偽りの姫巫女は陰の王子に娶られる

二辻

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第1話

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 大切な話がある、と父親に呼び出された倉橋依織くらはし いおりは、姉である彩織さおりの数歩後ろをついて歩いていた。
 既に夜の帳に覆われた庭からは風が草木を揺らす音が聞こえてくる。窓から差し込む冷たい月の光が照らす姉の頬は滑らかで傷一つなく。非の打ちどころのないほどに美しかった。腰まである長い黒髪も艶やかで手入れが行き届いている。まるで人形のよう、と評価されるその容姿は、少し冷たく感じられるほどだった。

 ――それに比べて。

 依織は窓に反射する自分の姿を見て溜め息を噛み殺す。
 遠目に見れば似ていると言えなくもない。しかし、依織には姉のような圧倒的な美しさはなく、好意的に言えば親しみやすい顔立ちだ。配置は同じようなものなのに、パーツの形がどれも微妙に違っていた。

『お姉様はあんなに美しく有能でいらっしゃるのに。』

 そんな言葉は、耳に胼胝たこができるほど聞いた。学業でも、その他の技の腕前も、依織は彩織には到底追いつけない。どんなに努力しても、天から授かったものに関しては覆しようがないとしか言えなかった。
 またお父様に叱責されるのだろうか、と思えば依織の気は重くなる。しかし表情まで暗くしていると、それはそれでよけいに叱られる。作り物の笑みを作り直した依織は、姉が扉をノックする音を聞きながら背筋を伸ばした。

「ああ、来たかお前たち」

 父親の座る対面に置かれたソファーに並んで腰かけるように言われ、すっと背筋を伸ばして座る姉の真似をした依織は、父親を見る。

「お前たちに大切な話がある」

 妙に苦々しい顔をした父、たけるは腕組みをして座っている。お茶を運んできた母、櫻子もその隣に座り、妙に青白い顔を娘たちに向けた。
 様子のおかしい両親を不可解に思った依織は、ちらりと姉の様子を窺う。しかし彩織は真っ直ぐ背筋を伸ばし、正面を向いたまま。これからどんな話をされるのかと不安に陥っている依織とは異なり、その表情には困惑など微塵も浮かんではいなかった。

「お話とはなんでしょうか、お父様」

 なにやら言い淀んでいる亘に向かい、紅茶のカップを手に取った彩織は尋ねる。赤褐色の液体は一切揺れていない。

「私たち二人に関係することですか?」

 わざわざ二人を同時に呼び出した意味を問う彩織に、亘は懐から一通の書簡を取り出した。その表面に捺されたものを見て、依織と彩織は同時に息を呑む。そこにあったのは、神祇院じんぎいんの印だったのだ。

神祇院じんぎいんから……? 何の知らせだったのですか?」

 彩織は硬い声を出す。
 神祇院じんぎいんは国の霊的防衛を担い、占術・祓い・妖異研究・封魔のための儀式運営など、霊的事象に関わるほぼすべての監督権を持っている中央機関だ。各地の霊的に有力な血筋を半ば公的に束ねており、依織たちの倉敷家もここの管轄である家柄の一つだ。その神祇院じんぎいんの占い結果は尊重されており、逆らうことは赦されないとされている。
 父親がここまで思い悩んだ顔をしているところなど、これまでの生活の中で見たことがない。依織は黙って書簡を見つめる。そこになにが書かれているのか気になりつつも、中身を見るのは恐ろしくて手を出しかねていた。

「まさか、占いの結果に当家が関わっていたということ――」
「自分の目で確認してみなさい」

 テーブルの上に置かれた書簡を、失礼いたします、と物怖じしない優雅な仕草で持ち上げ、既に開封されていた封筒から書状を取り出した彩織は、静かに目を通していく。そんな姉の様子を横目に見ながら、依織は冷たい指先を握り合わせていた。

