳が、冷たく細められた。
「……お望み通り、“人のいる所”まで連れてってやるっすよ」
言葉こそ穏やかに聞こえるが、その声音は、凍るような低さだった。
竜の翼が微かに羽ばたくたび、周囲の空気がビリビリと揺れる。
「ただし──“尋問対象”としてっすケド」
竜腕の一本が、少女の頭上に向けて、ぬるりと伸びていく。
本体は腕組みをしたまま、一歩も動かず。
まるで──女王が、眼下の虫を摘まみ取るかのように。
「はわわっ……!?」
地雷系少女が情けない声をあげ、ぷるぷると後ずさった。
(ヤバいヤバいヤバいヤバい……! ど、どうする!? 今の妾では、此奴には太刀打ちできん……!)
がさっ。
その時だった。
森の奥から、風を割くような疾風が走る。
「──お嬢様!!」
その声は、鋭く、力強かった。
リュナが目を細めて振り返る。
その視界に飛び込んできたのは──
黒髪を後ろで結い、燕尾服をまとった一人の男だった。
白手袋に身を包んだ左手には、銀の鞘に収まった長剣。
整った顔立ちには冷静な怒りが浮かび、その足取りはまるで風のごとく。
「ベル!!」
少女が、縋るようにその名を呼ぶ。
男──至高剣ベルザリオンは、ひと息に間合いを詰めた。
「何っすか、アンタ!? この女の仲間っすか!?」
リュナが、右の竜腕を男へと振るう。
空気が裂け、爪が弾丸のように迫る──
しかし。
「……受けろ、アポクリフィス」
ベルザリオンは、空中で静かに鞘に手をかけ──
シュッと、わずか数センチだけ、銀の剣身が露わになった。
次の瞬間──
ギィィィィィン!!
黒と銀の光がぶつかり合う。
竜爪が、銀の刃に受け流され、火花のような雷が空間に散った。
(コイツ……!!)
リュナの表情に、僅かに驚愕が混じる。
(あーしの“竜腕”を受け流した……!?
……なかなか腕の立つヤツっすね。)
(それよりも……あの剣!!あれは、尋常じゃないっす……!)
目の前の銀剣。
それは、まるで“知っている気配”を宿していた。
(……この感じ……まるで、兄さんみたいな……!)
本能が告げていた。
“あれには触れない方がいい”。
「貴女は……あの連中の仲間……ですか?」
「……お嬢様の御身に手をかけるとは、覚悟の上と見ました」
ベルザリオンは少女の前に立ち、その身で庇うように構える。
抜刀の構え──だが。
「哭け……! 真竜!!」
叫ぶと同時に、剣を抜こうとする。
だが──
「……なっ!?」
剣が、鞘から抜けない。
銀の刃が、震えていた。まるで拒絶するかのように。
「アポクリフィスが……戦う事を、拒否している……!?」
ベルザリオンの目に、混乱が走る。
そして、リュナを見据え──
「……まさか…!?」
「──貴方は、“あのお方”の眷属…なのですか?」
“あのお方”。
その言葉に、リュナの眉がピクリと跳ねた。
「は……? 何言ってんすか、アンタら……!?」
リュナはまだ、戦闘態勢を解かないまま、警戒の視線を二人に向けていた。
その表情には、“訳の分からなさ”と“本能的な警戒”が、入り混じっていた。
地雷系少女も、唖然とした様子でベルザリオンを見つめる。
「な、なんじゃと……!? この小娘が……!?」
森に沈む空気が、さらに張り詰めていく。
◇◆◇
空気が、一瞬で静まり返った。
空間に残る黒と銀の稲光がやがて消え、リュナの竜腕の一本が、空中で止まっている。
目の前に立つ男──執事服に身を包んだ、『ベル』と呼ばれた青年が、尚も剣の鞘を握りしめ、慎重に剣を納めようとしていた。
だが、その剣は、まるで抜けないかのように、鞘の中で震えている。
「……何っすか、それ?」
竜腕を一度引っ込めながら、リュナが半眼で問いかけた。
口調は軽いが、背中の翼はまだたたまれていない。視線は、鋭いまま。
青年──ベルザリオンは、手の中の剣を見つめたまま、小さく呟いた。
「……間違いない……アポクリフィスが共鳴している……」
そして、次の瞬間。
「──はっ!」
リュナが思わず身を引くほどの勢いで、ベルザリオンはその場に土下座した。
地面に手をつき、顔を下げる。
落ち着いたはずの空気が、今度は異様な静けさに包まれる。
「さ、先程は、私と、私の主が大変、失礼致しました……!」
ベルザリオンの声は、まっすぐで、切実だった。
「どうか、御容赦下さい……!私達は、貴方様の“御主人様”にご用があって、この地を訪れたのです……!」
「……ご、御主人様?」
リュナは思わず眉をひそめた。
(今、“あーしのご主人様”って言った……?兄さんのこと……?)
