10月2日、8時15分の遭遇(前編)

ライヒェル

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最初の一週間

消えたシルバーのラインピアス

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昼間のガーデンハウスでは、強烈な眠気に襲われながらも、しっかり食事は取ったらしく、帰宅後も全然空腹にはならない。サビーナが帰宅するという9時までまだ少し時間があるので、私はベッドに転がってベルリン観光情報誌を開いている。
BBQの後にアントーニオが車で送ってくれた。
その車が、黒光りするポルシェのニューケイマンだったので、最初は乗るのを躊躇したくらいびびってしまった。初めて間近で見る、車体の低い美しいフォルムの高級車。アントーニオは足がすくんでいる私を見て、紳士的に微笑むと、助手席のドアを開けてそっと背中を押した。戸惑いながらも遠慮がちに乗り込んで、初めてその内部を見る。スタイリッシュな車内を汚さないように緊張して、乗車中は微動だに出来なかった。聞こえる低音のエンジン音までも、エレガントな響きを持っているような気がした。
初めて乗るポルシェに、またしても会話が上の空だったのだが、話の最後で、明日は日曜日で暇だから、どこかへ連れて行こうかという提案を受けた。
BBQの時に彼のメールアドレスをもらっただけだったから、まさかメールのひとつも交換する前に、翌日のデートの話だなんて、さすがは気の早いイタリア人だと驚いた。でも、断る理由もないし、この人がどんな人か知る機会を先延ばしにする意味もないだろうと思い、有り難く申し出を受けた。緊張はしたけれど、特に違和感もないし、自分よりも年上で尊敬出来そうな人と話すのは心地良い。
次に拓海に会うのはそう遠くない。
自分の気持ちが分らない今、チャンスがあればいろんな人と話してみて、自身の深層心理を探るべきだ。
アントーニオが、私が行きたいところあがればそこに連れて行くし、特に考えつかなければ明日、会った時に彼が提案してくれるとのことだった。車で移動するからベルリン市街から少し離れたところでもいいと言っていたので、観光情報誌の「ベルリン近郊」ページをチェックする。
いくつか行ってみたいところを絞ったので、後でそのページをじっくり読んでみることにして、雑誌を閉じる。
あと15分くらいでサビーナのところへ行こうと思ってベッドから下りた。
ふと、手ぶらでお邪魔するのも失礼かもしれないと思う。
アントーニオに車で送ってもらったから、スーパーに寄ることもなく帰って来てしまった。
一番簡単なのは、自分が何か作って持って行くことだろう。サビーナは遅番で夜までお店で仕事という話だったから、帰宅するまできっと夕食は食べてないはずだ。
キッチンを見渡して目についたのは、昨日買ったじゃがいもの残り。ふと、サビーナがスペイン人であることを思い出し、冷蔵庫の卵の数を確認してみる。この間、6個入りを買って、2回、卵焼きを作っただけだから、まだ4個、残っているはずだ。
見てみると、やっぱり卵が4個、あった。
スパニッシュオムレツにしよう!
