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最初の一週間
宵の明星を見上げて
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ひんやりした夕暮れの風が吹く、静かなガーデンハウス。
私と、蓮美ちゃんの二人で、籐のベンチに座っている。
「なるほどね。そういういきさつなら、この状態もわからないでもないか……」
ぽつりとそう呟いて、串刺しのパイナップルを食べる蓮美ちゃんを見て、私は申し訳なさに頭を垂れる。やっぱり、前夜にパーティして、次の日にBBQなんて強行スケジュールは、無理があったようだ。
反省しているにも関わらず、また、欠伸が出る。
今朝はカフェを出た後、予定通りスーパーで果物を仕入れて、約束された場所に着いたまではよかった。だが、食事中に猛烈な眠気に襲われて話も上の空、なんとか会話を繋いだものの、最終的にはテーブルでうたた寝をしてしまうという失態をおかしてしまった。
蓮美ちゃんが私のために呼んでくれた独身男性も、他のお友達もとても親切でいい人ばかりだった。二人の独身男性の片方、アントーニオは、旅行に来ているだけの私に興味を示してくれて、仕事で東京に行く事もあるから、今度は東京を案内してくれと連絡先をくれた。
何を話していたかを断片的に記憶してはいるものの、非常に疲れていたせいで、何の話を誰としたかあまり覚えていない。
普段よりも逆に饒舌だったと思うし、昨晩の疲れが残っていて緊張する余裕もなく、随分とリラックスしていたと思う。
それに、殆どの人は初対面だから、普段の私とは違うなんて気がつくはずもない。本当の私を知る蓮美ちゃんだけが、どうも様子が変だと感づいていた。ゲストが帰ることになり、彼等の見送りと散歩ついでに、ペーターと、まだ少し残ると言ったアントーニオが出た後、蓮美ちゃんはこうして、一体何があったのかを問いただしてきたのだ。
蓮美ちゃんに隠し事をするつもりは一切ないので、全部、話した。
拓海と再会したこと、プロポーズされたその晩の出来事から、明け方電車に乗ろうとして悪い奴らに絡まれそうになったこと。そして、閉め出されたヴィクターを泊めて、アパートを訪れた拓海が勘違いして激怒したこと。蓮美ちゃんも言葉を失って、呆然としていた。
「まさかの展開ってやつよね。別れたはずの男と、予定外の再会。おまけに、プロポーズなんて」
「そうなんだよね。しかも、私自身、自分がわからなくなって……拓海が、以前と違うっていうか」
「つまり、揺れてるわけね。いいんじゃないの?」
「そんな、単純なもの?!」
「当たり前じゃない。恋愛なんて、単純なものだと思うよ。そんなに想われて、幸せ者だと思うし」
蓮美ちゃんは最後のパイナップルを串から抜き取って、パクリと食べた。
「昨日、嫌いだった相手が、今日は愛する人になるってこともあるし、その逆も然り」
「えー、そんなにころっと変わらないと思うけど?」
「あるんだから、ほんとにそういうこと。でも……」
「でも?」
「拓海君にとって、デンマークに行かなくちゃならなかったのは致命的よね。あと、2、3日、理央と一緒にいたら、絶対、めでたく婚約までこぎ着けてたはずなのに」
自信たっぷりにそう言う彼女にびっくりしていると、蓮美ちゃんは、ちょっぴり切なそうな目で私を見た。
「理央は、離れたらすぐ、また悩んでしまって、堂々巡りするじゃない?拓海君が、そのまま、ぐいぐいと押していたら、勢いでその手に落ちてたはずなのに!運の悪い男!こうして、またすぐ遠くに行くから、理央は揺れて揺れて、結局何の進歩もなし。そうしているうちに、次に会う時はまた、冷めて来てしまうんだから」
「蓮美ちゃん、まるで私と拓海をくっつけたくてたまらないみたいだね」
「それはそうよ。あんたのこと、そこまで想ってくれる男、応援してあげたいと想うよ。きっと、すごく大事にしてくれそう。それに、仕事もきちんとしているし、結婚したいってはっきり意思表示しているんだから、誠実だと思うな」
