どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第一章 夜の女王とミミズク

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 地中――地上をのぞき込むと青々とした茂みを掻き分け、少年が飛び出してきた。数時間前にすれ違った、頭からつま先まで全身真っ白な少年だ。杖をつきながら、器用に木の根を避けていた。倒れていた怪物を検分するようにかがみこむ。じろじろと怪物を見回したあと、あたりを見回した。口を大きく開いて叫んでいるようだ。白い髪が風に揺れていた。

「遅い、トーマ」

 ギスランが、遅刻を責めるように手を地面につけて呟いた。
 トーマ? ギスラン達が言っていた清族か!
 少年に続いて数人の兵士が茂みから姿を見せた。
 ギスランの声に反応したように少年の白い眉毛が持ち上がった。ミミズクのように白い睫毛の下にあるのは紫色の瞳だった。

「遅い!? 俺がこんな足だって、知っていてそう言うのかよ」
「私のように移動魔法を使えばよかったろうに」
「移動魔法を使え? 正気で言ってるとしたら、呆れるね。あんた、移動魔法の危険性知らねえのかよ」
「下手な清族が失敗を繰り返すから、危険なのでは? すくなくとも私は、一度も体がばらばらになった記憶はないが」
「なってたら、俺はあんたに向かって忠告しなくて済むからありがたいが? ……どこに隠れている?」

 きょろきょろと探すトーマをギスランは言葉で制した。後ろで兵士達が狼狽えている。

「可視化できない場所だ。調査しがいがありそうな興味深い所だが、あいにくと帰還が叶いそうにない」
「いいから、どこにいるのかだけ伝えろ」
「地面のなか」

 ぴたりとトーマは動きを静止した。

「からかっているのか?」
「この状況でのんきに貴様をからかえと?」
「地中でどうやって声を上げている。空洞にでもいるのか?」
「私の周りは水で満たされている」
「……そんなはずがない」

 トーマはすぐに状況を理解したらしい。深刻な顔をして、首を振る。

「その記憶は俺達の体験できない奥深くにあるはずだ。たとえ、洪水や血のせいで錯乱しているとしても、それの混乱は地の神が調停するはず。そもそも、水中からここまで声が届くはずがない」
「神の存在を主張して、なんの意味が? 神の介入になんの望みがある? 原理など、知らない。起こっていることがすべて」
「俺もそちらへ向かう」
「勧めない。帰還方法が確立されていないと伝えたはずだ」

 ギスランは何度か、地面を叩いた。円形状に波紋が広がる。周りにいた生物たちが恐れて逃げ去っていく。ギスランは、イルを引きずり込んだときのように腕を地上に出した。

「腕だけで、うるさい取り巻きどもがやめろと大合唱する。死の神の赦しがなければ、地上に戻ることは摂理に反すると」
「地の神は死に絶えているということか。死に神が地中に堕ちたものを裁定するとは」
「さあ。私は神々の系譜に興味はない。地の神が存在したという仮説すらどうでもいい。けれど、死の神と交渉しなくてはならないことは確かなようだ」
「やっぱり俺も同行したほうがいい。死に神の眷属と契約を交わしている。俺がいた方が役立つだろ」
「馬鹿な子だ」

 トーマはギスランの手をつかんだ。大きなため息を吐き出しギスランが引っ張り込む。
 トーマはイルのように、一度空中に浮かび上がり、体を猫のように宙返りさせた。杖はくらげの上に落ち、地面に転がった。
 真っ白な服が泥はねでところどころ汚れていた。トーマはあたりを見回して、きらきらと瞳を輝かせた。杖を拾い上げ、たったとどこかへ走り出そうとした。

「トーマ。貴様、好奇心を満たすために降りてきたのか」

 お預けを食らった子供のようにむくれながら、トーマが動きを止めた。

「ギスラン様は、この未知で占められた空間に知的好奇心を刺激されねえの?」
「餓鬼」
「うるせえな。まだ十一だ。当たり前だろ」
「この危うさで私に移動魔法は危険だと忠告するのだから」

