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三章
4話
しおりを挟むズートリヒから帰って来て二ヶ月余り経っていた。
大賢者エイラのお陰で、アディの魔法修行も実技段階に入り順調だ。俺が村を歩いていても子供達から挨拶してくれるようにもなって、村全体の雰囲気もいい。もちろん、俺の鍛錬も順調で、母ライカから槍の闘い方も習うようになった。何度か人間無骨も触らせてもらえた。
今世で一番平和と充実を感じていたかもしれない。
そんなある日、馬を駆って村へ男ががやって来た。
しきりに「急報、急報!」と叫んでいた。エレスティア共和国政府の旗を掲げている。政府直属の役人らしい。俺達カザク親子はその様子を村の外で見ていたが、役人の焦燥感や馬の疲労感から只事ではないと知れた。
俺と母ライカはすぐに村長宅へ向かった。急報の役人の行き先なんてそこしかない。辿り着くと、丁度役人が村長レオナルドへ向けて書状を読み上げようとしているところだった。その横で、エイラがワクワクしたような表情で、アディがいつもの無機質な視線を向けていた。
「ヴァルノス帝国、帝都トリニダドが陥落した模様。魔王を名乗る魔族の軍による攻勢の為と見られる。これを受けて、我がエレスティア共和国政府は戦時体制を宣言する。崇高なるエレスティア共和国国民は以下四つを承服されたし。一つ、ヴァルノス帝国との国境は閉鎖され、即時魔法による障壁が展開される。一つ、国内の街道の往来は軍により管理制限される。一つ、必要に応じ政府権限による物品や土地の接収が行われ、妥当とされる金を支払うものとする。一つ、戦況に応じ徴兵を行い、政府の定めた金を支払うものとする。以上、シュバルツ領主レオナルド・グリンヴェル男爵はこれを即時領民へ知らしめるものとする。エレスティア共和国元首、ヴァレンティン・フォン・ホラント」
政府役人は読み上げ終わると、その書状をレオナルド村長へ押し付けるように渡した。威丈高で感じが悪い人だな。冒険者上がりの領主だって見下してるのかもしれない。政府役人なんて皆名家のボンボンばかりらしいし。
「お役人さん、待ってよ。その馬潰れちゃうよ。私に任せて」
馬に跨り去ろうとする役人を、エイラは呼び止めた。確かに、馬の汗の掻き方や息の上がり方が酷い。
大賢者は馬の胸に優しく手を当てた。
「恩恵回復」
エイラが魔法を唱えると、馬の体は緑の鈍い光に包まれた。一瞬でその体力が回復したようだ。馬は嬉しそうに短く嘶いた。
エイラって、回復魔法も使えるのか。しかも、人間より大きい馬を一瞬で回復して見せた。
「すまぬな、魔法使いよ。では」
役人は早速とばかりに馬を駆って村を去って行った。まだまだ幾つも領地を回るのだろう。よそ見も振り返りもしなかった。
「まあ、あの役人はともかく、お馬さんが可哀想だからね」
エイラは独り言のように言った。この人、子供みたいだけど、優しいよな。
「アタシの読みはハズレたね。まったく、どうなってんだか」
母が奥歯を噛み締める。
「ああ。本物の魔王でないことは確かだろうが、それに匹敵する力は持つ魔族のようだ」
村長レオナルドが政府の書状をクルクルと巻き上げながら言った。
「レオ父さん、どうして本物の魔王じゃないと言い切れる? ヴァルノス帝国、世界最強の軍事国家。その都滅ぼすの、すごい力」
「うん……それはな、アディ……」
村長が言い淀んでいる。言葉を選んでいるのか? アディの質問は俺も思ったことだ。
「アディちゃん。魔王はね、強くて子分をたくさん引き連れてるだけじゃないんだよ。魔王には魔王の使命があるからね。それを果たそうとしてないから、ヴァルノスに現れたのは魔王じゃないんだよ」
エイラの説明にレオナルド村長がホッとしていた。でも……。
「魔王の使命なんてあるの?」
今度は俺が口を開いていた。
「それはね、世界を混沌と成すことだよ。まあ、私も大賢者だからね。魔王もどきが現れた情報は掴んでた。でも、それから優に三ヶ月は経ってる。遅いんだよ。伝承の魔王だったら、もうとっくに世界は混沌の中だよ。だから、レオちゃんもライカちゃんも本物の魔王じゃないって思ってるわけ」
