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5章.妹君と辺境伯は時を刻む

191.聖女は王子を想う②

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(あれは……?)

 ふと、彼とぶつかった角あたりに小さな赤いシミのようなものが見えた。

 白亜の床に一点の、血にも似た──。

(……もしかしてテオドール様の血……?!)

 マリーは急いで引き返す。

 そこまで強くぶつかった印象はなかったが、何かに引っ掛けて怪我を負わせてしまったのかもしれない。

 しかし、そこに到達する頃にはそれが何なのか分かったマリーは僅かに困惑の表情を見せた。

(……ハンカチ……?)

 血液だと思ったそれは、テオの髪と揃いの色のハンカチだった。

 丁寧に折り畳まれたそれは彼とすれ違う時には無かったものだ。

 色といい、彼が落としたものだろうか。

(あとで届けてもらうよう、神官に頼んでおかなければ……)

 マリーはハンカチを躊躇いがちに拾う。

 と、かさり、と微かな音を立てて何かが落ちる。

(……紙……何か書いて……)

 ひらりと落ちたそれも拾い上げようと、身を屈めた彼女の目が大きく見開かれた。

 紙切れを持った彼女の手が微かに震える。

 信じられない、と声に出しかけ、慌てて口を塞いだ。

(どうして……テオドール様……どうして私など気にかけて……)

 つい先ほどまで暗澹たる思いに囚われていたはずが、一気に視界が開ける思いがした。

「……マリー様、如何されますか?」

 神官の平坦な声が、マリーの意識を戻す。

「……テオドール様のものですね。今からお届けしましょう」

「……承知いたしました」

 決して気取られぬよう努めて冷静に言うと、神官は機械的に頷いた。

 マリーはできるだけ早足でテオの後を追う。

 今から追いかけて間に合うだろうか、と一瞬疑問が湧き上がるが、わざわざこのような仕込みをするくらいだ。

(テオドール様はきっと、待っている)

 確信を持って回廊の角を曲がる。

 ──いた。

 少し離れたところで佇むテオに駆け寄ると、マリーは肩で息をした。

「あ、あの、これ!」

 小走りとテオに話しかける緊張とで、上がった息が弾む。

「お、落とされて、ました」

 ハンカチを差し出すと、テオは微かに微笑んだ。

「ああ、ちょうど探していたんですよ。拾っていただいたのですね。ありがとうございます。マリー様に拾っていただいて

 彼の笑みが深くなる。

 いつもの張り付いたように完璧な笑顔に、マリーは先ほど浮かんだ疑問を口にしかける。

 しかしそれを躱す様にテオは目を瞑った。

「あ、そうそう。フリッツならまだ来ませんよ」

「え……?」

 思いがけない王太子の話題に、マリーは無意識に身構える。

(今聞きたいのはそれじゃないのに……)

 再び俯きかけた彼女の耳元に、テオは身を屈ませる。

「しばらくお散歩を楽しむのもいいかもしれませんね。行ったことのない場所とか、会ったことのない人に会うのもいいのでは?」

 テオの言葉に、マリーは目を見開いた。

(……どこまで……テオドール様は見抜いているの……?)

 半ば呆然とした彼女の反応に、満足したかのように柔らかく笑うと、彼は会釈をして去っていった。

 その背中を見送りつつも、彼女は一旦気を落ち着かせようと深呼吸をする。

(テオドール様はここまでお膳立てをしてくださった……多分、この呪縛を解く最後のチャンス……)

 マリーは息を吐き切ると、顔を上げた。

「……少し、寄りたいところがあります」

「……承知いたしました」

 暗闇の中で見えた一筋の光明をしっかりと掴むために、彼女は一歩踏み出した。
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