真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第五章 魔導帝国ベルゼリア編

第73話 "強欲"来たりて、香りに誘われ

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 「……いやいや、ちょ待って?」


 リュナは両手を軽く挙げながら、一歩後ずさる。

 川辺に立ち尽くしている“執事服の騎士”ベルザリオンの、あまりに真剣すぎる表情に思わず眉をひそめた。


 「ブリジット姉さんは、確かにあーしらのボス的存在っすけど……」


 そこまで言って、リュナは肩をすくめる。


 「その……六場道三郎? ……誰っすかそれ? そんなヤツ、うちにはいねーよ?」


 黒マスクの下で口を尖らせながら断言するリュナの言葉に、ベルザリオンは明らかに困惑の色を浮かべた。


 「そ、そんな筈は……!」


 そのまま目を見開き、必死に訴えるように声を重ねる。


 「人智を超越した力……美しく輝く銀色の御髪……」

 「私は、あのお方の姿を、以来、一時たりとも忘れた事はありません!」


 その頬を伝うものが、熱い想いによる涙であることは明白だった。

 
 「……ベルよ」


 ふいに、不機嫌そうな声が後方から割り込む。

 呟いたのは、ベルザリオンの後ろに立っていた、派手な地雷系ファッションの少女──地の底から湧き上がるような眼差しでツンと唇を尖らせていた。


 「妾より、そいつの事の方が……尊敬してるっぽく、ないか……?」


 低く刺すような声色だったが、ベルザリオンはまるで聞こえていないかのように無反応だった。

 
 リュナはそれを聞き流しながら、ふっと表情を和らげた。



 「銀色の髪、ねぇ……」



 呟くように言いながら、彼女の頭にはすぐに一人の人物が思い浮かぶ。


 (あー……これ、兄さんのことっすね、たぶん)


 数秒の沈黙の後、口元に皮肉めいた笑みが浮かぶ。


 (……どうせまた、何かテンパって適当に嘘ついたんすね。あの人、そういうとこあるから……)

 
 そして、ひとつ息をついたあと──


 「……あーね、把握。」


 そう言って、リュナは改めてベルザリオンの方へ目を向けた。



 「その……道三郎?って人、多分、あーしのご主人様っすわ」

 

 瞬間、ベルザリオンの顔がパァッと明るく輝いた。


 「やはり、そうでしたか!!」


 感極まった様子で拳を握り締める彼に、リュナは片手を腰に当てつつ、もう片方の手で額をトントンと軽く叩いた。


 「……それにしても、何であーしが兄さん……その、“道三郎”の眷属だって思ったんすか?」


 問いかけに、ベルザリオンは神妙な面持ちで目を閉じた。

 そして、彼の胸元に収められた一振りの銀色の剣──“アポクリフィス”を大切そうに抱きしめる。


 「……私とこの愛剣アポクリフィスを、永きに渡る“呪い”から救ってくださったのが、あのお方なのです」

 

 リュナの目がわずかに細められる。

 剣から放たれる無言の威圧感──なるほど、確かに只者ではない気配がある。

 

 「我が愛剣……"真竜剣アポクリフィス"を、真の姿へと打ち直してくださったのも、あのお方……道三郎殿なのです」



 その声には、剣士としての誇りと、救いへの感謝が滲んでいた。

 

 リュナは思わず目を細め、胸の内でつぶやく。



 (あー、なるほど……その剣……兄さんが、何かしたヤツなんすね)

 (……そりゃ、ヤベー気配するはずだわ)

 

 肩をすくめつつも、口元に浮かぶのは、どこか誇らしげな笑みだった。

 

──銀色の髪。仮の名。偽りの道三郎。

だがその影響は、こうして異なる運命を動かし始めていた。



 ◇◆◇



 澄んだ川の音が、会話の余白に静かに流れている。

 

 ベルザリオンは、リュナの前に跪くように片膝をつくと、鞘に収めたままの"真竜剣アポクリフィス"をそっと掲げた。

 その仕草は、まるで神前に宝を捧げる祈りのようだった。

 

 「……アポクリフィスは、謂わば“あのお方”の眷属も同じ……」

 

 低く、だが芯の通った声で彼は続ける。

 

 「そのアポクリフィスが……貴女に刃を向ける事を、断固として拒絶した」

 

 そして、静かに目を開き──リュナの金の瞳を真っ直ぐに見つめた。

 

 「それは即ち、貴女が……あのお方にとって、“大事な存在”だからに他なりません」

 

 その言葉に、リュナの肩がピクリと震えた。

 

 「……え、ええ~……?」

 

 思わず首をすくめながら、リュナは顔を逸らす。うっすらと、耳まで赤く染まっていた。

 

 「……あーしが、兄さんにとっての、“大事な存在”~……?」

 

 恥ずかしさを隠すように手を振りつつ、上目遣いでちらりとベルザリオンを見る。

 

 「ま、まぁ~……その雰囲気も? なきにしもあらず? みたいな~……?」

 

