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その日も、朝から敵の砲撃で始まった。数十発の百五ミリ程度の砲撃だった。例によって、実効性の効果より、隊士への精神的効果を狙ったものであろう。
砲弾は、広範囲に、無作為に降って来るから、命中の確率はそんなには多くないはずだが、砲撃の間は緊張感で耐え難いし、砲撃終了後も気分は滅入る。今日は命中しなかったが、明日はわからない。毎日の確率は小さくても、何十日もここにいればいつかは弾に当たる時が来るだろう。
砲撃は、十五分程度で終了した。誰かが大声で、衛生士を呼ぶ声が聞こえた。また、誰かがやられたのか。鹿野のケータイ端末が鳴った。早瀬准尉からだった。
「どうしました」
「先ほどの砲撃で石塚三尉がやられました」
鹿野は衛生班へ急いだ。
そこでは、石塚がストレッチャーに乗せられ横たわっていた。腹部とズボンが血まみれだ。美浦中隊長が付き添い、バイタルサインをチェックしていた。
「どうなんですか」
鹿野の声に美浦が振り向いた。
「腹部に破片が食い込んでいる。出血が止まらない」
「じゃあすぐに後方の野戦病院に・・・」
美浦は石塚を診ていたが、首を横に振った。
「いや、このままなら、助からない。野戦病院まで持たないだろう」
その場にいた、みなの顔色が蒼くなるのがわかった。
「ここでオペをやる」
美浦が断固とした口調で言った。
「ここでですか、しかしオペの機材が揃いません」
「開腹して今すぐ止血しなければ、石塚は助からない」
「しかし、麻酔が・・・」
「局所麻酔でやる」
局所麻酔で開腹手術とは荒っぽいが、背に腹は替えられない。ここは戦地なのだ。
突然その場の空気が、騒然となった。美浦は手術衣に着替え、手を消毒すると、医療用の手袋をはめた。痛みにうめく、石塚に現状を説明している。
「わかりました。俺の命は中隊長に預けますよ」
「さあ、野次馬は出て行って」
集まっていた隊士たちは、衛生士に衛生班のテントから追い出された。
「フェンタニルがあったな」
美浦は衛生士に指示し、麻酔薬を用意させた。腕の静脈に点滴針を差し込み、吊るしたバックから、輸液を点滴する。
衛生士と共に、ハサミで服を切って脱がせ、石塚を横向きにすると、背骨を探っていたが、腹腔神経叢のポイントを見つけ、消毒して針を刺した。
「麻酔を」
美浦は、注射器で麻酔薬を注入する。しばらくすると、痛みに顔をしかめていた、石塚が楽になったようだった。美浦は、石塚を仰臥位にすると、傷口を消毒した。
左の側腹部に大きな砲弾の破片が食い込んでいて、出血は断続的に続いている。美浦はメスを握った。
「では、始める」
オペは十分ほどで終了した。まず、腹部を切開して、砲弾の破片を取り除いた。腹腔内に溜まった血液を手早く吸引し、切れた血管を見つけて鉗子で挟むと、出血は止まった。ブルクリップで血管を留め、でき得る限り、傷口を洗って消毒した。応急的だが、前線の事で仕方がない。
そのまま腹を閉じ、テーピングを施した。美浦は、溜めていた息を吐いた。
「何とかなったな。後の処置は、野戦病院でやってくれるだろう。それにしても、こいつも悪運の強い奴だ」
「中隊長、俺は局所麻酔なんですよ。悪口はまる聞こえだ」
石塚が笑いながら片手を振った。
「後方で、ゆっくり休め」
美浦は、普段からは想像できない、優しい表情をしていた。
*
「小隊長クラスの幹部は、中隊本部へ集まれとの事です」
鹿野のケータイ端末に早瀬准尉から連絡があった。
鹿野は、第二小隊を田中二曹に預けると、六中隊の本部へ向かった。最近の敵の砲撃で、六中隊の展開地も砲弾の穴だらけだ。いつ終わるとも知れぬ陣地戦に、隊士たちの身も心も磨り減っている様子だ。みなが、疲れ切った顔をしていた。
中隊本部には、お馴染みの石塚三尉の顔がなかった。
「石塚三尉の容態はどうです?」
鹿野は美浦に訊いた。
「石塚は無事に処置が済んで、たった今、後送された」
「完治までにはだいぶかかるんでしょうか」
「出血が酷くてな、応急的な処置はしたが、当分野戦病院に入院だろうな。まあ、野戦病院に奴のようなクマ男を担当できる獣医がいれば、の話だが」
みな、美浦の冗談に笑い転げた。