これだったら冷えてもまた温めて食べられるし、スペイン人がスパニッシュオムレツを嫌いということはないはずだ。
東京でダンス仲間とスペイン料理に行くと、パエリヤとスパニッシュオムレツだけは必ずテーブルに並ぶ定番メニューだった。私も、ほかほかのオムレツは大好きだ。
レシピを見なくても簡単に作れるから、もう迷うことなくすぐに作業を始める。
じゃがいも、卵、タマネギがあれば、後はオリーブオイルと塩胡椒だけと材料もシンプル。
タマネギのみじん切りをフライパンで飴色になるまでゆっくり炒めながら、じゃがいもをさいの目切りにして、フライパンに投入し、軽く混ぜたら、蓋を閉めて蒸すように火を通す。何度か蓋を開けてかき混ぜ、ちょっと濃いめに塩胡椒で味付け。
じゃがいもがホクホクになったら、かき混ぜた卵の入ったボウルに入れて全体を馴染ませて、もう一度フライパンへ戻す。
片面が焼けたら、お皿を被せてフライパンをひっくり返し、それをフライパンへスライドさえてもう片面も焼く。
弱火でこんがり焼けたら、もう出来上がりだ。
所要時間およそ20分、昨日のポテサラバゲットとは比較にならないお手軽な一品。
お皿に乗せて、アルミホイルの覆いをかけると、私は下に行くことにする。
呼び鈴を鳴らすと、バタバタと足音がして、すぐにサビーナが出て来て、私を招き入れてくれた。
「まだ昨日のままだから、家具も動いてないわよ」
リビングのほうを見ると、片付いてはいるけれど、ソファも窓際に寄せたままで昨日と同じレイアウトだった。
「ありがとう。ちょっとだけ探してみるね」
私はそう言って、持って来たお皿をサビーナに差し出した。彼女がびっくりしたように目を丸くしてお皿を受け取り、アルミホイルを少しめくって中を見ると、嬉しそうな声をあげた。
「スパニッシュオムレツ!?作ってくれたの?」
「うん、じゃがいもが沢山余ってたから……よかったら食べて」
「ありがとう!今からパンでも食べようと思ってたのよ。温かいのを食べれるなんて嬉しい!大急ぎでシャワーしてからこれを頂くことにするわ」
サビーナはぎゅっと私の肩を抱いて、笑顔でお礼を言うと、お皿を持ってキッチンのほうへ消えて行く。
やがて、バスルームのシャワーの音が聞こえて来た。
持って来てよかったなとほっとして、私はもう一度リビングを見渡した。
あんな小さいものを探すのは、決して大きくないこのリビングルームとはいえ、そう簡単ではないだろう。見つかったらラッキーということにして、あまり期待しないよう自分に言い聞かせ、無くしたピアスを探し始めた。
まもなくバスルームのほうからドライヤーの音が聞こえて来たので、察するにサビーナはもう、シャワーを終えたらしい。5分もかかってないだろう。私もさっき、BBQの煙を落とすためにシャワーしたが、15分はお湯を浴びてた。無駄にシャワーを長々と浴びる私とは大違いだと感心しつつ、ソファの隙間や、テーブルの下、重ねられた雑誌のあたりを探してみる。
置かれている鉢植えや、ステレオの周り。クッションの下、置かれている楕円形のマットの下もめくってまんべんなく見たが、ピアスは見つからない。
ふと、白いカーテンが閉まっている窓に目がいく。
そういえば、開いた窓の近くで、髪をほどいてまとめたりしたから、その時に髪にひっかかって落ちたということも多いにありえるだろう。カーテンを開けて窓の縁を見てみたが、そこには何もない。窓の外には長くて割と大きいプランターが掛けてあるのに気がつき、そこに落ちた可能性もあると思い、窓を開けた。
少し身を乗り出して、手入れがされずにボウボウと雑草が生えているプランターに手を伸ばす。暗いせいで良く見えないけれど、シルバーならキラリと光ってわかるはずだと思って、更に身を乗り出して、雑草を両手で掻き分けてみる。まるで犬の毛に隠れているノミを探しているみたいだなと自分にツッコミを入れつつ、丁寧に雑草をかきわけていると、突然背後から叫び声がした。
「リオ?!」
