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第二章 王子殿下の悪徳
86
しおりを挟む黄金色に輝くコーンスープ。
前菜はキッシュと鯖とクリームチーズのパテ。そしてアスパラときのこのバター焼き。
メインはスズキの塩焼きにカボスをかけて。トマトパスタの上にはパセリがのり色鮮やかだ。
羊肉のフィレは専用のソースと揚げたタケノコ、ジャガイモ、インゲンが添えられていた。
どれも一級品の料理人が情熱を傾けて作り上げたフルコースのように洗練されていた。
「デザートはまた別で用意してるんだ。お姉さん」
楽しそうにテウは私を向かい入れた。テウとの約束の日だ。
イルとリュウはいない。イルが遅めの昼食をとるために席を外しているところを狙って外に出たからだ。リュウは昨日からずっと私の部屋に戻って来ていない。
貴族のための棟の三階に彼の部屋はあった。室内の内装は、成金そのものだ。金のかかった陶器や絵画が所狭しと並べられている。
父王様とあの女が書かれた王族の肖像画やバロック家の人々を描いたらしき肖像画もあった。
美的感覚は死滅している。部屋はぎらぎらしていて、金を持っていることを見せびらかしているようで下品だ
本棚には溢れんばかりの本がつめられているが、一部を除き埃が積もっている。見せかけで、読まれていないのがすぐに分かった。トーマがいたら、憤慨しそうだ。
大理石の机の下には動物の毛の絨毯。その机の上に料理は並べられている。
料理は見事だ。皿や盛り付けまで微に入り細に入りこだわっている。美しい料理を提供するために、時間をかけたことがうかがえた。
「……テウ、お前」
テウの格好は給仕役の貧民や平民のものだった。貴族の子息が着るものではない。しかも、前掛けは水気を含み黒い染みになっていた。
「ごめんってば。怒った? 俺の作った料理を運んでくれる奇特な平民はいなくってさ」
「この料理、お前が作ったの?」
「それなりに食べれると思うよ。お姉さん」
「……テウ・バロック」
うんと、テウはふぬけた笑顔を浮かべ返事をした。
「この学校では平民のテウ・バロックという、ただの男だよ」
席にエスコートされ、椅子に座る。私の手助けをしたあと、テウは私の正面の席に居心地悪そうに座った。手を組んで、机に重心を傾ける。前のめりになる姿勢だ。
「食べて」
美味しそうな香りが漂ってくる。正直、とても美味しそうだった。
だが、だからこそ、喉の奥がひりついた。まだ食べもしないのに、胃が拒絶している。
腹部が石でも入れているように重い。
「……用意してもらって悪いのだけど、今、お腹が空いていないわ」
「なら、シャンパンはどう?」
立ち上がったテウは一度、隣の部屋に入った。すぐに手にボトルを持って戻ってきた。
机のグラスにシャンパンが注がれる。黄金の液体は注がれると、気泡の泡が弾けた。
「毒は入っていないから、飲んでみて」
麦の色をした半透明の液体を持ち上げる。ごくりと緊張で喉が鳴った。
テウの視線を感じる。飲まなくてはいけないとわかっているのに、手がそれを拒否し、元の位置に戻してしまった。ギスランを連れてくればよかった。まさか、こんな大仰に料理を用意されているなんて予想していなかった。
「やっぱり、飲めないんだね。飲み物で毒殺されかかったんだよね」
「……調べたの?」
「うん、そうだよ。お姉さんのこと、知りたかったから」
テウはシャンパンのボトルを机の上に置き、私のグラスに口をつけて、飲み干してしまった。
空っぽになったグラスの表面には水滴が落ちていく。
「ほら、俺はどうにもない。毒なんて入ってないよ」
「……そういうことではないの。悪いけれど、ギスランが毒見をしないと、駄目なの」
「そう思い込んでいるだけだったりしてね」
はいと言って、テウは私の唇に飴玉を差し出してきた。
つんつんと唇を飴でつつかれる。
「こっちには入っているよ、毒が」
「っ! どういうつもり?!」
「ギスラン・ロイスタ―がいつもお姉さんの食事に混ぜているものが入っているんだよ」
「……どういうこと?」
テウは私をつついていた飴玉を口に入れてた。がりっとかみ砕いて素早く飲み込む。
