夜威

内山 優

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吐く愛の時間 六幻

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「ひひひっ、ひひひ」

 先輩は酔っ払いのように、ずっとヒックヒックと腹を震わせていた。

「人の恋路を笑わないであげてくださいよ!」

 いつものように階段下へ行くと、逢瀬を目撃してしまった。先輩が竹刀を派手に落とすもんだから、二人はびっくりして、慌てて逃げてしまったのだ。
 本当にどうしようもないのか、計算高いのか。この人の行動の真意はよく掴めない。

 先輩の趣味だとかいう剣術もなぜか教わっていた。この忘れ去られてたところでは何でもしていいような気さえしてしまうだから、好奇心と多勢の前では、人間の罪の意識とはいとも簡単にどこへ行ってしまうだと思った。

「こんなんでいいんですか」
「けしからん! そんな誘うような目で、いや、はだけるだろうがっ、別にイイじゃなくて、俺がダメじゃなくて、恥ずかしいだろ、ちょっと俺がやるからっ」

 先輩って心の声がタダ漏れな人だ。俺は内心クスリと笑ってされるがままにされた。

 一通り素振りだけで汗を流したら、外が暗くなっているような気がした。
 もう帰りましょうと、ドアを開けた先に、光が浮いていた。光が揺らめいて半月の弧を描いた瞬間、先輩が俺を押しのけて走り出す。

「ひっ!」

 俺が腰を抜かしていると、先輩は踊りかかってくるその黒衣の般若に応戦していた。

「お前何者だ!」
「……!」

 先輩はそいつを竹刀で押し戻した。鬼が刀を構え直した。刀身のきらめきに俺は本物だ……と、ビクリと震える。

「こっちは竹刀だから困るなぁ。鞘に収めてくれないか」

 鬼の仮面は動じず距離を詰めてくる。先輩は切っ先をかわして斬り込もうとしたが、すぐに体勢を立て直したそいつに背中を狙われる。

「せんぱいっ!」

 俺は凶刃を止めようと這い上がって走り出す。先輩は応戦しようと踏ん張り、体を回転させて刃向かう。
 そいつは次の瞬間、その刀を後ろに振り向けて、先輩を突き飛ばした。俺は先輩を受け止めて倒れ込む。

「ぐっ」
「がるる」

 完全には避けきれなかったようで、そいつに体当たりしてきた何かが命中したらしく、よろめいた。
 ざりっと砂利を踏んで、機敏な動きで奴は姿を眩ました。

悠斗ゆうと、ごめん、大丈夫……!?」

 倒れた俺に手を差し伸べた先輩の動きが止まった。俺の上から退いた先輩の隣に立って、俺もそちらを見ると、四つん這いの少年の姿があった。

「がる? る?」

 先輩はツカツカと歩み寄っていって、脇に手を差し入れて、彼を持ち上げた。

「犬の真似事するんじゃない。何でこんなところにいるんだ、お前ってやつは!」
「るー、う?」
「こらー、ちゃんと話さないとご飯抜きにしてもらうぞ」
「それはやだ」
「さては。町屋くんが真っ青になって捜してるぞ? 桐子にしばかれるからな、早く戻ってやんないと……」
「はぐれた」
「トオル! 危ないだろ、一人ですぐどっか行ったら。分かったか?」
「かおる、あぶなかった」
「彼は先輩のこと助けてくれたんですよ、そんな怒らなくても」

 むむと言う顔で先輩は、彼の髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でつけた。
 きちんと二足歩行になった彼は、先輩の横をするりと抜けて俺にズイッと近づいてきて鼻をスンと鳴らす。

「いいにおい。たべるの?」
「え?」

 先輩は慌てて少年を俺から引き離して、立ち塞がった。

「悠斗は食べ物じゃない! ダメ! 食事の前につまみ食いしたら、ご飯抜きになるぞ」
「それはやだ」
「おなかすいた、かおる」
「近くの駅まで連れて行って、町屋くんを呼ぶからちゃんとついてこい。悠斗には触るなよ? 返事」
「はい」