不意に大声で呼ばれ驚いて振り返ると、目の前に現れたヴィクターが私に飛びつくように両手を伸ばして来るのが見えた。肩に伸ばされた彼の手に驚いて、思わず後ろに身を引きそうになったところをぐいと引き寄せられ、その勢いで今度は前のめりに倒れかける。躓きそうによろめいた所を、ヴィクターの胸に飛び込む体勢で力強く抱え込まれ、なんとか転ばずにすんだ。
「な、なにっ!?」
ものすごく驚いて声をあげると、少し怒った様な目をしたヴィクターが私を見下ろした。
「なにって、それはこっちが聞きたい質問だ!今にも窓から落ちそうになってた!」
「え、落ちそうだったかな……?」
つま先立ちして身を乗り出していたのは確かだが、お腹のあたりに窓枠があったし、特にバランス悪くは感じてなかった。でも、自分の後ろ姿は見えないから、何も知らない人が見たら、自殺行為に見えたのかもしれない。そう思うと、なんだか可笑しくなって笑い出してしまう。
笑っている私を見て呆れ顔で、はぁ、と溜め息をついたヴィクターが、ようやく私の背中から手を離した。
「窓で何やってんの」
「昨晩、ピアスを片方なくしたから、もしかしてこのプランターに落ちたかと」
「ピアス?あの、シルバーのやつ?」
「そう」
すると、ヴィクターは窓辺に寄って両手を伸ばし、プランターを持ち上げ、リビングのフロアにドン、と置いた。
なるほど、こうすれば明かりで良く見えるし、落ちる心配もない。
「昨晩の片付けの時には、俺も気がつかなかったなぁ」
そう呟きながら、ヴィクターはしゃがみ込んでプランターの雑草をいじり始めた。
「いいよ、仕事から帰って来たばかりでしょ?私、自分で探すから」
私は床に膝をついてプランターに手を伸ばし、もう一度はじのほうから雑草の隙間を調べる。しばらく無言で雑草をいじっていると、バタバタと足音がしてサビーナがリビングに入って来て、私達を見るとびっくりして吹き出した。
「リビングで農作業してるみたい!リオ、まだ、見つからないの?」
「うん……やっぱり、このプランターにも無いみたい。もう、いいや」
私は諦めて、プランターから手を離した。
「ヴィクター、もういいよ。有り難う。せっかくプランターまで動かしてくれたのに」
そう言うと、彼は少し申し訳なさそうな顔をして、プランターの雑草から手を離した。
「窓から落ちたということはないかもな。もし、後で見つけたら、帰国後でも郵送するから」
「いいよ、そこまでは。また、似たの探して買えばいいし。でも、ありがとう」
私はあくまで親切なヴィクターに笑顔でお礼を言うと、立ち上がった。
サビーナが私の前にお皿を見せて、にっこりした。
「もう、半分食べちゃった」
「ほんとに」
気に入ってもらえたんだと思ってほっとしていると、プランターを窓の外に出したヴィクターが振り返って、サビーナの持っているオムレツを珍しそうに見た。
「あれ、オムレツ?サビーナが作るなんて珍しい」
サビーナは肩をすくめて笑って、お皿を彼に差し出した。
「違うわよ。リオが持って来てくれたの。美味しいわよ」
「へぇ、リオが作ったんだ」
クスッと笑ってこちらを見たので、私はちょっと照れて笑った。
「スペイン人に、スパニッシュオムレツを持って行くなんて、失礼かなと思ったけど」
「そんなことないわ!バルセロナのおばぁちゃんのオムレツ、思い出しちゃった。懐かしい味がする」
サビーナがにっこり微笑んだ。
隣のヴィクターがサビーナに差し出されたフォークを取り、オムレツに手を伸ばした。
「うん、美味しい。それにまだ、温かい。リオ、上出来だ」
「オムレツはやっぱり、家庭料理よね。レストランで食べるのとは違うわ」
サビーナとヴィクターが美味しそうに食べてくれるのを見てくすぐったいような嬉しさを覚えた。私はめくりっぱなしだったカーペットを元に戻し、リビングの出口へ寄る。
「それじゃ、帰るね。お騒がせしました!」
そう言うと、サビーナがにっこり笑ってフォークを持った片手を挙げ、ヴィクターも片手をあげて「チャオ」と笑顔を向ける。
なんとなく温かい気持ちになりながら、私はリビングの二人に背を向けたのだった。
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