大賢者の説明に、母ライカとレオナルド村長も頷いていた。それに対してエイラは微笑んで返していた。なんだろう? この大人達の間に言葉でない言葉が交じり合わされた気がする。
「混沌って?」
疑問が尽きない。
「まあ、簡単に言うと、魔族がそこら中にわんさか沸く現象かな。何故そうなるかは、他にも色んな概念知る必要があるから、また今度説明するね」
「エイラ様、村の今後についてご相談が。中で話しましょう。ライカもいいか?」
村長がタイミングを見計らって大賢者へ声をかける。
「うん。そだね。村の障壁はもう大分固まったから護りは大丈夫だけど、戦争は、それだけじゃないからね」
エイラはさらりと言ったけど、戦争か。戦争が始まっているんだ。せっかく平和で充実した生活送ってたのに、壊されるかもしれない。
アディを見る。その表情はいつも通りだけど、胸の前で手を組んで祈るような仕草をしていた。彼女も不安らしい。
「リデル、アディ大丈夫。主戦場はヴァルノス国内さ。国境付近は魔族とのいざこざが多発するかもだけど、この村が戦場になることはないよ。なったとしても、アタシとエイラがいれば安心だろ?」
母が、俺とアディの前へ屈んで肩を抱き寄せる。強くて暖かい力が伝って来た。
確かに、上級魔族を圧倒する七つ星冒険者に、世界に数人しかいない大賢者がここへ一緒にいるなんて、これ以上に心強いことはない。
「んじゃ、ちょちょいと会議済ませちゃおうか。私お腹空いちゃったよ。レオちゃん、今日のお昼はボア肉の塩漬けハムをさ、モロウパンにいっぱい挟んでね。森ワサビソースも一緒にね。あれ、おっきな口でガブリってしたいからさ」
「はい、エイラ様。さあ、中へ。ライカも」
そうして大人達三人は、村長の家の中へ入って行った。内側からガチャリと鍵のかかる音がした。聞かれたくない話なのか?
「アディ、ちょっとその辺を歩こうよ。いい気分転換になるよ」
俺は体が固まったままのアディの肩を叩いた。おかっぱボブっ子はハッと我に返って頷いた。
村を歩くアディの姿は、俯いて歩幅も狭く力なかった。戦争が始まったことが酷く衝撃的だったのだろう。それも仕方ない。アディは天才でも、心根は優しいし、それにまだ幼児だから。
「アディ、ウチで休んでく? モロウ茶でも飲もうよ」
言った後で気付いた。これって、すごくナンパなセリフだ。
「いい、リデル。アディ、このまま歩く」
「そっか。休みたくなったら、すぐに言ってね」
俺がそう言った側で、アディが突然立ち止まった。
「アディ、少し、記憶戻った」
ボブっ子が大きな瞳で俺を見つめて来た。その手は硬く握られ、体全体は強張っている。
「そっか、少し休もう。さあ、そこに座って」
急に記憶が戻ったんだ。脳に、心に負担がかかっているのかもしれない。俺は道脇にあった石の上にアディを座らせた。村の老人がよく座っている石だ。
「記憶戻ったの、ほんの少しだけ。しかもボヤけてる」
「無理に思い出さない方がいいよ。青い顔してる」
そう言う俺にアディは首を振った。
「怖い。だから、聞いて欲しい。記憶の中で、女の人が言ってた。大きな戦争が起こる。赫き王がやって来るから。あなたは……あなたは……思い出せない。あなたは……アディは、何をすればいい?」
アディが頭を抱えて苦しそうに俯いた。こんな彼女の姿見たことない。
「ダメだよ、思い出さなくてもいいんだよ、アディ。ほら、深く息をして」
「あなたは……誰? あなたは……アディ……お母さん……」
アディは一度空を見上げたかと思うと、気を失ったのか、眼を閉じて体の力が抜けてだらりとなった。崩れ落ちそうだ。俺は咄嗟にアディの体を抱き止めた。
「まずい。ウチへ、いや、エイラさんに診せないと」
俺はアディの脇と両膝へ手を入れて抱き抱えた。力には自信があるんだ。俺はそのまま村長宅へ走った。
途中にすれ違った村人に不思議な顔された。幼児が幼児をお姫様抱っこして走ってるんだ。何事かと思われてもしょうがない。