 とても子どもっぽいなと少年をチラリと見ると目が合って、首を傾げられた。俺たちの様子に気づいた先輩がぐっと彼の首を掴んで前に向き直させてしまった。

 人の往来を避けたところで、俺たちは待った。すぐに町屋という人物らしき少年が駆けてきて、ゼェゼェハァハァと息を切らしながら半泣きで飛びついてきた。
 桐子の姉御に殺されるところでした、町屋という少年はタラタラと汗を流しながら、お礼を述べてきた。

 二人を見送ると先輩は言う。

「あれが俺の弟。野生児だよ、全く。いやマジで野生で育ったんだがな」
「先輩、お兄ちゃんだったんですね」
「そうだ! じゃなくて、さっきはごめん」
「何だったんでしょう、あの怖いの」

 あの子に助けてもらえなければ先輩はもしかしたら……と思うと背筋が凍った。

「高城とかいう刑事が言ってたんだけど、ナギの関係者を殺して回ってる奴がいて、"夜叉"とか呼ばれてるって」
「そ、そうなんですか……っ」

 "夜叉"という名の通り、確かに黒衣の人物は般若の顔だった。お面とはいえ、奥に潜む鋭利な眼光も本物の刀身のきらめきも思い出しただけでも、縮み上がってしまう。

「怖い……」

 口から零れていた。

「大丈夫。俺が守ってやるって言ったろ?」
「せんぱい……」
「せっかくチラ見えする鎖骨が扇情的だったのに、もっと見てたかったなぁ」

 カッコいいなと惚れ惚れしていたのに、最後のそのひと言でガクンときてしまった。

「家でまた着せればいいじゃないですかっ、もうっ」
「悩ましいこの煩悩を断ちきらねばなむなむ」

 先輩は俺にジャンパーを羽織らせて、ジッパーを上まで上げてポンっと胸を叩いた。

 永遠に続くような時も、刹那に過ぎてしまう。先輩はもうすぐ卒業してしまう。こうして密に触れ合える時間も減ってしまうのだろう。空白になった時間を俺は夢に向かってより一層努力して埋めればいいんだ。先輩が構って欲しくなるぐらい必死に。
 先輩は穏やかだった。まるで最期の時を大切に過ごすかのように。
 何を考えているんだろうと俺は先輩に擦り寄って甘えた。俺がそうやって強請るので、余裕を湛えた先輩をかき乱してしまうのだが。

 卒業式の後、先輩は俺の部屋にけしかけてきた。黒いスーツ姿がきまっていて、俺はときめいてしまって、先輩に抱きつく。

「郁先輩っ! ご卒業おめでとうございます」
「俺は悠斗に早く卒業してほしいんだけどなっ」
「仕方ないじゃないですかー!」

 俺は悔しくなって先輩を恨めしく見上げると、ふっと、彼の口元が緩んだ。
 項に添えられた手に引き寄せられて、唇が合わさる。抱きついたまま応えて、深く口づけを交わした。
 ふにゃふにゃと力が抜けてしまった俺を抱きかかえてベッドまで運んでいく。

「向かい合ってシたい」

 先輩は俺を抱き起こして、腰と頭に手を回して、引き寄せた。
 黒いスーツ姿の先輩はいつもより数倍カッコよく見えて、ドキリと胸が鳴った。
 パサリと上着を落として、ネクタイを緩める先輩に、イケナイことをこれからするようなそんな背徳感がせり上がってくる。まるでお仕置きが始まるような心持ちだ。

「せ、んぱい」

 くちゅくちゅと蕩けるようなキスの合間に彼を呼ぶ。腰に回された手はシャツの裾をめくって、侵入していて、体温が肌に張りつきながら這い回っていた。

「ゆうと、」

 俺は先輩のシャツを掴みながら、口づけに答えて、「ん……、ん……っ」と切なげに声を漏らす。
 しばらく深くまさぐり合っていると、先輩が体中を撫でさすりながら、近づいてきて、自分の昂ぶりを押し付け始めた。

