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三章
1話
しおりを挟むズートリヒから村へ戻って数日経った。
村長からズートリヒ魔族襲撃の顛末を聞かされた。城門が崩されて街中で上級魔族との戦闘があったにも関わらず、怪我人が数名出ただけで死者は一人も出なかったらしい。
その件で、モナトンターク領主から母宛へ、感謝状と金貨十枚が送られて来た。お役人がわざわざウチまで来てくれて、わざわざその書状を読み上げてくれた。とても栄誉なことで、普通は送られてきた書状も大切に保管したり見せびらかすように飾り付けたりするものらしいが、母さんにはそんなの興味ないらしい。次の日には、暖炉の灰の中から感謝状だったと思われる紙の端切が出て来た。
あと、これも村長から聞いた話だけど、ルドウィクは行方をくらませたらしい。国境を超えて、ヴァルノス帝国へ入るのを目撃されたのが最後だったみたいだ。上級魔族を逃し、その上街を襲わせたんだ。ズートリヒでは当然ルドウィクの評判はガタ落ちした。それが行方をくらませた理由じゃないかって憶測されてるらしいけど、俺には何故か分かる。あの人にとっては、そんなことどうでもいい。人々の評判だろうが、魔族だろうが、国境だろうが。唯一無二の光を成す者を縛り付けることは出来ないんだ。
母さんはいつも通りだった。少なくとも、日常生活からは内面の乱れを伺うことは出来ない。あんなことあったのに、どんなメンタルコントロールしてるんだろ。それも学ぼう。きっと強い戦士の条件でもあるんだろう。
俺はと言うと、ぼんやりしてた。鬱状態なのかもしれない。何故かって、ズートリヒで体験したことが衝撃的だったからだ。海のごちゃ混ぜパイの味から始まって、ルドウィクみたいな人と出会って、その人がどうやら母と強い因縁があるみたいで、更にその人から悪戯で残酷な悪意を向けられる。前世でも今世でも経験したことがない。いろんな感情が混線して、脳みその処理が追いつかずぼんやりしてた。でも、ルドウィク絡みがほとんどだよな。世界最強の男は、結果俺の心を持ってたんだ。
「ぼんやりしてるね。そんな時には、軽く体を動かした方がいいのさ。体術の鍛錬はしばらく休みにするから、その辺を適当にプラプラ散歩して来な」
って母さんに言われたので、俺はここ数日村とその周辺を散歩ばかりしてる。
改めて、こんなに村の周辺を歩き回ったことない。新鮮な感覚もあって気分転換になったけど、村の子供達と遭遇するのには気が滅入った。俺は笑顔で挨拶してるんだけど、向こうは怯えた表情して逃げ出すんだ。以前のことがずっと尾を引いているのに加えて、自分で言うのも何だけど、俺はどんどん強くなっちゃってる。母さんが言ってたけど、単純な戦闘力なら五つ星冒険者と渡り合えるぐらいらしい。そんな力持ってるなんて、同年代の子供からしてみれば化け物だろう。怖がられて当然だ。
村の子供達に逃げられて、俺が溜息を吐く。それがルーティンになりそうになる頃だった。アディの姿を森の入り口で見かけた。ここ数日家に籠って新しい魔法の勉強をしていたらしい。あの短い旅が、彼女にとっても色々刺激になったんだろうな。久しぶりに会った。
「アディ、一人で森に入るの? 俺も行くよ」