竜腕をゆっくりと引っ込め、翼も小さく羽ばたいて静かにたたむ。
空気が柔らかくなったのを感じて、リュナは一歩前に出た。
だが、その横では──
「ふんっ」
例の地雷系少女が、プイッと横を向いて口を尖らせていた。
目にはまだ涙の跡が残っているが、どこかムッとした表情で腕を組んでいる。
(なんなんすか、この子は……)
リュナは心の中で思わず頭を抱えたが、すぐに目の前の土下座男に意識を戻す。
ベルザリオンは顔を上げ、真っすぐにリュナを見据えた。
その瞳に、迷いはなかった。
「……どうか、貴方様の御主人様へ、御目通り願えないでしょうか」
そこまで言って、少し息を整えたあと、彼は続けた。
「──新・ノエリア領の領主、ブリジット様……」
リュナは「えっ?」と顔をしかめた。
「……そして……」
ベルザリオンは、どこか神妙な顔で口を開いた。
「……偉大なるカレー料理人……」
「六場道三郎殿に……!」
その瞬間。
「…………は?」
リュナの脳内で、スッと何かがフリーズした。
「……いや、二人目誰だよ……」
昼下がりの森はどこまでも穏やかで、リュナの足取りもご機嫌だった。鼻歌まじりにぴょこぴょこと石を飛び越え、腰を揺らしながら川辺に出る。
そのときだった。
「……ん?」
視界の端、草むらの中に、不自然に伸びた“なにか”を見つけた。
最初はただの落ちた人形か何かかと思った。が、近づいてみると──それは明らかに少女だった。
年の頃は自分と同じか少し下くらい。
けれど、その姿は──異様だった。
(……何っすか、この子……)
ツヤのある紫髪にほんのりピンクのメッシュのグラデーション、ツインテールの根本には白いふわふわのファーアクセ、口元にはテラテラのグロス。
黒レースのトップスにピンクのミニスカ、網タイツに、脚にはガーター型の──謎のハーネス。
そのいでたちは明らかに“地雷系女子”と呼ばれるものだった。
思わずリュナは数歩引きながら、しゃがみ込む。
「……おーい、大丈夫っすかー?」
肩を軽くぺしぺしと叩くと、少女はゆっくりと目を開けた。
「……そ……そこな娘……妾を……助けよ……」
「…………いや、アンタ誰?」
ジト目で問うリュナ。
だって、怪しすぎるのだ。
地雷感が服から滲み出てる上に、口調だけ“妾”とか言っちゃってるのも異常者ポイントが高い。
「ちょ、まって。めちゃくちゃ怪しーんですけど?」
「ゆ、故あって……妾は今……力が出ぬのじゃ……」
少女は胸元を押さえながら、ゼーゼーと喘ぎ、まるで舞台役者のように芝居がかった口調で続けた。
「人里まで……運んでくれるだけで……構わぬ……何、タダとは言わぬ……相応の礼は……しよう……」
(こりゃ本格的にヤベーヤツだな……)
リュナは一瞬、本当に倒れてる人かもと思った自分を反省しかけたが──すぐにその同情心も引っ込んだ。
「いや……礼とかいーから、アンタが何者か教えてくれないっすかね?」
目を細めて見下ろすと、少女はぷるぷると指を震わせながら──
「……いいから、いいから……近う寄れ……」
弱々しく微笑んだ。
(……あ、やっぱダメだこいつ)
リュナは鼻で笑って、距離を取ったまま立ち上がった。
「……言葉のキャッチボールの出来ないヤツっすね、アンタ……。」
