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4.紙片
しおりを挟むあの淡き光の元へ、『すぐ戻ります』との約束を果たせないと悟った日から、言いようのない思いが胸の内にふくらむばかりだ。
思い起こすのは春弥様の愛しいお姿ばかり。
暗い檻の中、正体を暴かれた私は囚われている。
血を与えられない私は、檻を壊して汚れた人間どもをねじ伏せる力など出せず、春弥様の身を案じる心と貶めた者への恨みだけが日に日に募っていく。
「春弥様は生きているのだろうな?」
「お前、何回、聞くんだよ。ガキが死んじゃあ、俺の立場がなくなんだよ。分かったか?」
薄汚い笑みを浮かべるこの人間の正体は亡き当主、黒桐屋治秋様の弟にあたる男であった。以前から執拗に黒桐屋の屋敷周辺をうろついていた輩で、取引により引き下がらせ、話し合いを続けていたが、交渉をすり合わせるつもりなど毛頭なかったのだろう。
この男は実のところ、治秋様によって理不尽に屋敷を追放されたと恨んでおり、黒桐屋家を掌中に収めようと目論んでいたようだ。
すべてを知ったのは、私がこうして捕らえられたあとだ。治秋様は息子である春弥様のこと以外、家族について一度も話されたことはなく、存在すらも私は知らなかった。
「お前には仕事がある。ガキを生かしたきゃ、言われたとおりにするんだな」
仕事とは暗殺だった。男の気に入らない者たちを夜な夜な襲う。ただし、血を流す殺し方は許されない。言いつけられた時限までに戻らなければ、春弥様の命はないと言うので速やかに殺し、暗闇の巣に戻る。
春弥様の未来のために、私自身が悪に身をやつさぬよう、どれだけの時間をかけて、話し合いで解決しようとしてきたことか。こうもあっさりと自制心と葛藤を捨てて、殺しに手を染めてしまうとは。
苦痛に歪む日々だけがいたずらに過ぎる。だが己の罪と汚れのすべてから目を逸らしはしない。元より満足に眠れぬ私は、目を閉じることをやめた。
懐かしい匂いがした。悪事に手を染めた私を叱りに治秋様が寄越したイタズラ風かと思ったが、いつものネズミだった。
手にかけた人間から頂戴した少しばかりの食料を手慰みに与えていたネズミが、紙切れをくわえてきた。施しに対する礼などいらないのだが労いにと、固くなったパンをちぎってやれば、紙切れを冷たい床に落として食べはじめる。こうやって春弥様のお食事を切り分けて食べやすくしていた日々を思い出す。
食事は久しく口にしていない。食事は春弥様との幸せに満ちた時間であったから、暗く沈んだ心のままで、温かな幸福を踏みにじりたくはなかった。
人を殺しても、もう何も感じないというのに、春弥様と過ごした日々で感じた幸せだけはどうしても手放したくない。
抜け出そうと思えばそのネズミを今すぐにでも食らって、春弥様を除くすべての人間を葬って、迎えに行けばいい。
だが、そうまでして凶暴に走って戻った自分は、また春弥様のおそばで何事もなかったかのように日々を享受し、微笑んでいることができるだろうか。
手放したくない日々を胸に抱えながら、もう戻れないと否定する。殺した人間から最後の晩餐の少しを奪うのは、幸せを壊した痛みを自分に刻むためだ。お前はもう、過去の幸せを忘れられぬまま、未来の幸せを奪う苦痛に切り刻まれて生き恥をさらすしかないのだと。
かさりと足元に紙切れがあたる。ネズミはそれを押しやったらどこかの穴へ消えていった。
郷愁がふわりふわりと香る。沈んだ気持ちのまま、拾い上げればその紙に見覚えがあり、曇っていた視界は一気に晴れた。
『ボクのだいすきなトワイライト』
にじむ文字でそう書かれていた。ハリがあるが薄いその紙は生前、治秋様が使われていたものだった。そして、紙に付けられた文字の跡から、覚えのあるサビついた臭いがした。
思わず投げ捨ててしまった。これは春弥様から送られた文で間違いないはずなのに。
サビに混じって、甘く、魅惑的な匂いがしているのだ。喉から手が出るほど、それが欲しくてたまらなくなる。常に腹を空かせている私には猛毒に等しかった。
私はその紙切れを捨てられない。私から一番遠くの角に追いやったが、日々それは増えて、匂いが濃くなっていき、私を惑わすばかりだった。
真新しい紙が隅へ積まれていく度に、春弥様と積み重ねた日々が思い出となって浮かんでくる。
あなたという夜明けが待ち遠しかった。
目を覚まして欲しいと思いながら、目にすることが叶わぬ、薄明に焦がれ、陽を閉ざした寝室で、夜のおつかいが終われば、おそばに控え、ただじっと手を握っていた日々。
端に追いやったあの紙切れを見ていて、どうも、胸が痛むと思っていたら、治秋様から授かった本のページを破って、春弥様が口にしてしまわれたことがあったからだ。日が暮れた頃に私が外へ出かけることに気づきはじめ、春弥様はどうにか気を引きたくてやってしまったようだった。
私はとても気が動転してしまった。そんな私を見て春弥様も驚いてしまい、二人で泣いてしまった苦い思い出がある。
それからよく言い聞かせて訳を話し、春弥様が十八になったら一緒に夜の町に出ましょうと約束を取りつけた。
あなたの豊かな表情、言動の数々に心奪われてばかりの日々だった。夕暮れの庭に遊びに来る鳥の話をうっかり口にしてしまったとき、春弥様はまたほおをふくらませて、ぎゅうと抱きついてこられたなあ。今思えば妬いてしまわれたのだろう。あながち間違いではない。
夕闇にさえも溶けこまない、美しい体毛をもった鳥だったのだ。可憐で美しい春弥様のように思えて、目に留めてしまった。
庭に咲く大輪の花々には目もくれず、小さな草花をつまんで口にくわえていたさまと、春弥様が小さなお口で懸命に食事をとられていた姿が重なった。愛らしいなどとその鳥に気が移ったのは一瞬であったのに。
私にはやはり、あなたしかいないのだ。春弥様。私の記憶の中で舞い踊る淡き光。ナギと呼ぶ、おいたわしい声。
ふと頭に浮かぶ、いつかの記憶の片りん。ないはずの小さな光がひらひらと舞いながら、視界を横切るさまをいつか見た気がする。
春弥様と出会う前、暗い部屋に閉じこもって、明かりという明かりから目を逸らしてきた私からするとあり得ない話だが、見たことは覚えている。
その光をお屋敷の中のどこで見たのか、思い出せぬまま、隅に追いやられた紙片たちは影を被って、崩れかけのレンガ片と違わぬ塊と化していった。
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