しかし、いつも元気で中隊の鼓舞役だった、石塚三尉の負傷離脱は、六中隊に、目には見えない損害をもたらした。鹿野の見る限り、明らかに落ちつつあった士気に、追い討ちを掛けていた。
考えてみれば、もう二か月からこの地に根を生やしているのだ。無理もない話だった。
「一小隊代行は島本にやって貰う。そこで、みんなに率直に聞くが、各小隊の隊士たちの様子はどうだ」
美浦がいつになく、真剣な表情で訊いて来た。鹿野が一番に答えた。
「限界だと思います。最初の二百人のうち、現在残っている隊士は、二十人程度です。特に彼らが酷い。精神的にも、肉体的にも休養が必要です」
他の小隊幹部たちも口を揃えて、同様の意見を述べた。
「実は、私も同意見だ。六中隊は休養が必要だと思う」
「他の中隊はどうなんですか」
三小隊の金子が質問した。
「四中隊、五中隊も同様の意見だな。特に四中隊は中隊長が戦死しているから、尚更だ。一、二、三中隊は、別の方面に展開しているので確認してないが、多分同じだろうな」
「後備部隊との、入れ替えはないんですか?先月は、三師団と一四師団が、四師団、一三師団と交替しましたが」
「隣の二連隊はァ三〇連隊と交替したしィ」
美浦も、難しい顔をして考え込んでいた。
「何と言っても、師団には連隊は三個しかないしな。後方に下がったばかりの二連隊と交替、というわけにもいくまい」
「連隊長は、どう言ってるんですか」
これは島本だ。
「それが、鈴木連隊長は、負傷して入院したままだ。残った幹部連中では、何をすれば良いのかさえ把握できんだろう」
またしても、幹部の人材不足が露呈した状況だ。
鹿野が見かねて提案した。
「この際、何小隊所属とかでなく、中隊長が診て、休養の必要あり、と認めた者は前線勤務から外してはどうです。彼らには、なるべく後方で休ませるようにしては?」
「うーん。鹿野の言う事もわかるが、他の隊士たちへの影響もあるからなあ」
「後は、美浦中隊長の人脈にお願いするしかないですね」
鹿野は諦め顔だった。
しかしその一週間後、突然六中隊に朗報が舞い込んだ。すぐに美浦は、各小隊幹部を集めた。
「交替が決まったぞ。一三連隊の代わりに四八連隊が来てくれる手はずになった」
鹿野たちはみな驚いた。
「四八連隊と言えば、方面隊混成団のいわば予備連隊ですよね。方面隊直轄の部隊が良く来てくれましたね」
「それがな、今回一三連隊、いや一二師団の連隊全部が、九個中隊となるそうだ。そのための編成替えを兼ねての交替だ」
日本自衛軍は、国家予算の事情と戦争形態の変化で、小規模精鋭を極める余り、旅団編成を一時採用していた。が、いざ実戦となると、人的損害は覆うべくもなく、結局以前の一個師団三個連隊、一個連隊三個大隊九個中隊制度に戻さざるを得なくなった。
ミサイルの無差別攻撃により、日本国民の自衛軍志願者は増えているが、問題は軍事経験を持った国民が皆無に等しいという事実であった。そのための養成機関が設置されたが、時間の関係もあり、速習とならざるを得なかった。つまりは、基礎は教えるが、応用は実戦で、という事だ。
新しく、普通科大隊という組織が生まれ、四、五、六中隊は、直属の上官は第二大隊長という事になる。
今は、そんな事より、六中隊の隊士たちにとっては、約二か月ぶりの休暇が一大事だった。後送されても、訓練はあるし、決して休みばかりではない。にしても取りあえず、砲弾が降ってこない、屋根付きの部屋で安眠できるのはありがたかった。
三日後、四八連隊の隊士たちがやって来て、引き継ぎの後、一三連隊は、後方に下がることになった。
全隊士の六割程度にまで減った、六中隊の隊士たちは、ボロボロな軍服と、鋭く光る眼が、異様な雰囲気をあたりに発散していた。
それは見る者に、戦場の凄愴さを物語る姿だった。すれ違う四八連隊の隊士たちは、一三連隊の隊士たちから、それを強烈に感じ取った。
一三連隊の隊士たちは、中隊ごとにトラック中隊によって、後方へと向かった。目的地はS市の方面軍司令部がある場所であった。
まる一日掛けてトラックの群れは、S市郊外に到着した。ここでは、セミが鳴いていた。前線では、セミがとまる樹木もなかった。
そこには、以前より別の部隊が使用していた、ベースキャンプがあった。プレハブの兵舎、事務所、食堂、風呂、倉庫、ホール、診療所、車庫それに士官用の住居まであった。