 照れ笑いを浮かべたまま、身をくねらせるようにして足先で地面をこすり、肩を上下に揺らしていた。

 

 その様子を後ろから見ていた地雷系女子は、眉間にくっきりと皺を寄せると、

 

 「……チッ!!」

 

 あからさまに苛立ちの舌打ちを響かせた。

 

 しかし、当のリュナはそれに全く気付かず、どこか上機嫌な笑みを浮かべたまま、ポンと手を打った。

 

 「よーし、いっすよ!」

 

 自信満々に胸を張ると、両手を腰に当て、快活に言い放つ。

 

 「兄さんのとこまで、案内してやるっすよ!」

 

 その言葉に、ベルザリオンは顔を輝かせるようにして立ち上がり、深く一礼した。

 

 「……寛大な対応、心より感謝いたします!」

 

 その姿勢からも、心からの敬意が伝わってくる。

 

 だが、その空気を切り裂くように──背後から、冷たい声が響いた。

 

 「話は終わったか? ほれ、さっさと案内せい」

 

 地雷ガールである。

 どこか上から目線で腕を組み、細かく編まれた黒と赤のネイルをカチカチと指先で打ち鳴らす。

 

 「……あ?」

 

 リュナの眉がピクリと跳ね上がる。

 ふたりの視線が、スッと交錯する。

 

 「……何じゃコラ?」

 

 「……テメー、何すかその態度?」

 

 ジリ……と、距離を詰めるようにして、互いに顔を寄せる。

 リュナの金の瞳と、マイネの潤んだ紫の瞳が、バチバチと火花を散らした。

 

 ──犬猿。もとい、竜猿の仲、ここに誕生。

 

 ふたりの間に、空気がピンと張りつめていく中、ベルザリオンは慌てて手を振りながら割って入る。

 

 「お、お二人とも……っ! ここは一旦、休戦と致しませんか……!?」

 

 まるで爆弾処理班のような繊細な動きで、両者の間に立ち尽くす。

 

 リュナはふっと息をついて、わずかに顔を背けた。

 

 「……何なんすか?この偉そうなバカ女は?」

 

 「妾こそ、こんな下品な小娘と一緒くたにされとうはないわ!」

 

 ──休戦成立、とはいかず。

 だが、同行の約束は結ばれた。

 

 その道が、どんな因縁を呼ぶかは──まだ、誰も知らない。



 ◇◆◇



 陽だまりの道を、三人の影がゆるゆると延びていく。

 

 先頭を歩くリュナは、ふんわりとした足取りで先を行きながら、ときおり後ろを振り返る。

 

 「ほい、見えてきたっすよー。あれが、あーしらの拠点、カクカクハウスっす~」

 

 開けた道の先に現れるのは、丸みという概念を捨て去った、直線のみで構成された家——通称「カクカクハウス」。

 命名者であるアルド本人も、なせこの様なデザインになったのか、実は未だに理由はよく分かっていない。

 

 その異質な建築を目にしたベルザリオンは、目を見開いて立ち止まった。

 

 「こ、ここです……!」

 

 息を呑み、感情を押さえきれぬように声を震わせる。

 

 「ここで……私は……“あのお方”に救われたのです……!」

 

 胸元に手を当て、まるで信仰告白のように言葉を紡ぐベルザリオン。

 

 だが、その横で——

 

 「…………」

 

 彼の主人である地雷系女子は、不機嫌そうに眉をひそめていた。

 
 頬をわずかに膨らませ、長い睫毛の下からベルザリオンを鋭く睨む。

 その視線には、嫉妬とも、苛立ちともつかぬ微妙な色がにじんでいた。

 

 (……なーにが、“あのお方に救われた”じゃ……)

 

 口には出さずとも、心の中では毒が滴る。

 とはいえ、その毒を撒く暇もなく──彼女の鼻先が、ピクンと震えた。

 

 「……!? ……こ、この香りは……っ!?」

 

 クンクンと、小動物のように鼻を鳴らし、急に身を乗り出す。

 鼻先から伝わってくるのは、複雑に混ざり合った香辛料と肉の旨味、そしてどこか懐かしさすら感じさせる——

 

 「……スパイス……スパイスの香りじゃと……!? まさか……カレー!!?」

 

 顔を赤らめ、興奮で全身を震わせるマイネ。

 その瞳はまるで恋する乙女のように潤んでいた。

 

 その様子を見ていたリュナが、やや呆れた様子で玄関の扉を押し開ける。

 

 「たっだいまっす~~!」

 

 すると、間を置かずしてリビングから元気な声が返ってくる。

 

 『リュナちゃん、おかえりー!』

 

 声の主はブリジット。今日も変わらずハツラツとしていた。

 

 続いて、キッチン奥から聞こえてきたのは、どこか気の抜けた男の声。

 

 『おー、帰ったか! そろそろ戻る頃だと思って、カレーの準備しといたぜー』

 

 「……っ!!」

 

 その瞬間だった。

 

 「わっ……!?」

 

 何の前触れもなく、地雷ガールが風のように走り出した。

 

 まさに一直線、一直線!

