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2 罪の正体
40 思惑
しおりを挟む十二月学園の林道を抜けて、景色が変わっても、車内に会話はなかった。メイコに扮した界人は口を結んで、ひと言もしゃべらない。
二人を乗せた車は、エンジン音とわずかな振動を響かせながら、大きな屋敷の門へと入っていく。ロータリーの前で車が停まり、旭の手に導かれ、外へ出るなりメイコは、荘厳な洋風のレンガ作りの建物に目を奪われた。
二人は受付を済ませ、メインフロアへと足を踏み入れた。磨き上げられたタイルが天井の照明を受けて光り輝いており、眩い空間にメイコは目を眩ませた。
着飾った紳士淑女の中で、飾り気がないにもかかわらず、妙に品のある男が場の中心にいた。彼は二人に気づき、輪から抜けて近づいてくる。
「布施先生。いつものお上手な作り話ではなかったのですね」
「ええ。彼女は『布施メイコ』と言います」
男は胸に手を当て、メイコに向かって一礼をした。
「初めまして。界導 郁人です」
『作戦はこう。社交界初めてで緊張しすぎて声が出ないフリ! なるべく親父について回って、人見知りスキルを発揮する乙女を演じる!』
実希の指導を思い出したメイコは、コクリと頷いて旭のうしろに隠れてしまった。
「はは、恥ずかしがり屋さんだなぁ、メイコは」
「慣れない場所に引っ張って、仕事に付き合わせるなんてあんまりな大人ですね、貴方は」
「あら、布施先生、いらしてくださったのですね」
談笑を楽しんでいた女性が旭に話しかけにやってくる。
「界導先生も大変麗しくて」
彼女に笑いかけられるも、界導は礼だけ述べ、ひらりとかわして部屋を出て行ってしまった。
「あはは。相変わらず。主宰なのに素っ気ない」
「界導先生は初めからあのような感じでしたよ」
「いつも遠くを見つめておられるような憂いのあるお顔で」と彼女は旭にグイッと顔を近づけた。
「布施先生こそ、いつまで隣を空けておくのかしら」
女性の香水の香りに、メイコの目が眩む。照明と華やかな装飾と、混ざり合う香りに、彼女は目を回し、いつの間にか、女性に群がられていた旭からどんどん遠ざかっていく。
「君、大丈夫かい。外の空気を吸ってきた方がいいよ」
誰かもわからぬ男に、会場の外へと連れ出されたメイコはフラつきながらも、男に手を引かれ、廊下を歩いていた。
大きな扉の前で男は止まった。ドアを開きかけたとき、男の手がガッと掴まれた。
「パーティーの間ぐらい、行儀よくしていられないものか?」
メイコを男から引き剥がしたのは主宰の界導だった。彼にひと睨みされた男は、大慌てで逃げおおせてしまった。
メイコは扉にもたれかかり、界導を見上げる。茶色の髪色のショートヘア、前髪は眉下の辺りまで不ぞろいに毛束を流しており、若い印象を受ける男だ。
「先に言っておくが、私が愛しているのは妻と子だけだ」
界導はその目を逸らしたが、メイコは彼の目を追ってしまう。
「私は今から庭に散歩に出る」
彼のジャケットの裾が翻る。動作の一つ一つが様になっていて。
「ついてくるかは君に任せる」
何よりもその焦茶色の瞳。美しく気高い、それでいて近づきたくなる、界導のそんな不思議な目に、心を奪われ、メイコは彼のあとをついて壁伝いにゆっくりと歩き出した。
陽の光を受けて、花々が美しく咲き誇る庭に、メイコは目を輝かせた。
「わぁ」
彼女はすぐに口を押さえる。くすりと先を行く界導の口から笑みがこぼれた。
「この手入れの行き届いた庭が少しでも君の緊張を解いたのなら、庭師も報われるだろうな」
メイコがおずおずと界導を見つめれば、彼は目を細めて笑う。
「ブランコという少々変わった気分転換もあるのだが、試すかは君に任せるよ」
庭の草木に囲まれたスペースに、ブランコが吊されている。案内されるがまま、メイコは座板にお尻を乗せた。途端に揺れ出すので、助けを求めて、細い手が慌てて左右の鎖を掴めば、界導の手がすでに鎖を掴んで止めていた。
「初めてかな、この両端をそう、掴んで座板の上に乗ってバランスを取る遊具だ」
軋む音を立てながら揺れるブランコに戸惑いながらも、メイコは風を切る心地よさを楽しんでいた。
「あまり高くは漕げないが、揺らす程度なら、気のなぐさみになるだろう」
「この辺にしておこうか」と界導の手がブランコの揺れ幅を弱めていく。ブランコが止まり、足を地面につけ、ふらついたメイコを彼がとっさに支えた。
「初めての挑戦に不測の事態はつきものだ。ベンチで休もう」
しまった。体に触れられてしまった。
メイコの振りをしている界人は、界導に気づかれたか、気がかりで、ベンチで小さくなっていた。
「姪っ子が外に出てしまっているというのに、布施先生は探しにもこない。不用心な」
それには界人も思う節があった。初めての場所へ、慣れない格好で付き添っているというのに、居なくなっても気づかないなんて。