 かっと目を見開いて、トーマがいきり立つ。指をギスランにつきつけた。

「移動魔法はまだ発展途上の魔法だ。そもそも、磁場が狂う森のなかだぞ。魔力の安定が出来ない。今回はさらにこの騒動だ。みだらに清族の術でかき乱していいものじゃねえ」
「そういうものか?」
「それに! 花火めがけて移動するなんて命知らずにもほどがある。少しは頭使えよ」

 明朗とした物言いでトーマはギスランに意見した。小柄だが、意志の強い猫目でギスランをじっとりと見つめていた。
 ギスランはえいっとトーマの額を指で弾いた。とても自然に弾いたので、驚くのに時間がかかってしまった。
 なにやっているの、こいつ。

「ギスラン様、すげぇむかつく」

 トーマは口元をひくつかせながら睨みつけた。

「心配しているとはっきり言えばいいものを。なぜ素直になれない?」
「してねえ」
「そう? 勘違いか」

 にこにこするギスランから目線を外したトーマは一瞬、私と目を合わせた。
 だが、すぐに気まずそうに逸らされた。なんとなく、苦手な瞳だった。一瞬目が合っただけなのに見透かされたように思えた。

「カルディア姫、こちらが私の従兄弟のトーマです。ダンの弟妹の子供です」

 ギスランは私の視線に気が付き、素早く紹介した。トーマは軽く会釈をしただけで、すぐに体を翻し、ハルとサラザーヌ公爵令嬢のもとへ向かった。
 ギスランは愉快そうに喉を鳴らす。

「ああ見えてとても優秀な男です。ヴィクター・フォン・ロドリゲスとも親交がありますね。清族のなかでも一二を争うほどの頭脳を持っていますが、偏屈さと口の悪さで有名だ」
「仲がいいのね」
「カルディア姫と私の方が仲がいいですけれど! まあ、話していて、苦痛ではありません」

 私の手首を擦りながら、ギスランはなぜか照れている。

「あまりダンとは似ていないのね」
「言葉が乱雑なのは個性ですよ」
「言葉遣いは驚いたけれど、そうじゃなくて顔の造形よ」
「……トーマの顔が気に入った?」
「なぜそうなるの? ダンと似ていなかったから」

 会話をしながらトーマとハル達に視線を注ぐ。ハルが何事か言っているが、トーマはすべて無視して、サラザーヌ公爵令嬢の脈を測ったあと、彼女の体を抱え上げようとした。だが、小柄な体では支えきれず、すぐにサラザーヌ公爵令嬢の体が傾いた。見ていて、心配になってくる。ハルも見かねたようで、手助けしていた。

「そうでしょうか?」
「え、ええ」
「あのー? 会話の邪魔をしてしまい申し訳ないのですが。貧民はどうするつもりなんです?」

 イルの問いかけに、ギスランは舌打ちした。

「貴様に任せる。私はカルディア姫に夢中で忙しい」
「あー、お邪魔致しました。でも、ここから出られないのでしょう? 貧民もつれていかれるのですか?」

 ギスランは私を一瞥した。冷たい氷のような瞳をしていた。ぞくりと背筋に駆け上がるものがある。

「どうしたものかな」

 ギスランはイルを見て、唇で弧を描いて見せた。

「イル、貴様もあの男を殺してほしくない?」
「いえ、俺は」
「誤魔化さずともわかるが。カルディア姫もそのように考えていらっしゃるようだ。それほど人徳があるということだろう」

 イルは顔を伏せ、否定した。ギスランがイルの顎をとって、顔を上げさせる。

「別に殺すつもりはない。けれど、そうだ。声を出せぬように、イルが喉を潰してくれる?」

 命令をきいて愕然としてしまう。ギスランは、何を命令しているのだ。

「拷問はする。これは、決定事項だ。でないとリスト様の部下に示しがつかない。ああ、イルには言っていなかったか? カルディア姫を守っていたリスト様の部下達は全員怪我を負っていた。なぜか、詳しくはきいていないけれど、カルディア姫と一緒にいた者なら知っているはずだろう」
「喉を潰したら、話を聞けないじゃない」
「つらつらとなにを語らせるのですか? はいかいいえが分かれば済むことです」

 ハルは空賊であり、実際、部下達を打ちのめしたカンドの仲間だ。贖罪の機会は与えられないと言いたいのだろう。ギスランは正しく、聡明で、残酷だ。

「弁解や自己弁護をさせてはいけない。金糸雀のように綺麗に歌わせることもいけない」
「ギスラン、恩赦を与えるべきよ」
「誰にとっての恩赦でしょうか。あの貧民のための? それとも、貴女様のための?」

 見透かすような、腹立たしげな、責めるような強い眼差しが私を貫く。
 誰のための、恩赦なのか。私はハルだけを特別視している? 公平とは、なんだろう。平等のように、どこにもないものなのだろうか。私利私欲のために、私は瞳を曇らせている?