 スパイスの源と思しきキッチンへ向かって、タタタタタッ!と軽やかな足取りで駆けて行く。

 

 「って、テメーー!!?」

 

 リュナの絶叫が、室内に響き渡る。

 

 「いきなり何処行くんすか!? ちょ、待てコラァァァ!!」

 

 怒鳴りながら後を追うリュナ。

 

 「お、お嬢様ァ!? ご無体な……っ!」

 

 ベルザリオンも慌てて駆け出すが、主に追いつく事は叶わなかった。

 

 だが、彼女の足取りは迷いなく、まっすぐにカレーの香りへと吸い寄せられていく。

 

 彼女の瞳は、まさに“恋に落ちた女のそれ”だった。



 キッチンに足を踏み入れた瞬間、地雷系少女の鼻腔を、香辛料と肉の香りが貫いた。


 (……この蠱惑的で芳醇な香り……ま、間違いない……っ!!)


 鮮烈なスパイスの香りの奥に潜む、どこか懐かしい甘味。

 まるで夢の中でしか味わえなかった、あの至高の記憶の再来。

 地雷系少女の喉が、音を立てて鳴った。



 (これは……“道三郎のカレー”じゃっ!!)



 心を奪われた彼女は、無意識のまま調理台へと歩み寄った。


 そこには、白シャツに黒いスラックスを着こなし、スタイリッシュなエプロンを身にまとった男の背中。

 巻いたキッチンバンダナから覗く後れ毛と、スッと通った背筋。

 その手元では、香り立つルゥが丁寧に皿へと盛り付けられている。


 (おお……この美しき所作……もはや芸術の域……)


 マイネは思わず、そっと男の肩を叩いた。


 「そこな給仕の男……!妾に、そのカレーを献上せよ……!なに、タダとは言わん……礼ならホレ、この通り……」


 腰のポーチから札束を取り出し、男の頬を叩こうと近づけていく。次の瞬間──


 「ん?何だ?お客さんが来てるのか?」


 男が振り返る。

 その瞬間、マイネの全身が凍りついた。

 

 「──ゲェッ!!?」

 

 盛大な悲鳴と共に、札束がばさっと宙に舞う。



 「ヴァ………ヴァレン・グランツ!?」


 「な、何故、貴様がここに……ッ!?」



 全身を強張らせながら、後ずさるマイネ。

 その頬は青ざめ、口元はひきつった笑みを浮かべている。


 男──ヴァレンは、無造作にサングラスを指で押し上げながら、ゆっくりとマイネの顔を見下ろした。


 「……ん? お前、ひょっとして……」


 サングラスの奥、目が細められる。

 

 そのとき、パタパタとリビングから数人の影が駆け込んできた。

 ブリジットが腕にフレキを抱えたまま、驚いた表情で尋ねる。


 「ど、どうしたの!? ヴァレンさん!」


 続いてリュナが不機嫌そうに顔をしかめる。


 「ん? ソイツ、おめーの知り合いっすか?」


 ヴァレンは眉を上げ、ふっと唇の端をつり上げた。


 「知り合い……って言うか……」


 そして、楽しそうにこう言い放った。


 「──コイツ、俺の同類。」

 

 その一言に、マイネの肩がピクリと震える。

 次の瞬間、後ろにいたベルザリオンが慌てて一歩前に出る。



 「……紹介が遅れて、誠に申し訳ありません……」



 マイネを庇うように一礼しながら、声を整える。



 「お嬢様は……我が主は、“大罪魔王・第三の座"に着くお方……」

 「“強欲の魔王”──"マイネ・アグリッパ"様です……」



 静寂が走る。


 「え、えぇぇーーーっ!??」


 ブリジットが思わず声を上げる。


 「……また”大罪魔王”かよ……一人いりゃ十分っすよ、そんなもんは……」


 リュナが額に手を当てて、呆れ気味にぼやく。


 その一方で、マイネは(やば……やばばば……)と内心で叫びながら、「はわわわ……」と謎の音を発し、視線をあちこちに泳がせている。

 ──なぜなら、彼女は今、とある事情で、自身の"魔神器セブン・コード"を手放していた。

 魔王としての本来の力を発揮できぬ状態で、他の魔王と邂逅してしまったのだ。


 (よりにもよって、あのヴァレンと遭遇するとは……ついてないにも程があるじゃろ……)


 そんなマイネに、ヴァレンはカレーの鍋をひょいと持ち上げながら言った。



 「……とりあえず、お前もカレー食う?」



 その問いに、マイネは一度目を閉じて深く息を吸い込み──



 「……特盛でいただこうかの」



 諦めにも似た覚悟の表情で、そう答えた。


 彼女──"強欲の魔王"マイネ・アグリッパの中で、「逃げる」でも「威圧する」でもなく、

 今はただ「食う」ことが、最も賢明な選択肢だという結論が下された瞬間だった。
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