月負いの縁士

兎守 優

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2.凍夜のスウィートネス

15 氷晶が映し出す記憶

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 人の形をした球根から、咲くように芽吹き、生えていく氷晶ひょうしょう。成清は問う。そんな化け物に身をやつしてまでも、誰との縁を切りたいのか、と。

「トウ サン……」
 家族の縁などという、もろくたやすく切れてしまう絆のために、身を削ってまで、人から遠ざかる必要があるのか。もっと、単純で明快で、誰も不幸にしない、解決の道があったはずだろうが。過去の自分への戒めでもある、その言葉を成清は後悔と悲嘆を押しこめて、無理やり口から吐き出す。

「なら離れりゃいいだけだろ」
 大小バラバラに咲いた氷の結晶は、高く高く生え、ついには自身の重さに耐えかねて、ひび割れ、弾けていく。

「ムリヤリ エンヲ ムスンダ カラ」
 壊れていく間も、凍氷の呪いが心臓にまで伸びていく。音もなく抜かれた刀が、月明かりを写し取ってきらめく。

「そうか。じゃ、これで終わりだな」
 半凍り状態の心臓を鋭い切っ先で、ひと突きして砕く。砕け散る氷の破片には、過去の残影が映った。父親からもらったジャンパーを抱えて飛び跳ねる少年の姿。背格好の小さい彼には、大きすぎる代物だった。
 心躍るよろこびに満ちた日々を大きな手がバリンと砕いた。次々と暗転していく氷鏡。墨塗りされた断片から、マグマのごとくグツグツと流れ出る赤黒い液体。

 ところどころで飛沫が上がる。噴き出した箇所は、たちどころに酸化して黒ずみ、歪な形のまま冷えて固まってしまった。

 目尻から流れる涙が、垂れ落ちることはなかった。瞳が濡れることもない。最期の言葉を伝える手段も絶たれた。巡ってきた人生の一端を追体験として、砕け散っていく氷片が映すだけ。
 供給元の生命が風前の灯火となっても、その体からは、尖った細い縁が紡がれる。生まれたそばから溶けていく薄氷が、天に向かって手を伸ばし続けた。

『連れション行かね?』
『い、いや、俺はトイレ近くないし』
 気落ちした様子の河野の肩を軽く叩くのは、黒目がちの瞳の大きな青年、郁であった。
〝多目的トイレって誰でも使えるんだって知ってた?〟
 見せられた文面がボウッと浮かび上がってはまたすぐに消えていく。
『あれって、車イスの人だけじゃな?』
〝僕、体が良くないとき、使うんだ〟
『いくも使うんだ……へぇ』
〝誰でも使っていいんだって 僕、助かってる〟
『あ、ありがとな、いく!』

 背を向けた影斬りに降り注ぐ記憶の声。喉元を抑える手の温もりが伝い、凍りついてしまった強ばりがわずかに解けて、声帯が震えた。
「いく、ゴめン…………」

『俺が縁を切れば父さんは幸せになれるんです』

 この声を最後に、氷の破片はなにも映さなくなり、土に染みて溶けていった。
「ト、サ……ン、シアワセ、ニ」
 絞り出したように思えたその言葉は、成清のトラウマが引きずり出した幻聴であったのかもしれない。

 実態を持たない幻は全て消えて、冷たくなった遺体だけが残った。心臓は止まっているが、安らかな顔をしていた。目覚めることのない眠りに就いた河野。凍りついた彼の目を成清は閉じてやることができなかった。
 横たわる亡きがらから目を離さず、彼は立ち上がる。棒立ちのまま、吐く息が白くたなびく。声がかかるまで彼の鼻は、他の存在を感知できなかった。

葉月はづき。貴様、丹那にな様の邪魔を」
 丹那になの従者、こうきが低く憤る声に、振り返らず、反論もせず、動かない横たわるそれから目を離さず、成清は冷えた息とともにあきらめを口にした。

「こいつはもうダメだった」
 丹那になの刀身が月光を拾って淡い輝きを纏う。
「スノーには逃げられたかねえ」
 途切れた氷の道を見てもなお、彼女から闘志が失せることはなかった。爛々らんらん梅重うめかさね色の瞳が輝き、夜空に昇る満月の不気味な光とぶつかった。

「マァいいさ。夜が明けるまで、どうせどこへも隠れられやしないんだからさあ」
 先を行く彼女のあとについて、去り際に結人が成清の肩を軽く叩いた。
「そんじゃ、後処理はよろしく」
 去っていく梅見一門の影斬りたちの中で、一人だけ、ハタリと足を止めた。
「こうきぃー、行くぞ」
 結人に呼ばれ、ハッとしてこうきもすぐに走り去っていった。

 成清は、再び一人きりになった。残された者が背負う深い悲しみは何度味わっても、彼が慣れることはなかった。
 心の奥底から抉られる悲しみを、足が凍りつくほどの怯えを。全て覆い、塗り潰すほどの大きな怒りを持って、彼は刀を振るい続ける。
 悲嘆に暮れている暇などなかった。そこかしこから、怨嗟えんさが集まってくる。成清は肌と鼻で感じ取っていた。

 寝静まるはずの宵を惑う影たち。腹を減らして、宵っぱりの人間を捕まえて、巣穴に連れていってしまう、恐ろしき異形。襲われた人間は化装けそうに憑かれ、人ではなくなっていく。
 日の下で生きられなくなり、永遠に夜をさまよい、人のさがを忘れ、やがて月喰いとなり、人間を襲う。悲劇の連鎖を誰かが断ち斬らねば、また他の誰かが犠牲になってしまう。

「てめぇらにも、いい夢、見させてやるよ」
 夜が明けるまで、ここを守り抜かねばならない。陽が顔を出すまで、死骸を食らおうと這い寄ってくる、悪食の化け物たちから、なんとしてでも、死守しなければならなかった。

「永遠に眠れ、化け物ども」
 刃のごとく鋭い瞳に、燃えるような怒気をたたえて、影を斬り伏せる。寒空に煌々と照る月が輝きを失って灰のごとく白みゆくまで、襲いくる月の影たちを滅し続けた。
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