「イル。ちょっとこっちこい」

 私達の会話を中断させたのはトーマだった。サラザーヌ公爵令嬢を抱え上げたハルの足元に腰を下ろし、手招きしている。

「なんです?」

 イルはわかりやすく面倒だという顔をして近付いた。こっそり後ろについていく。ギスランは私の手を掴みながら、同じようにあとを追った。一瞬、視線がサラザーヌ公爵令嬢に向ったけれど、すぐに興味なさげに逸らされた。

「こいつは?」

 トーマが見ていたのはミミズクだった。ぐってりと少年姿のまま潰れている。その姿はトーマと瓜二つだ。イルはトーマとミミズクを交互に見つめて、ご兄弟なのでは? と尋ねた。

「この真っ白さ、鏡写しのようにそっくりですが」
「馬鹿、ちげえよ」
「俺には、なんとも。このちび、いつの間に紛れたんだか」

 私の手をつかんでいたギスランが、急に手を放してミミズクの肩を抱いてのぞき込む。
 なぜか、私がどきどきしてきた。さすがにミミズクが少年になったとは言えないしな。正気を疑われる。……いや、もしかしたら、清族のなかではミミズクが人型をとるのは当たり前なのか?

「これ、もしかして」
「ギスラン様、誰だか知ってるのか?」
「……起こしてみれば、分かる」

 ギスランの言葉に従ってトーマが揺すり起こす。ミミズクは、体をごろんと転がして寝息を立て始めた。トーマがいくら揺すっても起きる気配はない。しれっと、ミミズクの体をつついた。潰れたクッションみたいに平たくなっていて少し心配になる。
 睫毛が震えて、瞼が上がった。ミミズクはゆっくりと視線をさまよわせて、私を見つけるとゆっくりと笑いかけた。

「おはよう、はなおとめ」
「はなおとめ?」

 ギスランが渋面をつくって繰り返した。

「ギスランが、いる? トーマも。おはよう」

 呼びかけられた二人は何かに気づいたように額をおさえて嘆息した。それぞれ、おざなりにこんばんはだと返している。
 私とイルは見合って首を傾げた。なんだ、この残念な雰囲気は。まるで道化が現れて笑いを取ろうとしているような滑稽さが滲んでいる。

「ミミズク、ここでなにを?」

 トーマが、詰問した。ミミズクは上体を起こして、相変わらず王冠のようにのっけている花冠の位置をなおしていた。

「こら、答えないと羽を毟るぞ」

 ギスランが髪の毛に手を伸ばす。二人ともミミズクを知っているらしい。

「ギスラン、嫌い。いつもいじめる。トーマ、助けて」
「いいから、質問に答えろ」
「……みんな、ひどい。もう、いい。はなおとめ、助けて」

 ミミズクは両手を広げて私に縋ってくる。それをなんとも言えない表情で見つめるトーマとギスラン。特にギスランは、複雑な表情でミミズクの手をペシペシ叩いている。ミミズクは最初のうちはふんと無視していたが、やがて我慢ならなくなったのか、かっと目を見開いて荒く唸った。

「人は傲慢だ。清族はそのなかでも格別。なにもかも、つまびらかにしないと気が済まない。真相を知って、何を得ると? 人は無邪気に探るが、それが心の慰めにしかならないとなぜ気がつかない。進歩が、人に何を与えたというのか。肥大化する自尊心と他人を蔑視する悪しき心、そして神を厭い、辱める無粋な精神を取得しただけでは?」
「お、お前、どうしちゃったの?!」

 饒舌になったミミズクに戸惑いを隠せない。こいつ、こんなに喋れたのか。
 そういえば、ハルと最初にこのミミズクをみたとき、このミミズクはこんな風に物語を語っていたっけ。
 だが、あれは物語を紐解くときだった。語り部となるときだった。今回はそんな厳かな感じはしない。激情を垂れ流しているといった様子だ。