「せっ、せんぱ、いっ」
「ん、、ゆうと」

 先輩のが固くなっていて、それだけで俺もどんどん大きくなっていく気がした。

「一緒にシよ?」

 先輩はそう言って唇から離れて、ジッパーを下ろし、下着を下げて、自身を取り出した。
 俺も堪らなくなって、先輩と同じように開放する。先輩はピトリと俺の昂ぶりに合わせた。

「一緒に扱きたい」

 先輩が耳元でそう囁くので、俺はすっかり参ってしまう。恥じらいが弾け飛んで、ぎゅっと先輩に抱きついてうなずいた。
 先輩の手が弾力のある二つをヌリヌリと合わせる。俺は気持ち良くて、荒い呼吸を繰り返して、目元を潤ませた。
 暴力的な快楽だった。いつも中に埋められるこの昂ぶりと外で触れ合っている。頭がおかしくなりそうだった。

「ゆうと、ゆうと」

 先輩も切なげに声を漏らして、俺を呼びながら、耳たぶを食む。体が疼いて仕方ない。

「せんぱ、いっ、あっ、……。挿れて……もう」

 俺は先輩にそう囁くと尻を浮かせて、窄まりに指を沿わせ始めた。

「ったく! エロいっ」

 先輩は軽く舌打ちして、ギリリと噛む。ジェルを取り出し、俺を押し倒した。俺はぽふんと倒れ込む。

「解さなきゃダメだ」

 ハァハァと荒く肩を上下にさせながら、先輩はシャツも下着も全て脱ぎ去る。俺ももたつきながら、先輩に手伝ってもらって一糸まとわぬ状態になった。
 先輩が俺の指にジェルをまとわせて指を絡める。

「一緒に解そうか」

 ゴクリとのどを鳴らしてうなずいた。俺はなぞるように入り口を滑らせていると、先輩の指も同じように滑っていく。

「あ、っん、……あっ、……」

 俺がぷつりと侵入させると、彼はジェルを足して、押し広げる指にぴたりと沿うように、抽出を繰り返した。

「ぁん、……あっ、ん、ん……」

 自分と彼の指のバラバラの動きに押し広げられて、クチャクチャといやらしい水音が聴覚を刺激していく。

「ぁっ、せ、んぱ、いっ……」
「ん……?」
「じぶん……から、挿れたいっ、ぁ」
「俺、理性、吹き飛ぶんだけど……」
「ダメ?」
「いや、ダメじゃ……」
「むかいあって、できる、よ」
「っ!」

 先輩はぐっと堪えるように息をのんで、俺を抱き起こした。

「俺の上に跨がって」

 先輩の手に導かれて、膝をついて先端の上までくる。

「ゆっくりと腰、下ろして?」
「はい……」

 後ろの窄まりに先輩の先端を当てて、つぷりと飲み込んでいく。ゆっくりと、先輩に支えられながら、腰を落としていく。苦しい。でも滑りが良くて、いっぱいになっていって、満たされる。

「あっ、ふ、あっ!」

 シコリのようなところに触れた瞬間に、俺は視界が白くなって、仰け反って高く喘いだ。
 体の力が抜けて、ずぶりと一気に入ってしまいそうなところを先輩がとっさに支えてくれる。突然の強い刺激で放ってしまって余韻に浸っている俺の腰を進めて、深く咥え込ませていった。
 完全に埋まってしまうと、俺は先輩の肩に垂れかかった。

「イイ、……かおる、せん、ぱい」
「イッてたのにごめん。いきなり奥までいくと、ゆうと、壊れちゃうかもしれなくて」
「ふ、ぐっ、せんぱいの、……おれの、なかで、いっぱいで、」

