離縁前提の結婚ですが、冷徹上司に甘く不埒に愛でられています

みなつき菫

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1巻

1-2

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   ◇


「失礼します……」

 帰り支度を整えて、ドキドキしながら指定された数階下のミーティングルームへ急いだ。
 そこは、前方にモニターと長机が置かれただけの空間で、通常は人事面談などに使われる鍵付きの部屋だ。そんな場所ということもあり、さらに緊張が増す。
 入室すると、窓際で外を見つめていたダークスーツの背中が振り返った。

「呼び出してすみません。座ってください」

 嶋田さんは座るようにと私を促し、自らも反対側に腰を下ろした。
 デスクの隅には、彼のファイルや書類が整然と積み重ねられている。

「……えっと、稟議書りんぎしょと書類は?」

 あまりにもスマートに誘導されて反射的に座ってしまったが、書類を渡すだけなら座る必要はないはずだ。早く用件を済ませ、カフェでのことを謝罪したいと思って尋ねる。
 それに、英斗社長に同行して本社で会議に出席していた彼は、本来なら帰社している時間だ。そんなに大事な書類なのか。

「――稟議書りんぎしょはコレです。今日は、あなたと話をするために呼びました。……社長には先に戻っていただいたのでご心配なく」

 ファイルを差し出しながら、私の心を見透かしたようにそう言った嶋田さんの瞳はとても冷たく、非常に嫌な予感がした。
 ――それって、まさか。

「昼休みに話していたこと、わからないとは言わせません」

 予感が的中し、背筋が震えた。考えられることはひとつしかない、慌てて立ちあがる。

「――すみません! あれは誤解というか、そういう意味ではなくて……っ!」
「――会長からの見合い話を、断っていただきたい」

 だけど、私が頭を下げて情けない声を上げると同時に、彼の声が重なった。
「は?」「え?」と私たちは言葉を止めて見つめ合う。
 話が噛み合っていない。……見合い? 断る?
 数秒後、状況を察したらしい嶋田さんが先に沈黙を破った。

「……なにか誤解しているようですが、私は別にあなたがたが昼休みに、私の文句を言っていることを咎めたいわけではありません。会話の中で『見合い』と口にしているのを聞いて、会長が進めようとしている見合い話を阻止するために来たんです」

 ――み、見合いの阻止ぃ⁉
 思ってもみない方向の話で、戸惑とまどう。

「詳しく、お聞きしても……?」

 弁明よりも先に、彼の話を聞いたほうがよさそうだ。
 嶋田さんは少し迷う素振りのあと、事情を話してくれた。


 嶋田さんの話によると、彼と英斗社長は幼馴染で、会長とも付き合いが長いそうだ。その縁もあって、ここのところお節介焼きの会長にしつこく見合いを勧められ、困っているのだとか。
 しかし、会長ほどの著名人ともなれば、相手側も社会的に立場のある極上のエグゼクティブの令嬢。もとより話を受けるつもりはない嶋田さんは、会長の体面や立場を守るために、角が立たないよう断っていたようだ。
 そして、そろそろ次の縁談が来るだろうと身構えていたら、外出帰りにたまたま寄ったカフェで、私たちの会話が聞こえてきたらしい。

「……そう、だったんですか」

 正直、嶋田さんが部下でもある私との見合い話に難色を示すのは想像できたが、こんなに困らせるとは思わなかった。知らずに舞いあがっていた自分が恥ずかしくて申し訳なくなる。

「――なので、國井さんなので信頼して話をしましたが、断ってもらえると助かります。見合いはもちろん、誰とも結婚も交際もするつもりがないので」

 誰とも……?

「結婚も交際もって……なぜ」

 見合い話を持って来られるのが面倒なのかと考えたが、違うような言いかただ。
 自分に可能性があったわけでもないのに、胸が掴まれたように苦しくなる。

「聞かなくても、あなたも理解しているのでは? 昼休みに佐伯さんと私の噂話をしていたでしょう」

 その言葉に彼の言わんとしていることを理解した。

『情状酌量の余地もない厳しい男で、すみませんね』
「――あれは……っ」

 嶋田さんの指示はいつも的確で無駄がない。そして、私たちにも無駄なく簡潔に報告することを望んでいる。だから言い訳はさせてもらえないし、要件が済めばすぐに追い返されてしまう。
 だが、これを残念に思うのは、私が彼のことを好きで、彼への理解を深めたいと思うからだ。どう伝えればいいものか……