「簡単に言ったら麻薬だ。これなしだと頭がおかしくなっちゃうお薬だよ。……ん、やっぱり、美味しいな」
絶句する。ギスラン・ロイスタ―ならばやりかねない。
いやいやいや、テウのいうことが本当のことだとどうして信じられるんだ。あいつがいくら私の食事になにか入れてそうでも、本当だとは限らない。
「嘘だと思っている? 彼と食事を楽しんだあと、強烈な眠気に襲われたことはない? あるいは嫌な記憶がよみがえって恐慌状態に陥ったことはない? 気分が落ち着いて、安心できたりしたことは?」
当てはまることがあるかないかと問われたらある。
だが、それは私が食事をあまりしていないせいだろうと高をくくっていた。
「投与され続けた人間は普通の食事をとると、変な味がすると思うこともあるらしいよ。そんな経験はない? 違和感が昇り詰めると嘔吐してしまうとか。ああ、でも、お姉さんは昔から食が細いんだっけ。なら気が付かなくてもしかないか」
「どうしてお前がそんなことを知っているの」
仮に本当のことだとしても、ギスランと私の間のことをどうしてテウが知っているのだろう。
「言ったでしょ。お姉さんのこと調べたんだって」
置いたボトルを拾い上げるとそのまま淵に口をつけて中身を傾けた。
ごくごくと喉仏が上下している。
中身がからっぽになると、テウは後ろにボトルを投げ捨てた。衝撃音は絨毯に吸い込まれてしまった。
「すごいね、絨毯ひとつ敷くだけでこんなに違うんだ。割れてもいない」
新しい玩具を手に入れた子供がみせる純粋な無邪気な笑顔でテウは絨毯を見つめた。
サガルに昨日聞いたテウの生い立ちは、納得するものだった。テウは虐げられることに慣れている。貴族という階級には違和感があった。自尊心が低すぎるのだ。もともと、使用人として生活しているのならば納得がいく。自分を卑下する諦観も貧民や平民が浮かべるそれによく似ていた。
「俺のこと、サガル様からどこまで聞いているの? 元々使用人ってところは知っている? それで、突然親戚達に担ぎ出されたことも聞いたかな」
「聞いたわ。でも、どうして、サガルにきいたと知っているの」
「秘密」
机の上にある料理をどかして、テウは机の上に腰を落ち着かせた。
マナーもなにもあったものではなかった。
「小さい頃から、周りの目が変だった。最初は母親が男と逃げたからだって思っていたけど、違った。貴族の尊い血が俺の血には混じってるんだってさ。ほんと、笑える」
「知ったのはいつだったの?」
「十三歳のとき。初めて女を抱いた次の日だったよ。食事を運べと料理長に言われて運んだんだ」
テウは言葉を区切ると、怪しい眼差しを私に向けた。
「俺だけが喋るのは納得がいかないな。俺もお姉さんに質問していい?」
等価交換だと言って、テウが足を振った。
「お姉さんがサガル様と一緒に塔に放り込まれたのはなんで?」
「私が疎ましかったからよ」
「なんで、疎ましかったの。だって、国王にとっては大事な大事な愛人とのやっとできた子供なんでしょう?」
そう言われて、はてと考え込む。
私はなぜサガル兄様と塔に入れられたのだったか。国王は私の母を愛していた。政務室の横に部屋をつくり、軟禁した。愛執は果てしなく、国王のそばを離れることはついぞなかった。
サガルは光に弱かった。太陽の日差しでも焙ったように爛れた。それを見て、病魔に支配していると誤解され、隔離と称して塔に送られた。
では、私は?
私はいったいなぜ、あの塔のなかにいたのだろうか。
「知らない」
「俺は知ってるよ」
テウが手を伸ばしてくる。私の頬に触れ、ゆっくりと肌を撫ぜられる。
振り払うと、くすりと笑われた。
「お姉さんは夢を見たんだ。母親が死ぬ夢」
――は?
「人の死の夢を見て恐怖して泣いた。わんわん泣いて、その泣き声は国王に届いた。ふらりと子供の様子を見に来た陛下が、幼いお姉さんに原因をきいた。桜色の可愛い唇が、悲しい夢を話す。母親が死んでしまう夢をみた、と。それだけだよ」
「それだけ」
「そう、それだけのことで、国王は激怒したんだ。お姉さんをいなかったことにするぐらいには」
「そんな」
悪い夢を見て泣いた。それだけのことで、私は闇のなかで生きていくはめになったのか。サガルと肩を震わせ、二人だけで過ごすことになったの?