それでも少女は微動だにせず、草むらに倒れたまま、うるうるの瞳を向けて手招きを続けていた。
「……ほんっと、しょうがないっすね……」
ため息を吐きつつも、リュナは草むらに倒れた少女へと慎重に歩を進めた。
無防備なふりして実はワナとか──そんな疑念が脳裏をよぎるほど、この地雷系少女の見た目と態度は信用ならない。
けれど。
見捨てる訳にもいかない。
リュナが膝をつき、あと一歩のところで身をかがめた──その瞬間だった。
「……へ?」
パァン!!!
乾いた音が辺りに響いた。
少女の手に握られていた札束が、リュナの右頬をしっかり、真横に叩きつけたのだ。
その威力はさして強くはなかったが、あまりの唐突さにリュナの思考が停止する。
「……………は?」
目をぱちくりさせる彼女の前で、少女はまるで物を捨てるように札束を地面にポトリと落とし──
「ほれ、拾うがいい」
と、あくまで上から目線で微笑んだ。
「…………」
リュナは無言で数秒、空を見た。
そして目を閉じ、深呼吸。
何かを堪えるように、黒マスクの奥で唇を噛み
──そして、
すっ……と札束を拾い上げた。
その手は微かに震えている。
だが、表情は無だった。
次の瞬間──
スパァン!!!
今度は、少女の頭に向けて、その札束がスナップと共に振り抜かれた。
「グエッ!!」
奇妙な悲鳴を上げ、少女は顔面から草むらに突っ伏す。
ファーアクセがズレ、ピンクの髪に土がついた。
だが少女はすぐにムクリと顔を上げ、スッとした目でリュナを見つめた。
「……貴様、何をする」
「それは、あーしのセリフだし!!」
リュナの怒鳴り声が炸裂した。
頬に残る札の感触をぬぐいながら、彼女はじりじりと迫る。
「……テメェ、何いきなりヒトの顔面ハタいてくれちゃってんすか……!?」
「なにを怒っておる?」
少女は目をぱちぱちさせて、本気で疑問そうに首をかしげた。
「札束で頬を叩かれるのは、全人類の夢じゃろ?」
「知るか!!ヒトによるだろうが!!そんなもんは!!」
リュナのツッコミが炸裂する。
彼女は勢いよく、少女の胸ぐらを掴み――ひょい、と持ち上げた。
細っこい身体は軽く、ひょろりと浮かび上がる。
「……あーしはそんなもんいらねんだよ!」
少女は持ち上げられながらも、じっとリュナの瞳を見つめ──
「ほう……お主の“欲”は、別の所にある、と……。それはそれで、興味深いが……」
と、ぽつりと呟く。
だが次の瞬間、しれっと口角を上げて、
「……おお、そうそう。その調子じゃ。そのまま妾を人里まで運ぶがよい」
と、まさかの女王様ムーブ。
リュナは、ぶら下がる少女の顔を見て──しばし沈黙。
そして、深いため息をついた。
「……この状況で、よくそんなエラそーな態度取れるっすね、アンタ……」
呆れたようにそう言いながらも、リュナは掴んだ胸ぐらを放さない。
ぬいぐるみのような軽さの少女を片手で支えたまま、草むらに立たせる。
その時だった。
少女の腰元──ベルトに下がっていた小さなポーチが、カサッと揺れた。
コロン……
「ん?」
地面に転がり落ちたのは、ピンポン玉ほどの銀色の球体。
草の合間にきらりと光るそれを見て、リュナはしゃがみ込む。