「別に構いません。冷たい人間であることは自覚していますし、周囲の理解を得たいなどとは思っていません」
「……」
「――とはいえ、迷惑をかけましたね」

 嶋田さんは私をさえぎって心の内を明かしたあと、今度はなぜか私を気づかった。

「え……? めいわく……?」

 話がどんどん進むのに、肝心の意味がわからない。でも少し嫌な予感がして言葉がつかえる。

「不本意とはいえ、私の事情に巻きこみかけたのは事実です。ボスに頼まれたら断りにくいですからね――余計な心労をかけたでしょう」

 完全に誤解されている。
 そんなこと思ってない。むしろ会長から見合いの話をされて、舞いあがってしまったというのに。

「私は……」

 でも、カフェでの一件があった以上、中途半端な言葉は届かない気がした。どうやったらこの気持ちを伝えられるだろう。

「まぁ、とにかく」

 私が怯んだ隙に嶋田さんは席を立ち、ファイルや資料をテキパキと回収していく。

「従順な会長秘書であるあなたには難しいかもしれませんが、これ以上この件を気にかける必要はありません。断りにくいのなら、あとは私がうまく処理しますのでご心配なく」

 すべてが拒絶に聞こえて、再び言葉が口の中に押し戻される。
 言いかたは穏やかだけれど、これまでの叱責やお小言よりも、ううん……そんなの比じゃないくらい、心に深く突き刺さった。

「ということで、話は終わりです――失礼」

 嶋田さんは茫然とする私を一瞥すると、歩き出す。
 やだっ……行っちゃう。

「――ま、待ってくださいっ!」

 咄嗟とっさに、脇を通りすぎようとしたダークスーツの腕をぐっと引き止めた。
 眼鏡の奥の目に驚きが浮かんだが、私は必死で食いついた。

「迷惑なわけありません……! 今更こんなこと言ったって信じてもらえないかもしれないけれど……昼休みのことについて、書類を受け取ったあと真意を伝えられたらと思っていました。私は、ゼネラルマネージャーが冷たい人間だなんて思ったことはありません」

 勇気を出して告げると、彼は頭ふたつぶん上にある綺麗な目を軽く見張った。

「お見合いの話だって、そうです……。会長からのお話とか関係なしに、私の意思でお受けしたいと考えていました。もちろん、ゼネラルマネージャーがお嫌なら指示に従います。だけど――」

 息をついて、震える手のひらをぎゅうっと握りしめた。
 そして、顔を上げてまっすぐ見つめたら、コップの水があふれるように涙がこぼれた。

「私は、五年前に助けてもらったあの日から、ゼネラルマネージャーのことが、ずっとずっと好きでした。だから……できれば、このチャンスを逃したくないと思っています」

 切れ長の目が、さらに大きくなった。
 ――言ってしまった。
 月末に本社に戻ってくるっていうのに、なにやっているんだろう。
 もっとうまく伝えるつもりだった。こんなふうに気持ちを伝えるつもりなんて、本当はなかった。でも、それ以上に誤解されたままなのは嫌だった。根本的に取り違えたら、今まで大事に育ててきた私の気持ちまで、狩り取られてしまうような気がしたから。

「……引き止めて、すみません。私の気持ちをぜんぶ誤解されたまま終わっちゃうのは、悲しいと思って……」

 いたたまれなさを笑ってごまかしたら、かすかに息を呑む気配がした。

「では、いきなり失礼しました……あとのことは、お任せします」

 頭を下げ、背を向ける。
 手荷物をまとめて、部屋を出ようと急いだ。
 気を抜くと泣いてしまいそうだ。結局、見つめているだけで満足というのは建前で、身の程知らずの私は、心の底ではこの人の隣に立つことに憧れていたんだって、今になって気づかされた。

「待って」

 だけど、ドアの取っ手に触れる前に、嶋田さんが駆け寄ってきて、私の手を掴んで引き止めた。

「まだ、なにか……?」

 みじめになるからこのまま帰してほしいのに、振り返ると感情の読めない瞳が私をじっと見おろしていた。
 なにか底知れないものが宿っているように見えるのは、気のせいだろうか……?
 そして、しばし無言で見つめ合ったあと、嶋田さんはなぜか大きく頷いた。