到着した隊士たちは、順番に部屋を充てられて、まずは荷物を自分の部屋に降ろした。
だが、一三連隊の全員が入居しても、兵舎にはまだ、多くの空きがあった。そこに、新しく配属される七、八、九中隊の連中が入るのだろう。
到着したのが、夕方だったので、まず風呂に入るか、士官はシャワーを浴びる事もできた。ゆうにふた月分の垢を落とした事になる。隊士たちは気持ちが良かっただろうが、掃除係は大変だったであろう。
夕食の後は、久々のオフだった。外出も認められたが、地理がわからないので、その晩外出する隊士は、ごく僅かだったようだ。
美浦一尉、早瀬准尉、金子三尉、鹿野三尉、麻生二尉、島本曹長、並河曹長の六中隊幹部は、事務手続きのため、他の隊士たちと共に夕食を食べる事はできなかった。
「くそ、何でこんなとこまで来て、こんなメンドイ事しなきゃなんないのォ」
麻生が不平を並べた。中隊幹部たちには、中隊と各小隊の書類作成という事務があった。隊士一人一人のデータを作成し、管理者に提出しなければならない。
さすがに、美浦と鹿野は手際よく事務を完了し、他の幹部たちの手伝いをした。
作業が終了したのは、二十一時過ぎだった。
「ああ、ひと風呂浴びたい。ここ温泉とかないの」
「温泉はともかく、私は飯食って風呂に入って、早く寝たいです」
鹿野の声も疲れていた。
風呂に入った後、幹部たちで集まって飯を食おうという事になった。
食堂は二十一時で既に終了していた。
テーブルとイスはあり、飲物は自販機で飲めるが、腹の減っていた美浦たちは、ラウンジへ行く事にした。普段は士官専用のクラブルームだが、休暇中は、一般隊士にも開放されているのだ。専ら飲酒をする場所だが、軽食もあった。そこで、ビールを飲みながら、ハンバーガーやホットドッグを食べた。
ラウンジでは、ジャズが流れていた。鹿野は久々に人心地ついた想いだった。
昨日までは、塹壕の中で眠り、缶詰やレトルトの飯を食っていたのだ。もちろん、風呂など入れないし、酒も飲めない。音楽等とも当然無縁だ。
砲撃にさらされる怖れがないという事は、実にありがたかった。ゆっくりくつろげる。
六中隊の幹部たちも、みなアルコールが入ったせいか、普段話さないようなプライベートな話題を含め、談論風発となった。
鹿野の右隣にいた、金子は某電機メーカーの営業マンだった。営業成績に一喜一憂し、自ら望んで単身赴任したそうだ。そのお陰で、日本本土を襲ったミサイル攻撃から逃れられた。だが、残った妻と子たちが重傷を負い、それがきっかけで離婚する事となった。
今まで誰にも喋らなかったであろう話を、感情を抑えて訥々と語った。たぶんみな、心に仕舞ってあった、地獄があるのだ。
そう思うと、鹿野の心にいつもフラッシュバックする、あの光景が浮かんで来た。ガラスの破片と、瓦礫の山と、それらに埋もれた屍。夜、灯りの落ちた街に、瓦礫の陰に、青白い鬼火が数限りなく浮かんでいた。決して忘れる事はできない光景だった。
「鹿野もお疲れ、ご苦労だったな」
いつの間にか、鹿野の左隣には美浦が座っていて、酒を注いでくれた。
知らず知らずの裡に、鹿野はコップを重ねていた。飲物はいつの間にか、ビールからウィスキーになっていた。
砲弾は、広範囲に、無作為に降って来るから、命中の確率はそんなには多くないはずだが、砲撃の間は緊張感で耐え難いし、砲撃終了後も気分は滅入る。今日は命中しなかったが、明日はわからない。毎日の確率は小さくても、何十日もここにいればいつかは弾に当たる時が来るだろう。
砲撃は、十五分程度で終了した。誰かが大声で、衛生士を呼ぶ声が聞こえた。また、誰かがやられたのか。鹿野のケータイ端末が鳴った。早瀬准尉からだった。
「どうしました」
「先ほどの砲撃で石塚三尉がやられました」
鹿野は衛生班へ急いだ。
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「どうなんですか」
鹿野の声に美浦が振り向いた。
「腹部に破片が食い込んでいる。出血が止まらない」
「じゃあすぐに後方の野戦病院に・・・」
美浦は石塚を診ていたが、首を横に振った。
