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三章
2話
しおりを挟む大賢者エイラは、村長宅住み込みでアディへ魔法を教えることになった。
大賢者は基本的な座学からみっちり教えるとか言ってたけど、きっと教えていない。俺もたまに村長宅へ本を読みに通っている。その時だいたいエイラは、アディが熱心に本を読む横で昼寝してたり、お絵描きしてたり、なんかもしゃもしゃ食べてたりしてた。アディと精神年齢逆転してるんじゃないのか。どっちが幼児だか分からない。自由過ぎるだろ、この人。
「あの、エイラさん。アディに教えなくていいの?」
俺は昼寝をするエイラへ、意を決して言ってみた。エルフ時間で教育して欲しくない。アディの年頃じゃ吸収力がすごい。一日で化けたりする。
「んあ、リデルちゃんか。いや、アディちゃんすごくてさ。私の持って来た本、一回読むだけで全部丸暗記しちゃうんだもん」
「そっか……」
確かに、アディの読書スピードと理解力は途轍もなく高い。エイラが教えるよりも効率がいいのかもしれない。
「お師匠。この本も読み終わった。次」
アディが読み終わった本をエイラへ差し出した。
「ほらね。んじゃ、次」
エイラは左手で本を受け取ると、右手で何もない空中から本を抜き出してアディへ渡した。
「それも魔法?」
亜空間へ物を収納し取り出す。異世界ラノベでよく見る魔法やスキルだ。
「そだよ。空属性魔法の類。簡単そうに見えて、中々に難しいんだよ。まあ、私にかかれば、ちょちょいのちょい平だけどねー」
最後の部分余計だ。この人、こんなこと言わなければいいのに。
「じゃあ、あのエイラさんの杖はどうなの? 大事そうな杖なのに空間へ仕舞えばいいじゃん」
俺は壁へ無造作に立てかけてある木杖を指差した。螺旋を描くように木脈が走り、その頂部には透明なのに何も映り込まない不思議な石が嵌め込まれていた。宿っている魔力を感じると、ただの杖じゃないことが分かる。
「あれね。あれは世界樹の杖って言ってね。賢者の称号を得ると貰える杖で、更に大賢者になると頂部に嵌め込まれてる大霊の涙って石をもらえるの。あれものすごい魔力密度でさ、空間に仕舞うのも取り出すのもちょっと時間がかかっちゃうんだ。まっ、それもほんの数秒なんだけどね」
「そっか……」
数秒かかるなら、戦闘では致命的だ。出しっぱなしにしとくのが合理的なのかもしれない。でも、ああやって箒を立てかけるように無造作に扱うもんじゃないと思うけど。
「空属性魔法はとても難しい。他の属性体を操る魔法と概念が違う。空がどういうものであるか理解しなければならないし、空属性の適正も必要」
アディがいつもの通り淡々と説明してくれる。
「空属性……属性体……?」
「あ、もしかしてリデルちゃん。属性も理解してない感じぃ?」
なんかイラッとくるな。俺は悔しながら頷いた。
「まあ、戦士だからね。理解しなくても普通はどうにかなるよ。普通はね。でも、リデルちゃんは既に普通に収まってないからね。降りかかって来るものも普通じゃない。覚える必要があるかもね」
普通じゃない。凡庸の否定。唯一無二。頭の中に一瞬ルドウィクの姿が過った。
「俺が知ってる属性って言うと、風火水土に雷だけど。それだけじゃないんだね」
「うん。そこへ無と空、それから光と闇が加わるよ。全部で九属性だね。風火水土四つと他五属性と捉え方違うんだよ。それ理解してるだけで、魔法も魔技も効果が全然違うよ。そだね。まずは神の万物創造から覚えようか。そこに全部詰まってるよ。はい、アディちゃん」
エイラがそれ言ってと手をアディへ向ける。
