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満つ月 下弦
しおりを挟む街の外れの教会近く。テントのように覆いがしてあるその場所にそろりそろり、続々と人影が忍び寄っていた。
「ここが例の劇場か?」
「はい。いつも大体この時間に……」
悠がそう応えると、突然、夜の街に地響きのような咆哮が響き渡った。彼らが振り向くと、すぐ近くの教会付近に大きな黒い炎が揺れていた。周囲の木々はその炎に焼き尽くされるかのように、次々と変色し枯れ果てしおれていく。
市街地で偵察にあたっていた真柴がそのとどろきに驚いて隣の同僚に問いかけた。
「今のは……!?」
「獣のうなり声のような気がします……!」
「チッ。邪異のお出ましか!」
真柴が川面と共に、声のした方の市街地の大通りへ向かっていると、無線がジジっと鳴った。
『真柴さん、聞こえますか。こちら日下部です』
「真柴だ。どうした」
『教会近くの劇場にいます。突然、黒い犬のような巨体の邪異が出現しました……!』
「一体か?」
『一体と言いますか……三頭で一体と言った方が正確です』
真柴は顔をしかめた。
『今夜は満月だ。忌々しい邪異らの妖力が満ちる時だ。いつも以上に警戒して任務に当たれ』
そう指示した高城の声が彼の頭の中で反芻された。彼はもたげた不安を振り払うように、レシーバーを飛ばして呼びかける。
「日下部。真柴だ。状況を全員に飛ばしてくれ」
『日下部です。了解』
程なくして、日下部の状況報告が始まる。市街地のあちこちで悲鳴が上がり、辺りは一気に騒々しくなっていく。
『各位。各位。こちら日下部。教会周辺で、三つの頭を持つ犬型の巨大な邪異が出現。繰り返す、教会周辺で巨大な邪異が出現。また、劇場は空でした』
日下部の報告が終わった後に、真柴は彼を呼んだ。
「真柴だ、了解。無闇に撃つことは避けたい。日下部、ホシの進路は?」
『こちら日下部。市街地の大通りを道なりに進んでいる模様。動きは速くはありません』
「真柴だ、了解。それなら縄か鎖で縛って拘束を試みよう。動きが止まった頃合いを見計らって、一斉に照射」
真柴は続けて日下部らに指示を出す。
「こちら真柴。日下部たちホシの後ろに回っている者たちは縄と鎖の調達を頼む」
『こちら日下部。了解』
無線の内容を聞いていた柊はつまらなそうに銃を回しながらたずねた。
「日下部サン、俺たちは攻撃には加勢しないってこと?」
「そんなこと気にしてる場合じゃない。早くアレの動きを止められるぐらい頑丈で大きいロープを持ってくるぞ!」
「あっ!それなら、」と悠は何か思いついたように声を上げた。
「ここにあるものを借りればいいんじゃないでしょうか。小道具にありそうな気がします!」
彼は劇場の舞台裏を指してそう指摘する。外は破壊音と悲鳴のような声で騒がしく、ドウンドウンと踏み鳴らす足音が地面を揺らしてた。
「なるほど、東雲よく気づいた。この劇場のものを拝借しよう」
市街地へと進んでいく黒い邪異の姿をチラリと確認しつつ、観客のいない劇場に続々と足を踏み入れる夜警たち。舞台裏には様々な小道具が備えてあり、舞台の装置などを固定するためのものであろうか。大きな太いロープや長い鎖も難なく見つけることができた。
「確かにロープも鎖も小道具とはいえ、充実しているな」
日下部は無線のボタンを押して告げる。
「こちら、日下部。真柴さん、聞こえますか」
「こちら、真柴。どうぞ」
「ロープの調達、完了しました。今から向かいます」
「了解」
「各位、各位。こちら真柴、今からヤツらを拘束にかかる!」
「屋上班へ。こちら真柴。そちらへロープが行く。配置に付け」
「了解しました」
路地裏を縫うように進むロープと鎖。暗闇を這い進む蛇のように、そして、空へ飛び立つ前の竜のように。するするーと低姿勢で進んでいった。
夜警が裏路地から住民を避難させていた。建物が激しく破壊されるような音が近くに聞こえ、悠は身を縮めた。
「おい、大丈夫か、ハル坊」
柊が彼のすぐ側で声をかけた。
「……これからどうなっちゃうのかな、って」
「邪異を討ち取れば全部終わりだ」
「違うよ」
「何が?」
「彼らはどうなっちゃうのかな……」
柊は遅くなっていく悠のペースに合わせながら走る。
「あんだけ暴れて、人も殺してる。殺す以外に道なんてあるわけないだろ」
「そうだけど……」と悠は口ごもり、ぽつりとこぼした。
「……なんで暴れてるんだろう」
まるで甘えたいだった子のようだと悠には思えて仕方なかった。親の気を引くために、ピイピイと鳴くヒナのように、あの大きな体躯をふるって、叫んでいるように彼の目には映った。伸ばしても届かない指のその先。
「ロープ来ました。ホシは数メートル先に確認」
「よし。ロープで締めたあと、鎖で拘束だ!」
「準備できました」
三つの頭を振り乱し、街を破壊して練り歩く邪異の姿を確認した真柴は息を思い切り吸い込んでから発する。
「かかれーーー!!!」
合図とともに、邪異の頭上近くをロープがしなり軌道を描いて、ブーメランのようにその先が元の位置へと返ってきながら、その首に巻き付いた。縄の両端を綱引きのように引っ張って、その動きを止めた。
邪異はその拘束に歩みを止めたが、力の限り巨体を振り乱し、ロープを引きずろうと抵抗を試みた。地上では第二陣が鎖をかけて邪異をがんじがらめにしようと格闘していた。