「……それは、そうかもね……前は、そうは思えなかったんだけど、今回は、違ってた」
拓海の口から何度も聞いた、私を想う言葉の数々を思い出し、溜め息をついた。
繋いだ手を彼のジャケットのポケットに入れた時、急に距離が縮まったような気がした。抱きしめられても、キスされても、私は逃れることをしなかった。あんなに強く望まれたことは経験したことがなかったせいもあるだろう。生まれて初めて受けたプロポーズは想像以上に強いインパクトを与えた。
「次に会う時には、必ず決心しなきゃだめだよ。彼のためにも、自分のためにも。彼について行くと決めたら、絶対に振り返らないで、さっさと入籍して、パリに行きなさい!」
まるで実の姉かのような口ぶりで諭され、私は苦笑した。
「わかってる。きちんと、決めるよ。もう、後戻りしないように」
「ねぇ、いいじゃない、パリ。ベルリンと近くなるから、頻繁に会えるし、私は大歓迎よ」
「そうだね」
「あとその、昨晩のパーティで口説いて来たの、クリスティアン、だっけ?」
「うん」
「悪くないんじゃない?軽いヤツっぽいけど、諦めずにアプローチしてくるなら、ちょっとくらい様子見ても」
「えー……でも、彼女いるんだよ」
「別れるって言ってるんでしょ?いいじゃない、イケメンで仕事も有りなら。しかも、東京に来るってわかってるんだし。理央、人生最後のモテ期が到来しているのかもしれないんだから、後悔しないよう、選択肢の幅は広げておきなよ」
「……人生最後の、モテ期?」
悲壮感の漂う、その言葉に思わずぶるっと身震いした。
蓮美ちゃんはまるでホラー映画でも見ているかのように、わざとらしく怯えた顔を見せる。
「そうよ。二度と来ないかもしれない、人生最後のモテ期。アントーニオも、興味を示しているんだから、ちょっとくらい相手してみるべきね。イタリアの色男だし、紳士的で成熟した大人だから、未熟な理央には付き合いやすいかも。彼は、しばらく前に婚約していた人と別れたとかいう話だけど、今も結婚には前向きみたいよ。この際、恋愛と、結婚を切り離して考えるのも、悪くないと思うし?」
「うん……」
「理央も、どっちかと言ったらもう、恋愛に疲れて、結婚したいんでしょ?」
「……」
確かに、もう、付き合ったり別れたりの繰り返しにはうんざりしている。正直なところ、さっさと心を決めて1人の人と一緒にいられたらどんなに楽だろうと思わないでもない。
「そうだね。私も、そろそろ結婚して落ち着きたい……」
素直に頷くと、よしよし、と満足したように蓮美ちゃんが微笑んだ。
「それにしても、さっきの、ヴィクターの元カノの浮気の話とか、彼のゲイ疑惑の話も、結構衝撃的だったね」
「でしょう?私もかなり驚いた」
「でも、その元カノの話、信憑性あると思う。ラテンの女に弱いとか言っても、同棲相手に手を出さないなんておかしい。身体的機能に問題あるわけじゃないなら、不自然すぎる。それに、理央が彼をアパートに泊めた時に、手を出すそぶりもしないなんて、もう決定的かも」
「えっ、蓮美ちゃんもそう思うの?でも、友達なんだよ?手を出されたら、裏切られたみたいでショックじゃない?」
驚いて聞き返すと、蓮美ちゃんは呆れたように私を見た。
「あんただって、嫌いな男を部屋に泊めたりしないでしょうが」
「それは、そうだけど……」
「考えなかったの?この男がオオカミになるかもって」
「それは……一瞬は、考えたけど……でも、そういう人に見えなかったし」
「一応、襲われる可能性も知ってるんだから、生理的に受け付けないヤツを入れたりしないでしょ?つまり、招き入れた時点で、こっちはそれなりに好意持ってますって意思表示しているようなものなのに、色気のある一言も言わないなんて、男じゃないね。普通は、ちょっと試しに口説いてみようとするもんだよ」
「じゃぁ、やっぱり……?」
「……可能性、結構高いかもね。カミングアウトしていないだけの人も割といるし、ベルリンは同性愛者が多い都市のひとつだと思う」
「そうなんだ……そういや、リッキーマーティンも、ちょっと前にカミングアウトしたんだっけ」
