ETERNAL CHILDREN ~永遠の子供達~

ラサ

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11 気づく思い

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 木陰に消える小さな姿を追って、シイナは歓喜の声をあげた。
「マナだわ!!」
「シイナ、危ない!」
 フジオミはシイナの腕を捕らえたまま、自分も下を見下ろした。
 そして見る。
 地上から真っ直ぐにこちらへと向かってくる、白銀の髪と、赤い瞳の少年の姿を。
「ユウ!?」
 見つけたシイナの反応も速かった。操縦席へ急ぎ、叫ぶ。
「銃をかしなさい!!」
「シイナ、何を――」
 振り返るフジオミは銃を手に立つシイナを見た。
「殺してやるわ。今度こそ」
 銃を構え、開いた扉の向こうを、シイナは凝視していた。
「――」
 上空に静止したままの機体の高さに、ユウはいた。怒りに満ちた瞳が、シイナだけを見据えている。対するシイナは、能面のような無感動な表情で、銃口を向けたままユウを見た。
 二人の視線が、完璧に重なる。どちらも決して、相手から目を逸らさない。一瞬でも逸らしたらやられると、本能で悟っていたのかもしれない。

「どうして死ななかったの」

「!!」
 そんな小さなささやきを、ユウだけが聞いた。
 そしてそれが、あらゆるものの緊張感をやぶった。
「シイナ、止め――!!」
 フジオミは、シイナの肩の震えで、トリガーを引こうとしていることをその瞬間、感じた。
 とっさに触れた手から、衝撃が伝わる。
 同時に、ユウの身体は糸が切れた人形が倒れるように唐突に視界から消えた。
「殺したのか!?」
 蒼白となってフジオミが問うた。
「失敗よ。手応えがなかった」
 対するシイナは冷静だ。
 苛立たしげにフジオミの手を振り払う。
 邪魔をされて狙いが狂ったのだ。絶好の機会だったというのに。
「今度邪魔をしたらあなたでも撃つわよ、フジオミ」
 言いながら、風が吹き付ける開いた扉から下を覗いたシイナは身を強ばらせた。
 すぐ下に、ユウがいたのだ。
「!!」
 シイナはもう一度、今度は片手で銃を構えた。
「シイナ!!」
 ユウの鋭い叫びとともに機体が傾いた。シイナが足元をすくわれる。
「!?」
 シイナの身体が、一瞬空に浮いた。そのまま重力に引かれる
「シイナ!!」
 とっさにフジオミはシイナの手を引いて中へ引き戻す。
 次の瞬間、激しい衝撃が機体を襲った。
「きゃあ!!」
 シイナは床に叩きつけられた。
「!!」
 フジオミがバランスを崩す。扉脇の手摺りを掴んでいた彼の手が、離れる。
「うわっ!!」
 彼の姿が、シイナの視界から消える。
「フジオミ!!」
 シイナが外へ身を乗り出す。どこにも、その姿はない。
 ただ、黒い塊が青い海目指して小さくなっていくのが見えるのみ。
 シイナの全身から血の気が退いていく。
「フジオミ――――っ!!」
 叫びが、大気を切り裂く。
 そして、マナも、その光景を見ていた。
 扉から飛ばされるフジオミの姿。遥か下は海。あの高さから落ちたのなら、救からない。
「いや…」
 マナが叫んだ。
「いや、救けて、ユウー!! フジオミを救けて!! お願い、死なせないでー!!」
「!!」
 その絶叫は、ユウの耳にはっきりと届いた。すぐに動いた。
 フジオミを追って、ユウの姿が海へと向かう。
 二人の距離が見る間に縮まる。ユウが手をのばす。フジオミの腕を、掴んだ!!
「ユウーっ!!」
 マナの叫びとともに、激しい水音。飛沫が何度も海面を打った。
 マナはユウがフジオミを捕まえたとき、ほんの一瞬、落下の速度が揺るまったようにも見えた。
「ユウ…?」
 だが、二人の姿は見えない。
 マナはじっと待ったが、海はやがて落ち着きを取り戻し、波だけが穏やかにさざめいている。
 二人の姿は、見えない。
「いや…」
 膝の震えを、マナは止められなかった。
 心底恐怖した。フジオミが死ねば、全てが終わる。
「博士、おじいちゃん 救けて、どうしたらいいの。もし、フジオミが死んでしまったら、人が、終わるのよ……」

――マナ!!

 突然マナは強い思念を感じ、振り返った。
 林の影、川と海が交わる場所に、ずぶぬれの人影が見えた。
 声を出さずにマナに手招きをしている。
 ユウだ!!
「――」
 マナはとっさに上を見た。
 ヘリの位置からすれば自分の姿も、ユウの姿も見えないはずだ。
 そっとヘリの視界に入らないよう、マナはユウのもとへと急いだ。
「ユウっ、フジオミは!!」
「――気を失ってたから、水は飲んでない。少し休めば目を覚ます。それより、すぐにここから離れよう」
 マナを引き寄せ、その腕に捕らえる。
「濡れてるから少し気持ち悪いけど、我慢してくれ」
「待って、ユウ、フジオミはどうするの?」
「おいていく。当たり前だろう」
 マナはもう一度フジオミに視線を戻す。
「そんなの駄目よ。お願い、彼も連れていって」
「マナ、こいつならドームの連中が見つけてくれるさ。気を失ってるだけだ」
「見つけてもらえなかったらどうするの? このまま目を覚まさないことだってあるかもしれないわ。死んじゃうかもしれないわ。そんなのいやよ。それに、彼にはどうしても聞きたいことがあるの。お願い」
 潤んだ瞳で訴えられると、ユウは弱い。
「目を覚まして無事なことがわかれば気が済むのか?」
「ええ。それからドームに帰せばいいわ。お願い、ユウ」
「――わかったよ」
 ユウは吐息をついてマナから身体を離した。横たわるフジオミを抱きあげる。
「三人を連れて跳ぶのは自信がないけど、今の俺は二度跳ぶなんてことはできない。マナ、俺から離れるな。手が離れたらどうなるかなんて、俺にもわからないから」
「わかったわ――」
 ユウの腕にしっかりと自身のそれを絡ませながら、マナは己れを恥じた。危険を顧みずにフジオミを救ってくれた彼よりも、自分はフジオミを心配していたのだ。
 人類を滅亡から救うというその崇高な使命が、彼女自身気づかなかったほど深く自分を縛っていることに驚愕した。
 それ以外の全てを排除するように。
 それだけを優先するように。
 いつも、そう言われてきたのだ。
 それまでは何の違和感もなく受けとめてきた言葉を、今マナは初めて疑問に思った。

