落窪の男女伽

水市 宇和香

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一の段

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 中納言 源 忠頼(みなもとのただより)には、数多の娘がいる。皆美人と呼び声が高く、大君(おおいぎみ)(長女)と中(なか)の君(次女)はすでに婿を迎えていた。そして、三の君(三女)はというと、露顕(ところあらわし)(披露宴)を翌日に控えている最中である。
 彼女の婿となるのは、今をときめく蔵人少将(くろうどのしようしよう)(近衛府の少将で蔵人を兼ねた人。蔵人とは蔵人所の役人のこと。蔵人所は天皇の秘書官のようなもの)。帝(天皇)の覚えもめでたい彼のもとには、引きも切らず婿取りの話が舞いこんできたが、彼は美しいものを好む性質だったため、たとえ皇女であろうと、右大臣家の姫であろうと、性別が男女伽であろうと首を縦には振らず、家格でいえば数段落ちる中納言家の三の君を妻と決めたのであった。
 うだるような熱気が重く垂れこむ夜闇の中、中納言邸を訪ねた蔵人少将は、昨晩初めて顔をあわせた三の君の姿を反芻していた。
(造作は良し、お声もまあまあ、……少し甘く見て及第点か)
 可憐で麗しいとの噂は嘘ではなかった。そのことに安堵しつつ、それでもどこか物足りなさを感じるのは、彼女の挙動にみやびを感じられなかったからである。女というものは、ふるまいも含めて美しくなくてはいけないと蔵人少将は常々思っていた。しかし、宮家の血を引く自分とは違うのだから、あまり多くを求めすぎても仕方あるまいと自分を慰める。先達も皆口を揃えて言っていたではないか、女など期待するだけ無駄だと。
 高貴な身分の女は一生の大半を屋敷の中で過ごし、親や子ども以外の異性に姿を見せないのが通例である。ゆえに、噂を頼りに恋をし、文を交わしながら相手を知り、思いを深める。その間顔を見る機会など当然なく、契り(性行為)を結ぶ段になって初めて相手の全貌を知るところとなる。誇張された噂も文の代筆も暗黙の了解としてまかり通っているため、実際のところは、女のもとに通ってみなければ人となりなどわからないのが世の常なのである。そう考えると、自分はまだ大外れを引いたわけではないのだと、蔵人少将は思う。それに、いずれもっとみやびで美しい女人に巡りあうことがあれば、その人も妻にすれば良いのだ。
 当世の結婚というのは、夫が妻の住まいを訪れる通い婚が一般的である。妻は親のもとで暮らし、夫の身の回りの世話や生まれてきた子の面倒はすべて、妻の実家が行う。そのうち、夫の社会的地位が上がるか年齢を重ねるかすると、妻子は夫の屋敷に迎えられる。
 しかし、男は何人も妻を持つことができる。また、男の足が遠のけば、自然と夫婦の関係は絶える。つまり、結婚したからといって、男女の仲が未来永劫安泰というわけではなく、それも男の心持ち一つで簡単に変化してしまうものなのだ。
 だが、まだ十五のうら若き三の君にとって、そのような不安はとんと縁がないものだった。蔵人少将とは対照的に、彼女は希望に満ちた未来を想像し、胸躍らせていた。高貴な血筋、今時の公達(上流貴族の子息)らしい派手で傲岸なふるまい。夜の営みの少し乱暴なところも男らしくて惹かれる。つまるところ、深窓の姫君だった彼女は、初めての異性に浮かれているのである。こののち彼女に待っているのは決して明るいだけの未来ではないのだが、今は割愛しよう。なぜなら、この物語の主人公は彼女たちではないからだ。
 さて、蔵人少将が訪れている中納言邸、その寝殿の北面に面した庇(ひさし)の間(寝殿造で、母屋と簀子縁の間に設けられた空間。屏風などで仕切って部屋として使用する)に、二間(柱と柱の間が一間)のみの曹司(ぞうし)(部屋)がある。床が一段低く落ち窪んだ粗末なその部屋に、早足で向かう者がいた。中納言の北(きた)の方(かた)(正妻)である。