「何か落ちたっすよ、これ……」
少女をそっと草むらに座らせると、リュナはその銀色の玉を拾い上げた。
「あっ……! それは……!」
少女の声が、今までとは違う響きを帯びる。慌てたような、不安なような、どこか焦りの混じった声音だった。
「んー……?」
リュナは銀の玉をじっと見つめ、指先で丁寧にくるくるとアルミホイルを剥いていく。
すると、中から出てきたのは――
「……おにぎり、っすか?」
ピンポン玉サイズの、小さな、小さな“おにぎり”。
それは見た目こそ質素だが、表面は白米の美しい輝きが見られ、ほのかにスパイシーな香りが立ちのぼる。
「……あれ? この匂い……」
リュナは無意識に鼻を近づけ、くんくんと匂いをかぐ。
その瞬間、ついさっき感じたばかりの感覚が、鼻腔の奥をくすぐった。
香辛料のバランス、炒め玉ねぎの深み……そして、ほんのりとした酸味。
「…………これ、まさか……」
疑念が確信へ変わる前に、リュナは黒マスクを顎まで下ろし、“ぱくっ”と口に入れていた。
もちもちとした米の中から、柔らかく溶けたルーと、刻まれた肉とじゃがいもがとろけ出す。
「……これ、兄さんのカレーじゃね?」
その味は、まさしく──
アルドが作っていた、あの“特製カレー”の味だった。
「……あ……ああああああーーーーーっ!!?」
突然、少女が悲鳴を上げる。
リュナが振り返ると、彼女は座ったまま、肩を震わせていた。
「そ、それは……少しずつ……ほんの少しずつ……大事に食べていた……カレー……」
震える声。
「……妾の、最後の、ひとくちだったのに……!!」
ぽろ、ぽろ、と。
彼女の目から、涙が零れ落ちた。
リュナは一瞬、時が止まったように凍りつく。
「えっ……ちょ、マジで……? うそ……」
あまりにも素直に泣かれてしまい、普段なら言い返す彼女の声も、完全に裏返った。
「ご、ごめんって! いやホント、勝手に食べたのはあーしが悪かったよ!」
両手をバタバタさせながら、リュナは慌てて少女の前にしゃがみ込む。
「そ、それじゃ……その、これを“お礼”ってことにしよ? あーしが、人里まで連れてってやっからさ! な?」
必死の宥めにも、少女の涙は止まらなかった。
◇◆◇
「……許さぬ」
少女が、ぐらつく膝でよろよろと立ち上がる。
その顔は涙で濡れ、鼻も赤い。けれどその瞳だけは、ギラギラと怒気に燃えていた。
「よくも……よくも妾の、最後の楽しみを……!」
リュナはぽかんと、片眉を上げる。
(また始まったっすか……地雷タイム)
「……このカレーの価値も分からず、勝手に食いおって……!」
少女の怒声が震える。
「──貴様から……対価を"強制徴収"するッ!!」
その瞬間、風が止んだ。
森の空気が、ピンと張り詰める。
「……!」
リュナの眉がぴくりと跳ねる。
(なんだ……!? コイツ……急に空気が変わったっす……!)
さっきまでただのワガママ泣き虫だと思っていた相手が、まるで違う存在のように見えた。
しかし──
「……あっ!」
少女が、突然ぽつりと呟いた。
手は自分の右腿へと滑り、そこに巻かれた黒革のガーターベルトをさわさわとまさぐる。
(し、しまった……!! 今は“魔神器”が無いのじゃった!!)