「さて、そろそろ戻ろうか、永野先生」
ほおを膨らませていた界人は、遅れて顔を上げた。
やはり、界導先生に気づかれてしまっていた。
ぽかんとしている界人に、界導がイタズラっぽく笑い返してきたのは一瞬で、サッと席を立ってしまった。途端に彼から、表情が抜け落ちる。完成された人形のように整った顔立ちをしているのに、彼の横顔は愁いを帯びて寂しげだ。
彼が界人にかけた言葉を思い出して、気づけばそれを口にしていた。
「あなたは、愛している人がいると言いました」
「そうだ」
界導はすぐさま答えを口にする。
「愛し合っているのなら、なぜ、あなたは寂しそうなのですか」
静かな足音を立てて、彼が振り向く。「いずれ君の耳にも入るだろう」とつぶやき、彼は界人と目を合わせない。
「もし気が向けば、この庭へ足を向けてもらえたら、花々もよろこぶはずだ」
「お友だちでも連れてね」と言い、界導は最後にチラリと界人を見やった。
界導先生が主宰のパーティーだとかに行って帰ってきた辺りから、旭と界人の間は妙にぎくしゃくとしており、充は神経をヒリつかせていた。
「充。お願いがあるんだけど」
旭にお願いに行くはずのことも全て、界人は充に振ってくるようになった。
「来週の土曜日、昼間に外出したくて」
「わかった。どこに行くんだ?」
充は行き先も聞かずに付き添ったこと、大きなお屋敷の門の前で後悔して、激しく気をもんでいた。
「正直、気まずい」
「ごめん。でも、界導先生とどうしてもお話しがしたくて」
界人が行きたいと言って、連れられた先が界導宅だったのだ。
「界導先生は裏月との相性が最悪だ。十二月学園に偵察いや、視察だな。とにかく界導先生が来る日には、学園中の教員がピリピリすんだよ」
「ほ、本当にごめんなさい」
「まず、なんで道を知ってるんだ。一度しか行ったことがないだろう」
「志葉先生に教えてもらいました。界導先生が学園にいらっしゃるときの護衛を務めているそうで」
「君たち。そんなところで待たれてはこちらの気が咎めるよ。さあどうぞ」
充は帰りたい気持ちでいっぱいになりながら、出迎えた界導にぎこちなく笑った。
対して界人は、界導宅の調度品に興味津々で落ち着きがない。
「先だってはじっくりと見学できる雰囲気ではなかったからね」
充はギクリと肩を跳ねさせ、立ち止まりかけた。
「まったく。布施先生も女性方に囲まれて、姪っ子をひとりにしてしまうなんてね。彼女の社交デビューが心の傷に残らないといいが」と続いた界導の話から、充はパーティー後の二人の不仲のわけを察することができた。
広々とした開放感のある応接室に通されたが、充の緊張は一向に解ける気配がなかった。
「改めまして。私は界導郁人。卯咲の教育長を務めています」
「永野界人と申します。十二月学園の教員です」
お、おい~! と充は言い出したい気持ちをこらえ、「同じく、同僚の荻野充と申します……」と小さくなり、さらに畏まざるを得なくなる。
「おもしろいね」と界導はくすりと笑い出した。
「私に十二月学園の名を堂々と口にできるのは、近頃では君ぐらいだよ、永野先生」
充はやっちまったーの顔で奥歯を噛む。
「も、申し訳ありません。失礼でしたか……」
まったくだと充は非難めいた視線を界人に送る。
「構わないよ。まったく、嘘ばかりついてくる連中の集まりだと感じていたから、君のような素直な人がいて私は感激しているんだ」
出されたお茶を界人は啜り、感嘆の声を上げる。
「このお茶、美味しいですね」
「おい、界人!」
マイペースで空気の読めない界人に、充はついに声を荒らげた。界導はクスクスと笑っている。
「いいよ、お菓子も良かったら召し上がって。お口に合うのなら幸いだ」
勧められたクッキーを口に入れ、界人はまたも目を輝かせる。充は紅茶もクッキーもどれも味わうことができず、もう笑うことすらできなくなっていた。
「素敵な蔵書ですね」
「おや。本にも興味があるのかい?」
「おい、永野」と充が止めようとするも、界人の走り出した興味は止まらない。「志葉先生に、学園の書庫を案内されてからすっかり読み耽るようになってしまって」とわけを話されて、充もお手上げと言わんばかりに、界人から顔を背けた。
「勉強熱心で大変よろしい。今度は志葉先生でも連れておいで。書庫を案内しよう」
界導と界人の間で話が膨れ上がり、どんどん進んでいくので、口に運んでいた紅茶を充はこぼしかけた。
界導宅から学園に帰るなり、旭が二人を出迎える。充は「二人できちんと話せ」と界人の背中を押して、彼が入ろうとした部屋のドアを閉めてしまった。
廊下で旭と界人は二人だけ。「私の部屋で話そう」と先に沈黙を破ったのは旭だった。
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