前世は聖女だったらしいのですが、全く覚えていません

夏目

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つかの間の平穏

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「聖なる力なんて持ってないです! 私、聖女じゃない……」

「前のドロシーだって何の力も持ってはいなかっただろう? 力が少し強いだけの女の子だった。そんな君が魔王を倒したから、偉業と讃えられるんだ。ああ、でも、聖ミカエルの声は聞こえる? 君は大天使の言葉を聞いて旅に出たと言っていただろう」

「聖ミカエル? ……?」

大聖堂が王都にあるという大天使の名前だったはずだ。
偉大なる守護天使。この国を救った聖女の導き手。

「そんな声聞いたこと、ないです」

「そうか。まあ、君のあの最期を思えば、恥ずかしくて二度と声もかけれないか。……さて、それで何だが、その聖女候補の集いが一ヶ月後王都で行われる。ドロシー、君は六色貴族達にーー【年増】に認められずとも聖女であることはかわりないが、君が出向けば意味のない集いもご破産だ。俺と共に蒙昧な貴族達の鼻っ柱を折ってやろう」

「あ、あの! 私は多分、聖女じゃ……」

ないと言おうとしたドロシーを、ジルの視線が止めた。
ぎょっとするほど凍りついた恐ろしい眼差しだった。
ごくりと唾を飲み込む。

ジルはずっと、ドロシーという聖女に執着している。それはドロシーのことではないのだけど、勘違いし続けて、いくら否定しても駄目なのだ。

「大丈夫だよ、ドロシー。君が何も覚えていなくても、俺は全てを覚えている」

その覚えていることが、間違いではないかとドロシーは思っているのだが。

「君は魔王を倒しにいかなくていい。俺と好き勝手にこの世を楽しもう。……このパン屋も君のものだよ。欲しいものがあれば俺が与えるし、何でも望みを叶えてあげる」

そう言ってジルは手を伸ばしてきた。ドロシーは頬に触れる前に体を背けて、立ち上がる。

「ご、ごちそうさまでした」

「ドロシー? どうしたんだ」

「わ、私、行かなくちゃいけないところがあって……」

「俺以外の人間に会いに?」

目線が泳ぐ。さっき片手で男を絞め落とした男……。
ジルは恐ろしい人だ。
ドロシーは唇を無理やり動かしてにいっと笑って見せた。

「孤児院の子供達に朝食を作らないといけないんです」

「朝食……。君が作っているのか?」

「はい。子供達はまだ火を扱うには早いから。それに私、料理するのが好きなんです」

「そう、なんだ」

ジルは少しだけ優しく微笑むとひらひらと手を振った。

「いきなり、色々な話をし過ぎたからドロシーにも整理する時間が必要だろうね。また夜にでも迎えに来るよ。パン屋の契約書もその時に詳しく決めよう」

「は、はい」

「じゃあね、ドロシー。また会おう」

ジルはパン屋の玄関までドロシーを見届けてくれた。ドロシーが見えなくなるまで、彼はずっと手を振り続けていた。

怖いと、ドロシーが思ったのも仕方がないことだった。




「怖いというか異常だろ。どこでそんな変質者に好かれたんだ、お前」

オズに今日の夜のことを相談しようと思って彼のいる研究室(オズの先生のもの)に足を運んだ。
色々と話をしているうちに今日ジルと出会ったことを話していた。オズは全てを聞き入れたあと、ぎょっとした顔をしたままそう言った。

「へ、変質者……」

「貴族様に目をつけられるなんてどんな悪いことをしたらそうなるんだよ。まったく、ドロシーから目を離すと碌なことにならないな」

白衣を脱いで、オズが無造作に投げやるので拾ってきちんと畳む。
そんなドロシーの姿を満足そうに見遣って、オズは口を開いた。

「……その貴族との約束が夜だっけ? なら、僕と一緒に王都に行く?」

「え?」

「異端審問官に殺されるってドロシーが言ってただろ。だから、先生に早めに出発出来ないかって掛け合ったんだ。荷物馬車と一緒に行けば道は混むけど、人目があるだろ。そうしたら異端審問官どももなかなか手出し出来ないんじゃないかと思って」