「――わかりました」
「え?」

 嶋田さんは私の腕を解放すると、ポカンとする私を見て淡く微笑んだ。

「私にあとのことを任せるんでしょう? なら私は、この件の判断を國井さんにゆだねます」

 珍しい彼の微笑みに、うっかりキュンとときめいちゃったけれど……
 いきなり、どうしてそうなった。
 見合いするかどうかを、私が決める……⁉
 さっきとは百八十度話が変わったことに、動揺を隠せない。

「突然、なに言って……」
「とても画期的な案を思いついたから、ですかね」

 困惑していると、嶋田さんは整えられた指先で自らのあごさきに触れ、それでもってなぜだか興味深そうに私のことを見つめる。
 か、かっきてき……?
 場の空気が、ゆっくりと変わっていくような気がした。

「幸運なことにねぎを背負ったかもが舞いこんできたというか」

 かも……?

「覚悟によっては協力してもらうのも、悪くないかな? なんて思ったり」

 きょうりょく……?

「――思ったというか、そう思わされたというか……つまり、あなたの熱心さにヤラれました」

 やられ……? ど、どういうこと……?
 嶋田さんは自分の感情を持て余している様子で、ブツブツ言い連ねているけど、意味がちっともわからない。

「――まぁ、とにかく」

 次の瞬間、きょとんとしている私を部屋の奥に追い詰めるように、ズンと足を踏み出した。

「決めるのは、あなたです」

 そう言って、すごみに圧される私を部屋の奥へ追いやる。
 脳内は一気に混乱する。
 なんでいきなり、楽しそうな顔して迫ってくるの……⁉
 そんな顔はじめて見ましたけど!

「えっ、あの……」
「ん?」

 二重ふたえまぶたを縁取る長い睫毛まつげが怪しげに揺れる。
 意味がわからず心の中で盛大にわめきながらも、いつもと違った雰囲気の彼に魅了される。キャパオーバーで卒倒しそうだ。

「考え直してくれるのは嬉しいんですが……っ。いろいろ追いつかないというか、ついていけないというか――……あっ」

 そんなことを言っている間に、腰がコツンと長机にぶつかってしまう。稟議書りんぎしょの入ったファイルが手から滑り落ちた。そんな私の逃げ場を奪うように、嶋田さんは両手を長机について、私をしなやかな腕の檻に捕らえ身を寄せてきた。

「判断をゆだねると言ったでしょう? だから、俺があなたの思うような男かどうか、ここでよく確かめていってください――」

 セルフレームのシンプルな眼鏡を外すと、知的な美貌が余すことなくさらされた。
 繊細でシャープで、でも想像よりも色気があって、浮かべた悪い笑みもやっぱり素敵で……あぁ、こんな状況なのにダメ。見惚れる……

「後悔のないようにね」
「こう……かい」
「――あなたの好きな秘書室の悪魔おとこは、あなたを手籠めにしようと目論んでいるような、とっても悪いやつかもしれないですから」

 それって、どういう――
 口を開く前に、デスクの上に押し倒される。そのままの流れで近づいてきた澄んだ目に見惚れていると、彼の唇が私の唇をふさいだ。
 一瞬、自分の身に何が起きたのかわからなかった。
 キスをされていることに気づいたのは数秒後。じっと目を開けたままこちらを見つめ、角度を変えながら唇が重なる感触を受け入れていた。

「んぅ……ふぁ」

 言葉を封じこめるように、薄い唇が甘やかに噛みついてくる。
 はじめは優しく翻弄するように、だんだん温かい粘膜が絡み合うと、頭の芯がじいんと痺れてなにも考えられなくなった。ふたりきりのミーティングルームに、唇を重ねる湿っぽい音が響く。
 強引ではない甘い快感を呼び覚ますような唇の動きと、ときおり私の耳に触れる指先に、頭がいっぱいになった。
 やがて、ひとしきりキスで私を翻弄した唇は首筋に移動し、感度の高い皮膚の薄い部分をついばむ。

「ぁ、あ……」

 いだした生ぬるい舌の感触に、思わず上擦った声が出る。

「やらしい声……ベッドでも従順なのが想像できますね……」

 はじめて聞く、彼の雄を思わせるささやきに、全身が燃えるように熱くなった。

「な、なに言って――」
「なにって……教えてあげているんですよ」

 危機を察知しながらも、手首を机に縫い付けられていて身動きが取れない。
 シャツを寛げられ、唇が胸元に降りていく感覚に、心臓が壊れそうに高鳴った。
 ついばんだ箇所を労わるように舌で優しく舐められ、無意識によじった腰を逃げないように押さえこまれる。
 そして、鎖骨から下へ、ツーと滑る舌の感触に私は、ぎゅうっと身を固くしてまぶたを閉じた。
 ――ど、どうしようっ。

