ブラッディ・クイーン

たかひらひでひこ

文字の大きさ
5 / 13

4

しおりを挟む
 あたりには、まだ強烈な硝煙の匂いに、血の匂いが混ざった空気が淀んでいた。あちこちから、重傷者の呻き声も聞こえる。
 隊士たちは陣地の修理を始め、死傷者を後方に運んでいた。後方からは、弾薬や、医療品や、食糧や、その他諸々の物資が届き始めていた。それらを必要な部署に補給する者、武器のメンテナンスをする者、後片付けに隊士みなが追われていた。
 鹿野は、ボンヤリとその様子を、眺めていたが、ふと、倒れている隊士のひとりに目が停まった。
 見覚えのある衛生士だった。昨日、負傷した、鹿野の腕を治療してくれた、浅倉香織一士だ。
 彼女は、砲弾の破片で、顔の半分を吹き飛ばされていた。無残な最期だったが、無傷で残った方の顔には、鹿野の感じた、可愛らしさの面影が残っていた。
 その彼女の姿を見た途端、鹿野の裡に、怒りとも、悲しみともつかぬ強固な感情が湧き起って来た。思わず彼女の傍に歩み寄る。
 鹿野は鹿野は、浅倉一士のカバンを探って、負傷者用の包帯を見つけた。おぼつかない手つきで、彼女の無残な傷口を、ガーゼと包帯で覆ってやる。
 それを見ていた、別の年長の衛生士が近寄って来て手伝ってくれた。
「この娘とは、仲が良かったんですか」
衛生士が尋ねた。
「仲良くなる暇はなかったです。昨日知り合って、私の手当てをしてくれたのに・・・」
 鹿野は負傷した腕を見せた。
「今日は、もうお別れです」
「・・・」
「せめて女性ですから、きれいな部分だけ見えるようにしてあげたいと思って」
その衛生士は、鹿野の顔を見て言った。
「本人に代わってお礼を申し上げます」
 鹿野が件の衛生士を見ると、三十代の女性だった。階級は曹長だった。病院なら看護師長といった立場であろうか。浅倉一士の上官なのだろう。
 浅倉一士は、同僚の担架に乗せられ、シートで全身を覆われた。トラックで、後方に運ばれる。衛生士は、鹿野に敬礼をすると、自分の部署へ戻って行った。
 鹿野も後の事を補給隊に委ねると、ようやくネグラである、中隊本部にたどり着いた。塹壕内では、通信班が、暗号通信で情報の収集をしていた。
 「やあ、新任三尉」
深町という名の通信士は鹿野に気づくと、屈託のない笑顔を見せた。階級は三曹だ。
「初陣は大変だったでしょう」
鹿野はうなずいた。
「生きているのが、不思議に思えます」
「昨夜は、激戦だったですからね。敵はこちらの約十倍程度の戦力だったようです」
 そんな敵を相手にしていたのだ。
「我が方の損害は約三十名、その内戦死者は八名。敵の戦力を考えると、あの騒ぎでこの損害は上出来というところでしょうか。下手をすると全滅していても不思議ではない状況でした。美浦中隊長のお陰ですよ」
 上出来か・・・。いとも簡単に人が、損害という数字でこの世から消えてゆく。
 改めて戦場という場所の、今までの平和な生活からはかけ離れた、非日常性を鹿野は肌で感じた。彼もこの非日常が、いつの間にか日常になってゆくのだろう。
「敵の損害はどうです」
「はっきりとはわかりませんが、我が中隊正面でも数百から、千数百ぐらいでしょう」
深町の言だ。
 夜襲とは、一種の奇襲である。だが相手に襲撃を予知されていると、奇襲の効果はなくなる。昨夜の戦闘が正にそれであった。
 深町通信士の説明によれば、連隊本部は敵の夜襲を予想しておらず、前線からの警告も無視していた。そのため、その報告を受けた本部は、一時パニック状態に陥ったらしい。
 だが、前線に展開している各中隊が冷静に反撃している事、師団司令部のみならず、方面軍司令部からもすかさず支援の連絡があり、予備戦力がスムーズに送られて来た事で、落ち着きを取り戻したそうだ。
 「今回もウチの中隊長が、各方面に予め根回しをしてくれてたから、助かったようなものですよ」
「そうなんですか」
美浦中隊長の凄腕をここでも聞かされた。
 前から訊きたかった事を深町に尋ねてみた。
「ところで、ブラッディ・クイーンとは何ですか。美浦中隊長の事らしいですが」
「ああ、美浦中隊長の赴く前線は連戦連勝ですからね。元々クイーンとは、中隊長自身のコードネームです。それに中隊長の指揮した六中隊が戦うと、敵に大きな出血を強いる事になるんで、ブラッディなる枕詞が付いたんです。もっとも当の中隊長は、あまり気に入っちゃいないみたいですが」
 深町は笑顔で答えてくれたが、それ以上考える力は、鹿野には残っていなかった。ひたすら眠りたかった。
 鹿野は野戦ポンチョを身に纏うと、塹壕内に身を横たえた。身体は二十四時間の行軍と、戦闘の連続で、ヘトヘトだった。
 しかし、目を閉じると、戦死した、浅倉衛生士の顔が浮かんだ。まだ二十代前半と覚しき、可愛らしい女性だった。彼女の笑顔が、まぶたに焼き付いて、いっかな消えようとしなかった。
 どんな人生を歩んで来たのだろうか、家族は悲しむだろう。優しくて、可愛い自慢の娘。彼氏もいたのだろうか。考え出すと、なかなか寝付けなかった・・・。
