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夜蝶 散
しおりを挟むネオンの明かりが暗く狭い路地をぼうっと照らしている。不気味で近寄りがたいのに、どこか浮ついた雰囲気を漂わせるこの暗がりの街には、様々な欲望が渦巻いていた。
暗がりで何かが動いた。ぼうっと二つの光が現れ、ゆらりゆらりと近づいてくる足音。悠は空を切る感触を覚えて、身構えた。
「ニャーン」
「なんだー、にゃんこじゃん……! びっくりしたー」
悠はいきなり飛び込んできた猫を受け止めて、よしよしと撫でる。薄明かりで途切れ途切れの明かりの中、その姿をよく見ることはできなかったが、抱きとめた猫が屈めた膝の上でごろんごろんと擦りつけているのが悠には伝わってきた。
「やだなぁ、もう。拍子抜けしちゃ
じゃない、あはは」
あまりにもよく懐いてくれるので、悠はくすぐったくて身をよじった。
「何の用?」
女の声が凛と響いた。猫が急にキーッとなって怒り出す。
「その声はどこかで……」
悠は猫をなだめ、頭をひねって記憶から絞り出す。
「えっとたしか、や……」
「"や"……?」
ニャァーーと悠の太ももの上で猫が鋭く低い声で威嚇した。
「あっちょっと! 痛いよ、猫ちゃん……!」
爪を立てられた悠は、驚いて膝を落としてしまい、ドスンと猫が太ももから落ちる音がした。
「はっ! ヤチヨさんだ!」
悠は唐突に思い当たって、暗がりで落としてしまった猫を手探りで探した。
「何、その古くさい名前。口説いてるつもり? 仔猫ちゃんに、"坊や"」
その呼び方に記憶を照らし合わせて、「やっぱり」と悠は声を上げた。
「ヤチヨさんですよね!?」
獣のような低いうなり声がした。そして、空気を鋭く切るように、何かがビュンッと俊敏に動いた。
「キャンッ」
猫の鳴き声と同時に、ドサッと地面に落ちる音がした。それきり、猫は鳴かなくなった。
「ヤチヨさん!?」
悠は慌てて慣れない視界にその姿を探す。突然、ぬっと白い手が伸びてきて、彼の額に触れた。
「さぁ、夜遊びしてる悪い子ちゃん。アンタの欲望を見せてちょうだい」
悠はその手が体の奥底まで侵入してくるような気分を覚えた。心の奥底まで暴くような、侵蝕していくような、そして、自分では触れることのできない領域まで踏み込まれるような感覚に陥っていた。
見上げるとそこにはママがいた。いつも穏やかでニコニコとしている。そして、キョロキョロとして見つけた隣には……パパだ。いつも優しくなでてくれる。大好きだって、ぎゅっとしてくれる。あったかい。
『パパはね、悠とママのために夜遅くに働いてくれてるのよ』
『パパはママのヒーローなの』
そう言っていつもなでてくれていたママはもうこっちを見てくれない。ねぇ、パパ……あれ? パパはどこに行っちゃったんだろう。
あったかくて、真っ暗。大好きな匂いだ。振り向いて、そっとなでてくれたのに。
『パパ……! 待って、……』
「やめて! 触らないで!」
悠はその手を思い切り振り払った。
「それ以上は、以上は……あぁぁぁあ」
悠は泣き叫んで背を向けて走り出した。訳も分からず、暗がりを走っていた。何かにぶつかっても、痛みを感じることなく、ただただ、泣き叫んで視界の機能しない闇の街を逃げ惑っていた。
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