「そうそう!あれ、すっごいショックだった!!!本気で惚れてたのに!今でも信じたくない!」
蓮美ちゃんが悲鳴みたいな声をあげ、私はくすっと笑った。
確かに、憧れていたスターが、女性に一切興味がないと知った時の衝撃は計り知れない。夢見ていたものが、ガラガラと音を立てて崩れて行くような感じだろう。
でも、それが遠い世界のスターであれば、時間が経つにつれてそのショックも和らぎ、いずれ忘れてしまうものだ。
リッキーマーティンが乗り移ったかのように歌い踊っていたヴィクターを思い出して、もしかしたらやっぱり本当に、彼「も」ゲイなのかもしれないと思い始める。どこか納得できない気がするけれど、彼のこれまでの無差別的な親切さや、男特有の攻撃的な雰囲気が皆無であることなど考えたら、女性に対して、同性に対するのと同じように振る舞っていると思えなくもない。
でも、サビーナが言っていたように、彼はとてもいいヤツだ。ストレートだろうと、ゲイだろうと、人間としてどうかということが一番重要なことだろう。
人の話し声が聞こえて来て、庭の扉を開けてペーター達が戻って来た。
リリカちゃんを腕に抱いたペーターと、アントーニオの3人。リリカちゃんはまた、うとうとしている様子でペーターの首に抱きついている。さっきまで大騒ぎしていたから、抱っこされて揺れているうちに眠くなってしまったのだろう。
しばらく座ってまた話をしていたが、蓮美ちゃんが、片付けの終ったテーブルを見渡して立ち上がった。
「そろそろ、帰ろうか。リリカも疲れているみたいだしね」
その言葉に皆が立ち上がる。
「リオ、俺が送って行こう。車で来ているから」
アントーニオが私のほうを見てにっこり微笑んだ。
彼は、ペーターの知人で、31歳のイタリア人だ。ドイツ車メーカーの技術部門に勤務しており、いわゆるエリート層に属する人だろう。今回、この急に告知されたBBQに来たのも、時々仕事で東京に出張するから、私と一度会ってみたいと思ったからだ、と本人が言っていた。趣味でサッカーチームに所属しているらしく、技術部門というインドアなイメージの仕事をしているのに、日焼けしてワイルドな印象の男性。
グレーのデニムパンツに、白いシャツを着て、カーキ色のジャケットを羽織るというカジュアル・ファッション。だが、シャツもジャケットも美しいシルエットを描き、滑らかで上品な光沢を見れば、その生地が上質な物だということは一目瞭然。そのへんのものとは仕立て自体が違うと、素人でもわかるくらい、気品が溢れた身なりだ。
ラテンの男性は女性のエスコートが上手で、視線から言葉からすべてが自然なのに、ふと気がつくとものすごく至近距離にいることがある。東京でサルサバーに通っていたころに、何度か経験した。一緒に踊っただけなのに、その直後からまるで恋人かのようにベタベタしてきたりするので、だんだんそれが鬱陶しくなってしまい、それが原因でサルサバーから足が遠のいたのだ。
でも、アントーニオは、ドイツ滞在が長いせいか、そういう積極的なボディタッチは全くないし、いい距離感であくまで紳士的。一方的に話をすることもなく、こちらが会話をしやすいように話題の舵取りも上手だ。勿論、ペーターの紹介だから、私を丁寧に扱ってくれているだけなのかもしれないけれど。
「そうね。理央も疲れているから、送ってもらった方がいいと思う。頼むわ、アントーニオ」
蓮美ちゃんが肘で私の腕を軽く小突きながら、私の代わりに答えた。
「ありがとう」
ワンテンポ遅れて私もお礼を言い、自分のバッグを手に取り、中からチョコレート色のストールを出して肩に羽織る。歩き出しながら空を見上げたら、群青色とオレンジのグラデーションが美しい空に、一番星が輝いているのが見えた。
「宵の明星、ヴィーナス。stella della sera」
金星のイタリア名を教えてくれたアントーニオが、私を見下ろしてにっこりと微笑んだ。
ローマ神話の、愛と美の女神、ヴィーナスの名を持つ、金色の美しい星。
その星から目を離し、夜空を見上げるアントーニオに目を向けた。
私の歩調に合わせて、砂利道をゆっくりと歩いてくれる、大人の男性。
