哀夜の滅士

兎守 優

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1 縁罪

22 陽の差す野原で

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 ノック音のあとに、ドアが開かれた。旭の部屋から帰ってきた界人は、充から見て落ち着きがない様子だった。
おぎさん。郁に連絡を取ってもらいたいんだけど」
「わかった。用件は?」
 一夜のうちに何があったのか、充は聞きたい気持ちをこらえて、淡々と応じる。
「日曜で都合のいい日を教えてほしくて」
 界人の話を聞きながらも、充が早合点して考えているのは、彼らの行き先だった。
 デートスポットとまではいかないが、うらづきの事情を知っており、うらづきの人間が行っても嫌な顔をされない甘味処といえばづきだ。行き先に心当たりがないうちに、それとなく口に出してしまえばこちらのものだ。
づきに行くのか?」
「いえ、今回は郁のお家にうかがおうと思って」
 充の思惑は外れた。
「わかった。聞いとく」
「外出申請はさんがしてくださるので、おぎさんは気を遣わなくて大丈夫だよ」
「そか。了解」
 それだけ伝え終えると界人は、旭の部屋にまた用があるからと行ってしまった。
 見送った充はその足で向かいの部屋へ入った。

「ヤサオ」
「なんか進展あったのか」
 待ち構えていた様子のゆうせいが身を乗り出す勢いで聞いてくる。
「旭さんと永野が、日曜に永野の弟に会いに行く」
「それは家族への紹介ってこと、つまり、け」
 「結婚!?」と実希みのりも自部屋から身を乗り出した。
「なんだ、実希みのりも知ってたのか」
「あのクソ親父、俺には報告もなんもない!」
 充は首を振る。
「いや、よく考えたら永野のことだ。今回もボケをかますにちがいない」
「ただ弟くんに会いたいだけに、旭さんを使うか?」
 疑問を口にするゆうせいを無視して、実希みのりが「日曜だっけ。行けるな」とつぶやき、充にズンと迫った。
「今すぐ電話してこい、充」
 充は部屋に戻り、弥生堂の連絡先を調べ上げ、すぐに実希みのりたちの部屋に戻って、受話器を取る。

「おい。充がフリーってことは永野は今日どうしてるんだ?」
 ゆうせいが焦る声は充には届いていない。「旭さんの部屋に……あぁ、ごめんください。弥生堂の──」と充は電話の向こうの相手と話し出した。
 通話後、しんみりした空気が流れる。実希みのりたちの部屋のドアが叩かれ、肩を落としていた充は機敏に振り向いた。
「永野君、お部屋に戻ってもらうんだけど、私は準備があるから」
「よろしくお願いします」
 界人からお願いされたのに、この結果は。充は深呼吸してから、界人を連れ立って部屋に戻る。

「永野。弥生堂の月見さんの都合なんだが、あまり向こう側の事情が良くなさそうで」
「郁に何か?」
「立華先生のお体が悪いということで……」
「わかった。ありがとう、充」
 当の本人はまったく落胆する素振りもないので、充は面食らってしまった。それどころか、自部屋に入っていき、ガサゴソと物音を立てはじめる。
「何の準備だ?」
 充が声をかければ、界人は自部屋から半身を乗り出して答えてくる。
「旭さんと出かけようと思って」
 途端に充の表情が輝いた。
「そうか。がんばれよ」
「うん!」
「応援してるぞ」
「うん?」
 戸惑いを見せる界人を部屋に押し戻して、充はこぶしを握りしめ、ももに押しつけた。


 五月の爽やかな陽気の中をうさぎが跳ね回っている。そこかしこでうさぎが自由にしている町。うさぎが咲くように生息することから、その名を付けられたと言われている、ここはさき
 さきの散歩道を界人は、旭に連れられて歩いていた。
「もうすぐ体育祭もあるし、六月になると梅雨に入るから、その前にさ、今日はお散歩コースを行こうと思って」
「どういうところなんですか?」
さきロードっていううさぎがたくさんいるところで、のどかなところなんだ」
 二人がさきロードにある大きな邸宅の前に差しかかったとき、庭から声が飛んできた。

「な、んだ、貴様らは!」
 声を上げたのは、かや色の羽織りに藍色のはかま姿の男。その手にはぼんさいばさみが握られている。
「こんにちはー、正吾さん」
「はじめまして、なが」
「要らん! 聞きたくない、特に貴様は二度とこの家に近づくな!」
 あいさつをした旭を跳ね除け、界人を指差し、宇津木は邸宅へと荒々しく入っていってしまった。
 界人は呆気に取られ、立ち尽くす。

