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二章
5話
しおりを挟むズートリヒの街並みを眺めながら歩く。活気があって、喧騒の止まない街だ。行き交う人々は忙しそうだけど、表情は明るい。こんな人達が作り出している街なんだ。きっとまだまだ楽しい場所があるに違いない。今度来る時は隅々まで冒険してやろう。
そんなことを考えて歩いていると、あっという間に街の入り口にそびえる大きな門へ辿り着いた。
名残惜しいな。俺は街を振り返った。
不意にだった。轟音が鳴り響いた。それは門からだった。爆発と、崩れ落ちる。その音が一度に混ざり合っていた。
俺の体が宙に浮いていた。いや、母さんに抱き抱えられているんだ。もう一方の腕の脇にはアディの姿がある。疾駆する母の脚と、怯え叫び混乱する人々の姿を交互に見遣る。何が起きたんだ? そう疑問が起こる頃には、木箱の積まれた物陰へいた。さすが、母ライカだ。危機察知も判断も回避も速い。
「城門が崩れたの?」
俺はようやく起きたことを口に出して確認した。それと同時に、崩れた城門が起こした砂煙がやって来た。多くの人々がそれに呑まれ、逃げ惑った。
「ああ。だが、今の問題は崩れた門の事後じゃなく、崩した奴をどう処理するかってことさ」
言うと母は、立ち上がって腰裏に差した十文字槍人間無骨を抜いた。三十センチばかりに縮んだそれに、母が魔力の籠った電撃を通す。瞬間、十文字槍は母の身の丈と同じ百八十センチばかりに伸びた。
「……あれって」
俺は砂煙の中へ眼を凝らした。未だ逃げ惑う人々の中で直立不動の影が一つあった。人間の形をしているが、人間じゃない。大きさが並外れてるって言うのもあるけど、それが発する魔力だ。質も強さも、人のものじゃない。
「ああああああ!」
地鳴りと、ガラスに爪を立てる。それが幾重にも重なり合ったような雄叫びだった。聞いたことのない、生物が発したとは思えない、全身を激しく掻きむしるような不快な音だった。
「リデル、アディ。よく見ておきな。魔族との闘いってもんをね」
母は物陰から出ると、一つ大きく息を吸った。
「ハッ!」
母ライカは肺に溜め込んだ息を吐き出すと共に、槍の石突で地を叩いた。途端に母の魔力が膨らみ、砂煙が吹き飛んで視界が鮮明になる。
母の睨み付ける先に、それはいた。白髪に灰色の肌。眼の結膜は黒く、角膜は青い。筋骨は隆々として男の姿形だ。腕は四本あったと思われるが、左二本が欠損し切断面から濁った緑色の体液が流れ出している。衣服は纏ってはいるが、所々破れてほつれている。城門との激突でこうなったのか、傷だらけでボロボロだ。
これが魔族? 意外にも骨格が人間並みに弱いのか? いや、欠損した腕だ。断面が磨かれたかのように平だ。これは恐ろしく鋭利な刃で斬られている。ってことは、どこかで闘って来たのか?
「……リデル」
空耳か? その魔族の口から、俺の名が溢れたように聞こえた。
「え? 俺?」
「リデル! リデルはどいつだ!」
魔族が叫ぶ。今度は聞き間違えようがない。俺の名だ。でも、どうして?
「おい! クソ魔族! リデルってのはアタシだよ!」
母ライカが槍を構えつつ叫んだ。母さんのその嘘は効果覿面だった。魔族の殺意の籠った視線が飛んで来る。
「貴様がリデルか。貴様を殺さなければ……貴様を殺さなければ」
魔族が自分の首元へ手をやった。そこには白く光る首輪があった。心なしか、それがどんどん魔族の皮膚へ食い込んでいるように見える。
「あれは……」
母ライカが奥歯を噛み締める。
「あれ、呪い、かもしれない」
アディがボソリと口にした。
「呪い? 呪いって何?」
こんな時自分の勉強不足が祟る。
「呪いとは、ある条件下で持続し続ける、或いは強化され続ける強い魔法。あの魔族の言動から鑑みると、リデルが生きている限り、あの白い光の輪は外れない」
「怖っ。でも、なんで俺なの?」
「分からない。でも、リデルのことを知らなければ、あの光の輪の呪いもかけようがない。そして、そんな呪いを行使するには強い魔力が必要。人類ではそう数はいないはず。心当たりは?」
「ない。ないよ」
俺は今世でまだ五年しか生きていないんだ。しかも、初めて田舎の村から出たのは、ほんの三日前だ。そんな人は……。
「そうかい、あいつ……大いなるものだの、なんだのほざきやがって、やっぱり自分が楽しみたいだけかい……あの、クズ野郎が!」
母さんが怒号を上げる。と同時に、その体を覆うように雷が幾重にも走った。魔装・雷式。魔力と雷の密度が濃い。更に、母が纏っていた紫の軽鎧が変化する。まるで生き物だ。瞬く間に紫の金属が母の身体を首元まで覆った。これが滅紫の鎧か。大甲冑へ変化したそれの形状は、オニの憤怒を表したかのように厳しい。
「クソ魔族。どうせ一瞬で終わっちまうから、先に聞いておく。テメェのそれ、光の輪っかくれてやった奴だ。空色の長髪じゃなかったか?」
母さんの口調がいつもと違う。物陰からじゃ横顔しか見えないけど、俺も見たことない敵意剥き出しの表情だ。