アントーニオの彫りの深い横顔を見た時、なにか妙な胸騒ぎを感じる。私はすぐに彼から目を逸らし、もう一度夜空に煌めくヴィーナスに目を向けた。
私と、蓮美ちゃんの二人で、籐のベンチに座っている。
「なるほどね。そういういきさつなら、この状態もわからないでもないか……」
ぽつりとそう呟いて、串刺しのパイナップルを食べる蓮美ちゃんを見て、私は申し訳なさに頭を垂れる。やっぱり、前夜にパーティして、次の日にBBQなんて強行スケジュールは、無理があったようだ。
反省しているにも関わらず、また、欠伸が出る。
今朝はカフェを出た後、予定通りスーパーで果物を仕入れて、約束された場所に着いたまではよかった。だが、食事中に猛烈な眠気に襲われて話も上の空、なんとか会話を繋いだものの、最終的にはテーブルでうたた寝をしてしまうという失態をおかしてしまった。
蓮美ちゃんが私のために呼んでくれた独身男性も、他のお友達もとても親切でいい人ばかりだった。二人の独身男性の片方、アントーニオは、旅行に来ているだけの私に興味を示してくれて、仕事で東京に行く事もあるから、今度は東京を案内してくれと連絡先をくれた。
何を話していたかを断片的に記憶してはいるものの、非常に疲れていたせいで、何の話を誰としたかあまり覚えていない。
普段よりも逆に饒舌だったと思うし、昨晩の疲れが残っていて緊張する余裕もなく、随分とリラックスしていたと思う。
それに、殆どの人は初対面だから、普段の私とは違うなんて気がつくはずもない。本当の私を知る蓮美ちゃんだけが、どうも様子が変だと感づいていた。ゲストが帰ることになり、彼等の見送りと散歩ついでに、ペーターと、まだ少し残ると言ったアントーニオが出た後、蓮美ちゃんはこうして、一体何があったのかを問いただしてきたのだ。
蓮美ちゃんに隠し事をするつもりは一切ないので、全部、話した。
拓海と再会したこと、プロポーズされたその晩の出来事から、明け方電車に乗ろうとして悪い奴らに絡まれそうになったこと。そして、閉め出されたヴィクターを泊めて、アパートを訪れた拓海が勘違いして激怒したこと。蓮美ちゃんも言葉を失って、呆然としていた。
「まさかの展開ってやつよね。別れたはずの男と、予定外の再会。おまけに、プロポーズなんて」
「そうなんだよね。しかも、私自身、自分がわからなくなって……拓海が、以前と違うっていうか」
「つまり、揺れてるわけね。いいんじゃないの?」
「そんな、単純なもの?!」
「当たり前じゃない。恋愛なんて、単純なものだと思うよ。そんなに想われて、幸せ者だと思うし」
蓮美ちゃんは最後のパイナップルを串から抜き取って、パクリと食べた。
「昨日、嫌いだった相手が、今日は愛する人になるってこともあるし、その逆も然り」
「えー、そんなにころっと変わらないと思うけど?」
「あるんだから、ほんとにそういうこと。でも……」
「でも?」
「拓海君にとって、デンマークに行かなくちゃならなかったのは致命的よね。あと、2、3日、理央と一緒にいたら、絶対、めでたく婚約までこぎ着けてたはずなのに」
自信たっぷりにそう言う彼女にびっくりしていると、蓮美ちゃんは、ちょっぴり切なそうな目で私を見た。
「理央は、離れたらすぐ、また悩んでしまって、堂々巡りするじゃない?拓海君が、そのまま、ぐいぐいと押していたら、勢いでその手に落ちてたはずなのに!運の悪い男!こうして、またすぐ遠くに行くから、理央は揺れて揺れて、結局何の進歩もなし。そうしているうちに、次に会う時はまた、冷めて来てしまうんだから」
「蓮美ちゃん、まるで私と拓海をくっつけたくてたまらないみたいだね」
「それはそうよ。あんたのこと、そこまで想ってくれる男、応援してあげたいと想うよ。きっと、すごく大事にしてくれそう。それに、仕事もきちんとしているし、結婚したいってはっきり意思表示しているんだから、誠実だと思うな」
「……それは、そうかもね……前は、そうは思えなかったんだけど、今回は、違ってた」
拓海の口から何度も聞いた、私を想う言葉の数々を思い出し、溜め息をついた。
