落窪の男女伽

水市 宇和香

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序の段

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 今は昔。後の世に平安時代と呼ばれる時分のことである。
 中天に丸い月がかかる頃、二条大路を進む牛車があった。乾燥した空気は冷たく、吐く息は白い。しかし、牛車の中から聞こえる声はさらに冷ややかで凍てつくようだった。
「どうして殺してやるのが良いかな」
 言葉には言霊が宿る。それゆえ、人々は滅多なことを口にしないものだ。しかし、牛車の主は生き霊や呪いといった目に見えない事柄は信じぬ性質であり、また、敵と見定めた相手には決して容赦しない男であった。
 彼の脳裏に浮かぶのは、最愛の「姫」が自慰に耽る姿。主芙婀(あるふぁ)の香りに惑わされ、火照った肢体で幾度も自身を扱き、ふくらみのない胸元を弄る様子はひどく扇情的だが、しかし、残酷でもあった。なぜなら、男女伽(おめが)である「姫」が反応する相手は自分ではないからだ。
「あの糞爺……」
 宮中屈指の貴公子である三位中将(さんみのちゆうじよう)(三位で近衛府の中将を任された人。近衛府とは、大内裏の警固などを担当した機関のこと。本来、近衛中将の相当位は四位だが、特別に三位を授かった人)のの荒れた口調に、牛車に付き従う従者たちは小さく震える。
 その中で一人、朗らかな従者が主人のつぶやきを受け、一つ、二つ、惨たらしい死にかたを挙げてみせた。例えば刺殺、例えば殴殺といった具合に。
「まあ、こちらが手を出さなくても、あの爺さん、すぐに死んでしまいそうですがね」
「楽に死なせてたまるか」
 はっきりと言い切る声音には、一切の迷いも感じられない。
 彼はいつも、自分で決めたことは曲げずに突き進んできた。才も美貌も、すべてを兼ね備えた者が持つ自信に満ちた歩みは、見る者をますます惹きつける。それゆえ、彼の周りには老若男女を問わず、いつもたくさんの取り巻きがいた。それは仕える従者たちにとって、非常に誇らしいことであった。
 しかし。
「実行したら「姫」様は悲しみますよ」
「………」
 もちろん、従者に言われずとも、そのようなことは百も承知である。三位中将はふつりと黙りこんだ。
 沈黙した牛車に同情しながら、従者たちは歩む速度を上げた。主人が何よりも愛する「姫」の住む、二条邸へ帰るために。
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