「機嫌を損ねるようなことをしたのでしょうか?」
「宇津木さん、いつもあんなんだから大丈夫だよ。行こ」
 旭が界人の腕を引いた。怒らせてしまった初対面の宇津木に心残りを残しながらも、界人は歩き出した。
 道の向こうから、人が現れる。茶色の髪をした、精悍な顔つきの男だ。彼の伏せられた目が開かれると、その鋭く力強い視線に界人は身構えてしまった。

先生。珍しいですね」
「志葉先生も奇遇ですねえ」
「相変わらずのんきなものですね、貴方は」
「こ、こんにちは。永野です」
 今度こそ、きちんとあいさつをと界人は旭の隣で、ぎこちなくお辞儀をした。
「こんにちは。では私はこれで」
 志葉は返事はしたが、すぐに過ぎていってしまった。

「志葉先生もお散歩……なんですね」
 界人が気がかりになり、志葉のことを問えば、旭は「ちがうと思う」と答えた。
「彼は学園の刑士団でね、うさぎの多いところはつきいの好む穴が多いから、しょっちゅう見回りしてるみたい」
 刑士はうらづきの身内を取り締まる役目を担う者を指す。各一門に一つ、部隊が置かれるのではなく、その役目はうらづき第七位で、やみいの刀を持つ、水無月一門に一任されているはずだった。
「刑士……水無月一門ではなく、学園の?」
「うん、まぁ、学園の刑士団って身内のこと悪く言いたくはないけど、……うん。ほとんど機能してない」
「それは……」
「刑士団長自体は、師走家の五男、暮葉先生なんだけど、ま、当主──十二月学園の校長だけどね、彼の意向で、あんまり余計に動くなというワケ」
 刑士の役割を上手く機能させることができない、その現状を聞き、界人の頭に疑問が浮かぶ。

「それで刑士団の皆さんは納得されているんでしょうか」
「納得してないから志葉先生はああやって休日返上で、散歩を装いつつ見回りしてるんだよ。あと、しょうがないことだけど、刑士団はやる気のない影斬りのたまり場になっちゃってるね、わりと」
「そう、ですか」
 誰も彼もが、使命感と責務を持って、死力を尽くし、うらづきに課せられた任を全うできるわけではないのだ。
 うらづきつきい討伐は常に死と隣り合わせ。恐れ、怯え、トラウマ、癒えぬ痛み、喪失。数多の悲しみと重責を背負う。押しつぶされてしまった者も少なからずいるだろう。

 界人が物思いに沈んでいると、ぽよんと柔らかいものが彼の足に当たる。見ればうさぎが遊んでと飛びついてせがんでいた。
「あはは。君はモテモテだね」
「いや、その……もう少し離れてもらえるとうれしい、かな」
 腰を屈めて遠くへ手を伸ばせば、うさぎは追いかけるように後ずさり、額を手のひらに擦りつけている。
「それにしても、ずいぶんと外の世界に慣れているね」
 次々と寄ってくるうさぎを順繰りなでていた界人は、手を止めて見上げた。

「長月一門は閉鎖的な家だったと聞くし、君は成人の儀のあとから、軟禁されていたようだし、てっきり外の世界はあまり知らないものだと」
「そんな。雪季に、連れ出してもらって、市井には足を向けたことがあります。それに」
 界人は目を伏せた。在りし日の思いを胸の内によみがえらせて。

「当主を任される身として、つきい退治に出向かない、ということはあり得ませんので」
「じゃあ、あまり自由に羽を伸ばしに散策なんてことは、経験ないのかな?」
「あり、ませんね」
「じゃあちょっとだけさ、いいかな?」

 いつの間にか囲まれていたうさぎの群れから、界人は引っ張り出される。うさぎたちは無理やり追ってはこなかった。
 旭に行こうと連れ出されて向かった先には、花畑が広がっていた。「わぁ」と感嘆の声を界人は上げ、目を輝かせた。
 ちょいちょいと旭に手招かれ、界人も彼にならって腰を落とした。

「ここにさ、こうやってごろーんとね」
 旭はそのまま仰向けに倒れてしまう。
「君もやってごらんよ」

 旭から少し離れたところに、界人は慎重に尻もちをつく。両手で支えながら、おそるおそる体を傾けていった。
 背が地面に着けば、熱をはらみつつも、ひんやりとした心地よさが体を包みこむ。
 直下の太陽はまぶしく、光の熱で体が火照る。界人のほおが紅潮していく。下唇を噛み、眉根を寄せる。
 界人の指に何かが触れた。旭の手だ。驚いて振り向く間、影が覆いかぶさる。

「やっと笑ってくれた」

 旭が笑みを浮かべて界人を見下ろしている。じっと見つめる瞳は熱を帯び、注がれる視線に焦がれそうで。
 界人は手を伸ばす。旭の背に手を回して、ゆっくりとその体を自分の方へ引き寄せた。
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