「落窪! いいかげん蔵人少将殿の狩衣(かりぎぬ)(貴族男性の日常着)はできあがったのかい?」
 袿(うちき)(貴族女性の普段着)と引きずるほど伸びた黒髪を荒々しく翻す姿は女らしからぬ立ち居振る舞いであり、万一にも人に見られたらみっともないと眉を顰められるだろう。特に今晩は、蔵人少将が三の君のもとを訪れているのだ。しかし、彼女にはそれより心にかかることがある。可愛い可愛い娘の婿となる蔵人少将に贈る衣がまだ縫いあがっていないのだ。男が三夜連続で女のもとに通い契りを交わすと、正式な夫婦と認められる。その際、夫となった男には、妻の実家で用意した衣を着せるのがならわしなのだ。明日には衣を着せねばならぬというのに、その衣がいまだできあがっていないというのは、北の方にとっては何よりの一大事であった。
「何をちんたらやっているんだい!」
 部屋に飛びこむと、古ぼけた袿をまとった背中がびくりと震えた。肩を覆うほどの長さまで伸びた髪の毛にはうるおいがなく、袿同様すすけた印象でみすぼらしい。それに、なんともちぐはぐな姿で奇妙だ。ちぐはぐというのはつまり、女のようないでたちでも、彼はれっきとした男ということである。男にしては小柄で色白な肌だが、骨が太く華奢とは言い難い。それに、びくびくと震えるその横顔……えらの張った大きな輪郭、毛虫のような眉、無数のあばたとつぶれた鼻。中性的とは無縁の無骨な男である。しかも、見るに耐えない醜悪な面立ちだ。中肉の体躯を小さく丸め、ちらちらと媚びるような視線を寄こすその姿に目を眇めたのち、北の方はもう一度怒鳴った。
「落窪! 返事をおし!」
 すると、落窪と呼ばれた青年は口を戦慄かせながら、手にしていた狩衣を差し出す。彼から奪い取った衣は、どれほど注意深く眺めても粗など一つもなく、実に丁寧に縹(薄青)色に染められ、縫い目も均等で美しかった。
「ふん。できているのならさっさと差し出せばいいものを、何を出し渋っているんだい!」
 落窪は北の方が恐ろしく、身じろぎすることもままならなかったのだが、北の方に彼を慮るつもりなどない。彼を一瞥すると、さっさときびすを返す。落窪は北の方の後ろ姿を見送ってから、ようやく息を吐いた。
(なんとか間にあって良かった……)
 大切なはれの日だからと思いをこめて縫ったせいで、想定以上に時間がかかってしまったのだ。そのため、北の方が襲来する直前に縫いあがったばかりであった。
 狭い曹司の中には、他にも色とりどりの布が積み上がっている。大君、中君、三の君、四の君……この屋敷の姫君たちの晴れ着になるものだ。三の君の婚儀に必要な衣類を優先して後ろ倒しにしていたが、落窪には縫わねばならないものが山とあった。しかし、落窪は自身の身体がこのところ熱っぽくなっていることを自覚していた。酷暑のせいではない。発情期が近いのだ。彼は男女伽なのである。発情期が始まってしまえば数日は動くことももまならない。ともすれば、今のうちにわずかばかりでも縫い物を進めておかなければならなかった。
 しかし、集中力を削ぐように、ぐうと腹が鳴る。部屋中に響いたその音に、落窪は首まで真っ赤に染めて俯いた。
「みっともない!」この場にいない北の方のがなり声が、彼の耳には聞こえていた。
「日がな一日座っているだけのくせに、誰よりも大喰らいで嫌になるよまったく」
それは何度も聞いた台詞であり、落窪の耳にこびりついているのだった。
 針仕事の対価は日に一食の朝餉のみ。それもごくわずかで、成長期の落窪にはとうてい足りぬ量なのだが、落窪は自身を大食らいで卑しい人間だと思っていた。羞恥に身がすくんだが、それでも作業を止めるわけにはいかず、落窪は必死に手を動かすのだった。
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