「あの原型とて、人間の傲慢さを顕わそう。あれを動物として展示しようなどと、おこがましいにもほどがある。人は生物のなかで頂点に君臨している幻想を抱く。なんと、馬鹿げた妄想か! そのくせ、同じ姿見をしているものを、同じ言葉では喋れぬから、同じ行為ができぬからと、人とは認めぬと? 理性とは、人の傲慢が生み出したものだ。弱肉強食で淘汰されるほうがまだ理にかなっている。人の差別こそ、理智の否定であり、愚行の徴であろうよ」

 ミミズクに一番に反応を示したのは、トーマだった。眉を大きく上げる。

「展示をなぜ、知っている?」
「トーマ、展示とは?」
「……民族博覧会が、王都で来年行われる予定。そこに、あの寝っ転がってた脂肪女も展示する予定だった」

 展示? 胸がざわつく言葉だ。日常ではあまり使わない言葉だと思う。

「……待って。民族?」

 さあと頭が冷えてくる。民族を展示するというのはどういうことだ。
 唇の震えが止まらない。
 だって、それはつまり、あれは、私達と同じ人間ということではないのか。
 イルも気が付いたのか、渋面を作っている。ギスランは、下を見た。怪物をーー人間を見ている。

「あれは海洋国家の一部の地域で大量繁殖しているレイ族だ。意思の疎通ができねえ野蛮人どもで、人を食う。奴隷として捉えられ輸入されてきたのを俺とヴィクターで買った。多産で、丈夫な体をしている。食用にと考えたこともあるが、肉は腐りやすいし、まずい」

 奴隷? 食べる? 言葉はわかるのに、頭のなかに入ってこない。体の内部が焼けただれているような錯覚がおきる。

「食用ですか?」

 イルが顔を顰めたまま、トーマに尋ねた。

「戦時中の非常食としてな。海洋国家では普通に人肉を吊るして売ってたぞ、豚みたいに。まあ、結局、衛生面がクリアできなかったから、王都では流通はしてねえよ。さっきもいったが、豚よりもまずいしな」
「人間を、さっき殺したわけだ。俺は」
「剣奴ならよくあることだろ。猟銃もって、狩りにいくようなお綺麗な身分じゃねえだろ。後悔するようなことかよ。……それで? ミミズク、なんで知ってる?」
「飛び回れば、どんな風の精も教えてくれる。お前達は滑稽だ。原型と言ったろう。自分達の成り立ちさえ知らないのだから、愚図どもめとせせら笑っていた」
「原型だと? 何言ってる?」

 ミミズクは、トーマの言葉を無視して、私の背中に隠れた。そっと顔を出して、舌を出すとすぐに私の後ろに隠れるを繰り返している。

「おい、ばかミミズク」
「トーマ、生意気。ギスランと同じぐらい嫌い」
「トーマ、話がずれている。なぜ、ミミズクがここにいるかを尋ねていたのでは?」

 ミミズクは私の背をぎゅっと握りしめ、何も話す意思がないことをあらわした。

「カルディア姫、このミミズクと親しいのですか?」
「親しいというか。懐かれているというか」
「あー、そういえば森に行かれたこと、ありましたっけ。そこで?」

 イルは私と貧民の家で会う前のことも知っているらしい。監視されていたのだ。今更だが背筋が凍るような不快が走る。肯定するとギスランが苛立たしげに舌打ちした。

「……大変、気に入らないが。今は後にしてやる。大変気に入らないが! お前、人型になれたのだな」
「お前と同じ森の神の眷属だった一角獣のように、人型は嫌ではなかったのか?」

 ギスランとトーマの言葉に、ミミズクは渋いものでも口に含んだみたいなは顔をしかめた。

「……好き好んで人間を模したりしない。こんな醜悪な容姿に好き好んでなるものか。でも、結界が破られたせいで魔力が揺らいだ。この身は天帝の眷属だが、繋がりは他の眷属どもより希薄だ。そのため、一時的に魔力供給が減り、このような姿に。人の姿は醜悪だが、この地で活動するには安定する。結界が修復したにも関わらず、体が治らないのは、死に神が魔力供給を制限しているからだろう。醜悪な姿を晒して地を這い蹲るのがお似合いだと思っていらっしゃるのだ」

