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第四章
二話 ハナミ・トチマンドウという男(5)
しおりを挟むその後、ハナミは一年かけて一人で――時にゴールの助けも借りながら――着々と脱走の準備を進め、ついに計画を実行に移す日がやってきた。
六月上旬のことだった。野宿をしても問題ない時期を選んだ。
前日から一睡もできなかった。肝が据わっているほうだと思っていたが、さすがに緊張していた。
早朝、一年間相棒だった木剣と王国の地図を腰に差し、部屋を抜けだす。扉の前には兵士が立っているので、窓から地上に降りた。城内の人間にとって、兵士はあくまでハナミを守護するための配備だ。だから、ハナミが逃げ出すとは想定もしていないに違いない。
庭を巡回する兵たちに会わないよう、建物伝いに走る。王宮には何個も大規模な庭があるが、ハナミが目指しているのは城の裏手にある一番古い庭である。半年かけて、東の垣根の鉄柵をこっそり壊した。そこから外に抜け出すのだ。
「ハナミ」
と、聞き慣れた声に呼ばれて、ハナミは足を止めた。
(まさか……)
振り返ると、フィリップが立っていた。金髪の中年男性と一緒に。ハナミの脱走は見透かされていたらしい。
彼はハナミに暴力を振るったあとも、当然のようにハナミのもとにやってきた。ハナミのことは依然として、お気に入りの犬と思っているようだった。
しかし、さすがに脱走となると、彼がどう感じたか……。
うすら笑いを浮かべる二人を睨みつけ、木剣を抜く。近衛騎士団の団長であるフィリップに勝てる見込みは薄いが、後には引けない。
と、ハナミの構えを見て、フィリップが爆笑した。
「わはは、ずいぶん跳ねっ返りだな」
「城を抜け出すならいざ知らず、おまえに向かってこようとするとは」
フィリップの隣に立つ男性も、袖で口元を抑えて低く笑った。
「戦う気がないなら俺のことは見逃してもらおうか」
背後に二人以外の気配がないことを確認しつつ、口をひらく。すると、フィリップは両手を上げて近づいてきた。
「待て待て。ちょっと話があるんだ」
袖口に武器を仕込んでいないとも限らない。彼の全身を注視しながら鋭く問う。
「話ってなんだ」
それに答えたのは、フィリップではない男のほうだった。
「君が近日この王宮を逃亡するかどうか、賭けをしていてね。わたしはさすがにそんなことはしないだろうと言ったのだが、フィリップが絶対にする、今日に違いないと言い張るので、二人で様子を見にきたわけだ」
細められた目元がフィリップによく似ている。王族たちの血筋が濃いからだろうか。
あと三歩で剣先にぶつかるというところまで、フィリップが近づいてきた。剣を握り直したハナミの足元に、彼は腰に下げた袋を投げてよこす。地面に落ちたそれから、大量の金貨がこぼれ出た。
「は?」
目を見張るハナミに、フィリップが言った。
「それは旅の資金だ。好きに使え。どの場所でも自由に行き来できる通行証も入ってる。今は姿を隠しているが、護衛もつけるぞ」
「なんでわざわざこんなものを用意して……」
意味がわからない。手をつけていいものかわからず、困惑する。すると、中年男性がいたずらっぽく口の端を持ち上げた。
「君が無謀なことに挑戦する、勇気ある跳ねっ返りであることを見込んで、監察史に任命しようと思ってな。監察史になれば君は金を得られ、国王たるわたしは優秀な役人が手に入る。フィリップは……かわいがっている転移者が自由に遊んでいる姿を見られてご満悦、というところかな?」
(国王?)
そう言われれば、初めて王族と謁見したときに中心にいたような気がしなくもない。すっかり顔を忘れていた。彼が国王であるなら、フィリップとは叔父と甥の関係だから、顔が似ているのも道理である。
「賭けに負けたんだから、近衛騎士団の団舎をきれいにしてくださいね」
「しかたないな。むりやり予算にねじこもう」
ハナミの覚悟とは裏腹に、二人は呑気なものだ。人を試して笑っている彼らのやりかたには反吐が出る。
そもそも、転移者の脱走をこんなに簡単に認めるくらいなら、最初から解放してくれれば良かったのだ。王族の使命とやらに振り回されて、一年も棒に振ったことが悔しい。
しかし、心の片隅ではわかっていた。この王宮にカズエがいるから、ハナミの脱走は許されているのだということを。
ハナミはカズエを見捨てて、アザミを探す道を取った。
(どんなことだってしてやる。彼とふたたび会うためなら)
アザミに会いたいと願って、このトルバート王国にやってきた。それが神の導きだとするなら、神だという王家の彼らがハナミを逃そうとしていることは、きっと運命なのだ。だから、この世界のどこかにアザミはいるはずである。
彼と会うまで死ぬわけにはいかない。
金貨の詰まった袋を手に取ると、フィリップがいつものように大口を開けて笑った。
「この城から逃亡した反逆者という汚名を背負って、おまえはどこまでやっていけるかな。一年も経たずに捕まって帰ってくるなんて、情けないことはしてくれるなよ」
「こんな地獄、二度と帰るか」
「ははは、コンスタンスからの伝言だ。下界でのたれ死ね、だとさ」
こうして、ハナミは密かに監察史の任を帯び、王宮をあとにした。
初めて王宮を出たハナミは、王都の広さとその美しさ、人々の熱気に圧倒された。
王国の地図を眺めていたとき、王都がこんなに大きいとは思わなかった。だとすると、トルバート王国は果たしてどれほど広大なのか。気が遠くなりそうだ。
市場では王族のお忍びだと思われたらしく、誰もが親切にしてくれた。金などいらないと言う店の主人もいたほどだ。
彼らが王族を信奉しているのがよく伝わってきて、ハナミは苦々しい気持ちになった。
王都の門を抜けたのちは、なるべく人目につかないよう旅を続けた。そうしてひと月ほど経ったとある夜、ふいに耳元で男の声がした。
「監察史の任はどうした」
トマスだった。ハナミはこのとき初めて、護衛の声を聞いた。それまで護衛の存在など感じたことがなかったので、すっかり忘れていた。
路銀を得るために監察史を引き受けただけだったが、彼に急かされ、しぶしぶ仕事を行うようになった。そうして人々と接することが増えるうち、王家に存在を知られていない転移者の噂を、ごく稀にだが聞くようになった。
ヂット伯領、コトラ男爵領、ヒーツ伯領……さまざま巡って、不発に終わることもあれば、実際に転移者に会ったこともある。しかし、アザミはいなかった。
そうして、アザミを求めて旅を続けること四年――ついにその時が訪れたのだった。
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