理科準備室のお狐様

石澄 藍

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17.学校

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 その後、あきはの生活の場は社に移った。

 社は、屋敷に比べてはるかにせまい。
 そこでの生活は不便かと思われたが、案外居心地のよいものだった。世話係は顔見知りだったし、嫌味な家族にバッタリ出くわす心配もない。

 そして何より、毎日の食事の時間に、あかりをひとりで部屋に残す必要がなくなった。
 いつも燈がひとりで見ていたワイドショーは、相変わらず食卓で楽しんでいる。むしろ、灼や世話係が一緒に見ている分、嬉しそうだ。
 灼は、社での生活を密かに楽しんでいた。

 社へ移った数日後に、小学校への登校も再開した。
 燈は屋敷の周りに張りめぐらされた結界によって、そのままの霊体では敷地から出られない。そのため、家を出るときだけ、灼に憑依する必要がある。
 しかし、敷地の境界を超えるとすぐに、燈は憑依を解除してしまった。

「いい? 学校までは、別々になって行くわよ。憑依の負担はできるだけ少なくしないと」
「でも、人前に出ていいんですか?」
「これくらい、平気よ。見えない人にはどうせ見えないし、見える人にも普通の人間に見えるでしょうし」

 その言葉に、灼は違和感を覚えた。

「あれ? 燈様みたいなお化けは、霊力の弱い人間にも見えるんじゃなかったでしたっけ?」
「ええ、まあ……。今は見えにくくしているだけよ」

 何となく、歯切れの悪い返答だった。

 妹の事故のこともあり、母は歩いて学校へ行くことにものすごく反対していた。
 しかし、学校といえども灼たちにとっては、貴重な外出の機会である。
 車であっという間に終わらせてしまっては、もったいない。それに外の空気が吸えないなど、もってのほかだ。
 母には「燈様が一緒にいるのだから、大丈夫」といって、無理やり納得してもらった。

 そうして死守した徒歩通学で、灼の隣り、燈はご機嫌で道を歩いている。
 ずっと屋敷の中にいたものだから、新鮮というか、不思議な光景だった。

「楽しいですか?」

 灼の問いに、燈が満面の笑みでかえす。

「うん、すごく楽しい」
「それはよかったです」

 その笑みに、灼は心が暖かくなるのを感じた。

 久しぶりに登校した学校では、周りからずいぶん心配されてしまった。妹の事故死のショックで体調を崩したことになっていたのだから、仕方がない。
 理由はともかく、体調が悪かったのは決して嘘ではない。だが、灼は少し申し訳ない気持ちになった。

 燈はというと、学校に着くなり、もう一度憑依しなおしていた。
 道端では姿が見えたとしても、燈の正体まではわからないので、問題なかった。しかし、小学校内で誰かに見られてしまったら、高校生くらいの見た目の燈はただの不審者である。
 騒ぎを避けるためには、人目のつくところでは憑依状態を続けなければならなかった。

 ただし、一週間かそこらの特訓で憑依の時間は伸ばせても、一日中憑依し続けるにはやはり限界があった。
 そこで、長めの休み時間には必ず、憑依を解除してひと気のないところで休むようにした。
 しかし、それでもとうとう限界を迎えてしまったため、灼は5、6時間目は保健室のベッドで休む羽目になった。

 早退すると、母にいらぬ心配をかけさせてしまうだろうから、下校時間まで寝ることにした。何より、心配した母に車通学を強制されることが嫌だった。
 もっとも歩いて帰る気力もなかったため、ベッドで休むほかなかったわけだが。
 都合がよいことに保健室の先生には燈が見えないらしく、無理に隠す必要もなかった。

「体調は大丈夫?」

 燈が心配そうに、顔を覗きこんでくる。

「大丈夫ですよ。全然問題ありません」

 強がってみせたが、その実、それほど体調はよくなかった。
 頭はガンガン割れるように痛み、少し吐き気もする。おそらく、顔からは血の気が引き、蒼白になっていたことだろう。

(一日も経たずに、このザマか……)