 そういえば、雨が花冠に変わったぐらいで気分がわるいと言ってミミズクが倒れたのだったか。あの時、結界が破られては人型を取らざるをえなくなった?
 もしかして、花冠がいきなり降ってきたのは、ミミズクへの魔力供給がうまくいっていないと気が付いたからだろうか?
 花冠が魔力と関係あるかは知らないが、花冠を介して魔力を供給していたのではないか。それならば、花冠を執拗にのせ続けた意味も分かるというものだ。
 ーーの御世となる。ああ、喜ばしきかな、喜ばしきかな。玉座に腰掛ける、美しき方。
 硬質な声が頭をよぎる。なにか、間違っているような、違和感がよぎった。
 あのとき、もっと違う言葉を聞いたような気がする。頭が混乱している。その後にいろいろと大変なことになったからか、思考がまとまらない。

「……お前、死に神に嫌がらせされるようなことをやったの?」

 なんとなく深く考えてはいけないような気がして、ミミズクの言葉の後半部分について尋ねてみた。

「違うよ、はなおとめ。死に神は、退屈なんだ。死ぬほどの退屈。けれど、神は死ねない。だから、慰めを求めている」
「退屈だと、そんなことするの?」

 んとミミズクが短く返事をする。トーマは納得いかないという顔をしていた。

「それで、どうしてカルディア姫と供に? つきまとっているわけではないだろうな」
「守ってあげていたの! はなおとめが酷い目に合わないように」

 その割にはすやすやと惰眠を貪っていたが、ミミズクとしてあれを含めて私を守っていたつもりなのだろうか。
 まったく、頼りにならなかったけれど、その気持ちは嬉しかった。胸をはるミミズクを撫でる。けれど、ミミズクを庇ったサラザーヌ公爵令嬢のことを思い出して、胸が苦しくなってくる。このミミズクは、自分を庇った相手の不幸を慮ることが出来なかった。自分を庇ったという認識さえないのかもしれない。娘を庇って、父親が死んだ。その程度の認識なのかもしれない。
 ミミズクは私に撫でられて嬉しそうに目を細めていた。

「毛を引きちぎってやりたい」

 ギスランが怒りをこめて、刺々しい言葉を落とした。



 それからしばらくミミズクの話を聞いていたが、黙秘が多いため、時間が惜しいと相手にしないことにした。日付が変わりそうだし、リスト達のことも気になる。さっさと地上に戻りたかった。
 しかし、ここで待ったをかけたのはトーマだった。まず、彼はここの調査を隅々までやりたいとごね、ギスランに却下されると次はせめて腹ごしらえをさせてくれと言った。こんな緊急事態に食事する!? と驚いたが、ギスランは渋々認めてしまった。
 なんでも、清族は他の階級と違って、魔力を使うのでこまめに栄養補給をしなければ気分が悪くなったり邪悪な妖精に操られてしまうことがあるらしい。
 火も何もないし、見た所食べるものもなさそうだが、トーマはギスランの許可を踊り出しそうなほど喜び、側を泳いでいた鰯を捕まえて生のまま食べ始めた。
 おどり食いというものの存在を、私はそのとき始めて知った。トーマは水でも吸い込むように、次々に泳ぐ魚達を捕まえてむしゃむしゃ丸ごと食べた。どんな顎をしているのか、鱗も骨もお構いなしだ。
 口に入ればそれでいいといった有様で、次々と平らげていった。しかも、まずいとか美味い、淡白だ、濃厚だとか、食べるたびにいうものだから、だんだんと自分が食べているような気になってしまう。食べてもいないのに、顎が痛いような、小骨が喉に引っかかっているような、疑似体験をしている気分だ。しかも、その行為は長々と続いた。
 そういえばギスランも大食漢であるときいたことがあることを胸焼けしながら思い出した。ギスランはというと、あっちの肥えているやつの方が美味しいそうだと、トーマに教えていた。