「……婚姻の指示、ですね」
「ああ」
「しかも、相手は橘家ですか」

 その言葉に、依織はほっと息を吐いた。
 橘家と言えば、神祇院祓務局ふつむきょくの長を代々担っている誉れ高い一族であり、本家の若き兄弟の兄、碧唯あおいは祓務局直属下部組織、妖異の鎮圧・討伐の精鋭部隊『鎮妖寮ちんようりょう』に鳴り物入りで入寮し、四年目にして部隊長を務めている天才として知られており、今年入寮したばかりの弟、紫苑しおんも、期待の新人として注目を集めていた。
 そんな輝かしい二人の、どちらとの縁談を求められているのだろう。ただ、どちらにしろ、これは姉に来た話であり、自分には関係のないこと――そのように考えていた依織の前に、彩織は書状を差し出してくる。

「あなたもお読みなさい」
「いえ、わたしは――」
「いいから読みなさいな」

 有無を言わさぬ態度で押し付けられたそれを、さしたる興味もなさそうな顔で読んでいった依織の目がじわじわと丸くなり、手が震え出す。

「は……あの、おとうさま、これ、は……」

 頭に血がのぼり視界が揺らぐ中、なんとかすべてに目を通し息も絶え絶えに尋ねれば、眉間に深い皺を刻んだ亘は重々しく頷く。

神祇院じんぎいんは、依織と橘紫苑殿の両者に婚姻を結ぶよう言ってきた」
「お父様、本気ですか?」

 動揺して、言葉をなくした依織が落としかけた書状を拾った彩織は、こちらもまた険しい顔で問う。

「理解できません。どうして依織なのですか。どうして私ではないのですか」
「儂に聞いてわかると思うか? 通達にあったのはお前の名前ではなかった。それだけだ」
「しかし……依織では」

 納得のいっていない様子の彩織はそう呟いて拳を握り締め、そんな姉を不安そうな顔で見ていた依織に気付いたのか、キッと強い視線を向ける。

「お姉様、わたし……」

 言いかけたものの、続く言葉はない。口を噤み下を向いた依織に、亘は低く告げた。

「誰がどう言おうと、これは決定事項だ。ごねたところで覆らない。依織、お前は紫苑殿の嫁になれ」
「お父様、そんな!」

 動揺した依織は、腰を浮かそうとしてテーブルの上に置かれていたティーカップに指を引っ掛けた。耳障りな音がしてカップが転げ、紅茶がテーブルから滴って絨毯を汚す。しかし、今の依織にはそんなことを気にする余裕はなかった。

「無理です。わたしが、あの橘家に嫁入りだなんて」

 優秀な姉ならまだしも、自分があの家の嫁になるなんてあってはならない。どう考えても釣り合わない。絶対に、問題になる。いくら神祇院からの命令だったとしてもだ。こんな出来損ないのわたしが橘家に嫁入りするなんて、なにかの間違いだ。
 依織の頭の中はそんな自分を卑下する言葉でいっぱいになる。

「わがままを言うな」
「これはわがままでは……!」
 
 しかし、命令に逆らうことを許されるはずもない。この婚姻は確定事項だ、という言葉で話は打ち切られた。

「……あなた、本気で結婚する気なの?」

 部屋を出たところで彩織から睨まれた依織は、ビクリと肩を揺らす。視線を彷徨わせながら「それは、その」と煮え切らない返事をすれば、姉は苛立ったように爪を軽く噛んだ。

「なにかの間違いだわ、こんなの」
「わ、わたしもそう思――」
「あってはいけないわ、こんなこと」

 キッと依織を睨みつけた彩織は、そのまま振り返らずに足早に自室へ帰ってしまう。残された依織は、これからどうしたものか、と途方に暮れたのだった。




 同時刻、橘紫苑たちばな しおんは自身の父――紅之助こうのすけの前で緩やかに微笑んでいた。

「なるほど、そのような知らせがあったのですか」
「……ああ」
「僕が、倉橋依織くんと結婚とは――ずいぶんと思い切った神の啓示ですね」
「そのような言い方をするな」

