理科準備室のお狐様

石澄 藍

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14.父の呼びだし

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 あきが部屋に入ると、父は不機嫌そうに睨みつけてきた。

 おおかた老婆が思いがけず亡くなったことで、いろいろなあと処理に追われているのだろう。
 呼びだしておいてひどいものだが、こちらのことなどは一切考えていないらしい。迷惑な話だ。

 灼は内心、そのようなことを考えていたが、顔には出さなかった。誰に似たのかは知らないが、無表情さには自信がある。

「座れ。午前中の親族会議で決まったことを、お前に伝える」

 父が腕を組み、椅子にふんぞり返った高圧的な態度で一方的に話しだした。はじめから、灼の返事などは必要としていないようだ。

「まず、お前は義務教育が終わり次第、正式に依代に就任することが決まった。それまでは、依代代理として修行に励め。学校以外の外出は許さんから、そのつもりでいろ」

 現在は、妹の忌引きで学校を休んでいる状態だ。
 このまま休みが明けても学校へ通えなくなることを危惧していたため、灼は少しホッとした。
 今までの扱いを鑑みるに、中学校卒業まで監禁生活が猶予されただけでも、ありがたく思うべきだろうか。

 そのようなことを考えながら、真面目な顔を装って続きを拝聴した。

「次に社への移動だが、1週間後に決まった。移動後は、社の外をみだりに彷徨くのは許さん。身のまわりの世話については、今までの使用人をそのまま雇う」

 どうやら、あの世話係の女はそのまま継続されるらしい。見知った仲のため、多少はひと安心だった。

 父が大仰に、またわざとらしくコホンと咳払いをひとつした。

「いいか? お前の存在意義は、依代として立派に役目を果たすことだけだ。誠心誠意、家とお狐様にお仕えしろ。以上だ」

 父が組んでいた手をほどき、もう灼に用はないとでもいいたげに、手を2、3回しっしっと振る。まるで犬か猫のような扱いだ。
 灼がムッとしているのにもかまわず、父は自慢の真っ黒な髭を撫でている。
 今まで、何度あの髭をひっこ抜いてやりたいと思ったか知れない。

 灼は、家に仕えるなど真っ平だといってやりたかった。自分が仕えるのは、あかりだけだと。

 しかし、ぐっと堪えた。
 どうせ父には灼のことなど、自分がのし上がるための道具にしか見えていないのだろう。
 父の価値観は今さら変えようがないし、ここで喧嘩をしてもこちらの立場が悪くなるだけだ。

 妹がこのような扱いを受けなかったことだけは、不幸中の幸いなのかもしれない。
 何の慰めにもならないかもしれないが、妹は自分の名前が入った墓で、孤塚こづか家の一員として眠ることができる。
 このようなことをいっては不謹慎だが、どうせ夭折するのなら依代になる前でよかったのかもしれない。

 灼は形ばかりのおじぎをすると、さっさと部屋から退室した。

 一刻も早く、父から離れたかった。前から父には苦手意識があったが、ここのところの態度でさらに著しくなったのだ。

 部屋を出ると、燈が心に直接話しかけてきた。

「灼、大丈夫? あまりよくない感情のようだけど」

 心配そうな声が響く。

「問題ありません」

 そのようにいって、心配をかけさせまいと笑った。燈は中にいるのだから、当然見えないだろうが。
 そもそも、兄や妹から「表情筋が死んでいる」と常日頃からいわれていた鉄面皮である。うまく笑えてもいないだろう。
 思えば、父が笑っているところも見たことがない。その点は似ているといえなくもないが、自分はあれほど高圧的でもないはずだ。