そう声をかける俺へ、おかっぱボブっ子アディは無機質に無言で頷いて応えた。この感じ、むしろ落ち着く。因みにアディの髪、村長レオナルドが切っているらしい。直線に揃えるのが楽だからこのヘアスタイルだって言ってた。
森の木漏れ日を浴びながら歩く。アディへ俺の方から色々話しかけてみたけど、ほとんど「うん」しか返ってこなかった。
「リデル、背伸びた?」
そんな中、唐突にアディが言った。
「そっかな。変わった気がしないけど」
「一センチぐらい伸びた。でも、アディの方がまだ背高い」
アディはいつも身長いじりするんだよな。でも、こう言うのがいいんだよ。同年代の子とコミュニケーションとれるだけで嬉しい。
「いつか、アディを追い抜くよ」
「多分、無理」
「え~」
「でも、リデルはすごく強い。背が低くても、アディを護れる」
アディの大きな瞳の奥に俺の姿が写っていた。俺の心臓が高鳴った。
「えっと……」
こんな時、何て言ったらいいか分からない。
「アディとリデルはいつか冒険者になってパーティを組む。二人なら遠くまで行ける」
アディの言葉が強かった。そうだった。アディは自分を知りたいんだった。彼女にはちゃんと目的があるんだ。
「遠くか……俺はどこへ行けばいいんだろ?」
ついポロリと出てしまった。俺は中身思春期だからね。今は自分が強く成長していくことが楽しいし嬉しい。でも、その先だ。今唯一見えているものは、ルドウィクだ。それしか見えず進めば、きっとあの男に当たる。あんな底知れない人とだ。そんな覚悟出来るはずもない。
「ごめん。アディは、アディのことしか考えてなかった。リデルがどこへ向かえばいいか、分からない」
「いや、えっと、違うんだよ。アディになら話してもいいかな。誰にも言わないでよ。特に母さんには……」
俺は、ズートリヒの丘の上でルドウィクに出会ったことをアディに話した。それは母さんも勘付いているのだろう。けど、そこでルドウィクに言われたこと、そして、それが呪いのように俺の頭にこびり付いていることを誰かに話すのは初めてだった。
「魔力はとても不思議」
アディは手を伸ばした。するとその指先へ、空色の蝶が羽ばたいて止まった。アディの意図に添ってやって来たみたいだった。これも彼女の魔法なのか?
「人の発する言葉、行動はもちろん、蝶の羽ばたき、小鳥の囀り、風の音、水の匂い、万物のあらゆるものは魔力で動かされてる。それは、神が揮う魔技や魔法とも言われてる。今人々が使う魔技と魔法はその一端を解明し体系化したものに過ぎない。リデルの中でルドウィクさんのことが強烈に焼き付いて離れないのなら、それも解明体系化されていない魔法、呪いかもしれない。でも、その類のものは、本人も呪いだと思わず無意識に使っている可能性が高い」
アディの指先から空色の蝶がゆらゆらと飛び立って行った。
「人の心、精神に作用するものなら、尚更そう。だとするなら、その力はとても不安定。呪いをかけられた側の身体や心の状態で、とても強くなったり、とても弱くなったり、果ては消えてなくなったりもする」
「つまり、俺次第で、このぼんやりも晴れるってことか。アディはすごいね。そんなことも知ってるんだ」
「アディは全然すごくない。ただ、本に書いてあることを誦んじているだけ。魔法だってそう。魔法書に書いてあることを、そのままやっているだけ」
アディは葉が繁った木へ向き直った。魔力が高まるのを感じる。
「空弾」