 罰が下るぞ、とでも言いたげな紅之助を気にする様子もなく、紫苑は唇の前に伸ばしたまま軽く組んだ両手の指を当てて微笑む。

「僕は、喜んでお受けしますよ。依織くんとは学生時代に面識もありましたから、全く知らぬ仲というわけでもありません」
「しかし、本気か?」
「ええ」
「だが――」

 倉橋依織と結婚せよ、という突然の知らせにも一切の動揺を見せなかった紫苑は、むしろどこか嬉しそうに見えた。しかし、父親であり橘家の当主である紅之助はずっと渋い顔をしている。
 当然立場上、それを受け入れなければいけないことは重々承知しているのだが、それでも「何故」だの「どうしてお前が」だのという言葉が彼の口からは何度も零れていた。当然その中には「どうせなら姉の彩織であれば」という意味合いも含まれていたようではあるが、紫苑は薄く笑みを浮かべたまま苦悩する父親の様子を眺めるだけだった。

「ふっ……父上、そのようなお顔をなさらなくても大丈夫ですよ」

 頭が痛い、と眉間を揉む父親に、紫苑はにこりと笑いかける。しかし、その妙に軽く響く言葉を聞いた紅之助は不愉快そうな顔になった。

「大丈夫とはなにを根拠に言っているんだ。紫苑、お前はなにを考えている?」
「なにを、ですか? 依織くんと夫婦になることができて幸せだ、と。ただそれだけですが」
「……元々惚れていたのか?」

 問われた紫苑は、また静かに微笑むだけで言葉を発することはない。それ以上の答えは得られないと理解した紅之助は、また眉間を揉んで深い溜息を吐いた。

「しかし、お前では――」
「兄ではなく僕では、倉橋家にも申し訳がない。……とおっしゃりたいのですか?」

 言葉を遮るように父親からの返事はない。兄は既に他の才ある女性との婚約が成立している。とはいえ、神祇院じんぎいんからの通達とあらば婚約は解消して倉橋依織との結婚を余儀なくされていた。そういう意味では碧唯ではなく紫苑が指名されたのは運が良かったとも言える。
 まだ婚約者のいない紫苑も、一族の者たちからどこか有力な家柄の優秀な娘との婚姻を望まれていた。そこに浮上してきたのが退魔の力に優れる倉橋家となれば、喜ばしいと思う者もいるかもしれない。しかし、才能のある彩織ならともかく、母親の胎内で姉に才能のすべてを吸われた、と揶揄される依織が相手と知ったら、ただ穀潰しが増えるだけだという意見が出ることは想像に容易い。
 だがしかし、そんな言葉も、『神祇院《じんぎいん》』という名の前には大っぴらに口には出来ないのだ。紫苑はそんなことを考えて、ふっ、と息を抜くように笑う。

「このような呪われた身では結婚などは出来ず、ずっと独り身でいるのだろうと思っていました。父上も、僕は一生をこの家で終わらせるものだと思っていらしたでしょう? しかし、こんな何の役にも立てない僕でも、あの倉橋家との縁を作ることでこの家に恩を返すことが出来るかもしれないのです。胸が高鳴りますよ」

 己の胸に手を当て、軽く頭を下げた紫苑の薄い唇が、にぃっと弧を描く。
 橘紫苑は、生まれながらに呪われた身だった。それゆえ、その呪いについて把握している全員が、紫苑にとって婚姻は縁のないものだと思っていた。紫苑の秘密は、両親と兄、それから幼い頃から身の回りの世話をしてくれていた何人かの信頼のおける使用人だけ。橘家にとって、これは極秘情報だった。

「しかし、婚姻となれば、ただの恋人関係と同じに考えることはできない。簡単な話ではないのだぞ?」
「父上がなにも期待していなかったこの僕が役に立つのです。もっと嬉しそうなお顔をされてはいかがですか?」

 ふっ、とまた笑みをこぼした紫苑に対し、虚を突かれたかのような表情を浮かべた紅之介は、腕組みをして苛々とした様子で右手人差し指で前腕を叩く。

「大丈夫ですよ。今までだって僕は上手くやってきたでしょう? 橘の名に傷をつけるようなことは致しません」
「紫苑」

 静かに視線が絡まれば、父親はただ重い溜息を零した。なにか言われるかとしばらく待ってみた紫苑だったが、軽く手を払われれた。これ以上ここにいても意味はないと判断して

「それでは、おやすみなさい」

 最敬礼をして音を立てず部屋を出る。窓から空を見上げ、雲がかかりだした月を眺めた紫苑は、またにんまりと微笑んだのだった。
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