(じゃあ、排除されたものはどうなるの?)

 ただ一つの大切なもののために、他を切り捨ててもいいのか。
 それは真に正しいことなのか。
 フジオミを救うためなら、ユウが犠牲になってもいいのか。
 マナの内に芽生えた疑問は、徐々に彼女の心に侵食していく。
 聞かなければならない。フジオミに。この疑問の全ての答えを。
「行くよ、マナ」
 ユウの声に、マナはきつく瞳を閉じた。
 彼女はまだ信じていた。
 子供である自分の疑問の正しい答は、老人がそうであったように、大人であるフジオミが知っているのだと。


 廃墟に帰ったマナとユウは、すぐにフジオミをユウの部屋へと移した。すぐに使える部屋はユウとマナの部屋の他は老人のしかなかったのだが、そこを使うことをユウは許さなかった。
 今日のところはフジオミにはユウの部屋を与え、ユウは老人の部屋を使うということで、その場は収まった。
 ユウは意識のないフジオミの上着を脱がせると、それを壁に掛けた。マナの服と同じで特殊加工されているので、濡れても水を弾く。これならば表面の水分が乾けばすぐに着られる。替えの服は必要ないだろう。
 呼吸は穏やかだが、ショックが強かったらしい。
 頬を叩いても起きる気配はなかった。この分では明日になるまで目を覚まさないだろう。
 ベッドに寝かせると、すぐにユウは濡れた服を変え、部屋を出た。斜め向かいのマナの部屋に向かう。
「マナ。入っていいか」
 返事よりも先に、扉は開いた。
「ユウ、どうだった?」
「――心配ない。明日になれば目を覚ます。今はまだ、無理だ」
「そう――ああ、ごめんなさい。こんな所で立たせたままにして。入って、ユウ」
 ユウの手を引くと、マナは扉を閉じた。ユウはその手慣れた仕草に声をたてずに微笑った。
「? 何がおかしいの?」
「マナも、ここの生活になれたと思ってさ」
 マナはさっと顔を赤らめた。
「ユウの意地悪!!」
 来たばかりのときには、マナは自分で扉を開けるということを知らなかった。いつでも、自動で開いてくれるものと思い込み、じっと立ったままのときもあったのだ。
「ごめん、ごめん。マ――」
「ユウ!!」
 突然、ユウの膝が崩れた。とっさにマナは腕を伸ばしユウを捕まえたが、支えきれなかった。そのまましゃがみこむ。
「どうしたの、ユウ!?」
「ごめん、少し、疲れただけ」
 ユウの顔色が悪いことに、マナはその時初めて気づいた。
「ああ、どうしよう。あたしのせいだわ。ごめんなさい、ユウ。あたしが無理なお願いをしたから」
「いいよ。マナだから。どんな無理でも、聞いてやる」
 かすかに微笑んだユウに、マナの胸が熱くなる。
「じゃあ、あたしがユウの願いを叶えるわ。言って。どうしてほしい?」
「ああ。このまま、少し、休ませて…」
 ユウはそのまま、マナに身体を預けた。マナの背が、ユウの重みで壁に触れる。労わるように、マナはその背をなでた。
 天井の明かりを避けるように片手で目を隠し、ユウはそのまま動かなくなった。
 どのくらいそうしていたのだろう。

「マナ。シイナは言ったよ」

 小さく、ユウは呟いた。
「?」
「『どうして死ななかったの』って。憎しみでも憐れみでもなく、俺にそう言ったよ。あの人は可哀相な人だ。ただ一つのこと以外、心を占めない。それ以外何もない。全て切り捨ててる」
 静かに床に手をついて、ユウは体を離した。
 じっとマナを見据えるユウの眼差しは、哀しみをたたえていた。
「俺はどうすればよかったんだろう。シイナの望むものになれなかったのが、いけなかったのか。
 俺はシイナが好きだった。マナと同じように、彼女が本当に好きだったんだ」
「ユウ」
 とっさに、マナはユウを抱きしめた。彼が泣きたいのが、わかったから。
 憎むことで、彼は生きてきたのだ。
 今はもう、ユウの心に憎しみはなかった。
 あったとしても、それは微妙に形を変えていた。
 ユウが憐れだった。痛みしかない、彼の心が。
 なぜこんなにも、彼は傷つかなければならないのだろう。
 どうしてもっと、全てが彼に優しく在れないのだろう。
「ユウ、大丈夫よ。泣かないで。もう忘れるの。あたしが傍にいるから。もう誰も、憎まないで」
 何でも知っていて、何でもできるはずのユウは、時折子供のように愛おしい。
 だから、マナは気のすむまでユウを優しく抱きしめていた。
 せめて自分だけは、彼に痛みを与えることがないように。


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