 そこでふと、灼はあることが気になった。

「そういえば、憑依中だと五感はどうなっているんですか?」
「概ね依代と共有よ。あなたが見ているものをわたしも見ているし、聴いているものを聴いているわ」

 何げなく窓が目に入った。そこに映った自分の無表情な顔が灼を見返す。
 すると、窓ガラスの中の自分の顔が突然、ニコッと笑いかけてきた。

「!?」

 思わず、ビクッとした。その自然な笑いかたは、自分の顔とはとても信じられなかった。
 自分の顔をペタペタと触りながら、訊いた。

「燈様ですか……?」

 灼の問いに、燈がクスクスと笑う。

「ほら、ちゃんと笑えているじゃない」

 先ほどの思考を読まれていたのだろう。
 何の抵抗もなく操られてしまうとは、憑依とは恐ろしいものだと改めて思った。

「プライバシーの侵害ですよ。大体、シンクロ率を下げるとかいっていたのは、何だったんですか……」
「ちゃんと、あのときは下げていたわよ! ……でも、灼が落ちこんでないか心配で、つい……。気に障ったのなら、謝るけど……」

 気落ちした燈の声に、灼は窓に向かってフッと笑った。燈に見えるように。
 その笑顔は、口角がほんの少しばかり上がっただけだったが、自分にしては上出来だと思った。

「いえ、気にしてません」

 キッパリといった。

「ほら、ちゃんと笑えたでしょう? 燈様が顔をほぐしてくれたからですよ」
「そう? そうね……。わたしのおかげね!」

 一転して、燈の楽しそうな声が聞こえる。

 それを聞いて、灼も心が軽くなるのを感じた。
 憑依するお狐様が、自分のことを一番に考えてくれる燈でよかったと改めて思った。
 同時に、依代が自分でよかったとも思った。

 もし仮にあの兄が依代であったなら、燈が真っ当に扱われていたかどうか疑わしい。
 それは、どうしても我慢ならなかった。

 その後は部屋に帰るまで、使用人数人とすれ違った程度で、家族や親戚とは会わなかった。
 もし出くわしていたら、嫌味や上っ面ばかりの同情など、どのようなことをいわれたか、わかったものではない。
 もっとも面と向かっていわないだけで、使用人たちだって何を考えているか、わかったものではないのだが。

 とにかく、内心恐々としていた灼には家族に出会わなかっただけでも、この上なく幸運なことだった。
 何より、また燈に心配をかけさせてしまうだろうことが、心苦しかった。

 灼が部屋に戻ると、ホッとしたせいか少し目眩がした。

「っ……」

 咄嗟に壁に手をつき、転倒を免れた。
 今しがたの父への気疲れや、ここのところの疲れが抜けきっていないのかもしれない。

「大丈夫!?」

 一瞬ふらついただけだったが、燈はものすごい勢いで灼の身体から飛びだし、隣りで心配そうな顔をしていた。
 とっさに支えようとしたのだろう。彼女の手は灼の腕を掴もうとして、そのまますり抜けていた。

「大丈夫ですよ。ほんの少しクラっとしただけですから……。何でもありません」

 ぎこちなく、燈に笑いかける。まだまだ笑顔の練習が必要だと痛感した。

「ごめんなさい。わたしが憑依したことで、あなたの身体に負荷がかかったに違いないわ。もっと早く憑依を解いておくべきだった……」

 燈が思いつめた表情を浮かべる。

「それなら、早く慣らさなきゃですね」

 灼は燈の目を真っ直ぐに見つめて、優しい声で話した。

「燈様は、ずっと社に閉じこめられていたでしょう? 憑依していたら、学校だけですけど、外の世界に行かれるんですよ。僕も修行を頑張りますから、一緒に学校へ行きましょう」

 燈は驚いて、目を見開いた。

「そんなことを考えてくれていたの? あなたの自由を奪っている、わたしのために?」

 灼は不思議そうな顔をした。

「思考は共有できるんじゃなかったんですか?」

 燈は今にも泣きそうなほど、目に涙をいっぱい溜めている。

「だって、シンクロ率を上げたのは一時的だったし、思考は現行犯じゃないとわからないんだもの……!」
「そんな、犯罪者みたいにいわなくても……」

 燈が目もとを指で拭いながら、無邪気に笑った。

「ふふ、灼は年齢の割に大人だね。カッコいいよ」

 燈の言葉に、灼は顔を赤らめた。

 これまで「大人びている」とか「年寄りくさい」とか、うんざりするほどいわれてきた。
 しかし、燈の言葉が今までで一番うれしかった。たとえ、子ども扱いの裏返しだったとしても。
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