まるで笑い話だ。王の寵愛を不用意な言葉で失った臣下のよう。
国王は許せなかったのか。私の母親の死を。それをさもあったように告げる死に神のような私を。
理不尽だと怒るには時間がたち過ぎていた。恨みを抱くよりも、そんなものかと思った。
父王様にとって、私はその程度の存在だった。不敬な言葉を、血のつながりだけでは到底許せなかった。あの人にとって、血の繋がりは家族ではなかった。
では私は誰を家族にすればいいのだろう。きちんとした血の繋がりは、もうあの人以外残っていないのに。
「俺の話の続きをしよう。俺は料理を運んだ。煌びやかで優雅な旦那様達を見たのは初めてだった。基本的に主人の姿は遠目からしか見ていなかったから。香しい臭いがした。違う生き物なんだと内心感嘆したよ。立ち振る舞いから俺とは全く違った。美しい料理みたいに完成されていた。運んで、机の上にのせるだけ。簡単な仕事のはずだった」
テウは言葉どおり、皿を手にもって置こうとした。
「その時、声をかけられた。使用人は家具だ。貴族は下々のものに声をかけたりしない。けれど、その時は違った。食卓を囲むバロック家の次代を担う方々が俺のことを見つめていた。あまつさえ、お前も椅子に腰かけて食事を食べろ、そう言われたよ」
その時のテウの困惑が手を取るように分かった。どうして、自分なんかに声をかけたのか、料理を一緒に食べていいとはどういうことか。
「戸惑う俺に、お坊ちゃまは命令した。命令されれば、従うしかない。むち打ちはごめんだ。恐る恐る椅子に腰かけたよ。見よう見まねで食事を口に運んだ。味なんかしなかったな。緊張しすぎて、食べている最中に噎せたこともあった。それを座席についた皆がみている。おかしな風景だっただろうね。デザートまで食べ終えた時だった。お坊ちゃまが俺を杖で殴り飛ばした。腹を蹴りつけられたな。吐くまで痛めつけられた。何度も、何度も、腹の中が空っぽになるまで吐いたよ。俺達とお前は違う。お前は汚い。お前は醜い。同じだと思うな、一緒にするな、お前なんかと血が繋がっているはずがない。そういってた」
皿で何度も、机をたたいた。まるで自分自身を打つかのようだった。
痛かったはずだ。つらかったはずだ。当時のことを思い出して理不尽なことに対する怒りや悲しみを感じたはずだ。
けれど、テウの顔からは笑顔が消えない。
「俺の吐瀉物を片付けた女が、俺の母のことを教えてくれたよ。もともとは貴族だったが、遺産相続のせいで凋落したんだってさ。だから、俺に杖を与えたのは血の繋がった従弟で、ここはもともと俺の屋敷になるはずだったのだって」
テウの視線が下に落ちた。
「それから、何度も何度もお遊びにように苛め抜かれたよ。俺の作った料理を目の前で床に捨てられて、それを食えって言われて顔を擦りけられた。笑顔が不気味だって言われて閉じ込められたこともあったっけ。良い思い出だなあ」
「恨んでいないの」
恨む? と不思議そうに視線を上げた。
「お姉さんは、恨んだ? 閉じ込められたときに」
恨んではいなかった。私には不幸なことだという認識がなかったからだ。塔の外にろくに出たことがなかった。空の遠大さも、人が無数に生きていることもよく理解していなかった。
幼かったし、無知だった。
「恨むという感情は知らなかった」
「俺も同じだよ。それが悲しいことだって判断できなかった。ただ、嬉しかった。母親がいなかったから、俺はいつも一人だった。俺は家族が欲しかったんだ。人のぬくもりを得たかった」
「バロック家の人間はぬくもりを与えてくれた?」
「俺の質問が先だよ、お姉さん」
テウはそういって、唇に指をあてた。
「お姉さんのお母さんって昔よく会っていた?」
「え? ええ。よく本を読み聞かせてもらった記憶があるわ」
「どうして?」
「どういう意味よ」
