哀夜の滅士

兎守 優

文字の大きさ
40 / 52
2 罪の正体

40 思惑

しおりを挟む

 十二月学園の林道を抜けて、景色が変わっても、車内に会話はなかった。メイコにふんした界人は口を結んで、ひと言もしゃべらない。
 二人を乗せた車は、エンジン音とわずかな振動を響かせながら、大きな屋敷の門へと入っていく。ロータリーの前で車が停まり、旭の手に導かれ、外へ出るなりメイコは、荘厳な洋風のレンガ作りの建物に目を奪われた。

 二人は受付を済ませ、メインフロアへと足を踏み入れた。磨き上げられたタイルが天井の照明を受けて光り輝いており、眩い空間にメイコは目を眩ませた。
 着飾った紳士淑女の中で、飾り気がないにもかかわらず、妙に品のある男が場の中心にいた。彼は二人に気づき、輪から抜けて近づいてくる。

先生。いつものお上手な作り話ではなかったのですね」
「ええ。彼女は『メイコ』と言います」
 男は胸に手を当て、メイコに向かって一礼をした。

「初めまして。かいどう いくひとです」
『作戦はこう。社交界初めてで緊張しすぎて声が出ないフリ! なるべく親父について回って、人見知りスキルを発揮する乙女を演じる!』
 実希みのりの指導を思い出したメイコは、コクリとうなずいて旭のうしろに隠れてしまった。
「はは、恥ずかしがり屋さんだなぁ、メイコは」
「慣れない場所に引っ張って、仕事に付き合わせるなんてあんまりな大人ですね、貴方は」
「あら、先生、いらしてくださったのですね」
 談笑を楽しんでいた女性が旭に話しかけにやってくる。
かいどう先生も大変麗しくて」
 彼女に笑いかけられるも、かいどうは礼だけ述べ、ひらりとかわして部屋を出て行ってしまった。

「あはは。相変わらず。主宰なのに素っ気ない」
かいどう先生は初めからあのような感じでしたよ」
 「いつも遠くを見つめておられるような憂いのあるお顔で」と彼女は旭にグイッと顔を近づけた。
先生こそ、いつまで隣を空けておくのかしら」
 女性の香水の香りに、メイコの目が眩む。照明と華やかな装飾と、混ざり合う香りに、彼女は目を回し、いつの間にか、女性に群がられていた旭からどんどん遠ざかっていく。

「君、大丈夫かい。外の空気を吸ってきた方がいいよ」
 誰かもわからぬ男に、会場の外へと連れ出されたメイコはフラつきながらも、男に手を引かれ、廊下を歩いていた。
 大きな扉の前で男は止まった。ドアを開きかけたとき、男の手がガッと掴まれた。

「パーティーの間ぐらい、行儀よくしていられないものか?」
 メイコを男から引き剥がしたのは主宰のかいどうだった。彼にひと睨みされた男は、大慌てで逃げおおせてしまった。
 メイコは扉にもたれかかり、かいどうを見上げる。茶色の髪色のショートヘア、前髪は眉下の辺りまで不ぞろいに毛束を流しており、若い印象を受ける男だ。

「先に言っておくが、私が愛しているのは妻と子だけだ」
 かいどうはその目を逸らしたが、メイコは彼の目を追ってしまう。
「私は今から庭に散歩に出る」
 彼のジャケットの裾が翻る。動作の一つ一つが様になっていて。
「ついてくるかは君に任せる」
 何よりもその焦茶色の瞳。美しく気高い、それでいて近づきたくなる、かいどうのそんな不思議な目に、心を奪われ、メイコは彼のあとをついて壁伝いにゆっくりと歩き出した。


