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5章.妹君と辺境伯は時を刻む
227.聖女は想いを告げた①
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風に乗ってやってきたのはマリーが養女となった公爵家──ではなく、小高い丘に広がる長閑な農村だった。
もうみな畑仕事を終えた時間なのか、人の姿はまばらだ。
きょろきょろと周りを見回すマリーを、テオはいつも通りの笑みを浮かべ見つめる。
しかしその笑みに微かな寂しさが含まれていると気づいたマリーは、ここでお別れなのだと直感的に理解した。
どうしてここに連れてきたのだろう、どうしてここでお別れなのだろう、彼女の頭の中でぐるぐるとそんな思いが巡る。
「……あそこだよ」
農村の中心部から少し外れた、背の高い木が数本生えた場所に建つ一軒家を指さすと、テオは言葉少なに抱き上げていたマリーを下ろした。
ちょうど木陰に二人がたどり着いた時、家の中から見知らぬ誰かが出てきた。
三角巾でピンクゴールドの髪を隠し、淡い色のエプロンを身につけた中年の女性が、同じく中年の男性と仲睦まじい様子で何かを喋っている。
その様子がどこか懐かしく、泣きたくなるほどマリーには恋しく、思わず「……母さん……父さん……」と呟かずにはいられなかった。
「……うん。彼らは君の本当の両親だ」
「え……?」
マリーの呟きを拾ったテオは、背中を押すように優しく声をかけた。
「……許可は取ってある。今日から君は平民としてこの家で暮らせる」
「…………」
「君は選んでいいんだよ。貴族として生きるか、平民として生きるか。どちらを選ぼうと支援はすると、国王も言ってる」
マリーは一度、両親の方を見た。
四歳で聖殿に上げられた彼女は、両親の顔すらあやふやだ。
それでもやはり懐かしい。
しかし彼女は幸せそうな両親から視線を外すと、沈んだ表情を見せた。
「浮かない顔だね」
テオは木に背を預けると、彼女の顔を覗き込むように首を傾ける。
いつもの貼り付けたような笑みを浮かべる彼の瞳は、いつも以上に冷ややかだ。
感情を押し殺している様が、自傷しているようにも見え、マリーは彼の袖を小さく握った。
(……きっと、ここで別れたらもう、会えない……)
平民を選べば確実に会えない。
戴冠式の時にもしかしたら姿を見れるかもしれないが、その頃の彼にとってマリーは群衆の一人でしかない。
とはいえ貴族を選んでも会えるとは限らない。
婚約者にでもなれば別だろうが、元平民の彼女は彼の婚約者候補にすらなれない。
(婚約者…………)
テオには婚約者はいない。
継承順位が低いからだと思っていたが、国王とテオの間で何かしらの密約があったのではないかと、ユリウスから聞いたリーゼロッテが話していた。
どういった条件で婚約者を決めなかったのかは定かではない。
しかし王太子ともなればその密約は成立しない。
早急に婚約者を選定するはずだ。
マリーは下唇を噛むと、掴んだ袖をぎゅっと握りしめた。
テオの燃えるような赤い瞳は見知らぬ令嬢に向けられ、逞しい腕で抱くことになるのだろう。
朗らかな声で見知らぬ女性を呼び、彼は穏やかな笑みを向けるに違いない。
(……そうしたらテオドール様は……本心から笑えるようになるの……?)
握りしめた袖を軽く引っ張ると、頭上からテオの「どうしたの?」と気遣うような声が聞こえた。
いつからか笑顔という仮面を貼り付けた彼は、滅多に心から笑わなくなった。
マリーはずっと前から気付いていたが、フリッツに変に目をつけられればたちまちテオを排除する動きを取られてしまうだろう。
そしてその予想は当たりだと、フリッツ以外の男子生徒とほとんど関わりが持てなかった学院生活が物語っている。
笑顔ですら本心を常に晒さない彼が、果たして見知らぬ令嬢にその心を晒すようになるのか──。
(……テオドール様は本当は何を思っているの……?)