心の中で、悲鳴を上げる。
あれがなければ“契約”は行使できない。
威圧だけで済ますはずだったのに、つい癖で“徴収”の構えを取ってしまった──!
一方、リュナは。
「……テメー、今、あーしに何しようとした……?」
先ほどまでとは打って変わり、声に冷たさが混じっていた。
その瞳は、まるで猛獣が獲物を測るような色をしている。
「……“森で道に迷った一般人”って訳じゃなさそーっすね」
その言葉と同時に、リュナの背中から──
ぶわ、と音を立てて衣が膨らみ、黒銀の鱗に覆われた竜の“翼”が生える。
肩甲骨のあたりから、さらに“腕”が生える。長く、しなやかで、爪の先には雷光がチリチリと走る。
竜の力。人の形を模した獣の腕と翼が、異形のシルエットを描き出した。
「っ……!?」
少女の目が、恐怖と焦燥に揺れる。
(こ、こやつ……!? ただの人間の小娘では……ない!?)
風が鳴る。
見合う二人の間に、葉が一枚、ふわりと舞い落ちた。
(し、しまった……! 今の状態で攻撃の構えを取ってしまったのは、あまりにも迂闊……!)
この森に漂う魔力の残り香。
この女から感じる“竜の力”の強度。
(ま、まさか……この者、あの“咆哮竜”の……!?)
地雷少女の顔から、サーッと血の気が引いていく。
一方、リュナはその反応を見て、わざと口元をニィと吊り上げた。
「……で? “対価を徴収する”んじゃなかったっすか?」
翼を広げ、竜腕の一つを少女の顎に添える。
まるで、挑発するように。
「──やってみれば?」
ぞわり、と。
少女の背に、嫌な汗が伝う。
◇◆◇
リュナの瞳が、冷たく細められた。
「……お望み通り、“人のいる所”まで連れてってやるっすよ」
言葉こそ穏やかに聞こえるが、その声音は、凍るような低さだった。
竜の翼が微かに羽ばたくたび、周囲の空気がビリビリと揺れる。
「ただし──“尋問対象”としてっすケド」
竜腕の一本が、少女の頭上に向けて、ぬるりと伸びていく。
本体は腕組みをしたまま、一歩も動かず。
まるで──女王が、眼下の虫を摘まみ取るかのように。
「はわわっ……!?」
地雷系少女が情けない声をあげ、ぷるぷると後ずさった。
(ヤバいヤバいヤバいヤバい……! ど、どうする!? 今の妾では、此奴には太刀打ちできん……!)
がさっ。
その時だった。
森の奥から、風を割くような疾風が走る。
「──お嬢様!!」
その声は、鋭く、力強かった。
リュナが目を細めて振り返る。
その視界に飛び込んできたのは──
黒髪を後ろで結い、燕尾服をまとった一人の男だった。
白手袋に身を包んだ左手には、銀の鞘に収まった長剣。
整った顔立ちには冷静な怒りが浮かび、その足取りはまるで風のごとく。
「ベル!!」
少女が、縋るようにその名を呼ぶ。
男──至高剣ベルザリオンは、ひと息に間合いを詰めた。
「何っすか、アンタ!? この女の仲間っすか!?」
リュナが、右の竜腕を男へと振るう。
空気が裂け、爪が弾丸のように迫る──
しかし。
「……受けろ、アポクリフィス」
ベルザリオンは、空中で静かに鞘に手をかけ──
シュッと、わずか数センチだけ、銀の剣身が露わになった。
次の瞬間──
ギィィィィィン!!
黒と銀の光がぶつかり合う。
竜爪が、銀の刃に受け流され、火花のような雷が空間に散った。
(コイツ……!!)
リュナの表情に、僅かに驚愕が混じる。
(あーしの“竜腕”を受け流した……!?
……なかなか腕の立つヤツっすね。)
(それよりも……あの剣!!あれは、尋常じゃないっす……!)