 陽の光を受けて、花々が美しく咲き誇る庭に、メイコは目を輝かせた。
「わぁ」
 彼女はすぐに口を押さえる。くすりと先を行くかいどうの口から笑みがこぼれた。
「この手入れの行き届いた庭が少しでも君の緊張を解いたのなら、庭師も報われるだろうな」
 メイコがおずおずとかいどうを見つめれば、彼は目を細めて笑う。
「ブランコという少々変わった気分転換もあるのだが、試すかは君に任せるよ」
 庭の草木に囲まれたスペースに、ブランコが吊されている。案内されるがまま、メイコは座板にお尻を乗せた。途端に揺れ出すので、助けを求めて、細い手が慌てて左右の鎖を掴めば、かいどうの手がすでに鎖を掴んで止めていた。

「初めてかな、この両端をそう、掴んで座板の上に乗ってバランスを取る遊具だ」
 きしむ音を立てながら揺れるブランコに戸惑いながらも、メイコは風を切る心地よさを楽しんでいた。
「あまり高くは漕げないが、揺らす程度なら、気のなぐさみになるだろう」
 「この辺にしておこうか」とかいどうの手がブランコの揺れ幅を弱めていく。ブランコが止まり、足を地面につけ、ふらついたメイコを彼がとっさに支えた。
「初めての挑戦に不測の事態はつきものだ。ベンチで休もう」
 しまった。体に触れられてしまった。
 メイコの振りをしている界人は、かいどうに気づかれたか、気がかりで、ベンチで小さくなっていた。
「姪っ子が外に出てしまっているというのに、先生は探しにもこない。不用心な」
 それには界人も思う節があった。初めての場所へ、慣れない格好で付き添っているというのに、居なくなっても気づかないなんて。

「さて、そろそろ戻ろうか、永野先生」
 ほおを膨らませていた界人は、遅れて顔を上げた。
 やはり、かいどう先生に気づかれてしまっていた。
 ぽかんとしている界人に、かいどうがイタズラっぽく笑い返してきたのは一瞬で、サッと席を立ってしまった。途端に彼から、表情が抜け落ちる。完成された人形のように整った顔立ちをしているのに、彼の横顔は愁いを帯びて寂しげだ。
 彼が界人にかけた言葉を思い出して、気づけばそれを口にしていた。

「あなたは、愛している人がいると言いました」
「そうだ」
 かいどうはすぐさま答えを口にする。

「愛し合っているのなら、なぜ、あなたは寂しそうなのですか」

 静かな足音を立てて、彼が振り向く。「いずれ君の耳にも入るだろう」とつぶやき、彼は界人と目を合わせない。
「もし気が向けば、この庭へ足を向けてもらえたら、花々もよろこぶはずだ」
 「お友だちでも連れてね」と言い、かいどうは最後にチラリと界人を見やった。


  かいどう先生が主宰のパーティーだとかに行って帰ってきた辺りから、旭と界人の間は妙にぎくしゃくとしており、充は神経をヒリつかせていた。
「充。お願いがあるんだけど」
 旭にお願いに行くはずのことも全て、界人は充に振ってくるようになった。
「来週の土曜日、昼間に外出したくて」
「わかった。どこに行くんだ?」
 充は行き先も聞かずに付き添ったこと、大きなお屋敷の門の前で後悔して、激しく気をもんでいた。

「正直、気まずい」
「ごめん。でも、かいどう先生とどうしてもお話しがしたくて」
 界人が行きたいと言って、連れられた先がかいどう宅だったのだ。

かいどう先生はうらづきとの相性が最悪だ。十二月学園に偵察いや、視察だな。とにかくかいどう先生が来る日には、学園中の教員がピリピリすんだよ」
「ほ、本当にごめんなさい」
「まず、なんで道を知ってるんだ。一度しか行ったことがないだろう」
「志葉先生に教えてもらいました。かいどう先生が学園にいらっしゃるときの護衛を務めているそうで」
「君たち。そんなところで待たれてはこちらの気が咎めるよ。さあどうぞ」