アディの小さな掌から、拳大の空気の弾丸が放たれる。それがぶつかった木が大きく揺れると共に無数の木の葉が舞い落ちた。
「千空弾」
今度はアディが両掌を広げた。その十本の指先から次々に空気の弾丸が放出される。それは舞い落ちる木の葉を正確に撃ち抜いていった。
「すごい……」
俺はただ、感嘆するだけだった。やっぱり、この子は本物の天才だ。
「何もすごくない。アディは既に本に書いてあることを正確にやってみただけ。でも、この魔法はきっとリデルの助けになる」
「俺の助けに?」
「リデルの強みは、怪力と雷撃による超火力。一撃必殺とも言っていい。でも、雷の特性上、とても直線的。無数の敵に取り囲まれた場合、切り返しが困難。そこを突かれる危険性もある。アディの魔法は正確だけど、まだまだ威力は低い。でも、千空弾なら素早く一度に広範に幾つも攻撃出来る。リデルの切り返しの隙を突く敵の牽制に役立つ」
「アディがここ数日家に籠ってたのって、この魔法を覚える為?」
「そう」
「すごいよ、アディ。俺の弱点を見抜いて、それを補う魔法を覚えるなんて」
「リデルがアディを護るなら、アディもリデルを護る。リデルに困難が訪れたのなら、アディが助ける。一緒に冒険をする仲間ならそう。これは本じゃなく、レオ父さんの教え」
アディの眼の奥に強い力を感じた。普段は無機質なのに。きっと、本気で俺のことを想ってくれているんだ。レオナルド村長も冒険者から貴族へ成り上がっただけに、いい教えをする。
「ありがとう、アディ。なんだか、心が少し軽くなったみたいだよ」
実際、軽くなっていた。アディの知識によって、ルドウィクの呪いの正体が分かったのも大きいし、こうやって話して理解してくれる存在がいてくれるのも大きい。母さんに話しても理解はしてくれるだろうけど、ルドウィク絡みは話せないから。
その時だった。パチパチと拍手する音が周囲に響いた。不思議だ。音の発生源は一つなのに、その場所が掴めない。俺とアディは、脈絡なく降り注いで来たこの音に翻弄されるように、辺りを見回した。
「うんうん、これは期待以上」
快活な女性の声だった。そうだと分かると、位置も掴めた。頭上の木の枝の上だ。見上げると、やはり女性がそこへ座っていた。
「誰?」
アディが端的に聞く。
「ああ、ごめんごめん。よっと」
女性が枝から飛び降りて着地する。しなやかな動きだ。金髪で青い眼、そして長い耳。エルフってやつか。初めて見た。見た目年齢は二十歳そこそこにしか見えないけど、もっと上なんだろう。若葉色のローブを着て長い杖を背負っている。これ、魔法使いの格好だよな。
「私はエイラ。エイラ・ウルリヒ。君がアディちゃんに、君がリデルちゃんでしょ?」
そのエルフの女性、エイラは、俺とアディそれぞれを指差して名前を言い当てた。驚く俺にエイラは吹き出した。
「フフッ、そっくり。そっか、すごいお母さん似だ。でもって……」
エイラは俺の眼の奥をじっと見詰めた。なんだこれ、一瞬で頭の中身全部と更にその奥まで覗かれたような感覚だ。
「そっかそっか。うんうん。今はこんな感じか……」
エイラって人、なんか一人で納得してる。
(相変わらず嫌な女だ。今俺を除き見たな)
闇神の声が俺の頭に響く。闇神はこの人を知ってるみたいだ。どんな繋がりだ? でも、久しぶりにこいつの声聞いた気がする。魔族との闘いの時は一ミリも口出さなかったのに。
「うん。そだよ」
「え?」
(え?)