目の前の銀剣。
それは、まるで“知っている気配”を宿していた。
(……この感じ……まるで、兄さんみたいな……!)
本能が告げていた。
“あれには触れない方がいい”。
「貴女は……あの連中の仲間……ですか?」
「……お嬢様の御身に手をかけるとは、覚悟の上と見ました」
ベルザリオンは少女の前に立ち、その身で庇うように構える。
抜刀の構え──だが。
「哭け……! 真竜!!」
叫ぶと同時に、剣を抜こうとする。
だが──
「……なっ!?」
剣が、鞘から抜けない。
銀の刃が、震えていた。まるで拒絶するかのように。
「アポクリフィスが……戦う事を、拒否している……!?」
ベルザリオンの目に、混乱が走る。
そして、リュナを見据え──
「……まさか…!?」
「──貴方は、“あのお方”の眷属…なのですか?」
“あのお方”。
その言葉に、リュナの眉がピクリと跳ねた。
「は……? 何言ってんすか、アンタら……!?」
リュナはまだ、戦闘態勢を解かないまま、警戒の視線を二人に向けていた。
その表情には、“訳の分からなさ”と“本能的な警戒”が、入り混じっていた。
地雷系少女も、唖然とした様子でベルザリオンを見つめる。
「な、なんじゃと……!? この小娘が……!?」
森に沈む空気が、さらに張り詰めていく。
◇◆◇
空気が、一瞬で静まり返った。
空間に残る黒と銀の稲光がやがて消え、リュナの竜腕の一本が、空中で止まっている。
目の前に立つ男──執事服に身を包んだ、『ベル』と呼ばれた青年が、尚も剣の鞘を握りしめ、慎重に剣を納めようとしていた。
だが、その剣は、まるで抜けないかのように、鞘の中で震えている。
「……何っすか、それ?」
竜腕を一度引っ込めながら、リュナが半眼で問いかけた。
口調は軽いが、背中の翼はまだたたまれていない。視線は、鋭いまま。
青年──ベルザリオンは、手の中の剣を見つめたまま、小さく呟いた。
「……間違いない……アポクリフィスが共鳴している……」
そして、次の瞬間。
「──はっ!」
リュナが思わず身を引くほどの勢いで、ベルザリオンはその場に土下座した。
地面に手をつき、顔を下げる。
落ち着いたはずの空気が、今度は異様な静けさに包まれる。
「さ、先程は、私と、私の主が大変、失礼致しました……!」
ベルザリオンの声は、まっすぐで、切実だった。
「どうか、御容赦下さい……!私達は、貴方様の“御主人様”にご用があって、この地を訪れたのです……!」
「……ご、御主人様?」
リュナは思わず眉をひそめた。
(今、“あーしのご主人様”って言った……?兄さんのこと……?)
竜腕をゆっくりと引っ込め、翼も小さく羽ばたいて静かにたたむ。
空気が柔らかくなったのを感じて、リュナは一歩前に出た。
だが、その横では──
「ふんっ」
例の地雷系少女が、プイッと横を向いて口を尖らせていた。
目にはまだ涙の跡が残っているが、どこかムッとした表情で腕を組んでいる。
(なんなんすか、この子は……)
リュナは心の中で思わず頭を抱えたが、すぐに目の前の土下座男に意識を戻す。
ベルザリオンは顔を上げ、真っすぐにリュナを見据えた。
その瞳に、迷いはなかった。
「……どうか、貴方様の御主人様へ、御目通り願えないでしょうか」
そこまで言って、少し息を整えたあと、彼は続けた。
「──新・ノエリア領の領主、ブリジット様……」
リュナは「えっ?」と顔をしかめた。
「……そして……」
ベルザリオンは、どこか神妙な顔で口を開いた。
「……偉大なるカレー料理人……」
「六場道三郎殿に……!」
その瞬間。
「…………は?」
リュナの脳内で、スッと何かがフリーズした。
「……いや、二人目誰だよ……」
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