落窪の男女伽

水市 宇和香

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一の段

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 落窪の母は宮家の血を引く姫だった。しかし、両親はとうに他界しており、残された遺産で侘しい暮らしをしていた。そこに通ったのが、若き日の中納言である。
 血筋は立派だが身よりのない妙齢の男女伽の噂は、ずいぶん前から公達の間に流れていた。しかし、彼らは皆、男女伽の姫に手を出すのをためらっていた。姫の亡き父が、宮中でも笑いぐさになるほど滑稽な面立ちをしていたからだった。
 しかし、中納言はそれでも良かった。否、醜い面立ちの姫であるほうが、彼にとって都合が良かった。北の方はそこそこ美しいが自尊心が高く、己より美人な姫を恋人にしたと知れたら、嫉妬で魂を飛ばしてしまうのが目に見えていたからだ。それならば他の女に手出しなどせねば良いのだが、そこはやはり男として、たまには他の女のもとにも通いたいと、そういう好き心があった。
 案の定、父に似て滑稽な面立ちの姫だったが、主芙婀の中納言と相性が良く、二人はつがいになった。そして落窪が生まれた。いっぽう、北の方は平多だったが、中納言に流れる主芙婀の血が薄いことが幸いし、すでに四人の女をもうけていた。
 その後落窪の母が亡くなったため、七つの落窪は数人の側仕えとともに中納言邸に移り住むことになった。
 幼い頃は屋敷中を無邪気に走り回っていた落窪だったが、何かと北の方の癇に障り、狭い部屋に閉じこめられることが多かった。そのとき、一緒に閉じこめられた阿漕を真似て裁縫をしたことがきっかけで、屋敷中の縫い仕事を押しつけられるようになった。
 とはいえ、いずれ元服(げんぷく)(男子の成人の儀)の時期がきたら出仕するようになるだろうと、以前の落窪は考えていた。その考えを改めたのは、人生で初めて発情期を迎えた二年前のことだった。
 全身が熱い。
 何がどこに触れても過敏に反応する身体は、快感を越えてもはや痛いほどだった。勃起は収まらず、何度も擦りすぎて血がにじんでいる。それでも扱くのを止められない。
「あぅ、あ……、あ……っ」
 痛い。気持ちいい。痛い。痛い。気持ちいい。足りない。
 身体の奥が疼く。しかし、どうすればいいのかわからず、落窪は自身を擦りながら床の上で全身をくねらせていた。床の冷たさが今の落窪にはちょうど良い。
「ん……うう、ん……」
 すべての意識が快感にしか向いていなかったため、その気配に気づかなかった。
「きゃああああ」
 屋敷中に響くような悲鳴が聞こえて、落窪はようやく、来訪者の存在を認識した。立っていたのは、大君と三の君だった。二人は母に倣い、異腹の落窪を毛嫌いしていたため、彼を虐げるためにしばしば曹司を訪れていたのである。この日も落窪に無理難題をふっかけてやろうと訪問したところ、発情中の落窪を見つけてしまった。
 幼い頃から隔離され、なんの知識も与えられず育ってきた落窪は、発情期を迎えて初めて、自分が男女伽だということに気がついた。落窪より世慣れている阿漕も、落窪が男だったことや、通常の男女伽に比べ、彼の発情期が二年ほど遅かったことから、悲鳴を聞いて駆けつけるまで、彼の性にまったく気が付かなかったのである。
 姫たちの叫びを聞きつけ、屋敷中の人間が集まってきた。男女伽特有の香りを嗅ぎ分ける者はいなかったが、部屋中にこもる性の匂いと、全裸でみっともなく喘ぐ醜男に皆眉を顰める。
「気持ち悪い」
 北の方が吐き捨てた言葉は今も忘れられない。快感に焦がれて頭が働かない状況でも、不思議と耳に飛びこんできた。
「醜い男のくせに子どもが産めるなんて気持ちが悪い! さすがあの女の子どもだよ! 子どもを産むしか脳がない、低俗で、淫乱で、汚らしい血だ! その香りでまた私の殿を誘惑する気かい? そうはさせないよ! おまえみたいな気持ち悪い人間はこの落窪に閉じこめてやる! そうすれば、誰もおまえのせいで不幸にならずにすむからね!」
 男のくせに。気持ちが悪い。おまえのせいで不幸。
 脳が焼き切れるほどの熱さの中で、それらの言葉を反芻する。
(僕は気持ちが悪いんだ。周囲を不幸にさせるほど)
 それから数日間、落窪は発情の症状に苦しんだ。しかし、その間もずっと、頭の片隅には北の方の言葉が染みついていた。
 そして、発情期がおさまった頃、落窪は女の格好をすることに決めた。なんの知恵もない落窪がなんとか考えた結果だった。
「子どもが産めるぼ……私は、女の格好をしたほうがいいと思う」
「お、女の格好をしたって、女には見えませんよ!」
「だけど、髪を伸ばして、袿を着ていたら、ぼく……わ、私だって、後ろ姿くらいは女に見えるだろう?」
 落窪にとって、記憶にない実母より、北の方こそが母であった。そのため、北の方が自分を嫌う理屈はわかっていても、受け入れられないのだった。ましてや、屋敷中の人間――当然、阿漕はのぞく――が北の方の味方をし、落窪とはろくろく会話もしない、あるいはせせら笑うばかりなのである。ともすれば、一番よく顔をあわせる北の方になんとか振り向いてもらいたいと願ってしまうのは、致し方ないことであろう。阿漕は落窪が不憫でならず、彼のとんちきな発案を強く否定することができなかった。
 少しでも北の方の意に添うように。落窪がそう考えていることなど知る気もない北の方は、突然醜い義理の息子が女装をし始めたことに慄いた。しかし、彼女は落窪が元服や出仕の話をしなくなって助かったと思うばかりで、特にその理由を聞くこともなかった。
 こうして、針仕事に専念する女装した醜男が生まれたのである。
 落窪は以前から腫物のような存在だったが、彼の突飛な行動を受け、下仕えの人々はますます落窪に触れてはならないと思うようになった。もとより阿漕以外に仕える者もいない身だったため、阿漕が彼を女のように扱い始めても、誰も何も言わなかった。そのうち、新しく中納言家に勤め始めた面々は落窪を女だと思い違いするようになるのだが、それでも誰も訂正することもないのだった。
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