「ま、まって――」

 ようやく制止の声を上げると、胸の上部にキスを落とした嶋田さんが、ゆっくりと体を離した。

「ほら……こんなふうに。あなたみたいに無防備な人は、易々と食べられてしまうかもしれないですね」

 ペロリと自らの濡れた唇を舐めて、それから、肩で息をする私の唇を指先でするりと拭って。

「だから……本当に俺と見合いをしたいのなら、覚悟してきてください」

 彼はそう耳元で甘い忠告をし、艶やかな笑みを浮かべたのだった。
 ――状況を整理する余裕なんて、一切なかった。
 眼鏡を装着したふたつの黒曜石に映るのは、今にも卒倒しそうな顔でシャツの胸元を搔き寄せる私。
 心のないロボットにたとえられるほどクールで、女性に興味すらなさそうな、冷静沈着な仕事人間。
 美しき悪魔とも言われる彼の、腰が砕けるようなキスと愛撫。
 見合いを断るようにと告げられ失恋確定かと思いきや、いきなり緊急事態が発生し、思考回路がショートしそうだった。

「……なんですか? そんなに熱く見つめて。もしかして……もの足りなかった?」

 私の五年越しの恋は、とんでもない波乱の展開を迎えた――



   第二章 理屈じゃどうにもならない衝動


 ――この世に、理屈でどうにもならないことが、存在するとは思わなかった。
 このとき翻弄されていたのは俺のほうだっただろう。間違いなくそう思う。
 國井桜という女性は少しだけ変わっている。
 今どきの若手社員には珍しく、礼儀正しく生真面目で素朴。控えめでありつつも、しっかりと芯が通っていて、どんなに大変でも音を上げず、常に笑顔で仕事と向き合う強い精神力の持ち主……と把握している。
 確か、プライベートでは人がよすぎると、藤森さんが案じていたのを聞いたことがある。……まぁ、たまに指示をしたあとに見せる気の抜けた、ヘニャンとした笑みは、悪い男に絆されそうな危うさがある。
 小柄な身長に、強く抱きしめたら折れてしまいそうな華奢きゃしゃな体。そして華美ではないがひとつひとつ整った顔のパーツは、二十七歳という年齢よりも若く見える。可愛いかと問えば、十中八九の人は小動物のようで可愛らしいと答えるだろう。厳しいと言われる俺だが、彼女だけは、新入社員の頃からひたむきな姿勢を評価していた。
 とはいえ、まさかこんなことになるとは……


「――今回こそ、最高の見合い話を持ってきてやったぞ」

 二日前の終業後。田園調布の住宅街一角にある、鷲宮邸に招かれた俺は、これで何度目になるのかわからない、非常に頭の痛い状況に陥っていた。
 仕事終わりの送迎時、会長から上司の英斗さんに電話がかかってきた。
 このあと空いていたら、夕食を取りながら今後進める事業について三人でディスカッションをしようとの誘いの電話だった。
 予定が空いていたのが運の尽きだ。ディスカッションなど表向きの理由なのは、わかっていた。
 会長は食事の席についた俺を見て、満足そうな笑みを浮かべていた。

「今回は、逃げられんぞ?」

 まるで脅し文句のようなセリフと、隣で漏れる忍び笑いを聞きながら、俺はため息をどうにか堪えたのだった。
 ――財閥の流れをくむ名家〝鷲宮家〟とは幼い頃から交流があった。
 俺の実家は、五百坪近くあると言われる鷲宮御殿ごてんの隣家。母親同士は古くからの学友。そんな偶然が重なれば、同級の英斗さんと俺が物心ついたときから付き合うようになるのはごく自然なことだった。
 いわゆる、幼馴染というやつだ。
 良好な関係のまま時は流れ、海外留学から帰国すると同時に、以前から俺の能力を買ってくれていた会長と社長に声をかけられ、鷲宮ホールディングスへ入社した。
 ちなみに俺の実家も、企業経営をしている。
 国内スポーツメーカー『シーマ』という会社で、世界的にも知られる割と大きな企業だ。だが、スポーツに関心がなく次男でもある俺は、理解のある父に自由にしていいと言われていて、会社は三歳上の兄が継ぎ、俺は将来を模索していたところだった。だからこの誘いは、正直幸運なことだった。
 そんなわけで、遠慮なく秘書室に入ることを希望した。
 秘書室を選んだ理由は簡単だ。競争社会の中で一人で勝ち抜くことは容易だが、自分の性格上周囲を引っぱっていくことには向かない。だったら、持ち前の情報収集能力を生かし、誰かのサポートをするほうが性に合っていると思ったのだ。
 そこで、はじめの数年は藤森さんといがみ合いながら会長秘書を務め、その後は英斗さんの役員就任と同時に会長からの依頼で彼の秘書を務め、統括業務も任されるようになっていった。
 俺を恐れる者もいるが、仕事自体は天職だと思っている。入社以来、すべて順調だった。
 だが――