「だって、国王は生前、その人を側から離さないようにしたのだったよね? 隣室に部屋を構えて常駐させた。お姉さんに会いに来ることなんてできないはずだよね」
「監視の目を抜け出してきていたのよ。きっと」
かすかな違和感。振り払うように首を振る。確かに、母のはずだ。
母が読んでくれた童話の一節を今でも覚えている。
『この世が終わるならば終われ、国が亡びるなら亡びろ。たった一人、私だけが富貴であるならば』
自分だけが、この世で幸せで、偉大で、荘厳であらねばならない。
「それはそうと、サガル様が社交界デビューする前に、王妃様がたびたび部屋を訪れていたのは覚えている?」
「なんの話?」
そんな事実はない。あの女はサガルを尋ねてきたことがあったら、記憶によく残っているはずだ。忌々しいことにあの女の容姿は目を惹く。
「あの女は部屋を訪れていないわ」
「本当にそう思っているならば認識を改めた方がいいんじゃない? これは事実だよ。王妃が動いたからこそ、サガル様は日の目を見たんだ。そうでなければ、お姉さんと一緒にまだあの暗い隔離施設にいたに違いないんだからさ」
テウは私になにを知らせたいというのだろう。
テウは父王様とあの女の描かれた肖像画をじっとりと見つめた。
「私が母親だと思っていた存在が、あの女――王妃だと言いたいわけ?」
「そうだよ。そうじゃないとおかしいだろう。どうして、お姉さんを助けなかったの。出会ってすぐに外に連れ出せばよかったじゃないか。だって、自分の子供なんだよ? なのに、なんで本を読みに来ることしかしなかったの?」
「それ、は―――」
その通りだった。
本を読み聞かせるのではなく、外に出してくれることが健全な反応だ。
童話の読み聞かせよりも、連れ出してくれることの方が重要だった。
必要なのは寄り添うことではなく助け出すことだったのに、そうはしてくれなかった。
では、彼女は誰だったのだろう。慈悲深い目をして、本を読み聞かせてくれた。頭を撫でて、口癖を呟いていた。
胸に刻まれる、数少ない母親との記憶が泡になって消えていく。
ほっかりと顔面に空いた黒い穴に入るのは、美しい王妃の顔なのか?
「そんなはずはないわ……」
口元に手を当てて、表情を隠す。動揺する姿をこれ以上テウに見せたくない。
「まあ、どうとらえてもいいけどね。それで、俺の話だっけ。ぬくもりなんてもの、誰も教えてはくれなかったよ。でも、もっと大切なものを教えてくれた」
「大切なものって、なに?」
テウは笑みを深めて、私を射抜くように見つめた。
「人間はみんな醜いってこと!」
きゃたきゃたと笑い声をあげてテウはそう言った。
「俺のこと嫌いだって散々虐めてたお坊ちゃんは名のある貴族の令嬢に懸想しておいて、別の娼婦と身投げをして死んじゃった。息子のすることに目もくれなかった父親はライドルじゃない場所で暴動に巻き込まれて死んだ。帰ってきた死体を見たよ。人の顔をしていなかった」
ざまあみろと笑うこともない。バロック家を襲った悲劇を笑劇でも観ているように笑っていた。
「カリレーヌは知っての通りのありさまになってしまっているし、幸せになったのは嫁いだお嬢様ぐらいかな。まあ、あっちの家、とうに傾いているんだけど」
「カリレーヌ嬢もお前を虐めていた?」
「勿論。そのくせ、慈善活動をよくしていたよ。足元の死にかけの虫に優しくする必要がないと思ったのかな。人間以下の存在だったから見て見ぬふりをした? どう思う、お姉さん」
「カリレーヌ嬢はお前を助けなかった……」
胸の奥が爛れるようだった。
看護婦の真似をして、片足の将兵を助けた。彼女が語っていた善意が、蒙昧なものに変わっていく。
ああ、でも、彼女は死に神の前で自分の地位がなぜ蹂躙されなくてはならないのかと憤ってもいた。正当な血筋を持つ自分が卑しい奴らよりも惨めな思いをしなくてはならないのか。
汚らしいもの達に呪詛をかけていた。のたうち回り、苦しがれ!