 俺は満ち足りた思いがして、涙を流していた。

「なんで、泣くんだよ」
「すき、すきすぎて、いっぱい」
「ほんと、かわいいやつだな」

 先輩は苦笑して髪を撫でてくる。

「愛してる、ゆうと」
「おれも……せんぱい、だいすき」

 先輩と触れ合ってたくさん泣いて啼いた。この上なく幸せで満ち足りた時間で、時がいつまでも続くように長く長く感じられた。

 気を失うように眠っていたらしい俺は、隣にかおる先輩の姿がないことに気づいて飛び起きた。
 もう新学期だったっけ? と寝ぼけた頭でケータイを取ろうとすると、テーブルの上に何か白い紙が載っていたのが目についた。


悠斗

 諸事情で急に実家に帰ることになりました。必ず会いに行くから待ってて。その時居なかったら、一生呪います。嘘、ごめん。一生、愛しています。

P.S.
 今度会うときまでには、先輩を卒業できるように、「郁さん」呼びの練習をして待ってろー

        杉並 郁(先輩)


 悲しいと思うのと同時に心がじんわりと温かくなって、手紙を胸に抱いた。

 先輩と過ごした日々もあっという間に過ぎたが、先輩が隣にいない日々も同じように過ぎ去っていってしまう。    
 彼と触れ合った密な時間と比べて何一つ心にひっかかるものは生まれなかった。ただ一つをのぞいては。
 俺はこの彼と過ごした出会いの場所を羽ばたこうとしていた。

「卒業おめでとう」

 彼の顔はその仮面の下でニヤリと歪んでいた。

藤馬とうまもおめでとう」
「杉並先輩は?」
「ご実家に帰られたそうですよ」
「ふーん。フラれたのか」
「そんなことないよ、また会いに行くからって言ってたから」
「先輩が卒業した後、会ったのか?」
「うーん。返ってこないけど、メールも送ってみてはいるよ。でも通じてはいるみたいだから、見てくれてると思う。電話も繋がるみたいだし」
「なんかつれないな、先輩も。もう心移りして、結婚してたりして、そうだったらお前、かなりウザイやつじゃん」
「そうだとしても、先輩は嘘は吐かないから。きっとまた会いに来てくれる。そう信じてる」

 藤馬は仮面を剥ぎ取って、顔を歪めた。

「はー、聞いてらんねぇなぁ。じゃあ俺は晴れて牢獄いえに戻るよ。まぁ、学生生活も完全な自由とは行かなかったが」
「俺は待ちながら、生きて、この世界でまた生き直してみせる」
「ったく、お前もいい加減、わかれよ。お前はもう壊れてんだよ、俺が壊さなくても」

 とっくに壊れてる、確かにそうだと思った。暗く押し流されていく中に、先輩の顔が浮かぶ。
 先輩のことを思うと彼の言葉に揺さぶられる感情は、いつもより穏やかでいてくれた。

「なあ、いつか言ったよな、俺に。『この縛られた世界を壊してやるから』って。家族が居なくなって、絶望の淵で揺れてた俺には、そんな破滅的な言葉でも希望に思えたんだ」

「そんなこと、言ったかな。でも、俺の気持ちは今も変わらない事は確かだ。俺は家に縛られて自由になれないなら、その中で破壊の限りを尽くしてやる。それが親父への手酷い復讐になるからな」

「なぁ、俺が言えた義理じゃないけど、どうか、生きていてくれ。あわよくばいつか藤馬のことも救いたい」

「気持ち悪りぃな。俺はガキの頃の淀んだお前の瞳の方が良かったよ。今のお前は眩しくて見ていられねぇ。吐きそうだ」

「また会おう、藤馬。今度会った時、君じゃなくても、また初めましてから始めるから」

 藤馬はキッと凄んだ。

「何か言ったか?」
「またねって」

 また会えるといいなと心からそう思った。もう彼の変化にはあまり気づけなくなってしまったが。
 彼は否定されて自分がバラバラになる前に、新しい誰かを作り上げて、入れ替わってきた。

 否定された彼らはどこに行ってしまったのだろうか。自分のことのように悲しく思っていたが、たまにその過去の片鱗を覗かせることがあった。その度に俺は、『まだ居たんだ、良かった』とホッとしていた。

 どうかまた、会えますように。
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