理科準備室のお狐様

石澄 藍

文字の大きさ
12 / 20

12.燈

しおりを挟む
 あきが少女とともに駆けつけると、社にはすでに父が来ていた。

「お前も来たのか……。無事に、お狐様は移ったようだな」

 父の隣りでは、いつもの世話係の女が泣いていた。

「夜の見まわりに行ったら……よ、依代様が倒れていらっしゃって……。そのときには、も、もう息が……」

 嗚咽混じりに、灼に説明する。

 まさかこれほど急に亡くなってしまうとは思いもせず、灼はショックを受けた。

 老婆と会ったのは、数日前に文句をいいに押しかけたのが最後だ。あのときの、老婆の困った顔が思い出される。

 ずいぶん世話になったというのに、無礼を詫びることも、別れも何も告げることができなかった。
 妹のときと同じだ。
 大好きな人たちだったのに、死とは何と唐突で横暴なものなのだろう。

 父のかかりつけ医が社から出てきて、何ごとかを父に告げている。
 途端に、父が声を荒げた。

「このままだと不審死になる、だと? 駄目だ! 警察なんぞ、この家に入れてたまるか。何のために、お前を呼んだと思っている」
「しかし……」
「こんなときのために、日頃からお前の病院に多額の寄付してやっているんだ。お前が看とったことにして、死亡診断書を書け」

 どこまでも身勝手な父だ。しかも、それだけでは収まらなかった。

「依代様は準備が整い次第、火葬しろ」

 父は秘書に、そのように命令した。

「お葬式もやらないんですか?」

 灼は思わず、口を挟んだ。
 父が「黙っていろ」といわんばかりに、横目で睨みつける。

「そういうしきたりだ。依代様になった時点で、すでに人ではない。この世にいてはいけない存在だ。よって、葬儀もしない。覚えておけ、これがお前の辿る道だ」

 さんざん利用するだけ利用して、使いつぶしたらゴミのように捨てるのか。
 灼は腹が立った。同時に、己れの運命が悲しくもあった。

 この家で自分は、もう人として扱ってもらえないのだ。わかっていたことなのに、その事実が今さら胸につき刺さる。

 どうして、自分はこんな家に生まれてしまったのか。一体、自分が生まれた意味とは何なのか。
 そのような思考が、ぐるぐると渦巻く。

 涙が出そうになったが、泣いては駄目だと思った。こいつらに負けたことになる。
 喉の奥がひりひりする。ぐっと唇を噛んで、爆発しそうな感情が通りすぎるのをじっと待った。

 そのような灼の様子など微塵も気にせず、父が続ける。

「とりあえず、今夜は自室に戻れ。社を片付けたのちに、お前はここで暮らすことになるだろう。詳しいことは、明日にでも話す」

 父は秘書とかかりつけ医をひき連れて、それからすぐに母屋へ帰った。長居するつもりもなさそうだった。

「わたしは遺品の整理をしないと……。せめて、依代様の大切になさっていたものを棺に入れて差しあげたいので……。失礼いたします」

 世話係も深々と頭を下げて、社に戻っていった。

 あとには、灼と少女だけが残された。

「あんまりだよ、あんなの……」

 うな垂れる灼に、少女が優しく声をかける。

「部屋に戻りましょう? その薄着であまり長居すると、風邪を引いてしまうわ」

 灼は寝巻きのまま、サンダルを突っかけてきただけだった。
 いわれると、少し肌寒く感じるようになったが、戻る気にはなれなかった。

「お狐様は、どうして何もいわなかったの? 依代様と、ずっと一緒にいたのに。お葬式もしないなんていわれて、悔しくないの……?」
「そりゃあ当然、悔しいわ。依代は、死んだら『依代様』と書かれた集合墓地に埋葬されるだけ。名前も刻まれない。こんな扱いは、間違っていると思う」

 少女は星空を見上げながら、ため息をついた。少女や灼の気持ちとは反対に、星たちは輝いていた。

「でも、この一族が今さら考えを改めることはない。諦めなさい」
「そう思うなら、どうしてここにいるの? お狐様がいるから、依代が存在しなくちゃいけないのに……!」

 今まで我慢していた涙が、せきを切ったかのように溢れだした。
 少女を責めることは間違っているとわかっていても、灼は責めずにはいられなかった。

「わたしは、この一族の始祖との契約で、ここに仕えなければならないの。この契約は、わたしからは一方的に破棄できない」

 少女は灼の言葉にショックを受けた様子もなく、淡々と答えた。
 もしかしたら、責められなれているのかもしれない、と灼は思った。

「だから、わたしはただ占いや予言をするだけ。その内容を偽ることも許されてはいない。もっとも、寿命とかいいたくないことについては、占えないと先にいってあるけど」

 灼は何と答えてよいか、わからなかった。
 孤塚こづか家に憑いていることに、少女の意思は関係ない。少女も、ただの道具に過ぎなかったのだ。

「それに文句をいいたくても、わたしは依代やその候補以外と話すことは禁じられているの。あなたの妹とも、会わないようにしていたくらいなのよ」
「……いつから知っていたの? あいつが依代にならないって」