 側を悠然と泳いでいた魚達が怖がって散らばってきた頃、トーマは食い足りないといいながら、食事を終わらせた。
 暴食の極みをみた気がした。私と同じように、イルとミミズクが恐ろしそうにトーマを見ていた。あれだけ食べたのに腹が膨れている様子がない。未知すぎる体だ。異次元に消化器官が繋がっているのかもしれない。

「異界に繋がってるのか、あの胃袋」

 呆然とするイルの隣でハルも気分悪そうに口元をおさえていた。

「ギスラン様も健啖家だが、トーマ様はそれと同等だ。見てて気持ち悪い」
「ギスランもよく食べるの?」
「あれ、知りませんでしたか?」
「軽食を口にしている姿は見たことはあるわ。あと、毒見として私の食事を食べている姿」

 イルの喋り方が急に丁寧になったものだから、落ち着かない。前のように荒っぽい方が安心するのに。

「あの人、恥ずかしがってるのかもな。食事で性癖がばれるというし。……あ、いや、今のなし。ギスラン様もよく食べるが、清族はおおむね大食漢が多いらしいですよ」

 さきほどきいた栄養補給の面での話か。清族は、ほかの階級とは根本的に違うものがあるらしい。思えば、清族は謎が多い。今まであやふやにしていても問題なかったが、こうも不可思議な現象が起こると、それと毎日のように付き合っている清族のことが気になってくる。
 私やイルと違い、ギスラン達が冷静でいるのも、違う人間だという印象を受ける。口をおさえる。
 食事という行為に、今は吐き気が起こる。

「そういえば、ギスラン。お前達はどうしてここにいるの?」

 失踪者の捜索をしていたのではなかったのか。それに、リストはどうしたのだ。二手に分かれて探していたのだろうか。

「それが少し厄介なことになっていましてね。失踪者のことは覚えていらっしゃる?」
「確か、清族五人と貧民、平民、貴族から五人出ているのよね?」
「はい」
「そういえば、サラザーヌ公爵が意味深なことを言っていたわね」
「サラザーヌ公爵ですか?」

 ぐっと息を呑む。そういえば、サラザーヌ公爵について話をしていなかった。声を詰まらせながら説明する。イルも知らなかったからだろう。ひどく驚いた様子だった。ギスランが、心配そうな瞳で私をのぞき込んでくる。

「そうか。なるほど、あのお貴族様、死んだのか」

 トーマは一人、ふうんと他人事のようにきいていた。

「あの血はサラザーヌ公爵のものか。脂肪女の腹をさばけば、遺骨ぐらいは手に入るかもな」
「――不謹慎すぎる」

 ハルが苦言を呈した。トーマはハルを一瞥したが、鼻を鳴らしただけだった。

「それにしても、馬鹿な考えを持ったもんだ。草食動物と肉食動物となれば確かに臭いは違うが。どれほど調教したところで臭いの原理を理解してないのでは望み通りの結果を導き出してもまやかしに違いない。ただのまぐれだろ、それ」
「階級を区別するというのは不可能ということか?」
「不可能だ。体臭つってもいろいろ原因があるしな。臭いは肉を食べることによって吸収するタンパク質と脂質が原因だといわれている。タンパク質は、ギスラン様ならご存じだろうけど、大抵の肉には含まれる。つっても、タンパク質が増えたからって体臭がきつくなるかっていったら体質によって異なるし、食生活でも異なる。草食主義者と肉食主義者を感知できるっていうならまだわかるが、肉の種類は不可能だ。レイ族は別に嗅覚に優れているわけでもねえし」

 分かったかと、トーマはイルに確認した。素直にイルが頷くと、ギスランに向き直った。

「ちなみに麻薬や特定の病気だったら、嗅覚に優れた動物を調教すると判別がつく可能性があると言われてる」
「へえ」

 イルのどうでもよさそうな返事に半笑いしてトーマが続けた。

「でも、どっかの馬鹿が勘違いして調教してるのかもな。こうなると、被害者はもっと増えるかもしれねえ」
「行方不明者はその荒唐無稽な実験の被害者ではなかったと?」
「ああ、違うな。あいつらは鳥人間の材料にされていたし」

 トーマはうーんと大きく伸びをして平然と言い放った。

「まったく、馬鹿ばかりで困る。人を殺して材料にするのは違法だってのにな」


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