片足の将兵はカリレーヌ嬢に感謝の意を示した。一方で、テウを虐め、助けようとしなかった。
同じ人間に全く反対の評価が下る。二面性なのか。それとも人は遠くの関係のない人間にこそ優しくできるのか。
テウには救いの手は差し伸べられることはなかった。ゴミのように扱われ、虫のように踏み潰された。
「お前は、人間よ」
この言葉の傲慢さに苛立つ。
人が人である証明なんて、誰にもできない。
人が人ではない証明ができないように、それは自分が下すものだと思うからだ。
ラーは人間なのに怪物にされた。他人が踏みにじっても倫理的に問題がないとするためにだ。怪物ならば、痛めつけられる。人間ならば抵抗感がある。反発もある。罪悪感が湧く。
人間を人間だと認めなくてはならない状態なんて、馬鹿げている。
「そう思ってくれる?」
満面の笑みを浮かべて、テウが私にすり寄ってくる。
「カリレーヌ嬢はお前を嫌っていた。お前を人間として観ていなかった。でも、私の目にはいつも無理に笑っている普通の男に見えるわ」
一瞬だけ、テウの瞳が見開いた。心の扉が少しだけ開き、本性がむき出しになる。
テウは笑ってはいなかった。涙をこぼしてしまいそうなほどくちゃくちゃに顔に皺を寄せていた。
「笑顔の練習をさせられたことがある。つらかったな。鞭で打たれる時も、笑顔で感謝するようにって言われた。できないと何度も叩かれたっけ。救われなったところはね、お姉さん。それでも、俺は、みんなと家族になれると思っていたんだよ」
いつか人間のように見られるはずだと健気に待ったテウを待っていたのは、バロック家の崩壊だった。屋敷は彼のものになった。貴族という地位を手に入れて、輝かしい貴さが手に入った。でも、手に入れたいものは手の内をすり抜けてしまった。
テウが皿を手繰り寄せ、フィレにフォークを突き刺す。
それを私に差し出してきた。
「食べてみて」
「……お腹は減っていないの」
「何度もそう言われて、俺がこれを食べたよ。バロック家の人々は傲慢でこっそりと羊の肉を食べていたんだ。我こそ王である、今の王家は偽物だとね。食べた後、吐くことを強要された。お前のような虫けらはおこぼれに預かるのも我慢ならない。結局、あの人たちには俺の食事を食べてもらってないんだ。これでも美味しいつもりなんだけどな」
使用人達には高評価だったんだよと言いながら、私に肉の塊を押し付けてくる。
やっぱり食べれそうにない。吐き気がしてきた。
「やっぱり、無理よ」
「そう」
テウの視線が窓の外への向かう。バルコニーがあった。ここは三階なので、鱗雲が浮かぶ、抜けるような青空以外は見えなかった。
「俺はもう疲れちゃったよ」
小さな声で、テウはそう呟いた。
「お姉さん、もう気付いてるんでしょ」
「主語を言いなさいよ」
「どうして、サガル様を王妃が外に出したのかだよ」
私が聞き返す前にテウが口を開く。
「王妃にはサガル様を外に出す利点があった」
母が新たに孕ったことが分かったのは、サガルが外に出てからだと聞いたことがある。ならば、王位継承権にまつわるいざこざではない。
見てはならない部屋の鍵を渡されているような気分だ。言いつけた主人はおらず、見ようか、見るまいか、悩み、好奇心に悶える。
「自分の子をかわいそうだと思ったわけではないよ。それならばとっくの昔にサガル様は俗世に戻されていただろうからね」
「ならば、なぜ?」
「ねえ、どうしてサガル様の首筋には赤い花びらが舞うんだろうね」
声が密やかに甘くなる。
「どうして一昨日、王妃は来たのかな?」
テウの瞳は責めるように私を見つめた。
「誰がサガル様の首に赤い花を咲かせたの?」
――ああ、これは。
「サガル様は誰に体を捧げている?」
「やめて!」
机を叩いて立ち上がる。
テウが私の口から何を引き出そうとしているのか、よくわかったからだ。
だが、それを口にするつもりはない。
そうだと理解したくない。
口にすれば、現実になってしまう。
「お前のそれは憶測だわ! 」
「憶測だと思うんだ」
「証拠なんて一つもない。王族にーーサガルに対する侮辱よ」
「お姉さんがそう思いたいだけでしょ」
斬って捨てるような物言いだった。
「サガル様と一緒にいた自負があるのはわかるけど、でもお姉さんは所詮妹だろ。しかも、腹違いの。あの人のことを昔はともかく、今を知らない」
「サガルの今を、知らない」
その言葉は胸に刺さった。事実、私は何も知らない。
彼の首筋の跡は誰がつけたのか。どうして、サガルがそんな跡をつけさせているのか。
知ることが怖くて、訊くことができなかった。
「サガルは、幸せではなかった?」
私はサガルが外に出ることが幸せだと思い込んでいた。外に出たサガルは沢山の人に祝福されたし、敬われた。愛されていた。
テウの言うことが正しいとするならば、サガルは塔から出ても幸せにならなかった?