「いや、このままなら、助からない。野戦病院まで持たないだろう」
その場にいた、みなの顔色が蒼くなるのがわかった。
「ここでオペをやる」
美浦が断固とした口調で言った。
「ここでですか、しかしオペの機材が揃いません」
「開腹して今すぐ止血しなければ、石塚は助からない」
「しかし、麻酔が・・・」
「局所麻酔でやる」
局所麻酔で開腹手術とは荒っぽいが、背に腹は替えられない。ここは戦地なのだ。
突然その場の空気が、騒然となった。美浦は手術衣に着替え、手を消毒すると、医療用の手袋をはめた。痛みにうめく、石塚に現状を説明している。
「わかりました。俺の命は中隊長に預けますよ」
「さあ、野次馬は出て行って」
集まっていた隊士たちは、衛生士に衛生班のテントから追い出された。
「フェンタニルがあったな」
美浦は衛生士に指示し、麻酔薬を用意させた。腕の静脈に点滴針を差し込み、吊るしたバックから、輸液を点滴する。
衛生士と共に、ハサミで服を切って脱がせ、石塚を横向きにすると、背骨を探っていたが、腹腔神経叢のポイントを見つけ、消毒して針を刺した。
「麻酔を」
美浦は、注射器で麻酔薬を注入する。しばらくすると、痛みに顔をしかめていた、石塚が楽になったようだった。美浦は、石塚を仰臥位にすると、傷口を消毒した。
左の側腹部に大きな砲弾の破片が食い込んでいて、出血は断続的に続いている。美浦はメスを握った。
「では、始める」
オペは十分ほどで終了した。まず、腹部を切開して、砲弾の破片を取り除いた。腹腔内に溜まった血液を手早く吸引し、切れた血管を見つけて鉗子で挟むと、出血は止まった。ブルクリップで血管を留め、でき得る限り、傷口を洗って消毒した。応急的だが、前線の事で仕方がない。
そのまま腹を閉じ、テーピングを施した。美浦は、溜めていた息を吐いた。
「何とかなったな。後の処置は、野戦病院でやってくれるだろう。それにしても、こいつも悪運の強い奴だ」
「中隊長、俺は局所麻酔なんですよ。悪口はまる聞こえだ」
石塚が笑いながら片手を振った。
「後方で、ゆっくり休め」
美浦は、普段からは想像できない、優しい表情をしていた。
*
「小隊長クラスの幹部は、中隊本部へ集まれとの事です」
鹿野のケータイ端末に早瀬准尉から連絡があった。
鹿野は、第二小隊を田中二曹に預けると、六中隊の本部へ向かった。最近の敵の砲撃で、六中隊の展開地も砲弾の穴だらけだ。いつ終わるとも知れぬ陣地戦に、隊士たちの身も心も磨り減っている様子だ。みなが、疲れ切った顔をしていた。
中隊本部には、お馴染みの石塚三尉の顔がなかった。
「石塚三尉の容態はどうです?」
鹿野は美浦に訊いた。
「石塚は無事に処置が済んで、たった今、後送された」
「完治までにはだいぶかかるんでしょうか」
「出血が酷くてな、応急的な処置はしたが、当分野戦病院に入院だろうな。まあ、野戦病院に奴のようなクマ男を担当できる獣医がいれば、の話だが」
みな、美浦の冗談に笑い転げた。
しかし、いつも元気で中隊の鼓舞役だった、石塚三尉の負傷離脱は、六中隊に、目には見えない損害をもたらした。鹿野の見る限り、明らかに落ちつつあった士気に、追い討ちを掛けていた。
考えてみれば、もう二か月からこの地に根を生やしているのだ。無理もない話だった。
「一小隊代行は島本にやって貰う。そこで、みんなに率直に聞くが、各小隊の隊士たちの様子はどうだ」
美浦がいつになく、真剣な表情で訊いて来た。鹿野が一番に答えた。
「限界だと思います。最初の二百人のうち、現在残っている隊士は、二十人程度です。特に彼らが酷い。精神的にも、肉体的にも休養が必要です」
他の小隊幹部たちも口を揃えて、同様の意見を述べた。
「実は、私も同意見だ。六中隊は休養が必要だと思う」
「他の中隊はどうなんですか」
三小隊の金子が質問した。
「四中隊、五中隊も同様の意見だな。特に四中隊は中隊長が戦死しているから、尚更だ。一、二、三中隊は、別の方面に展開しているので確認してないが、多分同じだろうな」
「後備部隊との、入れ替えはないんですか?先月は、三師団と一四師団が、四師団、一三師団と交替しましたが」
「隣の二連隊はァ三〇連隊と交替したしィ」
美浦も、難しい顔をして考え込んでいた。