繋いだ手を彼のジャケットのポケットに入れた時、急に距離が縮まったような気がした。抱きしめられても、キスされても、私は逃れることをしなかった。あんなに強く望まれたことは経験したことがなかったせいもあるだろう。生まれて初めて受けたプロポーズは想像以上に強いインパクトを与えた。
「次に会う時には、必ず決心しなきゃだめだよ。彼のためにも、自分のためにも。彼について行くと決めたら、絶対に振り返らないで、さっさと入籍して、パリに行きなさい!」
まるで実の姉かのような口ぶりで諭され、私は苦笑した。
「わかってる。きちんと、決めるよ。もう、後戻りしないように」
「ねぇ、いいじゃない、パリ。ベルリンと近くなるから、頻繁に会えるし、私は大歓迎よ」
「そうだね」
「あとその、昨晩のパーティで口説いて来たの、クリスティアン、だっけ?」
「うん」
「悪くないんじゃない?軽いヤツっぽいけど、諦めずにアプローチしてくるなら、ちょっとくらい様子見ても」
「えー……でも、彼女いるんだよ」
「別れるって言ってるんでしょ?いいじゃない、イケメンで仕事も有りなら。しかも、東京に来るってわかってるんだし。理央、人生最後のモテ期が到来しているのかもしれないんだから、後悔しないよう、選択肢の幅は広げておきなよ」
「……人生最後の、モテ期?」
悲壮感の漂う、その言葉に思わずぶるっと身震いした。
蓮美ちゃんはまるでホラー映画でも見ているかのように、わざとらしく怯えた顔を見せる。
「そうよ。二度と来ないかもしれない、人生最後のモテ期。アントーニオも、興味を示しているんだから、ちょっとくらい相手してみるべきね。イタリアの色男だし、紳士的で成熟した大人だから、未熟な理央には付き合いやすいかも。彼は、しばらく前に婚約していた人と別れたとかいう話だけど、今も結婚には前向きみたいよ。この際、恋愛と、結婚を切り離して考えるのも、悪くないと思うし?」
「うん……」
「理央も、どっちかと言ったらもう、恋愛に疲れて、結婚したいんでしょ?」
「……」
確かに、もう、付き合ったり別れたりの繰り返しにはうんざりしている。正直なところ、さっさと心を決めて1人の人と一緒にいられたらどんなに楽だろうと思わないでもない。
「そうだね。私も、そろそろ結婚して落ち着きたい……」
素直に頷くと、よしよし、と満足したように蓮美ちゃんが微笑んだ。
「それにしても、さっきの、ヴィクターの元カノの浮気の話とか、彼のゲイ疑惑の話も、結構衝撃的だったね」
「でしょう?私もかなり驚いた」
「でも、その元カノの話、信憑性あると思う。ラテンの女に弱いとか言っても、同棲相手に手を出さないなんておかしい。身体的機能に問題あるわけじゃないなら、不自然すぎる。それに、理央が彼をアパートに泊めた時に、手を出すそぶりもしないなんて、もう決定的かも」
「えっ、蓮美ちゃんもそう思うの?でも、友達なんだよ?手を出されたら、裏切られたみたいでショックじゃない?」
驚いて聞き返すと、蓮美ちゃんは呆れたように私を見た。
「あんただって、嫌いな男を部屋に泊めたりしないでしょうが」
「それは、そうだけど……」
「考えなかったの?この男がオオカミになるかもって」
「それは……一瞬は、考えたけど……でも、そういう人に見えなかったし」
「一応、襲われる可能性も知ってるんだから、生理的に受け付けないヤツを入れたりしないでしょ?つまり、招き入れた時点で、こっちはそれなりに好意持ってますって意思表示しているようなものなのに、色気のある一言も言わないなんて、男じゃないね。普通は、ちょっと試しに口説いてみようとするもんだよ」
「じゃぁ、やっぱり……?」
「……可能性、結構高いかもね。カミングアウトしていないだけの人も割といるし、ベルリンは同性愛者が多い都市のひとつだと思う」
「そうなんだ……そういや、リッキーマーティンも、ちょっと前にカミングアウトしたんだっけ」
「そうそう!あれ、すっごいショックだった!!!本気で惚れてたのに!今でも信じたくない!」
蓮美ちゃんが悲鳴みたいな声をあげ、私はくすっと笑った。