「神は初めに揺らいだ。そして、無を作った。神は無の中へ立つと、光が生まれた。神を照らす光の裏から闇が生まれた。光と闇は鬩ぎ合った。一度目は光が勝ったと神は言った。するとそこへ風が生まれた。二度目も光が勝ったと神が言った。するとそこへ火が生まれた。三度目は闇が勝ったと神が言った。するとそこへ水が生まれた。四度目も闇が勝ったと神が言った。するとそこへ土が生まれた。そして、神が仲裁しようと光と闇の間に手を差し伸べると、そこへ雷が生まれた。神が雷を広げると、風火土水それぞれがさまざまに繋がり混じり合った。しかし、それはただの泥だった。神は泥から泡をなしそれぞれを包むと、全ては形をなし天と地が生まれ、命が生まれた」
アディが誦んじると、エイラはパチパチ拍手した。これがこの世界の万物創造の神話か。光と闇の鬩ぎ合いの話にも思える。
「因みに、泡って言うのが空だよ。今の聞いて分かった? 分からないよね。むふっ」
この人、ちょいちょいおちょくるのな。
「分かりません、エイラさん。教えてください、エイラさん」
教えを請えと言われると思ったので、俺は先回りした。カチンと来たのを隠す為に棒読み気味になった。
「むむっ、この子ってば。こう言うとこ、ライカちゃんに似てる。しょうがない。少し長くなるけど教えるね」
エイラは側のカップにモロウ茶を注ぎ一口飲んだ。これ、アディが用意してあげたんだろう。結構気の利く子だから。モロウの実を挽いた粉で作ったビスケットもある。
「まずは泡、つまり空から説明するね。一番ややこしいけど、これを理解するとしないとじゃ大違いだからね。んと、私達がいるこの空間の構造、実はちっさい泡が粒々粒々って何処もかしこも無限に連なり合って出来てるの。はいっ」
エイラが俺へ長い耳を向けてそこへ掌を添える。な、何を求めてるんだろ。
「そこは、ええ~でしょ。リデルちゃん、リアクション薄い」
「……めんどくさっ」
「あー、そゆこと言うんだ。じゃ、もう教えてあーげない」
ぷいって、エイラはソッポを向いた。この人本当に面倒臭いな。
「あの……」
「お師匠、大人気ない。リデルは真面目に聞こうとしてる」
「うっそー。嘘でした。リデルちゃんが固っ苦しく聞こうとしてたから、冗談言って解きほぐしてあげたんだよぉ。大賢者は大寛容なんだよぉ。おほほほほ」
「えっと、それで、空間は泡だらけの構造ってところから、なんですけど……」
「そーそー。ほんと、目に見えないくらいちっさいちっさい泡なんだけど、それで出来てんの、これ」
これと、何も無い空間を、エイラは指差す。
「ああ、これって私達もだから。私達も空間の、空。私達も泡々。んで、この世のものは全てが例外なく泡々。オーライ?」
「お、オーライ……」
今一掴めないけど、こう言わないと先に進みそうにない。
「で、この泡の中に何が入っているのかって言うと、基本的には無になりまーす」
「そっか、神は初めに無を作ったか……」
「そうリデルちゃん。そうやって神話を絡めると覚えやすいよ。ま、正確には無って言う属性体なんだけどね。んで、その無がある空の中へ光と闇が入り込み、且つ、固定化されると無は変化するの。風、火、水、土ってね」
「万物創造の、光が勝った。闇が勝った。って部分だね。どう言うこと?」
「まあ、端的に言うと、割合だよ。光の割合が一番大きいのが風、次に火。で、水からは闇の割合が大きくなって、土が最も闇の割合が大きいの」
「じゃ、雷は? 神の仲裁って?」
「仲裁、すなわち光と闇を同割合に、均衡化する流れ、力だよ。でも、光と闇は鬩ぎ合う宿命を負わされているからね。完全に均衡化することはないから、ずっと雷は流れ続けてる。そのおかげで全ての属性は繋がり合えるんだよ」
「つまり、一つ一つの小さな空。その中の媒体となる無へ溶け込んだ光と闇の割合で風火水土が決まる。その風火水土の割合と雷の繋げる力で、アディ達や草や木や花、物質が決まる。そうして全ては形を成している。これが九属性によるこの世界の構造」
「うんうん。アディちゃん、まとめありがと。概ね、そんな感じかな」
「あの、魔力っていうのは?」