「何と言っても、師団には連隊は三個しかないしな。後方に下がったばかりの二連隊と交替、というわけにもいくまい」
「連隊長は、どう言ってるんですか」
これは島本だ。
「それが、鈴木連隊長は、負傷して入院したままだ。残った幹部連中では、何をすれば良いのかさえ把握できんだろう」
またしても、幹部の人材不足が露呈した状況だ。
鹿野が見かねて提案した。
「この際、何小隊所属とかでなく、中隊長が診て、休養の必要あり、と認めた者は前線勤務から外してはどうです。彼らには、なるべく後方で休ませるようにしては?」
「うーん。鹿野の言う事もわかるが、他の隊士たちへの影響もあるからなあ」
「後は、美浦中隊長の人脈にお願いするしかないですね」
鹿野は諦め顔だった。
しかしその一週間後、突然六中隊に朗報が舞い込んだ。すぐに美浦は、各小隊幹部を集めた。
「交替が決まったぞ。一三連隊の代わりに四八連隊が来てくれる手はずになった」
鹿野たちはみな驚いた。
「四八連隊と言えば、方面隊混成団のいわば予備連隊ですよね。方面隊直轄の部隊が良く来てくれましたね」
「それがな、今回一三連隊、いや一二師団の連隊全部が、九個中隊となるそうだ。そのための編成替えを兼ねての交替だ」
日本自衛軍は、国家予算の事情と戦争形態の変化で、小規模精鋭を極める余り、旅団編成を一時採用していた。が、いざ実戦となると、人的損害は覆うべくもなく、結局以前の一個師団三個連隊、一個連隊三個大隊九個中隊制度に戻さざるを得なくなった。
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新しく、普通科大隊という組織が生まれ、四、五、六中隊は、直属の上官は第二大隊長という事になる。
今は、そんな事より、六中隊の隊士たちにとっては、約二か月ぶりの休暇が一大事だった。後送されても、訓練はあるし、決して休みばかりではない。にしても取りあえず、砲弾が降ってこない、屋根付きの部屋で安眠できるのはありがたかった。
三日後、四八連隊の隊士たちがやって来て、引き継ぎの後、一三連隊は、後方に下がることになった。
全隊士の六割程度にまで減った、六中隊の隊士たちは、ボロボロな軍服と、鋭く光る眼が、異様な雰囲気をあたりに発散していた。
それは見る者に、戦場の凄愴さを物語る姿だった。すれ違う四八連隊の隊士たちは、一三連隊の隊士たちから、それを強烈に感じ取った。
一三連隊の隊士たちは、中隊ごとにトラック中隊によって、後方へと向かった。目的地はS市の方面軍司令部がある場所であった。
まる一日掛けてトラックの群れは、S市郊外に到着した。ここでは、セミが鳴いていた。前線では、セミがとまる樹木もなかった。
そこには、以前より別の部隊が使用していた、ベースキャンプがあった。プレハブの兵舎、事務所、食堂、風呂、倉庫、ホール、診療所、車庫それに士官用の住居まであった。
到着した隊士たちは、順番に部屋を充てられて、まずは荷物を自分の部屋に降ろした。
だが、一三連隊の全員が入居しても、兵舎にはまだ、多くの空きがあった。そこに、新しく配属される七、八、九中隊の連中が入るのだろう。
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ラウンジでは、ジャズが流れていた。鹿野は久々に人心地ついた想いだった。
昨日までは、塹壕の中で眠り、缶詰やレトルトの飯を食っていたのだ。もちろん、風呂など入れないし、酒も飲めない。音楽等とも当然無縁だ。
砲撃にさらされる怖れがないという事は、実にありがたかった。ゆっくりくつろげる。
六中隊の幹部たちも、みなアルコールが入ったせいか、普段話さないようなプライベートな話題を含め、談論風発となった。
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そう思うと、鹿野の心にいつもフラッシュバックする、あの光景が浮かんで来た。ガラスの破片と、瓦礫の山と、それらに埋もれた屍。夜、灯りの落ちた街に、瓦礫の陰に、青白い鬼火が数限りなく浮かんでいた。決して忘れる事はできない光景だった。
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