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一の段
四
しおりを挟むさて、困り果てた惟成は、翌日の夕刻、さっそく阿漕の局に押しかけ相談を持ちかけた。対する彼女の反応は、すこぶる良かった。
「そんな素敵な方が姫様に興味を持ってくださったなんて信じられないわ」
阿漕が目を輝かせているのを見るにつけ、惟成の胸がぢくぢくと痛む。なぜなら、惟成は、道頼がかりそめの恋をしたがっているとは伝えられなかったからだ。
(いや、でも阿漕が言う素敵な殿方というのには当てはまっているわけだし……)
心のなかで言いわけを繰り返しながら、阿漕に文を差し出す。
「道頼様は見目もいいし、主芙婀だし、絶対出世するから、宮中の女たちからもすごく人気なんだよ」
嘘は言っていない。すべて本当だ。これ以上話すとぼろが出そうなので、もう何も聞かないでほしい。暑さのせいではない汗をかきながら、惟成は平静を装っていた。
が、しかし、その内心は阿漕には筒抜けだった。だてに彼の妻をやっていない。阿漕は文に焚き染められた風雅な香りや、惟成の話しぶりから、右近少将という人物がそうとう世慣れていそうだと当たりをつけていた。だが、経験豊富なほうが男の男女伽に出会っても平静でいられるかもしれないと思い、その可能性にかけることにしたのだった。
「姫様がこの文にお返事するかは保証できないわよ」
その一言は自分が道頼に告げたものとそっくりだったので、惟成は笑ってしまった。
「そうなったら俺が道頼様に文句を言われるだけだからいいさ」
「ええ、大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。ご自分がなんでもできる方だから、他の人間にも厳しいんだよな」
(それって本当に大丈夫なのかしら……?)
阿漕は夫の能天気さに不安を覚えたが、当の本人は晴れ晴れとした表情で帰っていった。彼にとっては、文を渡せただけで満足らしい。
それを見届けた阿漕は文を握り締め、大慌てで姫の住む落窪に駆けこむ。
「姫様っ、姫様! 大変ですわ! 姫様あてに恋文が届きましてよ!」
男からの文にすぐ返答をしては軽薄だと思われるのが当世のならいだ。そのため、是とも否とも取れるような返事をしたものの、これは一大事である。
落窪は相変わらず縫い物に励んでいたが、阿漕の声にのろのろと顔を上げた。
「……どうしたの?」
発情期目前でうまく頭が働かず、なぜ彼女が大慌てしているのかうまく呑みこめない。しかし、阿漕が嬉しそうに見えたため、つられて口の端がゆるんだ。
その様子に阿漕はますます興奮し、大音声でまくしたてる。
「あたしの夫が右近少将様の乳兄弟だという話はしましたわね? その右近少将様が、姫様の噂を耳にして、姫様にぜひお会いしたいと仰っているそうですわ! ほら、こちらにお文が! ご覧くださいませ!」
「えっ、す、少し待って……」
「この流美な手蹟! 焚き染めた香りもなんて上品で麗しいのでしょう!」
針を持つ手にむりやり押し付けられた文は、いびつに歪んでしまっている。
「どうしましょう! こんな上物が釣れるとは思ってもみませんでしたわ! 姫様、この屋敷から逃げ出すいい機会です! 早くお読みになってくださいませ!」
落窪は、満面の笑みを浮かべる美しい乳姉妹と文を何度か見比べたのち、そっと文を押し戻した。
「私には無理だよ」
「何が無理なものですか! お相手は主芙婀だそうですよ!」
「その人、私が男だって知ってるの?」
「男女伽と主芙婀の関係に男女は関係ありませんわ!」
平多の阿漕にはわからないが、つがいというのは本能で結びつく関係だという。だとすれば、落窪が男だろうと男女伽である限り、つがいになった主芙婀には大切にしてもらえるのではないか。だから、落窪の性を黙っていたことなど些末な問題だ、尻込みしている場合ではないのだと、気が急くままにますます声高に主張した。
だが、それは逆効果だった。
「っ、もっと無理っ!」
「っ!」
普段は声の小さな落窪が吠えるように大声を出したため、阿漕は肩を震わせた。阿漕と目があうと、彼は脅えた表情を浮かべた。
「ご、ごめん……っ」
腹心の女房相手でも、たったこれだけのことで嫌われやしないか気にしている主人が哀しい。
「こちらこそ申しわけございません。姫様のお気持ちを無視していました」
「ううん、阿漕が私のためにいろいろしてくれているのはわかっているよ」
でも、と、落窪はかぶりを振った。
「この身を人前に晒すなんて絶対に嫌だ……それに、勝手にそんなことをしたのが北の方様に知られたらと思うと……」
その先は恐ろしすぎて口にもできないようだった。熱が上がっているにもかかわらず、恐ろしさに身体を震わせている。
阿漕はこれ以上落窪に何も言えないと判断した。
「わかりました。姫様のお気持ちを尊重いたしますわ」
そこでこの話は立ち消えとなった。阿漕は、ふたたび針仕事に取り掛かろうとする落窪から衣を奪い取り、無理矢理彼を寝かしつけた。
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