満月のように丸く黄色く輝くその瞳に青い炎が宿った。その炎は邪異の身体を伝い、ロープへと燃え伝っていく。
ロープは焼け朽ちていき、真柴は慌てて大声で「退却! 退却せよ!」と叫んだ。
巻き付けた太く頑丈な縄を三頭は瞬く間に焼き切った。青い炎が燃え盛り、伝う先で急いで夜警が鎖を放り出して退散する。
すぐさま無数の発砲音が響いたが、邪異にはまるで効いていないようだった。真柴は自分の拳銃を持つ手が震えていることに気づいた。
「ど、どうなってやがる」
地響きのような唸りが再び周囲にこだまする。ケルベロスがその頭を振り乱し、掛けられたロープの残骸を焼き尽くし、火の粉を散らした。
「こりゃ、ヤバすぎる……! 高城さんを呼ぶしかねぇ……!」
真柴は無線に手をかけて必死に呼びかけた。
『高城さん! こちら真柴。聞こえますか!』
「……ぐっ……なんだ……!」
『三つの頭を持つ巨体の邪異が市街地で暴走しています……! もう保ちそうにありません。応援を要請します』
「……ケルベロスか。こちらも応戦中だ。片付けたら急行する。それまで総力戦で持ち堪えろ」
それきり無線は切れてしまった。悠斗は涼しい顔をして、高城の激しい攻撃を受け流している。
「あんたも余裕だね、その視力だと見切るのに限界がくるでしょ?」
フフと悠斗はあざ笑う。
「家族を皆殺しにした報い?」
「……」
「一族と言った方が正しい??」
「……」
高城は何も言い返さず、ひたすら剣を振るい続けた。
「自分だけ生き残ってなーんとも思わないんだー?」
「御年50にして、その見た目の若さ」
「どんなに抗っても所詮は忌み血」
「……黙れ」
悠斗はニヤリと顔を歪めて挑発を続けた。
「夜警のみんなは知ってるのカナー?」
「あんたが妖狐だってこと」
「黙れ!!!」
「こんな日は騒ぐでしょ?」
「血には抗えない」
「血の本能には逆らえない」
「俺だって分かるよ」
「元々は人間だったんだから」
「……」
高城はその言葉のどれにもピクリとも反応しなかったが、無線から聞こえたその様子には反応を示した。
『おい! 東雲!どこ行く』
「! 東雲がどうかしたのか……!」
高城はそう口にして、ハッとした。
『囮に……』と無線が告げた。悠斗が反撃の手を緩める。
「え、そっちのがいい」
高城はギリリと歯を噛む。
「悠居るんなら俺も行こうっと」
悠斗がくるりと踵を返すと、黒い蝶が無数に舞った。
「貴様、待てッ……!!」
悠斗の嗤い声が消えていく。高城は諦めたように肩を落として、刀を鞘に納め、走りながら無線を使う。
「現場、応答しろ。こちら高城」
『……は、はいっ!』
「早苗はどうした」
『教会に避難している方々の誘導をしていると思いますが……!』
「一人でか」
『ケルベロスの鎮圧に総力を注いでいるため、定かではありませんが、おそらく』
「……わかった」
彼は再び無線を飛ばし、早苗に繋がらないのを確認すると、どこかへ電話をかけ始めた。
「皆さん、邪異はこちらと反対の方へ誘導していますので、こちらへ避難を……!」
早苗は避難してくる人々を誘導し、邪異の進む方向と反対の教会へを目指していた。
「な、なんだ、ありゃ………」
教会の扉を押し開けた一人が、倒れる人々とその血だまりを見て、腰を抜かした。それはどれも小さな亡骸ばかりであった。
「……下がってください」
早苗はセーフティを外し、銃を構える。
「絶対に中には入らないように言っていただけませんか」
彼女はそう言って、扉を開けて腰を抜かしている男を後ろに追いやって、教会へと足を踏み入れていく。その瞳には静かな怒気が滾っていた。
後ろの方の長イスに座っているどもたちは眠っているようであった。空席の列はあの血だまりに沈んでしまったのかもしれないと、早苗は舌打ちした。
「まだ、あとひぃーとつ」
頭上から聞こえた声にとっさに反応した早苗は俊敏な動きで発砲する。
「子食らい……!」
無残に屠られた遺体には目もくれず、早苗は標的を追う。
「よくやった、よくやった」
子食らいはニタニタと笑い、滴る赤が口元からダラダラとこぼれた。
「これでぜーんぶ」
子食らいが詰め寄って捕まえた早苗の腹に手を伸ばそうとした瞬間、矢が飛んできて、そのおぞましい頭に突き刺さった。
子食らいはだらりと、動きを止め、彼女はその死体を振り払って、矢が飛んできた方の階上を見定める。
背後から柔く月明かりに照らされるその人物は、一瞬だけ早苗の方を見て動きを止めたが、すぐに踵を返してしまった。
遅れてやってきた戦慄に、彼女の足腰は立たず、頽れて動きを止めた異形を前にへたり込んで、涙を流した。
終わったんだ……
早苗は腕の力を頼りに、まだ生存しているであろう子どもの安否を確かめるために這い進んだ。しかし次の瞬間、足に鋭い痛みを感じた。平伏したままの子食らいが、ガッとその足を掴んでいたのであった。
「あ、と」
手負いであるにも関わらず尚も圧倒的な力を持つ邪異に、為す術もなく引きずり込まれていく早苗。手放してしまった銃に手が届かない。
飛沫で汚れたステンドグラスは、救いを奪われてしまったかのようにその輝きを失っていた。
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