ふと、流れて行く見知った村人達の中に、見慣れない姿があるのに気付いた。女性だ。白のローブを纏った歳は十代中頃の人物だった。一瞬合った眼が酷く冷たくて、それでいて力を感じる不思議なものだった。旅の魔法使いだろうか? 村にはたまに冒険者がやって来ることがある。この人も多分そうなんだ。きっと卓越した力の持ち主なんだろう。こんな状況でもなければ、子供の無邪気さを装って話でも聞いていたかもしれない。でも、今は構ってられない。もっと速く走るんだ。
雷は、アディを抱き抱えた状況じゃさすがに使えない。俺は一瞬体内へ意識を向ける。筋肉、骨、神経、血管、血液。それを構成する各属性。俺は前世の記憶、その知識をふと思い出した。物質を構成する原子の構造だ。原子核の周りを電子が飛び回る。それ以外は九十九・九パーセント空洞。空であり無だ。その無へ魔力を巡らせ、揺らがせる。
それをイメージした瞬間、俺は凄まじい速度で走っていた。まるで、空と無そのものになった感覚だ。狭い村だ。村長宅までほんの数秒だった。
「母さん! 村長! エイラさん! アディが倒れたんだ! 早く!」
俺は村長宅へ着くなり叫んだ。すぐに扉の向こうで反応があった。ドシドシ走る音が聞こえる。
「リデル! アディ!」
母ライカが壊す勢いで扉を開けてやって来た。母さんらしい気の早さがこんな時に頼りになる。
その後、アディは早急にベッドへ寝かされ、俺は手短に何でこうなったかを大人達へ説明した。皆一応に顔を曇らせて……ってエイラは別だった。眼を爛々とさせてうんうん頷いていた。この人のテンション、ハイかスカイハイしかないんだよな。
「レオちゃんには前に話したんだけど、アディちゃんの記憶はね、かなり厄介なんだ」
頬をぽりぽり掻きながら、エイラは珍しく言い淀んでいた。その視線はレオナルド村長へ向けられる。
「構いません、エイラ様」
「んじゃ、言っちゃうね。この子の記憶と心の一部、明らかに魔法でいじくられてる。前にアディちゃんにどうしてもってせがまれて、記憶の中へ潜ったことがあるんだ」
「精神侵入の魔法だね。あんたならやってるって思ってたよ」
「む、ライカちゃん、それどう言う意味? ま、いっか。話を戻して、結果から言うと、失敗だった。アディちゃんの中へ一ミリも潜れなかったの」
「あんたが? エイラ、精神魔法は不得意なのかい?」
「そんなことないよ。大得意。覗き見大好きだし」
エイラが顔をわざとらしく歪める。もしかして、俺の記憶とかも覗いて……いや、もしかしないか。覗いてる。確実に。
「強力な精神障壁が張られてる。この村へ来る以前の記憶は、外部の人間はもちろん、本人にも探れないようにね」
「そんなこと一体誰が? いや、あんたに探れないってことは……」
「そう、そんなこと出来るの世界に数人しか思い浮かばない。私と同じ大賢者以上の存在。アルキアの双頭の金鷲か、龍峰の白蛇姫か、ティスルの慈愛の淑女か、ヴァルノスの剛鉄将軍か。生きてればだけど、空爺とか。あと、先生はないとして……」
先生って言うのはこの前話してたエイラの師匠だ。神に最も近い人類らしい。他にもエイラが挙げたのは大賢者達の二つ名か。それ聞いただけでも、一癖も二癖もありそうだ。
「どうしてそんな話、アタシらに黙ってたんだい?」
「うん、迷ってたんだ。だって、空爺と先生以外は、みんな各国の要職に就いてる奴らだよ。そんなのが強力な精神障壁張るんだ。アディちゃんは国家機密ですって言ってるようなものだよ」
「それ、アディには話したのかい?」
「……うん、話したよ」
「あんたね!」
母ライカが、エイラの肩を掴む。怒りが籠ってる。無理もない。そんなのアディに背負わせるなんて早すぎる。
エイラは、睨み付ける母をただまっすぐ見た。威圧でもない強い意志を感じる。この人のこんな顔初めて見たかもしれない。
「罵りだったら受けるよ。でも、アディちゃん、自分でも薄々勘付いてたみたいなんだ。精神侵入を独学で覚えて研究して、自分自身の記憶を見てるらしいよ。精神障壁のことも知ってた。すごいよ。まだこんなに小っちゃいのに。魔法の天才ってだけじゃない。己の宿命を受け入れる鋼の精神力も持ち合わせてる」
