婚約者達は悪役ですか!?

夏目

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醜さ

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 答えは決まっていた。けれど、明け方の冷たい風を口のなかいっぱいに吸い込むと、体の火照りとともに勇気が削られた。一心に向き合ってくれるカドックの瞳に気圧されて視線が泳ぐ。
 酷い言葉を投げつけて嫌だとはねのけることもできるのに、一心に見つめてくる強さに勝てそうもない。
 ジュディはカドックと逃げた先を考えた。どこかの村に逃げ延び、農奴として農作業に明け暮れる日々を夢想した。退屈で惰性的な毎日。実り多い年になれと願う凡庸とした人生。隣にいるカドックはジュディを妻に迎え、祝言を上げ、子供を産ませる。ろくな家族がいないジュディは、子供に愛を注ぐことはできないだろう。それどころか膨らんだ腹のなかに子供がいることを疎ましく思うかもしれない。綺麗な顔をしやがってと硫酸をかけることになるのでは……。そこまで思い浮かべて辞めた。
 最悪な女になるのは嫌だった。カドックは駄目だ。選んではいけない。ジュディにとって、カドックは家族だった。血のつながりがなくとも、恨まれていようとも大切な家族だ。彼を失望させることはしたくない。贅沢が染みついたジュディは、カドックに我儘を言って困らせ、疲弊させる。関係の破綻は簡単に想像がついた。

「カドックが嫌いってわけじゃないの。好きだから、失望されたくない」
「俺は失望なんかしない。ジュディのすべてを受け入れる」
「私は、この顔を受け入れてないの。こんな醜い顔、大っ嫌い。でも、これは私の顔なの。ずっとこの顔に後ろ指をさされながら生きるの。きっとカドックも嫌になる。愛って万能の薬じゃないもん。突然、綺麗な顔に戻してくれない」

 移り住んだ村で化物と揶揄されるだろう。一番怖いのは、心まで陰鬱になってしまうことだ。見た目と同じように、心もひねくれてカドックの言葉に小さな棘を見つけて、言葉尻をとらえて批判すること。それが常駐化し、カドックが慣れきってしまうこと。

「きっと愛情は擦切れるよ。肉より腐りやすい、でしょう?」
「……じゃあ、俺はどうしたらジュディと一生、一緒に居られるんです? 俺は、愛情を返して欲しいなんて傲慢なこと言いません。ただ、ずっと隣にいたいんだ。誰よりも、俺が、ジュディにふさわしいはずだから。本物の家族ならばそれができるんじゃなかったのか」

 カドックが本来は賢い男だ。答えは出ているはずだった。けれど、頼りなさげに瞳を揺らし、動揺を隠しきれない姿をさらしている。ジュディはカドックの質問に対する答えを持っていなかった。しばらく考えて、これは答えのない問いかけなのだと気が付いた。ずっと一緒にいたい。いられる方法はないか。哲学のような問いに愛という言葉は薄っぺらかった。結婚もまた、倫理的な枷でしかない。

「ごめんなさい」
「謝って欲しいわけじゃない……俺はただ」

 そのあとに続く音はなかった。
 ぐったりと体が弛緩していた。顔を覗き込むとむにゃむにゃと口元を緩ませて寝言を言っている。どうやら、寝こけてしまったらしい。重要な言葉を言い切る前に寝るなんて、人騒がせな酔っ払いだ。せめて、自分の部屋で眠って欲しい。背丈のある体骨ばった体を移動させるのは難しく、ジュディそのまま床に寝そべらせ、毛布を上からかけた。そのまま毛布のなかに潜り込んで、カドックの体で暖を取る。
 久々の人の体温は、溶けそうなほど温かかった。

「私がマリアナのところに一人で行かなかったら、なにか変わっていたのかな。そもそも、友達なんか欲しがらなければよかった?」

 答えが出る前に毛布から体を出して、苦笑した。もう一度硬い男の体の上に毛布を掛けると、緊張していたカドックの肩の力をふっとなくなる。

「幸せになってね、カドック」

 まだ他人の幸せを願える。
 そんな自分がいることに喜びを感じた。汚い人間になるとしても今じゃない。今でなければ、いい。

 ルクセンブルクの修道院に向かう日の昼は、豪勢な食事が用意された。
 ジュディ以外の席は空白のまま、川魚の塩焼きや牛肉の煮込みなど手の込んだ料理が並んだ。カドックは来なかった。ただ、一人でもくもくと口を動かす。
 ジュディの顔を見たくないのか、使用人達はたっぷりと時間を置いて皿を取りに来た。ありがとうと声をかけると体をびくつかせぎこちなく去っていく。心を隙間風が過ぎていく。ぽっかりと空いた穴を埋めるものはない。
 修道院に行っても変わらず、風穴が空いているのだろう。じわじわと実感し始めるが、遅かった。もう、この屋敷を出て、退屈な場所に旅立つのだ。
 せめて、誰かと最後に食事をしたかった。過ぎた望みだと知っているのに、喉の奥から手が出るほど希求していた。

 黒いドレスとヴェールを身に着け、質素な格好で屋敷を出る。太陽の日差しが眩しい。
 屋敷の木々がゆさゆさと風に吹かれて揺れていた。清涼な流れはゆっくりと腫れあがった肌を撫で、じくりと膿むような痛みを発する。
 馬車に荷物を詰め込むカドックは暑い日にも関わらず外套を羽織っていた。ジュディの顔を見ると相好を崩した。

「ついてくるつもりなの?」
「お嬢にどこまでもご一緒しますよ」
「もうジュディとは呼んでくれない?」
「まだ怒ってるんですか? あれは酔っぱらってやったことだって言ったじゃないですか」