闇神と俺の声が被った。どう言うことだ? 今、エイラは闇神の言葉に対して答えた。
「まあまあ、それはいつか説明して上げるから」
(なるほど、既に仕組んでいたか)
そう言って、闇神の声が消えた。あいつ、勝手に納得して去って行ったよ。俺はなんも分からないのに。
「えっと、仕切り直して。アディちゃん。お待たせしました。私が今日からあなたの先生です。よろしく!」
エイラがアディの頭をポンポンと撫でた。
「あなたが、アディのお師匠? レオ父さんから聞いてた。ものすごい魔法使いだって」
「自慢じゃないけど、一応、大賢者の称号持ってるからね」
エイラはニカッと大きく笑って親指を立てた。このノリですごい魔法使いか。大賢者って偉いのかな……。
「お、疑ってるな。そんな眼を、こんなに可憐な女子に向けちゃいけません!」
と言いながら、エイラは俺の体をくすぐり始めた。成人女性からこんなに濃厚なボディタッチされるの、母さん以外に初めてだ。しかも、初対面だ。ものすごい距離の詰め方。
「ちょ、やめ……エイラさん」
恥ずかしいやら、おかしいやら、くすっぐったいやら込み上げた。
「魔法使いは、一属性でも極めたと見做されると賢者の称号を得る。大賢者は更にその上。世界でも数人しかいない」
「お、アディちゃん。的確な説明ありがとう。うんうん」
エイラはそう言うとくすぐりの手から解放してくれた。しかし、アディの説明通りだとすると、このエイラさん、とんでもない人だぞ。俺の魂の中の闇神の存在どころか、声まで聞いてたし。大賢者っていうのは嘘じゃないのかもしれない。
「それにしても、リデルちゃん。君、その年頃ですごい肉体してるね。ライカ・カザクの血を受け継いだってだけじゃないみたい」
「やっぱり、母さんを知ってるんですか?」
「うん。知ってるよ。君のお父さん、ミハイル・フォン・ヴェルデもね」
「と、父さんを?」
「うん。私の教え子だったし」
教え子ってことは、相当父さんのことを知っているはずだ。俺の中に湧き立つこれは、好奇心かそれとも……とにかく知りたい。父さんのことを知っている母もレオナルド村長も、ほとんど教えてくれなかったし。
「俺の父さんって、どんな人だったんですか?」
「どんなって、う~ん。魔法の才は飛び抜けた子で、真面目で優しくて、でも、どこか抜けてて。とにかく、君の母さんが惚れるような男だったよ」
「そっか、母さんとどんな出会い方したんだろ…‥」
「えへっ、それはね……」
エイラが含んだ笑いを浮かべた。なんだろ、このいかにも悪そうな顔は……表情が豊かで面白い人だけど。
と、そんな悪そうな顔を掠めるように、バチバチと一筋雷が奔った。
「ひっ」
エイラが小躍りするようなオーバーリアクションを見せた。
「相変わらず、あんたはおしゃべりだね」
母ライカだった。呆れ顔してた。
「まったく、リデルの帰りが遅いから来てみれば……」
「お久しぶり、ライカちゃん。相変わらず、オッパイデカくて色気ムンムンだね」
「あんたね、今時そんなこと言ってると、セクハラで討伐要請されるよ。これだから、婆さんは」
「あーあー、婆さんって言った。傷付くんですけどぉ。まだ私ピチピチの三百ちゃい、なんですけどぉ」
「充分婆さんだろ」
「エルフの中じゃ若いもんね! エルフの中じゃ若いもんねぇ!」
エイラは口を尖らせてムキになっていた。俺が言うのもなんだけど、子供だな。大賢者になるのって、人格は関係ないみたいだ。
「それにしても、予定より一年も遅いご到着。さすが、大賢者様。ゆるりとしてるね」
「むっ、一年なんて誤差だよ。誤差誤差。道中色々面白いことがあってさ。つい寄り道しちゃうんだよね」
エルフ時間ってやつか。不老で寿命の長いエルフにとっての一年は一体どれくらいの感覚なんだろう?
「この廻冥の森も久しぶりだよ。相変わらず、いい魔力に満ちた森だね。奥の方に魔物がウヨウヨいるけど、それぞれの縄張り守って自然の摂理に従って生きてる。でも、ちょっと、急に乱獲拡張し過ぎかな。ペースを落とした方がいいね。面倒ごとを招きかねないよ」
「それは、村長のレオナルドに言ってやりな」
「ああ、レオちゃんね。頑張ってるみたいだね。んじゃ、お世話になるし、挨拶に行くか」
レオ、ちゃんか。長寿のエルフから見れば、レオナルド村長も子供みたいなもんなんだろう。この人の感覚、色んな意味でしばらく追いつけないかもしれない。
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