彼の心に触れたい。
マリーは一度深呼吸をすると、テオの顔を見上げた。
「……テオドール様のお側には置いていただけないのでしょうか?」
「…………………」
彼女の声が、竦んだように震える。
精一杯の告白を、テオは喜びも否定もせず、ただ黙って見つめていた。
「ずっと、ずっと貴方のことが好きでした……でもフリッツ様が怖くて……隷属紋もあって……言い出せなくて……」
マリーは必死に言葉を紡ぐ。
しかし紡げば紡ぐほどに、マリーとの間に透明な壁を築いていくように彼の瞳は冷えていく。
「…………」
「私ではダメですか? もう平民だから、平民出の貴族だから、貴方のそばにはいられないんですか?」
泣きそうな顔で言い連ねるマリーをじっと見つめていたテオは、袖口を掴んだ手を取ると、そっと離した。
「……君のその感情は、まやかしだよ」
落ち着いた声で言うと、テオは悲しそうに微笑んだ。
もうみな畑仕事を終えた時間なのか、人の姿はまばらだ。
きょろきょろと周りを見回すマリーを、テオはいつも通りの笑みを浮かべ見つめる。
しかしその笑みに微かな寂しさが含まれていると気づいたマリーは、ここでお別れなのだと直感的に理解した。
どうしてここに連れてきたのだろう、どうしてここでお別れなのだろう、彼女の頭の中でぐるぐるとそんな思いが巡る。
「……あそこだよ」
農村の中心部から少し外れた、背の高い木が数本生えた場所に建つ一軒家を指さすと、テオは言葉少なに抱き上げていたマリーを下ろした。
ちょうど木陰に二人がたどり着いた時、家の中から見知らぬ誰かが出てきた。
三角巾でピンクゴールドの髪を隠し、淡い色のエプロンを身につけた中年の女性が、同じく中年の男性と仲睦まじい様子で何かを喋っている。
その様子がどこか懐かしく、泣きたくなるほどマリーには恋しく、思わず「……母さん……父さん……」と呟かずにはいられなかった。
「……うん。彼らは君の本当の両親だ」
「え……?」
マリーの呟きを拾ったテオは、背中を押すように優しく声をかけた。
「……許可は取ってある。今日から君は平民としてこの家で暮らせる」
「…………」
「君は選んでいいんだよ。貴族として生きるか、平民として生きるか。どちらを選ぼうと支援はすると、国王も言ってる」
マリーは一度、両親の方を見た。
四歳で聖殿に上げられた彼女は、両親の顔すらあやふやだ。
それでもやはり懐かしい。
しかし彼女は幸せそうな両親から視線を外すと、沈んだ表情を見せた。
「浮かない顔だね」
テオは木に背を預けると、彼女の顔を覗き込むように首を傾ける。
いつもの貼り付けたような笑みを浮かべる彼の瞳は、いつも以上に冷ややかだ。
感情を押し殺している様が、自傷しているようにも見え、マリーは彼の袖を小さく握った。
(……きっと、ここで別れたらもう、会えない……)
平民を選べば確実に会えない。
戴冠式の時にもしかしたら姿を見れるかもしれないが、その頃の彼にとってマリーは群衆の一人でしかない。
とはいえ貴族を選んでも会えるとは限らない。
婚約者にでもなれば別だろうが、元平民の彼女は彼の婚約者候補にすらなれない。
(婚約者…………)
テオには婚約者はいない。
継承順位が低いからだと思っていたが、国王とテオの間で何かしらの密約があったのではないかと、ユリウスから聞いたリーゼロッテが話していた。
どういった条件で婚約者を決めなかったのかは定かではない。
しかし王太子ともなればその密約は成立しない。
早急に婚約者を選定するはずだ。
マリーは下唇を噛むと、掴んだ袖をぎゅっと握りしめた。
テオの燃えるような赤い瞳は見知らぬ令嬢に向けられ、逞しい腕で抱くことになるのだろう。
朗らかな声で見知らぬ女性を呼び、彼は穏やかな笑みを向けるに違いない。
(……そうしたらテオドール様は……本心から笑えるようになるの……?)
握りしめた袖を軽く引っ張ると、頭上からテオの「どうしたの?」と気遣うような声が聞こえた。
いつからか笑顔という仮面を貼り付けた彼は、滅多に心から笑わなくなった。
マリーはずっと前から気付いていたが、フリッツに変に目をつけられればたちまちテオを排除する動きを取られてしまうだろう。
そしてその予想は当たりだと、フリッツ以外の男子生徒とほとんど関わりが持てなかった学院生活が物語っている。
笑顔ですら本心を常に晒さない彼が、果たして見知らぬ令嬢にその心を晒すようになるのか──。
(……テオドール様は本当は何を思っているの……?)
彼の心に触れたい。
マリーは一度深呼吸をすると、テオの顔を見上げた。
「……テオドール様のお側には置いていただけないのでしょうか?」
「…………………」
彼女の声が、竦んだように震える。
精一杯の告白を、テオは喜びも否定もせず、ただ黙って見つめていた。
「ずっと、ずっと貴方のことが好きでした……でもフリッツ様が怖くて……隷属紋もあって……言い出せなくて……」
マリーは必死に言葉を紡ぐ。
しかし紡げば紡ぐほどに、マリーとの間に透明な壁を築いていくように彼の瞳は冷えていく。
「…………」
「私ではダメですか? もう平民だから、平民出の貴族だから、貴方のそばにはいられないんですか?」
泣きそうな顔で言い連ねるマリーをじっと見つめていたテオは、袖口を掴んだ手を取ると、そっと離した。
「……君のその感情は、まやかしだよ」
落ち着いた声で言うと、テオは悲しそうに微笑んだ。
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