確かに、憧れていたスターが、女性に一切興味がないと知った時の衝撃は計り知れない。夢見ていたものが、ガラガラと音を立てて崩れて行くような感じだろう。
でも、それが遠い世界のスターであれば、時間が経つにつれてそのショックも和らぎ、いずれ忘れてしまうものだ。
リッキーマーティンが乗り移ったかのように歌い踊っていたヴィクターを思い出して、もしかしたらやっぱり本当に、彼「も」ゲイなのかもしれないと思い始める。どこか納得できない気がするけれど、彼のこれまでの無差別的な親切さや、男特有の攻撃的な雰囲気が皆無であることなど考えたら、女性に対して、同性に対するのと同じように振る舞っていると思えなくもない。
でも、サビーナが言っていたように、彼はとてもいいヤツだ。ストレートだろうと、ゲイだろうと、人間としてどうかということが一番重要なことだろう。
人の話し声が聞こえて来て、庭の扉を開けてペーター達が戻って来た。
リリカちゃんを腕に抱いたペーターと、アントーニオの3人。リリカちゃんはまた、うとうとしている様子でペーターの首に抱きついている。さっきまで大騒ぎしていたから、抱っこされて揺れているうちに眠くなってしまったのだろう。
しばらく座ってまた話をしていたが、蓮美ちゃんが、片付けの終ったテーブルを見渡して立ち上がった。
「そろそろ、帰ろうか。リリカも疲れているみたいだしね」
その言葉に皆が立ち上がる。
「リオ、俺が送って行こう。車で来ているから」
アントーニオが私のほうを見てにっこり微笑んだ。
彼は、ペーターの知人で、31歳のイタリア人だ。ドイツ車メーカーの技術部門に勤務しており、いわゆるエリート層に属する人だろう。今回、この急に告知されたBBQに来たのも、時々仕事で東京に出張するから、私と一度会ってみたいと思ったからだ、と本人が言っていた。趣味でサッカーチームに所属しているらしく、技術部門というインドアなイメージの仕事をしているのに、日焼けしてワイルドな印象の男性。
グレーのデニムパンツに、白いシャツを着て、カーキ色のジャケットを羽織るというカジュアル・ファッション。だが、シャツもジャケットも美しいシルエットを描き、滑らかで上品な光沢を見れば、その生地が上質な物だということは一目瞭然。そのへんのものとは仕立て自体が違うと、素人でもわかるくらい、気品が溢れた身なりだ。
ラテンの男性は女性のエスコートが上手で、視線から言葉からすべてが自然なのに、ふと気がつくとものすごく至近距離にいることがある。東京でサルサバーに通っていたころに、何度か経験した。一緒に踊っただけなのに、その直後からまるで恋人かのようにベタベタしてきたりするので、だんだんそれが鬱陶しくなってしまい、それが原因でサルサバーから足が遠のいたのだ。
でも、アントーニオは、ドイツ滞在が長いせいか、そういう積極的なボディタッチは全くないし、いい距離感であくまで紳士的。一方的に話をすることもなく、こちらが会話をしやすいように話題の舵取りも上手だ。勿論、ペーターの紹介だから、私を丁寧に扱ってくれているだけなのかもしれないけれど。
「そうね。理央も疲れているから、送ってもらった方がいいと思う。頼むわ、アントーニオ」
蓮美ちゃんが肘で私の腕を軽く小突きながら、私の代わりに答えた。
「ありがとう」
ワンテンポ遅れて私もお礼を言い、自分のバッグを手に取り、中からチョコレート色のストールを出して肩に羽織る。歩き出しながら空を見上げたら、群青色とオレンジのグラデーションが美しい空に、一番星が輝いているのが見えた。
「宵の明星、ヴィーナス。stella della sera」
金星のイタリア名を教えてくれたアントーニオが、私を見下ろしてにっこりと微笑んだ。
ローマ神話の、愛と美の女神、ヴィーナスの名を持つ、金色の美しい星。
その星から目を離し、夜空を見上げるアントーニオに目を向けた。
私の歩調に合わせて、砂利道をゆっくりと歩いてくれる、大人の男性。
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