「魔力は、ここへ火を配置しろ。こっちは土。そして、こう動け、みたいな情報を伝える波、振動みたいなもんかな。魔力によって光と闇も固定化するんだよ」
「属性とすると無になるの?」
「そう捉えられがちだね。純粋な魔力をぶつける魔技や魔法は無属性だからね。あれは無を揺らがせて、物理的な影響を与えてるから無属性とされてるんだよ」
「じゃあ、魔力自体は違うんだ……」
「それはね。色々ややこしい話なんだけど、魔力はどの属性にも分類しちゃいけないことになってるんだ。ちょっと、小腹空いた」
エイラがモロウのビスケットをボリボリかじり、モロウ茶で流し込む。お世辞にも優雅な所作とは言えない。ガサツだ。この人、結構な美人なのに。エルフは高慢で独自の美徳に執着した種族って聞いてたけど、良い意味でも悪い意味でもイメージが違う。
「このビスケットさ、素朴で美味しんだけど、歯にくっつくんだよね」
エイラが舌先で歯の裏を擦っているようだった。口を閉じないで喋ってた。
「お師匠。お話の続き」
アディが絶好のタイミングでツッコミを入れてくれる。この師弟いいコンビになりそう。
「んあ、そうだった。魔力をどの属性にも分類しちゃいけないのは、まあ、宗教的理由かな。魔力は神の示す手であり、神の一部なんて云われてるからね。でも、神なんて、宗教なんてどうでもいいって言う人もいて、そんな人達は、魔力は空属性ってことにしてる。なんたって、魔力は、空と空、泡と泡の狭間から生み出されて、泡の中の無を通らず、そのまま狭間を行き交うからね」
「エイラさんは後者なんでしょ?」
「ちょっとぉ、リデルちゃん。私はどっちの派閥でもないよ。神は神でちゃんと敬わないとって思ってるし」
エイラが俺の眼の奥を覗き込む。闇神を見たな。俺の奥底で奴が唸るのが聞こえた。これもやっぱり神になるのか。この世界の宗教で神の捉え方ってどんなだろ? 多神教なのかな?
「それに、魔力が空属性って考え方にも一理あるよ。空属性を極めると、空の狭間から魔力を無限に供給し続けるなんてことも出来るし。まあ、それは私でも出来ないけどね」
「大賢者様でも出来ないことあるんだね」
「ちょ、リデルちゃん、それ嫌味ぃ。大賢者だって神じゃないんだからね。私の知る限り、そんなこと出来るの世界でも一人しかいないよ。ま、私の先生なんだけどね」
「お師匠の、お師匠?」
「うん。世界一の魔法使いとか、神に最も近い人類なんて呼ばれてるよ」
「神に最も近い……」
それってルドウィクじゃないのか。この世界、広そうだ。
「私の先生については、また話して上げるよ。今は、えっと、属性の捉え方だったね。他に何か質問はある?」
「んと、光と闇ってどこからやって来るの? 話を聞いてる限り、一番すごい属性のような気もするけど」
「それは諸説ありかな。魔力と同じで空の狭間から生み出されるものって言われてたり、ただ一つの大きな光と闇がそこへ在り続けてるなんてものや、一番有力なのは、神に生み出された時から不滅で循環し続けてる力ってことかな」
「不滅……循環?」
「そう。私達の肉体が滅びても、それは固定化された光と闇の解放に過ぎない。解放された光と闇は、また次の魔力の導きがあるまで空を彷徨い続ける。お互いに鬩ぎ合いながらね」
「へぇ……」
俺は思わず自分の掌を掲げてマジマジと見てしまった。この世界では、この肉体が光と闇の塊で、これもかつて他の誰かを構成してた光と闇かもしれないんだ。
「まるで、アディ達も、この世のものも、明滅する光と闇そのもの」
そう言って、アディも掌を空へかざしていた。
「おほ、眩しい。未来を背負うお子達が……」
エイラは、手で庇を作って俺とアディを大袈裟に眩しがっていた。
「お師匠、ここでふざけちゃ、ダメ」
「あ、はい……」
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