元・悪役令嬢は現世に舞い戻る。

見丘ユタ

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10.巻き戻り1日目-9

 婚約者に浮気されていること。
 浮気相手は友人でお腹に子供がいること。
 それを一ヶ月後に言い渡され、婚約も解消されること。

 流石にそれらを実際に経験し、二人に手をかけ転生したことは言わない。
 未来視だけでも突拍子のない話なのだ。これ以上常人が理解できない要素を組み込むべきではない。当人ですら理解しきれてないのだから。

 わたしの怪しげな話を黙って聞いていた海斗は、「千秋サンは……未来視が本当だとして、どうしたいんすか?」とつぶやくように言った。

「……え? 信じたんですか? 今の話」

 思わず間の抜けた声で返す。まさかこんな胡散臭い話で真面目に返されるとは思ってもみなかった。

「いや、ぶっちゃけ未来視なんてよくわからないし信じられねーけど……結婚目前の彼氏が浮気に走って相手妊娠させるって話だけならなくはないっつーか、あるあるな話じゃん?」
「あるある……なの?」
「そんなよくある話じゃねーとは思うけどさ」

 海斗は言いにくそうに口をもごもごさせる。
 たしかに、未来視も抜きにしてみれば可能性としてある話ではある。
 しまった、変に未来視なんて言うんじゃなかった、と今更ながら恥ずかしくなってきた。これじゃ痛々しい変な人じゃないか。

 上目遣いにこちらを見てくる海斗は、気まずそうではあるものの気遣うように押し黙っている。先ほどまでのからかうような素振りはない。
 普通、こんな荒唐無稽な話を初対面も同然な相手からされたら敬遠するだろう。わたしが逆の立場ならそうする。

 対して海斗は、ただただわたしの言葉を待っている。
 祖母であるキヌが好意的な感想を漏らしたからだろうか。キヌへの信頼が、彼にそうさせているのだろうか。

 だとしたら少し、羨ましい。

 わたしは座り直すと、ゆっくりと口を開いた。

「……正直言って、別れたいのか別れたくないのかも考えられないです。ずっと、考えてはいるけど……ただずっとそこにあると当たり前に思っていたものがなくなるのに、耐えられないだけなのかもしれない。ひとつだけ……確実に言えるのはあんな未来は嫌。それだけは、はっきり思ってます」

 言い切ったわたしを海斗はじっと見つめてくる。
 懐かしむような、悲しむような視線が向けられ、わたしは眉をひそめた。どうしてそんなに他人の色恋沙汰に感情移入ができるのだろうか。

「復縁、しなくていいんすか? 今ならまだ、なんとかなるんじゃないんすか?」
「……どうだろう。そりゃ愛されたいし、相手に取られてたまるかって思ってたけど、そんなの無理だと思う」
「なんで?」

 海斗の茶色がかった瞳がわたしを見据える。

 明日香の今日の様子から、確実に妊娠している。妊娠していることを知っている。1ヶ月後に6ヶ月ということは、現在5ヶ月ということだ。

 5ヶ月──すなわち、人工妊娠中絶が可能な時期。

 明日香が智樹に妊娠を告げたのがいつだかは分からない。もしかしたら中絶可能な時期が過ぎるまで気づかなかったのかもしれない、なんてことも考えた。
 だがもし、妊娠の事実を知ってて中絶不可能な段階になるまで黙っていたとしたら──想定する中で一番最悪な想像が胸をかすめた。
 むやみに疑うのは良くない、だが疑惑はある。疑惑は疑惑であってくれ、という願いはつい数時間前にあっさりと打ち砕かれ、憎悪が増す結果にしかならなかったのだが。

 そうなると、智樹は拒否権もなく明日香との結婚を決める形になるのではないか。彼は彼女の罠に嵌っただけではないのか。

 でも……。

 妙に食い下がる海斗に若干の違和感を感じつつも、わたしは続けた。

「……わたしにとって智樹はもう、多分、好きとかそういうものではなかったのかもしれない。それは智樹にとっても、そうだったんだと思う」

 自嘲気味に笑い、肩をすくめた。
 5年付き合った年月の積み重ねは確かにある。愛おしいと思ったことも、これから先もずっと一緒に歩むのだと思ったことも忘れてはいない。
 しかし、相手といることが当たり前で、当たり前すぎてもう、ふたりをつなぐものが愛や恋ではなくなってしまったのだろう。それでも一緒にいるのは、お互い5年という長さを理解しているからだ。

 かけた時間を、年月を、手間を、労力を、無駄にしたくない。その一心で相手に執着しあってるだけだ。

 浮気や明日香の妊娠がなくても、いずれ壊れていた関係だと今なら分かる。そうでなければ、話し合いの場であんなにわたしを拒絶し、明日香を労らない。あそこまで早く切り替えられない。
 ほころびを取り繕うのに必死でわかっていなかっただけで、とっくにわたしたちは終わっていたのだ。

 ──執着してたのはわたしだけかもしれない。

 わたしの答えに納得できなかったのか、海斗は首をひねる。

「……? 浮気されてるって分かって、やけ酒飲むくらいには好きなんだろ?」
「……うまく言えないんだけど、相手から好き、と言われたから付き合った、みたいな……」
「好きだと思い込もうとした、ってこと?」

 海斗の言葉にわたしは首を曖昧に振った。

「というより……誰かに好きだと言われる自分が、価値あるものだと思い込もうとしたんだと思う。だから、捨てられたら自分から価値がなくなってしまうように思えて怒るし、相手の幸せが願えない、許せない、のかも」
「……」

 執着するということは自分からは捨てられないということだ。
 それが他人からいかに無価値だと言われても、自分には価値があると判断すれば捨てるのが惜しくなる。むしろ捨てるという発想すら湧かない。

 だからこそ、智樹に捨てられると思った瞬間に抑え切れないほどの怒りと悲しみ、憎しみが湧き起こったのだ。
 智樹に『お前との5年間は無価値だ、無駄だった』と突きつけられたと、少なくとも転生前のわたしは感じた。他人に愛される自分という、ぼやけた価値観にすがっていた自分の落ち度を棚に上げて。

 恥ずかしいにも程がある。記憶を維持したまま巻き戻って、こうして誰かに聞いてもらって、やっと気づけるなんて。

 沈痛な面持ちで黙ってしまった海斗に、わたしは続けた。

「友達に子供ができるって本来、喜ばしいことだものね。友達と、好きな人ならなおさら。それを祝えないのは……わたしがやっぱりおかしいから」
「おかしくない」

 強く、はっきりと言い放った彼に、わたしは数度またたいた。
 彼はもう一度ゆっくりと、「おかしく、ない」とつぶやく。まるでわたしではなく、誰かに言い聞かせるかのようだ。

「どうしたの?」
「……なんでもない。俺にできることなんてないっすけど、千秋サンが何選んでも、俺は味方です」

 強い語気とともに、まっすぐな視線を向けられる。居酒屋で男たちに向けた威嚇ではなく、どこか悲痛で、熱のこもった視線だった。

「どうして……そこまで言ってくれるの?」
「似てるんすよ」

 誰に、とはとても問えなかった。視線を外した海斗の横顔が辛そうだったから。
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