『お前も、そろそろ身を固める時期だろう』

 一年前、英斗さんが結婚したのをきっかけに、状況は一変した。
 ずっとひとり身の孫の心配をしていたお節介焼きな会長が、次の標的を俺に定めたのだ。
 幼少期から屋敷に出入りしていた俺を気にかけてくれるのは嬉しいが……就業時間外に顔を合わせれば、一に見合い、二に見合い。三、四がなくて、五に見合い。もう、ウンザリだ……!

「……何度も申しあげていますが、今後も私は仕事に身を捧げていきたいと思っています。会長のご心配には及びません」

 いつもの断り文句で切り返すと「また、そんな嘘言いおって~」とニヤついているが、断じて嘘は言ってない。
 女性など、一緒にいるだけで疲れる。秘書として会長や社長に同行していると、女性の自己本位で計算高い部分が目につく。ステータスのある者に媚びを売り、思うようにいかないと手のひらを返す。
 もちろん、全員がそうでないことは理解しているが、言い寄ってきた女性との過去の恋愛でも、その思いは変わらなかった。
 見ているのは容姿と金で、欲しいのは優しさ。
『悪魔』と言われるほど淡泊な俺は、いつも三ヶ月もしないうちに交際が破綻する。
 そんな無駄な時間を過ごすくらいなら、仕事に身を捧げたほうが有益だ。

「まぁ、聞くだけ聞け」

 だが、会長はめげずに切り出す。

「家柄がよく優秀で将来有望なお前に見合うよう、経歴や家柄を重視して相手を選んできた。だが、頭の硬いお前は愛想なしで口数が少なく鈍感、なかなか人からよく思われない。おまけに薄情で悪知恵ばかり思いつく。そんなお前の結婚相手に必要なのは、経歴ではなく包容力や理解だということに気づいた」
「……ぷっ、はは」

 隣で声を上げて笑った幼馴染を、じろりと睨んで黙らせる。
 唐突にはじまった盛大な悪口大会に唖然としたが……あながち間違っていないのがしゃくだ。なにも言い返せない。

「そこで、今回はそんなどうしようもないお前を理解し支えてくれそうな女性に声をかけることにしたんだ」

 その一言にピクリと反応した。

「……理解? ですか」

 淡々と切り返しながらも、どうしてだろう。
 心の奥底で大切に眠らせていた綺麗な小箱のふたを、ゆっくりと開けられたような感覚に陥った。

「誰なのか、お前もわかってるんじゃないのか?」
「……そのような奇特なかた、いませんよ」

 なぜ、彼女を思い浮かべてしまうのだろう。
 ――國井桜は、本社で唯一、不愛想で辛辣な俺と笑顔で話せる女性だった。
 続けて浮上してきたのは、五年前の記憶だった。

『すみ、ません……迷惑かけて、じぶんで歩きます……。ふじもりさんにも、ほうこく、しなきゃ……』

 鮮明に覚えている。
 腕の中で眠りに落ちた彼女の柔らかい笑み。ジャスミンのような淡い甘い香りのするダークブラウンの長い髪。華奢きゃしゃで柔らかくて小さな体に、陶器のように滑らかで白い肌。そして、色素の薄い瞳にはかなげに揺れる長いまつげ。思い出すたびにかすかに鼓動が乱れる。
 過労が祟って倒れるなど、自己管理が不十分で自業自得。そもそも、新たな生活に順応する前に無理をするなんて、利口とは言いがたい。
 だというのに――
 真っ青な顔をしているのに、周囲や業務ばかりを案じる彼女を前にして、どうしてなのか、胸の奥が詰まったような気分になった。

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