 カドックは、明け方の日のことを酔っ払いの戯言にしてしまいたいらしい。こう言っていたと真実を伝えてものらりくらりとはぐらかされてしまう。そればかりか、ジュディの修道院行きに付いていくと言ってきかないのだ。
 どれだけ嫌だと言っても頑なで、もう決めてしまったのだと笑ってごまかす。

「お嬢の周りはいつも忙しなくて、楽しいです。それに、修道院は暇で暇で仕方がないはずだ。俺みたいなのがいた方が慰めになりますよ」
「……カドックは、それでいいの?」

 カドックは静かに頷いて荷物を詰め込む作業に戻った。カドックの内情は察することはできずにいた。ずっと恨まれていたことに気が付けなかったのだ。なにを考えているのか理解できなかった。
 澄み渡った青空を見上げる。カドックと庭に寝転がって見上げた時となにも変わらない麗しい青さだった。雲がゆっくりと流れていく。雲の先に険しい山があった。まるで牛の背中のように広がる山脈を越えた先にルクセンブルク領がある。あの山を越えた先にジュディが骨をうずめる土地が広がっている。

「お嬢、そろそろ行きましょうか」
「うん」
「長旅になりますからね、こまめに休憩します。途中で宿も取っているので心配――うわっ」

 うめき声を上げたカドックを見ると、見覚えのある二人組が荷物を手から奪っていた。

「宿屋って、卑猥な響きだよねえ」
「侍女も連れずに二人っきりの道中ですか? まるでそういう関係になってくれと言わんばかりだ」
「カドック君ってば間男役、板についてるよね」

 カインとアベルだった。王都の商人のように着崩した格好をしている。シャツを腕で捲り、筋肉のついた二の腕を見せつけている。

「こんにちは、ジュディ」
「行きましょうか。ほら、こっちに乗って」
「カドック君はその馬車で後ろついて来てねー!」
「な、なに!? なんなの!?」

 ぐいぐいと引っ張られ、アベルとカインの馬車に詰められる。二人が乗り込むと、馬車は軽快な音を立てて動き始めた。

「カイン、アベル、これはどういうことなの!」
「なにって、カインの屋敷に行くだけだよ。あそこなら、それほど暑くないし」
「そうじゃなくて! 私はルクセンブルクの修道院に行くことになっているの」
「そんなの楽しくないでしょう?」

 いきなりやって来て何を言いだすんだとジュディは双子を睨みつける。散々悩んで決めたことだ。楽しくないからと突然考えを変えると思っているのだろうか。
 能天気に二人はにこにこ笑っているのがますます腹が立つ。

「この顔でほかにどうすればいいって言うの」
「なにを悩むことがあるんですか? 俺達はジュディと結婚したいのに」

 ヴェールの上から顔を指で触る。
 でこぼこと穴ぼこのように窪んだ皮膚。たるんだ肌。この顔のジュディと結婚したいと本気で思っているのだろうか。
 安い同情に苛立ってヴェールを捲り上げる。この醜い顔を見ても結婚したいと妄言を吐くことができるのか。

「こんな顔で、なにを楽しめって言うの」
「うわあ、これはひどいね」
「治らなかったんですね……」

 ぐさりと心臓にナイフを付き立てられたような痛みが走る。
 伸びてきた二つの手をはじく。惨めなジュディを嫌悪するに違いない。そうでなければ、馬鹿な女と嘲笑っているのだ。
 煮えたぎる窯のような怒りで体が熱くなる。

「どうせ醜いよ。こんな顔の婚約者なんていらないでしょ」

 さっとヴェールを下す。こうなるとわかっていたから会いたくなかったのだ。
 カインがヴェールに手をかけて、引き上げた。
 顕わになったジュディの唇に、形のいい桜色が張り付いた。
 目を開き、信じられない気持ちで、ジュディは間近にあるカインを見つめる。

「ずっるい! 俺もキスする!」

 カインの唾液を上塗りするようにアベルが唇を重ねた。ぬるっとした感触にしばし陶然となる。舌が咥内に入り込んでくる。ぬめぬめとした生き物のような動きで、ジュディのなかを掻き混ぜ、じゅるじゅると吸い上げる。
 やっと離れたと思ったら、カインがカクテルハットごとヴェールを取り外してしまった。

「なっ、なにをするの……!」
「まだ痛む?」
「たまに……。そうじゃなくて、どうして、キスなんてしたの」
「ジュディのことが好きだからですよ」
「嘘! こんな醜い顔なのに!?」
「そうだね、ひどい顔だ。痛ましいよ。ジュディの苦痛の証だ」

 愛撫のような優しさで、アベルは顎のラインを撫でた。
 びくつくジュディを慰めるような視線が注がれる。かあと頭に血がのぼり、顔を横に振った。

「そうだよ、こんな顔、嫌い。嫌い。大嫌い! カインとアベルがもっと早く助けに来てくれていたら!」

 こんなことは言いたくないと思っても止まらなかった。カインとアベルはジュディのために駆け付けてくれた。もっと遅かったら、ジュディの精神はずたずたに痛めつけられて、修復不可能だっただろう。
 駆け付けてくれてありがとう。そう言わなくてはならないと分かっているのに、おさえられなかった。自分の醜さに絶望する。顔も、心も、同じように歪んで醜くなっている。
 ジュディは醜悪だった。だが、それが今のジュディだ。蹂躙され、奮起することもできず、縮こまることしかできない無力な女。誰かのせいにしたくてたまらない、弱い存在。
 助けてくれた人を責めて、留飲を下げようとしている。
 そっと二人が同じ瞬間に目を伏せる。ジュディは狼狽して、咳き込んだ。

「ジュディの言う通りだ。俺達が悪い」
「あの女の動きに注視できなかったんですから」
「ち、違う! 二人は悪くないよ」
「うん、それも分かってる」
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