 浅倉衛生士のような、若い女性が無残な姿となって転がっていた。あたりは瓦礫が山となっていた。自分の勤務していた、職場のビルも、中距離弾道ミサイルの直撃を受けて、廃墟となっていた。馴染みの町並みは、消え去り、残ったのは、瓦礫と廃墟と死だけになっていた。
 その時、鹿野は職場と共に、大切なもののすべてを失った。今まで彼の世界を支えていた、秩序は崩れ去ったのだ。日常と言う名の、国家権力に支えられた、虚構を打ち砕いたのは、軍事力という、鹿野にとっては新たな権力だった。
 彼に残されたのは、失われたものを、取り戻す戦いだけになったのだ。法律という社会規範では制御できない、戦争という力の行使に打ち克つために。
 自分でも気づかぬうちに、鹿野はいつしか、眠り込んでいた。悪夢を見ていた。
       *
 誰かの怒鳴り声で、鹿野はその悪夢から目を覚ました。誰かがしきりに大声をあげていた。目が覚めても、悪夢の続きを見ているようで嫌な気分だ。時間を見ると、既に正午過ぎだった。
 「なんです?」
傍にいた深町通信士に聞いた。
「連隊本部の幕僚が、怒鳴り込んで来てるんですよ」
「えっ?」
 鹿野が塹壕から這い出すと、顔に険のある男が、美浦一尉に食ってかかっている場面だった。
 「あれだけの規模の夜襲を予知していたのなら、なぜその旨、連隊本部に報告しない!」
しかし、その士官の本当に言いたかった事は、そこではなかったようだ。
 「連隊本部を飛び越えて、師団司令部や、方面軍司令部まで支援要請を行っていた。私にはちゃんとわかっているんだからな」
自分の権威を振りかざす事を忘れない。
 「まずは、連隊本部を経由して、支援要請をするべきだ!お前のやっている事は、軍の秩序を乱す、越権行為に外ならない。この事は、必ず問題にしてやるからな!」
 美浦一尉は、無表情で聞いていたが、毅然として反論を始めた。
「連隊本部に事前の報告がなかった、と永川一尉は言うが、昨日昼の敵の強行偵察の際、これは、夜襲の前触れだとの上申を何回もした。永川一尉はお忘れのようだが、連隊配備の戦車隊、特科部隊の支援要請も何回ともなく行った。それについてのあんたの返答は、ここにいる数名が聞いているし、音声データも残してある」
 美浦はSDカードをかざして見せた。
「昨夜、連隊正面に敵の数個師団が集結している事は、連隊幕僚のあんたなら、当然知り得た情報のはずだ。要するにあんたは、敵の戦力、意図を見誤り、連隊戦力を危険に陥れた張本人じゃないのか」
 永川一尉の怒りは、正に怒髪天を衝くという表現がふさわしいものだった。美浦一尉の指摘が当たっていたからなのだろう。永川は悪態をついていたが、美浦一尉を睨みつけた。
「とにかく、越権行為については、軍法に照らして、必ず問題にしてやる。処分申請するからな」
 黙って、それまでのやりとりを聴いていた鹿野だったが、思わず口を開いていた。
「越権行為にはなりませんよ」
「何!誰だ、お前は!」
「六中隊の鹿野三尉です」
「補充士官か、貴様みたいな見習いが、何をほざく」
 「一尉殿は、越権行為と仰るが、軍法に照らすと、越権行為が問題となるには、それによって部隊に損害、または、混乱を生ぜしめた事が要件とされます。しかし、昨夜の事例ではそういった事実はありません。従って、越権行為という構成要件には該当しないと考えられます。また、仮に越権行為が認定される場合であったとしても、今回は、予期せぬ敵の奇襲に対応せざるを得なかったのですから、越権行為自体が、緊急避難という違法性阻却事由に該当するケースと思料致します。従いまして、美浦一尉の軍法上の責任を問う事は、ふたつの法的根拠から困難と考えますが。疑われるなら、師団付きの法務官の意見を求められてはいかがでしょう」
鹿野は、一気に喋った。
 その場にいた全員が毒気を抜かれたような顔をして、鹿野を見ていた。正直、法律専門用語を交えた論述は、反論の気力を萎えさせる効果があった。
 要するに何を言っているのか、素人には理解不能だった、という事だ。
 連隊幕僚の永川一尉は、支離滅裂な悪態をついた。
「偉そうに抜かしてんじゃねえぞ」
偉そうにのたまうと、早々に引き上げて行った。それでも本人にしてみれば、捨て台詞のつもりだったのだろう。
 「結局最後は、尻つぼみでしたね」
六中隊の幹部たちが、感嘆に耐えない面持ちで、鹿野を称えた。
 「三尉が、こんなに軍法に詳しいとは、思わなかったぞ。シャバでは法律家でもやってたのか」
誰かが訊いた。
 「本国では、検察官をやってました」
六中隊の幹部たちは唖然とした表情を浮かべた。
「やれやれ、そんなエリートが何でまたこんな処に。俺にゃ言ってる事の、半分もわからなかったぜ」
 石塚三尉は頭を掻いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

リアルメイドドール

廣瀬純七
SF
リアルなメイドドールが届いた西山健太の不思議な共同生活の話

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...