 灼は自分の不出来さが情けなくなった。

 足もとのほうを見やると、壁にかかっている時計が目に入った。

「そろそろ、授業も終わりますね。教室に戻りましょう」

 正直、まだフラフラしていたが、これ以上燈に心配をかけるわけにはいかなかった。

 しかし、灼の顔色を見た保健室の先生から、ドクターストップがかかった。
 結局、帰りの会が終わるまで、もうひと眠りすることになった。





 いつの間にか、灼は友だち何人かと遊んでいた。空き地で、皆んなでサッカーをしている。
 空は気持ちよいくらいに快晴で、ここしばらくの体調不良もない。

 すごく楽しい。妹を失ってから、これほど楽しいことはなかった。
 しかし、誰かが欠けている気がする。

(誰だっけ? 誰か、忘れてはいけないヒトを忘れているような……)

 一生懸命に考えて、燈の姿がないことに気づいた。憑依をして自分の中にいるのかと思ったが、違うようだ。

「燈様? どこですか?」

 辺りを見回しても、どこにも燈がいない。それほど遠くには離れられないはずなのに。
 心臓がギュウッと冷えていく感じがする。恐怖で息が詰まる。





「……き……灼! 大丈夫!?」

 燈の声に呼ばれ、目を開ける。そのとき、目から雫が溢れた。

「大丈夫? うなされていたようだったけど……」

 灼の涙に驚いた燈が、また心配そうに覗きこんでいた。そこで初めて、夢を見ていたのだと気がついた。

「あ……問題ありません」

 夢だったことに、心底ホッとした。今さら燈と離れるなんて、考えられなかった。

 夢の内容は最悪だったし、まだ心臓はドクドクしていたが、総体的に見て体調はよくなっていた。少しでも眠れたおかげだろう。
 これなら、家までちゃんと帰れる。

 一旦、燈を保健室においたまま、教室に荷物をとりに戻った。
 帰りの会を終えた教室には、すでに人がいなかった。校舎内にも、課外活動をしている生徒のほかは、ほとんど下校しているようだ。

 保健室に戻って燈と合流すると、人と会わないように注意しながら、憑依はしないで学校を出た。
 憑依をしたら、体調が優れないことを燈に知られてしまう気がして、怖かった。

「そういえば、憑依している間は痛覚も共有するんですか?」

 灼の問いに、燈が考えこむ。

「いえ……。覚えがないわね。共有しないのかも……。本来なら、触覚の中に含まれるはずだけど」

 それを聞いて、灼は少し安心した。
 今後、憑依中に頭痛がしても、痛みが燈に伝わることはない。何も燈が一緒に苦しむ必要はないのだ。

 そのとき、突然後ろから声をかけられた。

「君、幽霊に憑かれていますね」

 ハッとして振りかえると、ボサボサ頭で眼鏡をかけた、白衣姿の見ず知らずの男が立っていた。こちらを見て、ニコニコと笑っている。
 明らかに、不審者だった。

「その幽霊、私が祓ってあげましょうか?」

 警戒して一歩後ずさった灼に、なおも笑いかけてくる。

 灼は、ランドセルからぶら下がっている防犯ブザーに手をかけた。
 相手はそこでやっと、少年に警戒されていることに気づいたらしい。
 慌てながらも、優しく灼に声をかける。

「待って待って、怪しいものではないのです! 私は拝み屋を生業としています」
「拝み屋って、祈祷師みたいに占いをしたり、霊を祓ったりする人?」
「そうそう、そんな感じです!」
「やっぱり、怪しい人じゃないか!」

 おおかた、詐欺師に決まっている。しかも何故、拝み屋なのに白衣を着ているのか。
 胡散臭い男だと判断した灼が防犯ブザーを引っぱろうとしているのを見て、男がさらに慌てる。

「君には、霊が憑いています! 放っておくと、君は霊力を吸いつくされて、死んでしまいます! だから、私の話をちゃんと聞いて……」

 男が最後までいい終わらないうちに、灼は躊躇いなく防犯ブザーを引っぱった。

 たまたま周りにいた大人たちが、「何ごとだ」と寄ってくる。
 灼はその大人たちに向かって、思いきり叫んだ。

「助けて、変質者だ!!」

 大人たちが男を捕らえようと駆けよってくるどさくさに紛れて、灼と燈はその場から逃げだした。

 その日は何とか無事に家へ帰ることができたが、男が現れたのはこの日だけではなかった。
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