「……アディ、俺には話してくれなかった」
「気に病むことはない、リデル。アディもお前へ話そうとしていたさ。こんな自分とでも一緒に冒険してくれるか、とな。ただ、きっかけが掴めなかっただけだ」
村長レオナルドが俺の肩を叩く。そんなことを抱え込んでいたんだ。アディの最近の様子を思い返す。まるでいつもと変わらない彼女だった。俺、気付けなかったな。
「ああ、もう、アタシって奴は! エイラ、すまなかったね。ついカッとなっちまったよ」
「いいの、いいの。大賢者は大寛容なんだよ。それにしても、ライカちゃんも丸くなったよね。昔はもっとオラオラツンツンしてたのに」
「あ、アタシの昔の話はいいだろ……」
母さんは頬を赤らめた。俺の前世で言ったら、元ヤンみたいな存在なんだろうな。何となく想像付く。そして、それを黒歴史として抹殺したいのも分かる。
「あの、それで、どうしてアディの記憶の一部が戻ったの? 強力な精神障壁が張られてるのに」
話を戻す。一応、母に対する息子の気遣いだ。
「うーん。考えられるのは、あえてそれだけを思い出すように仕組んだってことかな。何かをきっかけとしてね。リデルちゃんの話だと、戦争って言葉を聞くことがそれになってるんじゃないかな」
「それ、手の込んだ呪いじゃないかい? 呪いは、かけられた本人が気付いた状態の方が強まる。意識にも無意識にも強く刻み込まれちまうからね」
「更に、呪いの対象が強く執着するものに関することだと強くなっちゃうんだ、これが。執着イコール呪いみたいなもんだし。アディちゃんの執着は記憶だね。それも仕組まれてるっぽいんだけどさ」
「呪いなら、どんな呪いなの? アディの命に関わる?」
「死ぬことはないだろうけど、人生は動かされるよね。大きな戦争が起こる。赫き王がやって来るから。あなたは……の次。ここにアディちゃんの行動を強く促す呪いが込められてる可能性が高いよ」
「どんなことだろう? その通りに動いちゃうってことだね……」
俺はアディの寝顔に眼を落とした。こんなお人形さんみたいな子なのに、重い宿命背負わされて……。
なんて思ってると、突然、アディがパチリと眼を開け、ムクリと起き上がった。俺は思わず「わっ」て声を上げてしまった。
「リデル、アディはこんな。一緒に冒険するの、辞める?」
アディの大きな瞳が俺に向けられる。いきなりこんなこと切り出すなんて、今の話聞いてたよな。
「ほら、アディ。まだ寝てなきゃダメだ」
村長が優しくアディの背を撫でた。
「辞めない」
俺の発した声が強かった。腹の奥から瞬間沸騰したみたいだった。
「アディ、前に言ったでしょ。俺に困難が訪れたのなら、アディがそれを助けるって。同じだよ。アディに困難が訪れたのなら、俺がそれを助ける」
そこにいるみんなの深く息を吸う音が聞こえた。その時間が果てしなく永く感じた。
「ありがと、リデル」
アディは、微笑んだ。今度は、俺が深く息を吸う番だった。アディの笑った顔、初めて見た。普段は人形のように無機質なのに、笑顔は花が咲いたように自然なんだ。
「く~やっぱ、我慢出来ない! さすがアタシの息子、男前だ!」
母ライカが俺に抱き付いて頬ずりをする。この親バカモード久しぶりだ。
「うんうん。やっぱ、君らいいね。にひっ」
エイラが白い歯を覗かせた。この人、俺達で楽しんでないか……。
「水を差すようだが、冒険はまだまだ先だぞ。今は大変な時期だ。街道を自由に歩くこともままならないだろう。ただ、己を鍛え上げる良い機会でもあるがな」
村長レオナルドが気丈に言うが、その目元が薄っすら濡れていた。知らなかった。この人泣き上戸なのか。
「よーし。みんなでお昼にしよ! 私お腹空いて倒れちゃうよぉ」
そんなエイラの提案で、お昼にすることにした。塩漬けボア肉ハムがたっぷり挟まれたサンドウィッチだ。廻冥の森で採れた森ワサビのソースも入ってた。辛くて鼻の奥がツンとするのに、張り詰めてた空気が緩んでるって、その時気付いた。
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