「お、オズ、天才!」

ドロシーは対策らしい対策が思い付けずにいたので、オズの提案に感心しながら頷いた。

「私はオズが武器を持つとか、朝になってから移動するとかそんな感じで思ってた」

「朝に移動するのは考えたけど、異端審問官がこの街にいるなら、早めに出た方がいいなと思ったんだよ。武器は一応持っていくつもり。それで? ドロシーは行くの?」

「……で、でも、私が王都についていってどうするの」

「どうって……。少なくとも、その変な貴族様に聖女扱いはされないだろ。どう考えても頭おかしそうだし。……僕がいないところで口説かれたら困るし」

「え?」

「ドロシーがそいつに絆されるかもしれないだろ」

ムッとしてオズを見遣る。流石のドロシーも、ジルのことを警している。そもそも彼はどうしてドロシーの名前を知っていたのだろう。
ドロシーを聖女に仕立て上げたいのだろう……。何か企みがあるとイヴは思っていた。ドロシーもそう思うが、あんなキラキラとした人のことなど分からない。

「そんなことないよ」

「分かるもんか。パン、美味しかったんだろ? 何食べてんだよ。馬鹿ドロシー」

「だ、だって、香りがよくて、色もとっても良かったんだもの」

「ほら! 餌付けされてる」

真っ赤な瞳がドロシーを苛立たしげに見つめた。食べてしまったものは仕方がないじゃないかと居直る。
パン、美味しかったな。また、食べたい。

「……王都に私が行ったら、教会の子達のご飯、どうなるのかな」

「餓鬼じゃないんだから、食べ物ぐらい自分で用意出来るだろ。あいつら、ドロシーが熱出ても、看病もしないのに。人が良すぎ」

「……別に看病して欲しくてご飯を作っているわけじゃないよ」

自己満足だ。お腹いっぱい食べる姿を見ると嬉しくなって、もっと食べてほしいと思う。
ドロシーはお腹が減っている。あの子達も。
いつか食べきれない量のご飯を用意して食べさせてあげたい。

「そういうところが心配なんだよ」

「……オズ」

髪に隠れた瞳をしっかりと見つめる。真っ赤なその瞳を恐れて捨てられたのだと、口の悪い修道女達が言っていた。
悪魔の子。悍ましい子。いくら才能があっての、その容姿じゃあねえ……。
こんなに綺麗な瞳なのに。
ドロシーにはない強くて熱い眼差しに焦がれる。

「あのね、私、オズが書いてくれた手紙を知ってるの」

「は? ……まッ、……書いてるの見たの?」

「その、言ってたでしょう? オズが死んだ前の世界のこと」

「……ああ。なるほど。渡したの? ドロシーに」

「うん」

そういうと、オズの顔が耳まで真っ赤になった。
ドロシーは呆気に取られて、そしてオズのことがもっと大好きになった。

「へ、返事は?」

「オズのこと、大好きだよ」

「け、結婚してくれる?」

伏し目をして、ドロシーを一切見ずにオズは震える声で言った。

「もちろん!」

「は、ははは……。ほ、ほんと?」

笑いながら顔を覆い、オズはちらりとドロシーを見やった。
瞳は潤み、頬は赤らんでいる。
ドロシーの頬も熱くなってきた。オズの一挙一動がやけに新鮮でかけがえのないものに感じられる。

「告白してないのに、答えをもらったような妙な気分だ」

「……あのね、オズ。私とっても嬉しかった。手紙くれたこと」

「まだやってないよ、僕は。そんな顔するなら、もっと早く渡していれば良かった」

そんな顔? と顔を触る。オズはかすかに微笑みながら、口を開く。

「心底、幸せそうな顔だよ。なあ、ドロシー。僕と王都に行こう。先生と一緒に帰ってくればいいだろ? 僕の試験の結果、直接聞いて欲しい」

「オズは絶対に合格する、でしょう?」

「そうだよ。僕が落ちるなら他の奴ら全員落ちる。……ドロシーに合格したって最初に言いたいんだ。だめ?」

「……いいよ」

オズの表情を見て、そう答えたことが間違いではなかったと確信した。
ドロシーには家族はいない。けれど、オズがその家族になってくれるんだ。
ドロシーに合格したことを一番最初に言いたい。なんて、特別扱いなんだろう!
きっとこのことはずっと忘れない。いつだって、嬉しいことがあるたびに思い出す。オズはドロシーに嬉しくて、胸が締め付けられるようなことばかりくれる。
そのたびにドロシーはオズのことをますます大好きになるのだ。

「オズと一緒に行きたい」

ドロシーは忘れていた。幸せ過ぎて、胸がいっぱいで。
異端審問官は魔女や魔法使いに恐れられる存在。それは強く、粘り強く、そして狂信的であるからだと。

「オズが異端審問官に狙われても、私が守るよ」

「……馬鹿。誰がドロシーに守られるかよ」


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