「……だったらどうした? だったらどうしたぁ!」
突如、魔族の口から黒い閃光が放たれた。真っ直ぐ母へ伸びるそれは、凄まじい魔力の塊だって、俺にも分かった。あ、この街消し飛ぶ。一瞬先の未来に、俺は覚悟する間もなかった。
「温い」
母ライカがそう低く吐き出したように聞こえた。それと同時に、大空へ大爆発が広がっていた。俺には一応見えた。魔力の塊がぶつかる瞬間、母は槍を振るってそれを弾いたんだ。片手で蝿でも払うかのようだった。
魔族は自らが起こした大爆発と轟音を、大口を開けたまま見上げていた。
「その魔力量。一応上級か。だが、手負いを加味しても、温い。滅せろ、クソが」
紫色の雷が一閃、魔族へ疾った。
「紫吼」
魔族の背後で、母ライカが十文字槍を振り下ろし、唸っていた。遅れて魔族の首が、胴から離れて地面へ落ちた。
足裏に雷を発生させ、それに乗り超速で斬り付ける、紫吼。雷に乗る為身体操作の難度は高いが、足裏のみの雷で済むから消費魔力も少ない。そんな技だった。以前、母さんが教えてくれた。魔力は出力量じゃない。その使い方、操作の仕方だって。その手本となる技だ。
母さんの技はすごい。だけど、あの十文字槍人間無骨もだ。街を吹き飛ばすような魔力の塊を弾いたって煤の一つも付いていないし、上級魔族の首をプリンみたいに斬っても血糊の一つも付いていない。これが伝説級武器の力の一端か。
「リデル……リデル。女、お前はリデルじゃない。光の輪が教えてくれる。リデルは、そう、お前だ」
魔族が首だけで動き、俺を睨み付けた。胴体もないのに、森で対峙して来たどの魔物よりも強い殺気だ。こいつ、首だけでも俺を殺せる。そう覚った瞬間、体が反応していた。何が動かすのだろう? オニ族の血か、それとも俺に宿る魂か。
俺は魔族の首へ向け走った。体内の魔力を練り、オニ族が生まれ持った力を呼び覚ます。俺は、自分の中でバチバチと雷が渦巻くのを感じ取った。
「逆鳴」
俺は掌に雷を込めた。そして、魔族の首が転がる地面ごと抉り取り、空中へ打ち上げた。首が雷の推進力を得て、瞬く間に見えなくなるほど宙高く舞い上がった。
「がぁああああ!」
そんな魔族の断末魔が聞こえたと思うと、空の彼方で大爆発が起こった。あれ? そんな効果、この技にないよな。対象を雷の速度で上空へ打ち上げて、電撃の痺れと共に無防備に落下させる。だけの、エゲツない技だったはず。
「よくやったよ、リデル。あいつ、脳みその魔力を圧砕させて、この街ごと自爆するつもりだったらしいね。頭に血が昇って、アタシの詰めが甘くなっちまった。あんたがやってくれなきゃ、危なかった」
母がやって来て俺の肩を抱いた。残った魔族の体を見ると、塵のように風に崩れていた。
「魔族の体は魔力の塊。命が尽きると形が保てず、こうして崩れる。勉強になる」
アディも物陰から出て来た。魔族の体が崩れて行くのを淡々と観察している。
「母さん。あの光の輪って、もしかして……」
魔族の体が崩壊して空気に溶け切っても、光の輪だけ存在し続けていた。
俺の頭の中に一人、思い浮かんだ。この光の呪いを行使した人物だ。だけど、信じたくない。
「光を成す者って異名が付くくらいだからね。あいつは、光を自在に操る」
「理由が分からないよ。どうしてこんなことを?」
「あいつの頭の中身は、アタシでも分からない。イカれてるってことは確かだけどね。でも、世界最強って呼ばれるくらいさ。強いはもちろん、恐ろしく聡い。リデルの母親がアタシだって見抜いたんだろうね」
「じゃあ、目的は俺じゃなくて、母さん?」
「ああ、だからこそ悪質さ。子をダシにされて、怒らない母なんていないさ」
母さんは拳を固めて震えていた。俺は違う感情で震えた。あの人はいい人だと思っていたのに、何なら心酔に近いものを感じていたのに、それを本人自ら簡単に打ち砕いた。まるで、遊んでいるみたいだ。
「リデル……これは伝えようか迷ってたんだけどね。こうして手を出されたんだ。言っておくべきだ」
母さんは、屈んでジッと俺の眼を覗き込んだ。射抜くような強い決心をそこから感じる。
「あいつ、ルドウィク・ダナ・アーガトラムは……」
母さんは言葉を止めた。そして、目を閉じてゆっくり首を横へ振った。
「いや、やっぱり止めた。あんたに余計なもん背負わせちまう。とにかく、ルドウィクには金輪際近付かないこと。いいね」
母とルドウィクとの因縁は相当深い。今後、近付くことはもちろん、世界最強の男の話題すらも避けた方がいいだろう。
「……うん。分かった」
でも、向こうから近付いて来たらどうしよう? そんな妄想が過った。いや、妄想じゃない。きっと、またルドウィクとは会うことになる。だって、丘の上でのあの言葉、「必ず再び会おう」って。あれは、呪いだ。
ルドウィクの呪い、光の輪が地面で唸っていた。それは見る間に縮み、パンと一つ弾けて消えた。だけど、俺の瞼に白の光の残像がこびり付いたままだった。
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