 充は帰りたい気持ちでいっぱいになりながら、出迎えたかいどうにぎこちなく笑った。
 対して界人は、かいどう宅の調度品に興味津々で落ち着きがない。
「先だってはじっくりと見学できる雰囲気ではなかったからね」
 充はギクリと肩を跳ねさせ、立ち止まりかけた。
 「まったく。先生も女性方に囲まれて、姪っ子をひとりにしてしまうなんてね。彼女の社交デビューが心の傷に残らないといいが」と続いたかいどうの話から、充はパーティー後の二人の不仲のわけを察することができた。
 広々とした開放感のある応接室に通されたが、充の緊張は一向に解ける気配がなかった。

「改めまして。私はかいどういくひとさきの教育長を務めています」
「永野界人と申します。十二月学園の教員です」
 お、おい~! と充は言い出したい気持ちをこらえ、「同じく、同僚のおぎ充と申します……」と小さくなり、さらに畏まざるを得なくなる。
 「おもしろいね」とかいどうはくすりと笑い出した。

「私に十二月学園の名を堂々と口にできるのは、近頃では君ぐらいだよ、永野先生」
 充はやっちまったーの顔で奥歯を噛む。
「も、申し訳ありません。失礼でしたか……」
 まったくだと充は非難めいた視線を界人に送る。
「構わないよ。まったく、嘘ばかりついてくる連中の集まりだと感じていたから、君のような素直な人がいて私は感激しているんだ」
 出されたお茶を界人はすすり、感嘆の声を上げる。

「このお茶、美味しいですね」
「おい、界人!」
 マイペースで空気の読めない界人に、充はついに声を荒らげた。かいどうはクスクスと笑っている。
「いいよ、お菓子も良かったら召し上がって。お口に合うのなら幸いだ」
 勧められたクッキーを口に入れ、界人はまたも目を輝かせる。充は紅茶もクッキーもどれも味わうことができず、もう笑うことすらできなくなっていた。

「素敵な蔵書ですね」
「おや。本にも興味があるのかい?」
 「おい、永野」と充が止めようとするも、界人の走り出した興味は止まらない。「志葉先生に、学園の書庫を案内されてからすっかり読みふけるようになってしまって」とわけを話されて、充もお手上げと言わんばかりに、界人から顔を背けた。
「勉強熱心で大変よろしい。今度は志葉先生でも連れておいで。書庫を案内しよう」
 かいどうと界人の間で話が膨れ上がり、どんどん進んでいくので、口に運んでいた紅茶を充はこぼしかけた。


 かいどう宅から学園に帰るなり、旭が二人を出迎える。充は「二人できちんと話せ」と界人の背中を押して、彼が入ろうとした部屋のドアを閉めてしまった。
 廊下で旭と界人は二人だけ。「私の部屋で話そう」と先に沈黙を破ったのは旭だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

午前2時、 コンビニの灯りの下で

結衣可
BL
眠れない夜、ふらりと立ち寄ったコンビニで出会った店員・成瀬海。 その穏やかな声に救われた芹沢智也は、やがて週に一度のその時間を心の支えにしていく。 海の優しさは、智也の孤独を少しずつ溶かしていった。 誰かに甘えることが苦手な智也と、優しいコンビニ店員の海。 午前2時の灯りの下で始まった小さな出会いは、 やがて“ぬくもりを言葉にできる愛”へと変わっていく――。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

今日は少し、遠回りして帰ろう【完】

新羽梅衣
BL
「どうしようもない」 そんな言葉がお似合いの、この感情。 捨ててしまいたいと何度も思って、 結局それができずに、 大事にだいじにしまいこんでいる。 だからどうかせめて、バレないで。 君さえも、気づかないでいてほしい。 ・ ・ 真面目で先生からも頼りにされている枢木一織は、学校一の問題児・三枝頼と同じクラスになる。正反対すぎて関わることなんてないと思っていた一織だったが、何かにつけて頼は一織のことを構ってきて……。 愛が重たい美形×少しひねくれ者のクラス委員長、青春ラブストーリー。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

処理中です...