 灼がポツリと訊いた。もう先ほどまでの怒りはなかった。
 少女は少し考えてから、答えた。

「あの子が次の依代だと紹介されたときかな……。でも、それを拒否したら、あの子が早く亡くなることが知られてしまう。だから、黙っていたの」
「そんなに早く……。けど、教えてくれていれば、あいつは修行を受ける必要もなかったのに……」

 灼の非難の声に、少女は静かに頷いた。狐の耳はやや垂れ、その瞳には悲しみの色があった。

「ええ、そうね。わたしが一番重視したのは『最期のときまで死を知らずに、穏やかに過ごす』こと。でも、その選択が正しかったのか、いつもわからない」

 少女は暗い顔をして、うつむいた。その小さな肩には、きっといくつもの後悔が重くのしかかっているのだろう。

「あなたを連れてくることを許可していたのは、あなたには修行する時間がなさそうだったから。妹について来たときに、いろいろと話を聞けたでしょう?」

 なるほど、この状況も全てお見通しだったというわけか。ずいぶんと周りくどいことを考えたものだ。
 灼はそのようなことを思いながら、涙を拭った。

「依代様に、最後の挨拶をしていきたいです。父のことだから、多分、もう二度と会えないと思います」

 少女をまっすぐに見つめながら、いった。
 少女が頷きかえす。

「そうね。こっちよ」

 少女は先に立って、歩きはじめた。
 戸の前で少し考えたあと、ゆっくり手を突きだした。少女の手は戸に触れることなく、そのまますり抜けた。

 灼が戸を開けて中に入ると、玄関で待っていた少女が思い出したようにいった。

「ああ、それと、わたしにはあかりという名前があるの。今度から、そう呼んでほしいわ」
「お狐様に名前があるなんて、知りませんでした」

 灼は驚いた顔をした。今まで、誰も名前で呼んでいるのを聞いたことがなかったからだ。

「依代にだけ、こっそり教えているの。わたしの名前を呼んでくれる人なんて、もういないから」

 燈は寂しそうに微笑んだ。

 老婆の棺は、よく妹に修行をつけていた居間にあった。
 老婆は穏やかな顔をしていた。まるで、ただ眠っているかのようだ。

 灼はそっと手に触れてみたが、かすかに冷たいだけで、他は生きていた頃と何も変わらない。
 実感が湧かないのに、涙だけはなぜか流れてきた。
 そこにある「死」が、直感的に伝わってきたのかもしれない。

「今まで、ありがとうございました。今度は僕が立派な依代になるから。あいつと天国から見ていて」

 きっと、優しい彼女のことだ。依代になる自分のことを心配してくれているに違いない。だが、自分のことはいい。
 願わくば妹が寂しくないように、一緒にいてあげてほしい。

 灼は心配をかけさせまいと、老婆に笑いかけた。涙は流れ続けているから泣き笑いになってしまったが、老婆には伝わっただろう。

 涙を拭いながら立ちあがり、燈のほうを向く。

「僕の部屋に戻りましょう、燈様」

 初めて名前を呼ばれた燈は、獣の耳をピンとさせて、少しだけ嬉しそうな笑顔を見せた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/12/22:『かれんだー』の章を追加。2025/12/29の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/21:『おつきさまがみている』の章を追加。2025/12/28の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/20:『にんぎょう』の章を追加。2025/12/27の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/19:『ひるさがり』の章を追加。2025/12/26の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/18:『いるみねーしょん』の章を追加。2025/12/25の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/17:『まく』の章を追加。2025/12/24の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/16:『よってくる』の章を追加。2025/12/23の朝4時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

百の話を語り終えたなら

コテット
ホラー
「百の怪談を語り終えると、なにが起こるか——ご存じですか?」 これは、ある町に住む“記録係”が集め続けた百の怪談をめぐる物語。 誰もが語りたがらない話。語った者が姿を消した話。語られていないはずの話。 日常の隙間に、確かに存在した恐怖が静かに記録されていく。 そして百話目の夜、最後の“語り手”の正体が暴かれるとき—— あなたは、もう後戻りできない。 ■1話完結の百物語形式 ■じわじわ滲む怪異と、ラストで背筋が凍るオチ ■後半から“語られていない怪談”が増えはじめる違和感 最後の一話を読んだとき、

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

(ほぼ)1分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話! 【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】 1分で読めないのもあるけどね 主人公はそれぞれ別という設定です フィクションの話やノンフィクションの話も…。 サクサク読めて楽しい!(矛盾してる) ⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません ⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...