「わ、私は、サガル兄様に幸せになって欲しくて」
母を殺されたあとも、サガルはあの女と会っているようだった。当たり前だ、家族とはそういうものだ。私は家族ではないから、口出しはできない。そう思い込んでいた。
サガルには止むに止まれぬ事情があったのか。嫌だった?
「幸せ、か」
テウは何もかもを机に置いて、バルコニーへ歩を進ませる。
「お姉さん、俺の作った料理、美味しい?」
「――食べれないの」
「食べてくれないのは悲しいよ」
微苦笑を浮かべながら、テウがバルコニーに通じる窓を開いた。風が室内に入り込み、髪を軽く揺らす。
「俺、ギスラン・ロイスタ―を殺したかったんだ」
「……本当に、殺そうとしたのはお前なのね」
「あの貧民の女、貴族の仲間入りをさせてあげるっていえば、のこのこついてきたんだよ。貴族になれるわけなんて、ないのにさ」
バルコニーの手すりにもたれかかりながら、テウはギルランを殺そうとした時と同じように笑っていた。
「貴族には定員がある。あいつを殺せば、枠が空く。そう言って誘惑したんだ」
「どうして、ギスランを殺そうとしたの」
「邪魔だったから」
「邪魔?」
領土同士に争いがあるとは思えない。バロック領とロイスタ―領とは離れているし、特産物も違う。では、政治的な立ち位置の問題か? そうなれば、私の関与できる話ではなくなる。
「お姉さんの周りにいる男は死ななくちゃいけないんだ」
狂気的な光を帯びた瞳が私を見つめていた。
「でも、失敗した。俺って、ほんと、何にもうまくいかない」
述懐するテウは、首を振った。手すりの上にテウが腰を据える。
まるで、机に座った時のようだった。足をぶらぶらと動かして、子供のように落ち着きがない。
「テウ、こっちに戻ってきなさいよ」
テウの今の有り様に危機感が募る。自暴自棄になっている。今にも、背中を倒して落ちてしまいそうだ。
「お姉さん、俺の料理、食べて」
手もとにある料理に視線を落とす。葛藤ののち、震える手でフォークを握る。刺さったままの羊の肉を口の中にいれる。
教理を堪能する前に、喉から胃液がせりあがってきた。熱い塊が、口内を焼き尽くそうとする。肉が歯ですり潰せない。吐き気がする。
「――――」
テウが、息を呑んで私を見つめていた。
無理矢理、口のなかのものを嚥下する。口のなかのものが落ちて行ったことを確認して、咳き込む。まだ、喉の奥が熱い。
「――美味しい?」
頷く。正直味なんて分からなかった。
「そっか。俺の料理、食べてくれてありがと、お姉さん」
優しい声色で納得したテウはやっぱり笑ったままだった。
「俺、貴族としてうまく振舞えなかった。お嬢様はーー従姉妹はね、俺に期待してくれたのに、すぐに、平民に落ちちゃった。俺って、貴族に産まれちゃいけない人間だったんだ」
私がとるべきだったのは、食べることじゃなかった。テウに手を伸ばすことだった。席を立って、バルコニーに急ぐ。
でも、その判断は遅すぎた。
「俺は償わないといけない。死んで、お詫びしなきゃ」
背中が後ろに倒れた。手すりを越えて、テウの体が空に投げ出された。
「俺の名前、呼んで欲しかったなあ」
体が消えて、数秒後にどすりと何かが落ちる音がした。手すりにつかまり、下を覗き込む。テウは地面に横たわっていた。彼の体はピクリともしない。
「あ、ああ、あああぁ――」
吐き気をおさえて口をおさえる。
意識を飛ばしそうになる。拳を手すりに叩きつけて、痛みで正気を保つ。
泣くな。走れ。まだ、助かるかもしれない。
足に力を加えてテウのもとに急ぐ。
死なせたくない!
0
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